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Re, DS  作者: SIOYAKI
第四章 死して後已む
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第68話

決戦、六武衆⑤


 夜明けも近付きつつある臨海都市。その中央部へと続く道の途中で、リアム・ファミーユはその異変を感じ取る。

 内の疲弊を感じさせぬ様相が、驚愕と動揺に染まる程の異常。あり得ぬと無意識に断じていた展開を前に、思考が即座に付いていかない。


「陛下の気が、乱れた!? ……これは、修羅覚醒だとっ!?」


 肌がひりつくような感覚。爆発するように膨れ上がる闘気の量は、常態でさえ他者の生存を許さぬ王のそれだとしても異様な量。


 闘気に乗る感情は、悪意や敵意や殺意ではない。純粋な歓喜。そうであると感じるが故に、今も意識は保持出来ている。そうでなければ、その密度だけでリアムですら気が触れていたことだろう。


(あの方がどうこうなるとは思えねぇが、見過ごす訳にもいかねぇな)


 膨れ上がるその感覚は、紛れもなく修羅が追い詰められた時に起こる現象。だが、あの王が? そういう疑問は当然あって、頭も心も付いてはいかない。


 だが、だとしても見過ごす訳にはいかないとその忠誠心で判断する。焔の王が追い詰められたとはまるで思わぬが、何らか異常は起きたのだろう。ならば此処で駆け付けずして、一体何が忠臣か。


 故に一歩、傷付いた体で踏み出したリアムは直後に止まった。男の前に、一人の少女が立ちはだかるように現れたからだ。


「……テメェ、邪魔する気か?」


「っ、ええ、邪魔しに来たわ。狂狼(ルー・ガルー)


 火傷に歪んだ顔に怒りが浮かぶ。その形相に睨まれて、一瞬臆する少女は既に限界寸前。表情は青く、呼吸は荒く、しかしそれも当然のこと。


 ミュシャ・ルシャと言う少女にとって、炎王の圧力はこれ程に離れていても耐えられるようなものではないのだ。今にこうして、意識を保っていることこそが異常である。


「土の精霊武装を利用した、大地の守りか。道具頼りとは言え、この状況で意識があることだけは褒めてやる」


 少女の胸元に揺れるネックレス。紐を通したその欠片を見て、目を細めたリアムは得心する。あの日、あの森の中で悪竜王に砕かれた牛頭の矛。

 その欠片を、目敏いこの娘は見逃さずに持ち出していた。それを守りと使っているのだ。大地の加護をその身に受けて、故に如何にかこの戦場でも動けている。


 だが、しかし、所詮はそれだけ。今も膨れ上がり続けている炎王の圧力を前に、思考や意識を失わずに居るだけで限界寸前。真面な動きなど、尋常な戦闘など、今の彼女に出来よう筈がない。


「だけどなぁ、イキリやがった雌猫がっ! お前なんかが、俺の道を塞ぐだぁ? 本当に出来ると思ってんのかよ!」


 いいや、出来たとしても変わらない。如何に消耗しているとは言え、リアムは世界でも十指に入る実力者。常人より多少運動能力が高いだけの小娘など、足止めすらも出来やしない。


「ま、私一人じゃ無理よね。でも、このままアンタを行かせる訳にもいかないの。だから――」


 そんなこと、栗毛の少女にだって分かっている。だからこそ、その傍らへと駆け付けた白百合の乙女は、その手にした雷の剣を振るうのだ。


「雷翔、一閃っ!」


 迫る雷光の一撃を、リアムは舌打ちしながら回避する。完全に隙を突いたと思われた一撃は、しかし実力の差が故に届かない。


 されどそんなこと、端から分かっていたこと。迷いも動揺も一切なく、同じ想いを抱いた少女と肩を並べる。アンジュ・イベールが其処に居た。


「ちっ、あの時の雑魚女かっ!」


「よぉ、六武の凶狼。あの日の借りを、熨斗を付けて返してやるぜっ!」


 肩を並べて、しっかりと前を見詰める少女達。ミュシャ・ルシャとアンジュ・イベール。二人はどちらも闘気の圧に潰されそうになりながらも、それでも不敵に笑って立つ。


 その姿に、リアムは苛立つ。片や無傷ではあるが、大地の守りがなければ戦場にすら立てない小娘。片や一皮剥けたようではあるが、既に傷付き消耗し切った様子の小娘。こんな二人で、俺を止めると? 王の下へ馳せ参じるのを邪魔すると? 男の苛立ちの根源は即ち其処だ。明らかに、舐められている。


「ははっ、考えたもんだ。今の俺なら、テメェら雑魚でもどうにか出来ると。ほんっと、舐められたもんだぜ」


「回りくどいわね。私とリリーだけじゃ無理、って言いたいんでしょ。そんなこと、私だって分かってるの。だから、アンタの敵は、私たちだけじゃない」


 けれどその苛立ちは、的外れなのだとミュシャは告げる。相応な知性を持つ少女には、リアムの思考だってある程度は読み解ける。


 決して長い付き合いではないが、然程に浅い関係でもない。そんな男を、少女が舐める筈もなく。

 故にこの場は、殺し間だ。確実に、この男だけは、倒し切る。そんな準備は、既に出来ていたのである。


「や、久し振り。おじさんも、借りを返させて貰おうかな」


「雷将クリス」


 細身の西洋剣を手に、気楽な声を掛けて来る男。少女らの背後から近付いて来る金髪の男性は、この北方の領主。雷将クリストフ・フュジ・イベール。

 体力的には底が近くとも、気力は未だに十二分。精神的には全盛期にも近付いているクリスの実力は、今のリアムでも容易く捻れるような相手ではない。


 これで三対一。だが当然、この猫人の殺し間がこの程度で済む筈もない。倒壊し掛けた家屋の屋根に、新たに現れた敵の気配へとリアムは目を向ける。


「多勢に無勢ですが、卑怯とは言いませんよね」


「討魔師団長シャルロット」


 屋根の上に立つ二人の女性。内の一人であるレイピアを構えた金髪碧眼の美女は、そんな言葉を口にした。卑怯と思うなと語るのは、多少は負い目があるからだろう。


 尋常な勝負、とは言えない状況だ。最早、消化試合に近い。それが分かって、それでもシャルロット・ブラン=シュヴァリエが為すことは変わらない。仲間と共に、敵を討つのみ。


「想定以上だったぞ、六武衆。だが、流石の貴様らも此処までだな」


「十三使徒のオードレ・ダグラス」


 シャルロットと共に現れたのは、当然行動を共にしていたこの女。凍れる剣をその手にした青髪の女は、その冷徹な瞳で敵を計り見下ろしている。

 オードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワー。万全ならば、一騎打ちでも危険な相手。そんな十三使徒の一角が、疲弊した男一人を確実に倒す為に此処に居る。


 これで五対一。そして、其処にもう一人。二人の美女が立つ家屋の対面、まだ崩れていない建物の屋上にその男は居た。


「…………」


「ちっ、テメェもかよ」


 獅子を思わせるような逆立った金髪。如何にも不機嫌そうな仏頂面で、その強面を歪めた男。先に公方姫乃の真偽によって、殺害された筈の十三使徒。


 信仰力は既に底を尽き、聖典も神聖術も使用は出来ない状態。それでも無傷なその肉体は、十三使徒の上澄みと言うことを考慮に入れずとも脅威と言えよう。


「何だ、カルヴィン。随分と気配が薄いが……さては貴様、一度死んだな」


「うっせぇよ」


 ニヤリと笑い、見上げて男を煽るオードレ。図星を突かれたカルヴィンは、忌々しいと言う表情を隠さずに吐き捨てた。


 カルヴィン・ベルタン=クールドリオンの真の切り札は聖典ではない。彼が研鑽し身に付けた最上位の神聖術こそ、彼が隠す最後にして最大の切り札。

 その効果は死者の蘇生だ。自身の死に際して、体内に残る全ての信仰力を消費することを代価に、自動発動する蘇生術。如何なる状況でも一度だけ、カルヴィンは死から復活出来るのだ。


 それこそが、彼が姫乃相手を任された最たる理由。誰が戦っても相打ちに追い込まれると言う地雷のような女に対し、唯一生存と言う目を引けるのがこの男である。


 だからこそ姫乃との戦いを任されたカルヴィンだが、彼個人としては切り札を使わずとも勝てる自信があっただけに苛立っている。八つ当たりと分かってしかし、眼前のリアムへそれを向けることを躊躇わない。


「十中八九、アンタは処刑人に負ける筈だった。けど、一割か二割の確率で、アンタが勝つ未来もあった。だから、分かってたのよ。アンタだけは、ヒビキの敵に成れてしまう」


 これにて、六対一。リアムにとって天敵とも言える相性の処刑人を先に当てたのも含め、此処まで全てがミュシャ・ルシャの策。全ては唯、この男を確実に倒す為に。


 この北方領土での決戦にて少女は、確実に相手を倒せる組み合わせを当ててきた。


 王を除けば最も強い武鋼に泥試合をさせぬ為に、満足させつつもそれ以上を求めないであろう相手として雷将の親子を。

 王への忠誠心の高さが故に最期まで戦い続ける子龍に対し、命落とすことなく勝利を飾れる相手として氷の姉弟子と雷の妹弟子を。

 王への愛情が故に暴走しやすい姫乃と言う地雷に対し、何をされても確実に生きて戻れる相手として聖教の獅子を。


 こちらは負けず、負けても生きて戻れるように。相手は勝てず、勝ててもそのまま倒れるように。

 選んだ組み合わせの中で、唯一確信が持てなかった相手こそがリアム・ファミーユ。だから、彼が生き延びても問題がないように布陣したのだ。


「アンタが自由になってるとヒビキが負ける、とまでは言わないわ。けど、どうなるか分からない。だから、それだけは確実に潰せる布陣を敷かせて貰ったわ」


「…………ああ、そうかい」


 他の六武では殺してしまい兼ねないが故に、捕虜の世話役を一手に任されていたリアムと言う男。関わる頻度が多かったからこそ、天空王の瞳に映す機会は幾度もあった。


 故にミュシャには分かっていたのだ。対する相手を確実に死なせる姫乃が最悪の地雷なら、この男は戦いの趨勢すらも或いは覆せてしまうジョーカーだと。


 だから、彼だけは確実に倒す。その為に、北方の戦力全員でリアムを倒せる状況を作り出す。そうして組み上げた策略の、結実こそがこの今だった。


「だが、もう一度だけ言ってやる。舐めたな、この俺を」


 六対一。直前の戦闘も加えれば、実質的には七対一か。明確な窮地。逃れようのない死地。

 それはリアム・ファミーユにも分かっている。それでも彼は、歪んだ笑みを浮かべて嗤う。勝機はゼロでは、ないからだ。


「疲弊し切った雷将に、聖典を使う余力も殆ど残ってねぇ十三使徒ども。それに加えて、数合わせの雑魚が三匹。その程度で、俺を潰すと? 舐めんじゃねぇぞっ!」


 そうとも、敵が万全の状態で六対一となれば流石に勝機は微塵もなかった。しかし今の敵は万全か? いいや、否。リアムが誇る仲間達が、例外なく傷を残してくれている。


 武鋼と前線で斬り合っていたクリスの疲弊は重く、第二顕彰を使ったオードレの限界は近く聖典は使えて一度か二度、カルヴィンに至っては聖典どころか神聖術さえも行使出来ない状態だ。


 残るは格下が三人だけ。シャルロットとアンジュの疲労の少なさは懸念であるが、だからと言って格下に負けるなど許されない。六武の名に泥を塗る行為を、例え死んでも己が許す筈がないのだ。


「俺を誰だと思っていやがるっ! 王の鉾にして、王の盾! 東国六武衆は第五席っ! 凶狼のリアム・ファミーユだっ!!」


 ならばそうとも、負けても良い理由はない。ならばそうとも、勝ってみせるのみ。王が誇る忠臣として、誇るべき仲間達の力を示す為にも、此処は勝って当然なのだとリアムは吠えた。


「さぁ、来いよ! 臣下としちゃぁ成ってねぇ仲間の分まで、此処で俺が見せてやる! これがこの世で最も強い王様の、誇るべき臣が示す戦いだっ!!」


 隔して、六対一の戦場が幕を開く。これにて、北方領土と東国六武衆の決戦は終わりに向かって行くのであった。






「当た、った……」


 剣を振り抜いた姿勢のまま、少年が呟いたのはそんな言の葉。戦いが始まって、初めての直撃。自身が上げた成果すら、彼は自分で自信が持てない。


 だが、これは確かな成果だ。唯一つだけ存在した可能性。それを天空王の瞳で見付けて、其処に一撃を当てる為に無垢なる聖者で理想的な動きを再現した。


 振り抜かれた聖なる剣に宿った星の力は、既に恭介が居ない為に少なく薄い。されど契約神の祝福が不可能を可能にした結果、其処には悪竜王自身の膨大な瘴気が混ざっていた。


 精霊力の性質を併せ持つ瘴気。そんな正でも負でもない力には、炎王が無意識に纏っていた精霊力の鎧による中和すらも通用しない。


 結果がこれだ。最も油断していた場所に、最も理想的な形で、防ぐことの出来ない大火力が直撃した。

 常人ならば、万や億の回数は死んでいる程の火力。しかしそれでも、炎王の命に届く程ではなかっただろう。だが、命の危険を感じる程ではあったのだ。


 故に――


「はっ」


 呼び水として、それは十分に過ぎた。


「ははっ」


 向き合う王の口元が、亀裂が走ったように歪む。伏せた顔に浮かんでいるのは、間違いなく修羅の狂笑。楽しいと、感じさせる色はその一色。


 言うまでもなく、炎王と言う男は既に限界だった。修羅にとって闘争とは、呼吸や食事と同じもの。それをしないと言うことは、ずっと息を止めているより苦しいことだ。


 飲まず食わずで呼吸もしない。そんな状態で約12年、耐え続けたのが奇跡と言えよう。唯生きているだけでも、炎王は気が狂う程の苦痛と飢餓を感じていた。力を振るう度に、その感覚は強く大きくなっていた。それでも、彼は耐えてきた。


 これは戦いではなく、唯の作業に過ぎない。そう己を誤魔化すことで、飢えたままで力を振るい続けて来たのだ。それがしかし、先の一撃で誤魔化せなくなった。


 痛みだ。明確な痛み。それを感じる行為をどうして、唯の作業と誤魔化せる。眼前の少年は、万や億や兆や京や垓や杼や穰に一度であっても、己を倒すことが叶うかもしれない。ならば、それは最早、戦いではないか。


 誤魔化せなくなった事実に修羅の本能が歓喜を以って牙を剥き、久方振りの痛みに意識が薄れたこともあって王は飲まれる。此処に、彼は一人の修羅と化したのだ。


「ははははははははははははははははははははははははははははっっっ!!」


「――っ!? な、何がっ!?」


 溢れる闘気。目に見える程の強大な力は物理的な圧力すらも伴っていて、為す術もなくヒビキは吹き飛ばされる。


 暴風に流される木の葉のように、吹き飛ばされた彼は如何にか着地する。そうして、何が起きたのかも分からぬと混乱しているヒビキの前で、状況はまた変化する。


――真威・変性――


始原回帰(シゲンカイキ)大日孁貴(オオヒルメノムチ)


 モノクロの世界が急速に収束する。まるで何かに吸い込まれているかのように、燃え盛る感情の炎と共に、王の体の内へと戻っていく。

 そして、王の背には太陽の光を思わせる後光が輝き始める。そこまで至って、理解する。王の暴走を、ではない。彼の力の変容を、だ。


 真威・変性。それは心威の変性と同じく、詠唱を破棄して発動中の真威を異なる真威に変えると言う力。

 外功想実の真威であった鳳凰の羽搏きから、内功想実の真威である天孫の理へと。変じた力が齎すのは、自己の極限強化と言う性質である。


「が――っ」


 気付けば、ヒビキは殴り飛ばされていた。目で追える速度など、とうの昔に超えている。音よりも光よりも速く、時すらも逆走し空間すらも超越する速度。


 故に殴られたと気付けたのは、殴り飛ばされてからかなりの時間が経った後。悪竜王ですらそれなのだ。この一撃を目で追える者など、この世の何処にも居はしない。


(嘘、でしょ)


「ははは、はははははははははははっ!」


 だが、驚愕はそれだけではない。速いことなど、強いことなど、分かっているのだ。それに毛が生えた程度、と口にするには度が過ぎてはいる。だがそれでも、それだけならば此処まで驚愕することはない。


 だからそう、最たる驚きは今居る場所。暗く、冷たい、漆黒の星海。空の果てに、彼は居たのだ。


(一発で、惑星の外まで、殴り飛ばされた!?)


 宇宙空間。拳の一撃で其処まで飛ばされたヒビキは、息すら出来ない暗闇の中で目を見開く。其処まで殴り飛ばされたのも予想外なら、今に自分が生きている事実も想定外。


 酸素もない絶対零度の世界で、悪竜王が死ぬことはない。魔王は尋常な生物とは異なるのだから、如何なる地形でも生存可能だ。だから驚愕は其処ではなくて、王の打撃を受けて生きている事実の方が驚くべきこと。


 そして、その驚愕は――更なる常識を無視した光景の前に、より深まることとなる。


「ははははははははははははははっ!」


「何で、貴方はっ!?」


 地球から遠く離れた星の海。宇宙空間に、何故か響く笑い声。目を向けずともに分かる。目を向けたならばより分かる。


 其処には既に、哄笑を上げる王の姿が。この絶死の空で平然と、王は虚空を蹴って近付いて来る。気付けば一瞬後には、彼は少年の眼前に居た。


「ははははははははははははははっ!」


「宇宙で平然と、生きてるんだよっ!?」


 新たに発現した真威に環境への適応能力があったのか、或いは有り余る闘気で自身の周囲の真空や絶対零度を中和しているのか。

 どうあれ、人間ではこの修羅の王くらいにしか出来ぬことであろう。宇宙空間に生身で飛び出して、平然と活動を続けることなどは。


「ご――っ」


 そんな異常にも過ぎる王は、笑いながら拳を振るう。全力を出した彼の一撃に、反応すらも出来ないヒビキは唯されるがまま。

 修羅王の一撃で吹き飛ばされたヒビキの体は、そのまま火星の引力に引かれて落ちる。大気圏落下の衝撃と王の拳の威力は、後者の方が明らかに重いもの。


「が――っ」


 火星の大地に大穴を開け、その自転すらも歪めたヒビキ。そんな彼が起き上がるより前に、修羅王は追い付いてその頭を掴む。

 そうして引き摺るように押し出して、星の地形を大きく抉りながら再び宇宙空間へと。吹き飛ばされたヒビキが反応する前に、王の拳が再び迫る。


「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」


 頭部への直撃。顔を半壊させながら吹き飛ぶ少年は、今度は木星の内側へと。溺れるようにガス惑星の中核へと落ちたヒビキに向けて、巨大な炎が落ちて来る。


 直後、爆発。酸素がなければ引火しないと言う当然の物理法則は成立せず、惑星一つの大爆発に巻き込まれてヒビキの体が焼け焦げ溶ける。彼が魔王でなければ、とうに死んでいたであろう。


(訳が、分からない。何で、この人は)


 その大爆発が、地球に影響を及ぼすことはない。規模的にはそうなって然るべき話ではあるのだが、星を背にした王がその被害の全てを抑え切っていたのである。


 だからそう、ヒビキには分からない。肉体を如何にか再生させながら、笑い続ける修羅王の姿を見詰める少年にはもう分からなかったのだ。何故と、どうしてと、そう思ってしまう。


(意味が、分からない。こんなにも、楽しそうで)


 王の暴走。修羅のしての力の発現。そうなる以前でも、王は殺そうと思えばヒビキを簡単に殺せた。ならばどうして、覚醒した今にヒビキは生き延びているのか。


 言うまでもなく、理由は加減されているから。そして恐らくその理由は、先までの幼子相手だからと言う拘りではなくて、楽しい闘争と言う時間を少しでも長引かせたいからと言う物だと。


(唯、分かるのは、多分、限界だったんだ。この人は、ずっと限界で、だから、さっきの一撃で、それが壊れた)


 暴走した理由、その切っ掛けはヒビキにも分かる。王は既に限界だったのだ。グラスに入れ過ぎた水が表面張力で留まるように、いつ溢れてもおかしくはない状態だった。


 だから食らい付き続けたヒビキの一撃で、其処に水が足されてしまった。結果が今の、闘争に酔う修羅の王。初めての敵を殺さぬようにと甚振る姿は、これぞ修羅と呼ぶべき形の一つと言えた。


「ははははははははははははははっ!」


 哄笑と共に修羅王が迫る。如何にか反応しようと動くヒビキは、しかしやはり王と比すれば遅過ぎる。

 腕で頭部を守ることさえ間に合わず、殴り飛ばされた少年の体は秒と必要とせずに天文学的な距離を飛ぶ。落ちた先は、輪を持つ星だ。


(戦いを戦いと認識しないことで、抑え付けていた修羅の性質。それが、僕が敵足り得ると示してしまったから、破綻した。修羅の衝動に、この人は飲まれた)


 土星の地表に落ちた少年に、再び修羅王の拳が迫り直撃する。火星の時とは異なるのは、今度は星ごと吹き飛ばされたと言う事実。


 軽く振られた拳一つで星の座標が動くのだ。とてつもない勢いで吹き飛ばされた土星はそのまま、天王星に衝突する。二つの星がぶつかり合って崩壊し、しかし勢いは止まらない。


 そのまま土星と天王星は諸共に吹き飛ばされて、次には海王星に衝突し、更にはそれでも止まらず冥王星まで巻き込み衝突。

 瓦礫のように崩れていく無数の星々に対し、哄笑する修羅王は片手に灯した焔を放つ。三つの星と一つの準惑星。それが跡形もなく蒸発した。


(修羅の、王。破壊の王。此処に居るのは、偉大な徳王なんかじゃない。もう、あの王様は何処にも居ないんだ!)


 燃え盛る炎の中で、霞む意識を如何にか留めつつ、ヒビキは思う。己が切っ掛けだと分かっても、分からないと口にする理由は事実を否定したいから。


 炎の中に降り立つ王は、ヒビキが憧れ目指した人ではない。地球を守ろうと言う意識こそ残ってはいるのだろうが、それ以外の全てが修羅の性に飲まれてしまっている。


 だから、少年には納得がいかないのだ。この人が、この凄い人が、修羅の本能なんかに負けた。その事実を、未熟で幼い少年は認めたくないのである。信じたくはなかったのだ。


「ははは、はははははははははははっ!」


 そうして硬直しているヒビキに対し、再び修羅王の拳が打ち込まれる。弓のように引き絞る動作から放たれた一撃は、先のそれより威力が高い。


 腹を打たれて、中心より砕けながらも吹き飛ばされる。彼の小さな体は一瞬で太陽系の外にまで、拳一つで光年単位の移動を強制させられた少年は幾つもの星と擦れ違う。追い掛ける王が通り過ぎる度、移動の余波だけでそれら全てが消し飛んでいった。


 光より早く吹き飛ばされている彼には、その光景の殆どを理解も認識も出来てはいない。悪竜の視力と言う常人離れした機能があっても、この速度域に適応出来ている訳ではないのだ。


(確かにさ、魔王だって、惑星くらいは簡単に砕けるよ。それより強い王様なら、星どころか宇宙だって壊せるんだろうさ)


 そんなヒビキは、何処とも分からぬ場所に吹き飛ばされながらに思う。起き上がって思うのは、見上げた空に浮かぶ巨大な炎に込められた力の量が分かったから。


 恐怖に蒼褪めると言う行動も、度が過ぎれば呆れて笑うと言う形になるらしい。そんな事実を一つ悟った少年の瞳に映る力の総量は、惑星一つを消し飛ばす程度では収まらない程の物。


 それが、落ちて来る。それが、爆発する。そして――その時にヒビキが居た惑星系が、塵の一つも残さずに消滅したのだった。


(だけど、本気でやる奴が居るかよっ!? 太陽系内で同じことをすれば、纏めて全部消し飛ぶんだぞっ!?)


 天地開闢にも等しい破壊が巻き起こり、ヒビキはそれに巻き込まれる。砕けて、壊され、潰される。

 己の肉体を復元させて、時間を回帰させて瘴気を戻して、死に掛ける度に何度も何度も。気付けば再生回数は、既に万を超えていた。


「ははははははははははははははっ!」


「く、そ……」


 何もない虚空を浮遊しながら、苦しみ足掻くヒビキは既に限界だ。再生の限界なんてとうに超えているし、時の回帰で瘴気の量は戻せても心ばかりは戻らない。


 精神力や気力。特別な異能としてではなく、心の力と言う意味でのそれが枯渇し始めている。戦おうと言う意志なんて、もう圧し折れてしまいそうにガタついていた。


 何故、と問うまでもないだろう。星を壊すどころか、あっさりと単一星系を滅ぼす修羅の王。それに対し、抵抗の一つも出来ていないのだ。そして、それだけが理由じゃない。


(あの人は、まだ全力じゃない。本気で殴った訳じゃないんだ。だってそれじゃあ、楽しくないから)


 修羅王はまだ、加減をしている。全力を出していれば、とうの昔にヒビキなんて消し炭に成っている。だからこそ、痛い程に分かる断絶。それもまた、心を折る理由の一つ。


(僕が今、生きているのもそれが理由だ。闘争に酔う。戦いを楽しむ。その為には、敵が要るから。だから、僕を殺し切らないように加減している。それなのに、これだ! 抵抗が出来ない、どころの話じゃない! 頑丈なサンドバッグにしか、成れてないっ!)


 何も出来ないと言う事実は辛い。抵抗の一つも許されていないと言うのは苦しい。諦めてしまえと、己の中の弱さが叫ぶのも分かる。だが心を抉る理由は、それだけでも済まないのだ。


「はーっ、はははははははははははははっ!」


(それに、分かる。分かっちゃうんだよ。この人は自身が闘争の中に居ると感じるだけで、無限に再現なく強くなっていく)


 絶望するに足る最たる理由は、修羅王が今も成長を続けていると言う事実。修羅覚醒と言う、本来は瀕死にならねば起きぬ現象が常時発生し続けているのである。


(毎秒、なんて遅さじゃない。二倍や三倍なんて温さじゃない。弾指や刹那の速度で、十倍百倍以上にその闘気の総量を増やしている!)


 一秒もあれば、元の力の京倍以上にはその闘気の総量が膨れ上がっている。更には他の修羅とは異なって、修羅王にはその闘気を活かし切るだけの肉体の強さもあるのだ。故に彼は、無限に成長し続ける。


 現時点でも恐らくは、腕の一振りで宇宙開闢に等しい破壊を引き起こせる。そんな彼が全力を発揮すれば、千や万では収まらぬ世界が瞬く間にも壊されよう。今の修羅王は、そういう規模の存在だった。


(初めて見た時、星が人型をしているように見えた。でも、今は違う。無限に広がる大宇宙の全てを人型に納めても、この人には届かないって思えてしまう程の馬鹿げた力の塊と成ってる!)


 常識外と言う言葉すら生温い程の力。それさえも、この男の限界値などではない。次の一秒後には、直前の自身など指一本で殺せてしまう。それ程の速度で、力を高めていくのである。


(朧みたいな普通の修羅が、死に瀕した時に起こす覚醒現象。それを数十倍や数百倍に引き上げた規模の覚醒を、この人は常時行うんだ! 必要がないのに、強くなり続ける! これが、修羅の頂点だって言うのかよっ!?)


 修羅が瀕死の時に起こる修羅覚醒。それが修羅王の場合は、戦闘中は常時発生する。それは常に彼が瀕死であったからの誤作動なのか、或いは修羅の王だけは別格故の正常機能なのか。


 ヒビキには分からない。何処まで修羅王が強くなるのか、一体どうすればこんな怪物と戦えるのか。ヒビキには何も分からない。出せる解答なんて、何一つとして存在していない。


(勝ち目、なんてない。抗うことさえ、出来やしない。神さえも超える、究極の戦闘生命。そんな奴、戦うことが間違いだ)


 ならば、諦めるのが正当だ。間違えたと嘆くのが正解だ。もうどうしようもないのだと、全てを投げ出してしまうしかないのだと――


(なら、どうする? 諦めるのか、諦めるのかよっ! それは、違うだろっ!)


 そんなこと、ヒビキ・タツミヤ=アジ・ダハーカは認めない。そうとも、此処で認められているのなら、もっと前に諦めているのだから。そうとも、こんな形で負けることなど、断じて認められはしないのだから。


「そうだ。僕が超えたいと思ったのは、今のアンタじゃない」


「ははは、はははははははははははっ!」


 殴り飛ばされて、吹き飛ばされて、気付けば居るのは見知らぬ星。どれ程に地球と離れたのかも分からぬ大地で、既に残骸のような悪竜王はそれでも立つ。


 憧れたのだ。目指したのだ。それは少年の知る限りにおいて、誰よりも強く雄々しい人。断じて、此処に居る欲に飲まれた修羅なんかじゃない。こんな人に、焦がれたのではないのだ。


「自分の業を理解して、それを必死に抑え付け、誰よりも雄々しく生きていた人だから、そんな人だから、憧れたんだ」


「ははははははははははははははっ!」


 だから、立つ。だから、構える。だから、睨み付ける。そうとも、これは身勝手だ。悪と語るに相応しい、勝手な理想の押し付けだ。


 憧れたから、憧れた人には、憧れのままで居て欲しい。理解と対極に位置する感情で、ヒビキは心を燃やし続けている。負けたくないのだ。こんな奴には。


「王様に負けるのは仕方がない。あの背中に届かないのは、悔しいけど納得出来る。だけど、今のアンタに、負けるのだけは気に食わないっ!」


「はーっ、はははははははははははははっ!」


 どれ程に傷付いたも萎まぬ闘気。それを見る修羅の王は、一際高く哄笑する。闘争本能に飲まれた彼の内側に、理性が残っているかは最早怪しい。それ程に、今の修羅王はどうしようもない怪物に見えた。


 気力を振り絞って立つ悪竜王に、勝機なんて欠片もない。他ならぬヒビキ自身が分かっている。負けたくないと叫んだ所で、覆せぬ断絶は明白だ。何をしようと、今の王に勝てる道理はない。


(これは賭けだ。幾つもの賭け。一つでもミスれば、何もかもが纏めて消し飛ぶ。だけど――)


 けれど一つだけ、ヒビキには思い付くことがあった。或いはそれは自殺行為、より酷い行動だろう。

 だがそれでも、ヒビキは信じたかったのだ。終わったように見える王様は、それでもきっとまだ終わり切ってはいないのだと。


「勝算はある。僕の憧れは、こんな修羅に負けたままで終わるような人じゃないからっ! 開け、白の礼拝所!!」


 魔王に与えられた異界を展開する。白亜の壁に、銀で飾られた荘厳な礼拝所。その中に王を取り込もうとして、その瞬間に世界が崩壊を始めた。


「ぐ、くぅっ! 入れた瞬間、存在規模が大き過ぎて、異界が弾ける! こんなこと、あり得るのかっ!?」


 今の修羅王は強過ぎる。存在の規模が大き過ぎるのだ。それは宛ら、小さな風船の中に大海の水を全て納めようとする行為。当然結果は、途中で破裂して失敗だ。


 被害は異界の崩壊のみに留まらない。展開したヒビキの体すら、引き摺られるように壊れ始めている。

 それでも、彼は歯を噛み締めて耐える。強引に、修羅王を異界の中へと取り込んでみせたのだ。


「だけど、ほんの少しでも持てば良い! 求めたのは、そういう用途じゃないっ!」


 当然、結果の破裂は避けられない。この異界は、一秒だって維持できない。瞬く間に崩壊していく礼拝所はしかし、既に役を果たしている。


「魔王の異界は、世界の外側。だから、何処からでも入れるし、何処にでも出られる。戻って来たぞ、僕らの星に」


「…………」


 夜明けの近い、白み始めた空の下。ヒビキと修羅王が現れたのは、地球と言う惑星内にある大地。北方大陸はコートフォール付近の沿岸地帯。海を背にした砂浜に、ヒビキと王は戻って来たのだ。


(やっぱり、意識が飛び掛けてても、残ってはいるんだ。だから、守るべきモノを壊さないように、この惑星上ならあの人の動きは止まる)


 ヒビキが賭けたのは、王の中にある最後の理性。世界を救わんとする感情が、衝動に飲まれた己をも縛ってくれる。そうなることに、自他も全て含めて賭けたのだ。


 一歩でも間違えば、起きていたであろう世界の破滅。誰も彼もを巻き込んだ賭けに、少年は打ち勝った。故に修羅王の行動は、その全てが抑制されたのである。


(今のあの人は、強過ぎる。腕を少し動かすだけ、足を少し動かすだけ、それだけでも惑星なんて持たないから)


 修羅王は強過ぎる。太陽系どころか、大宇宙全てを足して合わせても届かぬ程の存在規模。そんな男にとって、地球と言う星は手狭に過ぎた。


 腕の一振りは愚か、一歩踏み込むだけでもこんな星など消し飛ぶだろう。故に発揮出来る力には上限が生まれる。此処でなら、修羅王は加減した状態ですらも身動き一つ出来ないのだ。


(けど、きっと、停止は一瞬だ。修羅の衝動に飲まれたあの人の意識は、まだ戻ってない。なら、あの人が動き出す前に――一発当てて、意識を取り戻させるっ!)


 とは言えそれも、いつまでも続くような話ではない。今もまだ、王は衝動に飲まれたまま。切っ掛けを与えれば最後、動き出した彼によって星は跡形もなく砕けるだろう。


 故に攻撃出来るのは一度が限界。恐らくは接近すると言う行為でも、闘争の気配を感じ取られる危険がある為に切れる札は限定的。遠距離からの最大火力。今に求められるのはそれだ。


「残る全ての力を――此処に振り絞るっ!」


(借りるよ、賢者。アンタの技。僕の知る限りで、一番強い魔術だからさっ!)


 悪竜の権能を以って、呼び出したのは賢者の技。検索を掛けているような時間もないが故に、ヒビキの知る限りにおいて最高の火力を誇った彼の技を此処に選んだ。


「大地に満ちる醜き命よ。天空の檻に鎖されし愚物よ。百億の怨嗟を音に聴け。千億の憎悪を光と視よ。其れなるは、冥府の底より溢れし呪詛。呪われろ、呪われろ、呪われろ。悪意は天を染め、大地の生を許しはしない。世に蔓延れよ、死の病毒。世界全てを地獄へ堕とせ」


 ヒビキの背に現れるのは、巨大な骨の怪物。地の底から現れたその餓者髑髏に少年が求めたのは、破壊としての力のみ。故に前段階である、大規模な人の不死者化は起こらない。


 更にヒビキが、直接奪った命なんてない。ならば賢者が使うそれより弱いかと言えば、それは否。悪竜王は瘴気を通じて、集合無意識に繋がっている。そして今の集合無意識は、過去の集合無意識にも繋がっているのだ。


 嘗て、今を生きる人々と同じ役を演じていた誰か。そんな以前の死者達の残骸が眠るもう一つの集合無意識。邪神が作り上げたその地獄に、ヒビキの魂は接続する。


 そこから死者の魂を取り出すことを、本来神は許さない。だが、今回ばかりは例外だ。故にヒビキの背に現れた死者の群体は、これまでの繰り返しの全てが集った圧倒的な力を有していた。


――其は(The sin of)許されざる(Unaccept)罪である(able)――


発動(Exit)――世界よ堕ちろ(Cannon of)人類終焉の刻来たれり(doomsday)


 餓者髑髏の口が開いて、其処より放たれる黒き極光。世界全てを滅ぼすに足る破滅の光が修羅の王へと注がれて、彼は自然体でそれを受け止めた。


「押し、切れないっ!」


 過去の全て。過去の炎王すらその中には居ると言うのに、修羅王はそれにも耐えてしまう。

 後退したのは数歩だけで、以降は両手で受け続けている光を掴んで押し返し始めると言う始末。


 このままでは、逆に光を押し返されて倒される。それが分かって、しかしもう余力はないのだ。これを通さねば、もうどうしようもなかったのだ。


「権能代行、虚構之真言」


発動(Exit)――咽び泣く(Bloody)呪怨の血槍(malice)


 それは第三者の目から見ても明らかで、故に彼らも此処で動いた。黒き光を押し返しつつある修羅王の、背に突き刺さる二つの力。

 死人のような男と、嘲笑う女吸血鬼。両者の放った控えめに言っても強大な力は、しかし修羅王を食い止めるにはまるで足りていない。


(あいつら、夢幻のアダムとディアナ・プロセルピナかっ! 何の心算で――いや、今は気にするなっ! そんな余裕はないんだ!)


 だと言うのに、臆すことなく力の行使を続ける両者。余りにらしくない光景に、一体何を企んでいるのかと一瞬だけ警戒する。

 一瞬で済んだのは、拘っている余裕がないから。何を企もうと勝手にすれば良いと、ヒビキは修羅の王に対してのみ専心した。


 そして、それは確かな正当解。ディアナにもアダムにも、謀りを企てる余裕なんて既にない。万魔にとって、これは最後の好機であるのだ。

 繰り返してきた世界で初めて、修羅の王を此処まで追い詰めた。ならば、あと少し。そうでなくとも、ヒビキが負けた時点で魔に属する者らの敗北が確定する。


 ならばこそ、此処で賭ける以外に彼らにも道はなかったのである。故に全力投球を。無駄だとしても、僅かでも可能性を広げる為に。その結果が、今此処に。


「押し、切れぇぇぇぇぇぇっ!」


 極光が強く、世界を包む。そう、思われた、その時に――気付けば光は、消えていた。


「え――っ? 魔術が、消えた?」


 消えたのは、光だけではない。目を見開いたヒビキは驚愕する。知識の中からも、その魔術のことが消えていたから。自分がどんな魔術を使ったのかすら、今の彼には分からなかった。


「概念の焼却。成程ね。これはもう、今回も御終いかしら」


「あらゆる全てを、近付くだけで焼き尽くす存在。ああ、僕もこれで終われるのか」


 それは賢者の禁術だけではない。アダムの嘘やディアナの呪詛も同じく、全てが一瞬で燃え尽き消えた。


 概念の焼却。王が示したその力の効果は、或いはアリス・キテラの嘘に似ていた。その力自体が、存在しなかったことにされたのだ。


 最早、王に対し出来ることはない。如何なる法則を有していても、王はそれさえもなかったことにしてしまえるから。

 最早、王に対し出来ることはない。攻撃を受けたことで再び衝動に飲まれた王は、歓喜と共に全てを滅ぼそうとしていたから。


 そして最早、王に対し出来ることなど在りはしない。何故なら彼は、既にその領域を超えていた。到達点へと、至ったのだ。


――内外想実・以って我は新たな神の威光を示す――


 神威法第七階梯、神威到達。これは今の世界が今の形と成って以降、誰にも到達出来なくなっていた領域だ。


 集合無意識は、秀でた他者の足を引く。神威法は世界を繰り返す度に弱体化していく。その性質上、第七階梯は到達不可能なものである。

 個人で集合無意識の全てに打ち勝つこと。それこそが神威到達の条件で、その打ち勝つべき集合無意識の内には邪神の地獄も含まれるのだ。


 今の自分よりも遥かに強い、過去に自分と同じ役をしていた演者たち。それら全てにも勝たなければ、神威到達には至れない。

 故に今の神威法とは、欠陥品と言える技術体系であったのだ。それを学んだ所で目指す頂きには、決して辿り着けない構造になっているのだから。


――(オン)斡嚩囉駄都鑁蘇婆訶(バサラダトバンソワカ)(オン)阿毘羅吽欠蘇婆訶(アビラウンケンソワカ)――


(真の、先……神の、領域……)


 けれど、この修羅の王だけは違っている。世界で唯一人、彼だけは無限に成長を続けるから、何時かは過去の自分すらも超えてしまえる。


 地獄の全てを束ねた黒き極光にすらも打ち勝ってしまったことこそ、その明白なまでの証左。既に覚醒した修羅王は、過去の全てより強いのだと。


――我、天道人道含む三善趣(サンゼンシュ)に在る者。我、畜生餓鬼地獄道含む四悪趣(ヨンアクシュ)に在る者。修羅(シュラ)とは非天(ヒテン)(セイ)(アラ)ず――


(ああ、もう駄目なのか)


 事此処に至れば、ヒビキに出来ることなどない。いいや、ヒビキ以外の誰にも出来ることなどない。

 この世界全てを生み出し玩弄しているであろう神ですら、今の覚醒し切った修羅王には叶わないのだ。


 嘗てもそれで、彼の邪神は敗北している。武の頂点である修羅王に対し、同じ域で勝てる者など居はしない。その再現が、今此処に起きていたのである。


――三世(サンゼ)に渡り()を示し、両界(リョウカイ)においては()を示し、天部(テンブ)においては善心忘(ゼンシンワス)れし妄執悪(モウシュウアク)を指し示す――


(あいつらみたいに、諦めるしかないのか)


 あっさりと見切りを付けて、逃走を始めた死人と吸血鬼。彼らは此度も敗北したのだと割り切って、最期の時を精々楽しむ心算なのだろう。


 或いはそれも、賢い生き方と言えるか。世界を作った神すら抗えない最強の降臨を前に、挑むと言う選択をすることこそが愚かしいのだから。


――デーヴァにしてアスラ。ダエーワにしてヤザタ。我は善悪を分かつ正義であり、四の業因(ゴウイン)を宿す神々の敵対者也――


(きっと、それが正しい。諦めて、逃げて、少しでも長く。だって、そうする以外に道はないって、そんなの赤ちゃんにも分かるくらいに明白だ)


 修羅の王は最強だ。そしてそれも、或いは当然の理屈なのやもしれない。修羅とは阿修羅。神話において帝釈天の敵たる彼は、インドのアスラに由来するモノ。


 アスラの王は毘盧遮那仏(ビルシャナ)とも呼ばれ、真言密教においては最高神たる大日如来とも同一視される。そして大日如来は拝火の教えにおいてはズルワーン、或いは――アフラ・マズダと呼ばれるのだ。


――悪に()うては、正義を示す日輪として此れを滅ぼす。善に会うては、消し去れぬ怒りを以て此れを滅ぼす。故に我は、三千世界を滅ぼす者――


(だけど、嫌だな。もう、逃げたくはない。今のこの人には、負けたくない。なら――)


 悪なる神が、善悪を超越した神に負けるのは神話の通り。何処まで行っても、妥当な話でしかない。そうとも、彼こそは阿修羅の王。


 善も悪も超越し、等しく全てを滅ぼすモノ。神が齎した試練に対し、世界が出した答えの結実。それこそがこの、此処に居る男の結末だ。


――飢えし修羅の理を此処に。天地万物全てを喰らいて、果てに我は至るであろう。顕密一致(ケンミツイッチ)のその果てへ――


(諦めるのは、立ち止まるのは、命が終わった後で良い。最期まで、前に進もう)


 そんなモノを前にすれば、悪なる竜など小さな蜥蜴にも劣る塵芥。勝てる道理などなくて、抗える理屈すらなくて、出来ることなどきっとない。


 だと言うのに、ヒビキは立つ。それが分かって、それでもヒビキは挑むのだ。勝機などなくて良い。勝てなくったって構わない。もう逃げたくはないから、無策のままに唯挑む。


(人から見たら無意味でも、僕にとっての意味はある。人から見たら無価値でも、僕にとっては価値がある。大切なのは、きっと、そういうことだから)


 死して後に已む為に、生きている今は唯進もう。それが他の誰でもない、ヒビキ・タツミヤ=アジ・ダハーカの出す答え。


――神威・解放――


 此処に、全ては終わりを迎える。此処に、彼は新たな神と成る。至ったのならば、誰にも止められない破壊の神として。


 故に、悪辣なる神の罠が此処に。ずっとその場に留められていた魂の叫び続けていた声が、その言葉が此処で初めて彼の耳に届いたのだ。


――駄目だよ、赤鸞(チールァン)


「……美雨(メイユイ)?」


 誰よりも愛していた。何よりも大切に想っていた。そんな女の声を、男が聞き逃すこともない。いつ、如何なる時であったとしても。


 だからその時、修羅の王は炎王に戻っていた。至る直前で足を止めた彼の眼前には、既に小さな子どもの姿が。諦めずに進み続けた、彼の拳がまた届く。


「央座・玉雀っ!」


 その身にはもう、力なんて殆ど残っていない。瘴気も闘気もその殆ど全てを使い切っていて、こうして打ち出した最後の一撃も王からすれば見るに堪えない質のもの。


 それでも炎王は、その姿を見詰めていた。魅入られたように、見詰めていたのだ。その小さな少年の背中から、羽搏くように現れた白い闘気の翼。それが消え去る、その時まで。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 己の胸元にも届かぬ小さな子どもが、自身に齎した僅かな衝撃。痛みと言うには軽くとも、理性を取り戻すには十分過ぎる程の衝撃。


(ああ、己は飲まれていたのか。無様だな)


 打たれた腹部の微かな痛みを感じながら、目を伏せた炎王は自嘲する。あれ程に強い言葉を口にしておきながら、この無様だ。


 穴があれば入りたいとすら思える程に、誰に対しても顔向けなんて出来やしない。それでも、これで良かったと感じてしまうのは、懐かしい声が聞こえたからか。


(しかし、久し振りにアイツの声が聴けたからか、一つ思い出せたことがある)


 今も愛する女の声を耳にして、目の前で今にも意識を飛ばそうとしている少年を見て、王は一つの過去を思い出していた。


(嘗て、アイツと共に居た時に、転んで倒れた子どもを見た。優しい女だ。きっと駆け寄って、手を差し伸べると思った。しかしアイツは、動かなかった)


 それは今はもう、ずっと昔に思える嘗ての出来事。聖帝山の麓にあった隠れ里で、愛する女と過ごしていた時分の記憶。


 二人で里を歩いていた時、目の前で小さな亜人の子どもが倒れたのだ。丁度、年の頃は目の前のヒビキと同じくらいか。そんな子どもが道の端で転んで、目には涙を浮かべていた。


 赤鸞にはどうでも良いことだったのだが、美雨にとってはそうではなかっただろうに。それでも女は、手を差し伸べようとはしなかった。それが意外だったのを、今になって思い出す。


(転んだ時は、自分の足で立たなければ、立ち上がる強さを得られないのだと。駆け寄りたいと言う気持ちが透けて見える態度で、しかし美雨はそう言った)


 赤鸞が気になって問えば、美雨はそんな風に口にした。大切なのは自助努力なのだと。自分で頑張れば出来ることに、他人が手を貸してはならないのだと。


(自ら立ち上がった子を見て、その頭を撫でて褒めるアイツを見て、己にはとんと分からなかった。自分で立ち上がれるか否か、その程度の差など誤差ではないかと)


 赤鸞には分からなかった。この女は、一体何を言っているのだろうかと。赤鸞は産まれながらの強者だ。彼にとっては、彼以外の全てが弱者でしかなかったから。


 自分では立ち上がれない弱者も、自分で立ち上がれる弱者も、等しく同じ物にしか見えなかった。

 1が2になった所でその違いなど、天文学的な数値でしか表現出来ない彼からすれば誤差にすらも成り得なかったのだ。


(弱者は弱者だ。それに毛が生えた所で、己の目には同じものにしか映らなかった。成長を喜ぶと言う意味が、己には理解が出来なかった)


 だから素直に分からないと告げた赤鸞に、美雨は悲しそうに微笑むだけだった。そんな過去を、今更に成って思い出す。


 どうしてだろうと、疑問に思う事はない。思い出したと共に、炎王は得心したのだ。きっとあの日の美雨も、今の自分と同じ気持ちだったのだろうと。


「はぁ、はぁ、……っ! まだ、だっ!」


 限界を超えて、それでも踏み出そうとしているヒビキの姿。自分で立ち上がって、前に進もうとするその成長。


(嗚呼、成程。漸くに、己にも分かった。確かにお前の言うように、これは素晴らしいものだな)


 それは強過ぎて弱さが理解出来ない彼でも、理解出来る程の変化であったから。此処に来て漸くに、炎王は愛する女と同じ感情を共有出来たのだ。


(世界を救えた訳ではない。未だ、我が覇道は道半ば。されど、この道を進めば、これを失ってしまうと言うのなら)


 だから、だろう。これで良いと想えたのだ。このまま進めば、この成長を踏み躙ることになる。それは嫌だと、確かに想えた。


 だから、だろう。これが良いと想えたのだ。一度は修羅に堕ちた自分自身。もう踏み止まれるとは思えない。ならばこの終わりは、十分に上等な物だろうと。


(修羅として生まれ、修羅として生きた。果てに得たものが、これだと言うのならば――それは存外、悪くはない終わりなのだろう)


 故に、炎王の体に火が灯った。


「――っ! まだ、何かっ!?」


「……案ずるな。この火が、お前を焼くことはない」


 ゆっくりと燃え始めたのは、炎王の体自体。少しずつ勢いを増していく炎は、安全弁として彼が用意したものだ。


 修羅として産まれ、愛する者を失った日から覚悟していた。何時かは堕ちると、だからその時に終われるように仕掛けていた。


 己が真に自我を失い唯の修羅と成り果てれば、或いは立ち止まり進むことを止めたのならば、その時こそが死ぬ時だと。


「最初から、決めていたのだ。己が止まるその時は、己の命が終わる時だと。故に、この火は己の身しか焼かん」


「な、何で!? そんなっ!?」


「そう喚くな。然したることではない。このようなことはな、取るに足りん」


 覚悟していたが故に、その事実を前に鷹揚としている炎王。その末路を前に、これから死ぬ彼以上にヒビキは動揺する。


 それはそうだろう。勝ちたかった。憧れた。目指していた。それでも、殺したかった訳じゃない。死んで欲しかった、訳じゃないのだ。


「それよりも、だ」


 そんなヒビキの動揺を、王は笑って取るに足りぬと断じてしまう。己の結末を認識して、動揺している少年の心を確かに察して、それでも笑って流した王。そんな彼は微笑んだまま、優しい声音で一つ問うのだ。


「改めて、お前の名を聞かせてくれるか? お前の言葉で、お前の意思で、お前の名が知りたいのだ」


「…………」


 問う内容自体に、意味はない。名前は知っているのだ。他者が呼び、耳にしているのだから。

 そうとも、意味があるのは内容自体にではない。問うと言う事実。名乗ると言う行為。それにこそ、意味があるのだと王は思う。だから、こうして改めて問うたのだ。


「ヒビキ。ヒビキ・タツミヤ=アジ・ダハーカ」


「ヒビキ、か。良い名だ」


 その意味が分かって、と言うことではないのだろう。それでも此れが最後と感じて、だから言われるがままにヒビキは名乗った。


 己の名を、憧れた男に向けて告げたヒビキ。名を聞いた炎王は、噛み締めるように目を伏せ頷く。そうして再び目を開けてから、無骨であれど、やはり笑ってみせるのだ。


「本当に、死んじゃうの? だって、僕はまだ、貴方に……」


「ふっ、そんな顔をするでない。己はもう、お前のことを認めているのだぞ」


 悪を為すとは決めていた。それでも、きっと届かないだろうと心の何処かでは分かっていた。


 挑みたいから、目指したいから、挑んでいただけ。そんな少年は今更に、こんな結果は望んでいなかったと情けない顔をする。

 ヒビキのそんな表情を、優しい表情で見詰めていた王は語る。小さな頭を慣れない手付きで撫でながら、彼は確かに語るのだ。


「なぁ、ヒビキ。お前は知っているか? 悪と言う言葉は、古くは異なる意味があったのだと」


 悪と言う字義。辞書を引けば、倫理に悖る行為であると言う言葉が返るもの。悪なる竜とは、嫌悪と憎悪を思わせる異名である。

 だが、古くは異なる意味でも使われていた。悪源太や悪左府と言う異名が示していたように、剽悍さや力強さを表す言葉でもあったのだと。


「胸を張れ。自信を持て。他の誰が何と言おうが、この己が認めよう。お前は確かに、悪なる竜だ」


 故に笑って、王は認めた。お前は確かに、悪なる竜だと。そう認めて、焔の王は火の粉と化す。弾けた泡が溶けて消え去るように、火の粉は風に流れて消えた。


 別れはあっさりとしたものだ。瞬きした後には消えていて、形あるものは何も残らない。


 あんなにも巨大な存在感はあっさりと消え去って、佇む子どもが一人残されるだけ。この戦いの結末は、そんな寂しい終わり方。

 確かに其処に居た。けれどもう居ない。そんな人が居た場所を、ヒビキは静かに見詰める。


 彼の王は何も残さなかったけれど、何も残らなかった訳ではないのだろう。何となくそう思い、だから小さな子どもは俯いた。それで終わり。それが、終わりだった。






最後は宇宙でインフレバトル。

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