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Re, DS  作者: SIOYAKI
第四章 死して後已む
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第63話

決戦開幕。

◇聖王歴1339年風ノ月37ノ日


 流氷が浮かび流れる澄んだ海。ゆっくりと昇る日差しが、その面を仄かに染めていく。ひゅうと吹き抜ける冷たい潮風に揺れて、鮮やかな陣羽織が揺れる。


 男が立つは、町の中心。北の牙と称される巨大な塔に扮した大砲。その運用のために、大きく開かれた広場。その場所で、静かに瞳を閉じたまま、彼はこの時を待っていた。


「朧の奴が連れ出した時から、或いはと考えてはいた」


 その五体は、男が理想とする形の一つ。赤子の胴よりも太い腕を組み、不動のままに口を開いた彼の内心はその実中々に複雑なものであろう。

 それでも、ゆっくりと開いた双眸に揺らぎは一切ない。為すと断じた、故に為す。其処に迷いを挟む余地はなければ、足を止める理由などありはしない。


「それでもよもやと、感じているのは我が身の不明か。誠、世の中とは儘ならぬものよ」


 どん、と音を立てて着地する。明け始めたばかりの寒空の下、現れた少年は纏ったマントを脱ぎ捨てる。風に揺れる毛皮のマントはゆっくりと地に落ちて、地に伸びる彼の影に触れると水面に沈むように飲まれて消えた。


 緑色の布地のシャツに、焦げ茶色の半ズボン。雪さえ降りそうな夜には不釣り合いな格好は、彼の容姿にも不釣り合いであろう。真っ直ぐに前を向いたその顔は、息を飲む程に美しい。人であった頃から誰もが見惚れる程の容貌は、確かな意思と言う芯が宿ったことで更に磨かれ極まっていた。


 炎王と言う男が男の理想を形にした者の一人であれば、相対するこの少年もある意味同一だ。美しく長い銀髪。神秘さと力強さを感じさせる黄金の瞳。かぐや姫もかくやと思わせた少年の美貌を、人を魅了する魔の気配が妖しい色気で彩る。小さく可愛らしく妖艶で美しい。これもまた、男が惹かれる女の形と言う意味ではあるが、男の理想の形の一つと言えるだろう。


「己の決定は、不服だったか? 小僧」


 相反する両者。美しい少年に向かって、巌のような男は問い掛ける。抑えてはいるのだろう。それでも言葉を告げる度に漏れる僅かな圧だけで、圧し負けそうになりながらも少年は前を見る。その目を見詰めて、ヒビキは告げた。


「多分、正しいのは貴方だ」


「ほう」


 見た目相応の、鈴のように美しい声。誰もを魅了する音で、認めていたのは己の悪性。合理で考えれば、これはつくづく愚かな行為だ。


 目の前に立つ男は、或いは世界を救える者。古き時代より続く人魔の争い。終わらぬ連鎖を完全に断ち切り、一時ではあれ太平の時代を生み出す者である。

 世よ、滅べ。人よ、苦しめ。そんな風に呪いを口にし、倒そうとするのならば兎も角として。そうではないと言うのなら、手を出すべきではない相手。


 断じよう。彼を倒さんとするならば、その者こそが世界の敵だ。その事実をヒビキは確かに認めていて、それでも彼は此処にいる。


「ならば何故、お前は此処にいる」


「知れたこと。正しいからって、納得出来る訳じゃない」


 世界の敵。人類の敵。魔王の一角。嘗ての響希が自ら望んで、今のヒビキが願うこと。それを果たすために、そうなることを良しとした。故に、この戦いは避けられない。


「僕は、貴方に勝ちたい」


 そうとも、理由は一つ。勝ちたいと言う、それ一つ。それ以外の全ては余分であって、だから今は考えない。

 この誰よりも強いと思えた“人間”に勝利するためならば、己は討つべき邪悪で構わない。それでも良いから、それが良いから、己は彼に勝ちたいのだ。


「正しくなくても良い。誰に咎められたって構わない。ただ、僕は、貴方に勝ちたいんだよ」


「そう、か」


 ヒビキの言葉をその身に受け、その強い瞳を静かに見返してから、炎王は視線を逸らすと深く嘆息した。そうせねば、思わず愉しんでしまいそうになったから。


 暫しの瞑目。疼く修羅の性を抑えてから、炎王は再びヒビキの瞳を見詰める。重く、深く、厚みを増した重圧が少年を襲って、思わず彼は苦悶を漏らす。睨まれているだけで、気が狂ってしまいそうだと。


「く――っ」


 それでも、目は逸らさない。そんな威圧には負けない。それだけで、負けて溜まるかと。意地を示す少年の視線の先で、唐突に轟音が響き爆炎が上った。


「爆発、音!? 政庁の方からっ!?」


 北の政庁。そう扱われていた南西部にある古城から、燃え盛る炎が上っている。あの場所の地下には、ミュシャとアンジュ達が居る。その事実を思い出し、少年の心が浮足立った。


「良き目を持った、娘が居たな。成る程、タイミングを合わせるのは容易いか」


 眼前の相手を前に、動揺しつつも身構えて動けぬ少年。そんな彼とは相反して、炎王は何気なく背後を振り向き静かに告げる。

 気の感知を応用して、探った結果に得心。捕虜が全員逃げ出している。炎王とヒビキと相対し、動けなくなった今を待ち続けていたのだろうと。


「行かぬのか?」


 視線を外して、奇襲と逃亡を許した。だと言うのに、ヒビキは動かない。それで良いのかと王が問えば、彼は真っ直ぐ見つめ返して端的に応えるのみ。


「信じる」


「そうか」


 信じると、告げた言葉はそれだけだ。炎王の態度や言葉から、今にミュシャとアンジュが無事なのは確認出来た。

 ならば危険となるのはこれからで、それでも分かって動いたのならば信じられると。不安に思うことはあれど、疑問を挟む要はない。


 今己が為すべきは、不安になって助けに行くことではないのだ。彼女らの無事をただ信じて、目の前の男に勝利することだけを目指すべきである。


(オレ)はな。己の歩む道が、大義であると信じている」


 そんな少年の決意を前に、小さく笑ってから炎王は語り始める。それは彼の歩む道。其処に抱いた決意について。


「死人で出来た道を歩まねば、進めぬような愚物であろうと。果てに太平を齎すならば、許されずとも、其処に義はあるのだと」


 修羅である彼は、純粋に太平の世を望み求めることが出来ない。若き頃は愛する女によって封じられていた修羅の性質は、今は何の制限も受けてはいないのだ。


 気を抜けば、直ぐにも戦いの愉悦に身を浸したくなる。世界最強たる彼がそうなれば、文字通り全てが蹂躙されて滅びるだろう。だからこそ己を制しながら、それでも選べたのは争いだけだ。戦うしか能がないのだと、苦みを噛み締めぬ時はない。それでも、彼は為すと決めた。


「故に為すべきは、小さな童の我儘に付き合うことではないのだろう。逃げた虜囚を捕らえるためにも、お前に対し力を振るい、疾く黙らせるのが最上か」


 ならばこの場の最適解は、初手より全力でヒビキを潰すこと。場合によっては配下全てを動員してでも、少年を最速で倒すことこそ犠牲を最小に済ませる方策。


 不可能ではない。更に増した炎王の重圧に冷や汗を流し身震いしている少年の構えは、男の目から見て隙だらけ。彼は力を手にしただけの素人なのだ。漫然と振るわれるだけの暴力で、極まった武を超えられる道理はない。


「だが、己は身勝手な男なのだろうな。これだから、所詮は修羅だと言われるのだと、分かってはいると言うのに治せる気がせん」


 だがしかし、元より彼は最適解を選べぬ男だ。合理で動けていたのなら、こうして北の地に武力侵攻を仕掛けると言うことさえなかった筈だ。


 全ては戦うことしか能がなく、それを心のどこかで良しと認める己が居るから。修羅の性を、否定し切れぬからなのだと。惰弱だなと自嘲して、しかしこうも思うが故に、王は此処に断ずるのだ。


男児(オノコ)が意地を見せたのだ。それに付き合ってやらんで、何が(オトコ)かっ!」


 修羅の性と、本人の気質。その双方が、己に挑んできた小さな子を試したいと騒いでいる。獣のように獰猛な笑みを浮かべた炎王は、気を練り広げて町中全土へ声を届けた。


「武鋼! 子龍! リアム! 姫乃! 許す! 好きにしろ! 己も好きにする! 今、一時はな!」


 配下への最低限の指示。楽しみ過ぎるなと己自身に最低限の戒め。それを以って、王は定める。そして彼は笑って言う。さあ、来いと。


「では童よ。始めるとしようか。暫し胸を貸してやる故、男の矜持があるのなら、恐れずして来るが良い」


「――っ、行くぞっ!」


 燃える炎の中に飛び込む羽虫になったようだと、そんな錯覚を覚えながらもヒビキは拳を握って大地を蹴る。誰より強い男に勝つために、少年は勝利を求めて咆哮した。






 町の中央にて、溢れんばかりの闘気が膨れ上がる。その余波はまるで物理的な破壊力を伴う衝撃波のように、町の全土を抜けて大陸中に戦慄を齎した。

 当然、その影響を受けたのは彼らも同じく。衰えを一切感じさせない筋骨隆々とした肉体を持つ男は、一筋の汗を額に流しながらも楽し気にそちらに視線を向けた。


「やれやれ、随分と楽しそうにされる。……こちらは、詰まらぬ尻拭いだと言うに」


 一瞥して苦笑。そして視線を、相対している男へ戻す。どこか温かみのあった表情は、侮蔑と嫌悪に満ちた冷たい色に。

 そうともこれは尻拭い。期待していたから稽古を付けたと言うのに、詰まらぬ感傷から己自身を腐らせた愚か者。そんな男が、己と同じ剣を振る。その事実が、どうしようもなく許し難い。


「やっぱり、見逃してくれませんよね。武鋼殿」


「当然です。貴方は私の汚点。であれば、切り捨てぬ理由の方がない」


 崩れた城壁跡。町の南西部にある地下牢の入り口前で待っていたのは、無精髭にざんばら髪の男。装備は先を下回る。皺だらけの着流しに、軍で正式採用されている支給品の西洋剣。状態は嘗てに届かない。腐らせた技量に、衰えた肉体。全てがもう、一流ではない男。


 クリストフ・フュジ・イベールは、嘗ての師の言葉に苦笑する。武を第一とし、それ以外を無価値とする。大抵のことは気にも留めない男であるが、故に武を汚されることには激怒する。そんな師の変わらない在り様は、変わってしまった男にとって少し眩しくすらあった。


(ミュシャちゃんの想定通り、だね。私が動けば、武鋼殿は真っ先に私を狙って来る。この盤面だけは、何をしても避けられない、か)


 敗北し、牢に入れられてからの七日間。虜囚の彼らも、何もしていなかった訳ではない。休息の後、音頭を取ったのは猫人の少女であった。

 心威を習得した際に、自動から能動へと発動のタイミングを変えた危機感知の滲威。暴走状態のそれと、真実を暴く目の力。二つを用いて、彼女は策を練り上げた。


 亜人である少女が己に従って欲しいと虜囚の皆に語った時、二つ返事で答えたのは雷将と二人の弟子だけだ。亜人の浄化を戒律の一つと掲げる聖教の切り札である十三使徒の三人は当然のように難色を示し、しかし彼らも最後には納得した。


 十三使徒の上澄みである三人は、比較的話が通じる部類であったからである。そもそも差別や対立に興味がなく、実用的か否かで判断するデュラン。いつか殺す相手だからと差別はしても、必要ならば己の矜持など軽々と捨てられるカルヴィン。この二人はミュシャが目を使い、彼らの隠し札を見抜いた時点で協力を約束した。今はその方が、合理的だからと。


 信仰心の篤いオードレが一番厄介ではあったが、それ以上に彼女は身内への情が篤い。故にアンジュとクリスとシャルロットらが三人掛かりで説得すれば、残る二名が消極的ながらも認めていたことも相俟って、彼女も苦虫を嚙み潰したような表情をしつつも承諾したと言う訳だ。


(そして私一人では、今の武鋼殿には逆立ちしても叶わない。衰えた弟子の無様に、彼は絶対に納得しないから、か)


 そうして始まる話し合い。先ず最初に決めたのは、脱出のタイミング。それはヒビキが戻って来た時だと、そんな少女の言葉に皆頷く。誰も言葉にせずとも分かっていたのだ。炎王はどうしようもない、彼が動けば終わるのだと。


 故に彼の王と戦える人材が彼らとは別に必要だ。足止めをしてくれるだけでも十分。聖教組には帰って来るのかと言う疑問もあったようではあるが、其処はミュシャが瞳の能力を実演してから断言した。


 ヒビキは魔王に戻って、必ずこの地に帰って来る。出立の時にその解答を見ていた少女は、故に自分達の役割は炎王の配下である四人の武人の撃破であるとも告げた。朧への対処は不要。彼女は必ず、ヒビキに負ける。


 そう断じたミュシャは、更に己の滲威を使って作戦を組み立てた。思いついた策や他者からの提言に耳を傾け、その結果に対し能動的に滲威を用いてその危険度を測る。危険はない、と言う場面はない。だから一番マシなのはどの組み合わせだと、考え抜いた先の答えが今である。


(この戦場で、此処が一番きつい盤面なんだよね。ミュシャちゃん曰く、このままじゃ勝率ゼロ。全く、おじさん情けないよ)


 クリスと武鋼の戦いは避けられない。それが皆から聞いた話と滲威の効果を用いて、猫人の少女が出した結論。そして、一対一では敗北は避けられない。それも同じく、その場で出た結論だった。


 仮に武鋼がクリスのことをある程度は認めていて、クリスの身体が今より健康であったのならチャンスはあった。これで十分と武鋼は納得し、残機の一つでも削られた時点で身を退いていたことだろう。


 だが今の武鋼は既にクリスを見限っていて、一切の加減も油断もしてくれない。となれば今のクリスでは、百度戦って百度負ける。万に一度も億に一度も勝機はなく、仮に勝てたとしても次の武鋼が殺しに来るが故に結果は何も変わらない。だと言うのに、戦いは避けられないのだ。これだけ見れば、盤面は既に詰みに近い。


(対策はある。けど、その対策も、出来ればしたくはなかったこと。だけど、これしかないし、それに不謹慎な話だけど――少し不思議な気分なんだ)


 だが、そうと分かっているのならば対策の一つ二つは行う。武鋼の性格的な特徴をクリスより聞いたミュシャは、一つの策を組み立てた。

 その策は、正直に言えばクリスとしては気が乗らぬこと。出来ればしたくなかったと。その言葉に嘘はない。だがしかし、この今に実践してみると何故だろうか。満足感にも似た、不思議な感覚があった。


「では死になさい。貴方にはもう、試しを行う価値もない」


 刀の柄に手を当てて、構えを取っていたクリス。そんな彼に対し自然体で言葉を掛けると、正に一瞬で武鋼は刀を抜いて気に掛かっていた。

 無拍子。加減なき一撃に、クリスは反応さえも儘ならない。気が付いた時には銀の輝きが眼前にあって、其処からでは回避しようにも間に合わない。クリス一人、では。


「させねぇよっ!!」


 もう一つの雷光が、其処に迸る。瓦礫の中から飛び出して、雷と共に突貫した白百合の少女。彼女が養父に向かって振るわれる刃を止めんと、身の丈程の大剣を振るう。気配を抑えて物陰に身を隠し、老人が動いた瞬間に遮二無二思考を捨てて切り掛かる。その一瞬にだけ専心していた刃は、しかし老人の速さには届かない。


 それでも、老人をして予想外の行動。身の安全を考えぬ少女の姿に反射で剣を合わせた武鋼は、一瞬このままでは殺してしまうなと躊躇する。その一瞬の躊躇が、無拍子を一拍子へと劣化させる。


 故にクリスの反応が直前で間に合う。雷を纏って後退した男の髪を数本切り捨てて、空を切った武鋼の身体。空いた胴へと、踏み込んだ二つ目の雷光が剣を振るう。だが、当然のように躱される。片足を半歩動かし、上体を少し逸らしただけで雷を躱した老人は返す刀で剣を振り抜いて――


「ふむ? ああ、これは死んでしまいますか」


「ちっ、あっさり防いだ上に、平然と反撃してきやがったっ! 寸止めまで含めてアイツの予想通りだが、ムカつくな! ほんっと!」


 やはり直撃の寸前で止まる。それでもアンジュの喉元に浅く赤い線が走っていて、老人が腕を止めなければ首が落ちていたであろうことは誰の目にも明らかだ。

 当然、当事者であるが故に誰よりもしっかりと理解していたアンジュは毒吐く。この場に居ない猫人への苛立ちを態々言葉にしたのは、そうしなければ恐怖に負けそうだったから。


「アーちゃん、続いてっ!」


「応っ!」


 相手に時間を与える訳にはいかない。老人が刀を引いて戻す前に、クリスがそう告げ切り掛かる。当然の如く手にした刃で受け流して見せる武鋼は、やはり自然な流れでそのまま切り返して来ようとする。


 故に其処に、アンジュが踏み込む。切り返しが決まれば、クリスが落ちる。クリスが戦えなくなれば、アンジュなど数秒も持たずに鎮圧される。それが分かっていたからこそ、道は前にしかなかったのだ。


「実力不足。才気は余り感じない。弱者が戦場に立つな、と言いたい所ではありますが、しかし光るものがないと言う訳ではないですね」


「今のも防いだっ!? 完全に入る流れだったろっ!!」


「驚く必要はないよ。武鋼殿はおじさん達より、ずっと上の実力者。このくらいは当然さ」


 矢継ぎ早に切り替わりながら、次から次へと雷光の一撃を加え続ける。ヒットアンドアウェイに徹して、それでも防げぬ反撃は相方が防ぐ。そうするには、余りにも開きがある実力差。


 アンジュの隙をクリスが塞ぐことは出来ても、その逆は真面に出来ていない。間に合わないフォローを無理矢理に間に合わせようとした結果、その度にアンジュには致命的な隙が生じる。その隙を突いて首や手足を幾らでも奪えたであろう武鋼は、しかしその度に刃を自ら止めていた。


「及第点。もう少し弱ければ、見る価値はなかったのですが。此処で斬って捨てるには、少々惜しいお嬢さんだ」


「そりゃどうも。だったらもっと、加減してくれねぇかっとっ!」


「ふむ。そうして差し上げたいのは山々ですが、そうされると困るのは貴方達の方でしょう?」


「――っ!?」


「アーちゃん、気にしない! 武鋼殿なら気付いてもおかしくない。織り込み済だろう。気付かれた所で、違いはないんだ!」


 早過ぎる。数分にも届かぬ時間で意図を察されて、動揺を露わに硬直するアンジュ。相手の間合いで、それは余りに迂闊が過ぎる。


 背後へ退いたばかりのクリスが怒声にも似た大声を上げて、はっと気付いたように後退する。その間、幾度も少女を殺せたであろう老人は一歩もその場を動かずに居た。


「考えたものです。原石を見れば、磨けばどうなるかが気になってしまう。そんな私の性を、よく分かっていらっしゃる」


「そりゃ、長い付き合いですからね。武鋼殿の悪癖。実力未知数の者や、将来性に期待出来る相手に対して、貴方は無意識の内に加減してしまう。アーちゃんなら、お眼鏡には叶うでしょう?」


「ええ、確かに。まだまだ足りぬばかりですが、若いと言うのが良い。未来には伸びしろしかないのです。素晴らしい」


 互いに距離を取り、昔馴染みと語らうように軽口を交わす。しかしその実、余裕綽々と言った表情なのは武鋼だけだ。


 先ず、義娘が斬られることはない。下手に守ろうと踏み込む方が危険だ。そうと理性で分かっていても、感情は別なのだ。内心が荒れる。己を抑えることが困難になる程に。

 そんなクリスの様子を呼吸の頻度や心音の波、視線の動きから完全に把握しつつも武鋼は薄っすらと笑うだけ。詰まらぬ作業と思っていたことが、存外に愉しめそうではないかと。


「貴方達の狙いは単純だ。一つは私に加減をさせること。そして、もう一つが――」


「実力差による隙の誘発。私が戦いに混ざれば、アンタは私を殺さないように、加減してくれる。だが、その加減した腕じゃ、親父の方が簡単には殺せねぇ。だからアンタは戦いの中で、意識して手加減の有無を切り替えると言う一手間を必要とするようになる。妨害としちゃ、十分だろ!」


 武鋼が察した策の全貌を晒す前に、己を鼓舞するような口調でアンジュが明かす。クリスから得た情報でミュシャが考案し、虜囚全員で磨き上げたのがこの作戦。


 才ある者を殺さない。未来ある者は、彼・彼女が心折れて諦めるまでは試す。それが武鋼と言う老人が有する性質であり、故にこの策は意味を成す。

 アンジュを殺さぬように鈍らせた剣では、クリスは当然殺せない。クリスを倒せる程に鋭い剣では、巻き添えになったアンジュが死ぬ。仲間同士の実力差と敵の性質を逆手に取った妨害手段だ。


 当然、クリスは反対した。何せこの策、アンジュが最も危険となる。武鋼が少し加減を間違えるか、将来性がないと見切りを付けられるか、飽きて手加減を止めればその瞬間にも命がないのだ。


 だがしかし、他の者らでは代替出来ない。この策を成立させられるのは、北方側ではアンジュ一人。ミュシャでは弱過ぎて武鋼の琴線には触れず、シャルロットや聖教の三人ではクリスとの実力差が小さ過ぎて成立しない。だからアンジュは自ら強く主張して、最後にはクリスが折れる形と成った訳である。


 その策は、確かに今、効果を発揮している。こうして向き合っている今に、誰も死んでいないのはそのお陰と言って良い。だが、この策には致命的な陥穽も存在していた。


「確かに、良い策です。しかし、気付いておりますか? 私が慣れてしまえば、このような策など無意味となると」


「ち――っ」


「分かってますよ。これは所詮、時間稼ぎだ」


 あくまでも、時間稼ぎにしかならないこと。親子の間の実力差を、明確に武鋼が測れるようになってしまえばその瞬間にも覆る。


 武鋼がその気になれば、数度の交差でどちらの首も取れるだろう。老人は既にそう感じていて、そしてそれは明確な事実。一秒先に終わる命を、一分先に終わる命に変える。その程度の、時間稼ぎでしかないのである。


 そしてそんなことは、仕掛けた側も分かっている。だからクリスは、武鋼に向かって、彼が好みそうな言葉を投げるのだ。


「けど、武鋼殿。貴方、好きでしょう? 敵対している相手が、窮地の中で成長するような展開が」


「成る程。素敵だ。実に実に、素敵な誘いだ」


 にぃと深く笑って、武鋼はその言葉に返す。そうとも、この老人は好きなのだ。死闘と言うべき闘争が。その中で成長する人の輝きが。愛していると言っても良い。感謝していると断じて良い。修羅として産まれたこと、闘争に酔えること、その全てを彼は心の底から受け入れている。


 今も幼子が誕生日に贈られた箱の中身に目を輝かせて思案するように、不詳の弟子とその娘が何を見せてくれるのかと楽しそうにしている。

 未来がないと断じた弟子は、しかし娘の危機を前にすれば奮起するかもしれない。未来しかないその娘は、実力が劣る分だけ可能性に満ちている筈なのだ。


「ですので、そう。……落胆だけはさせてくれるなよ」


 老体とは思えぬ筋肉質な体から、発する闘気の圧が強くなる。気を張っていなければ、呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうになる程に。

 六武の先将、武鋼。この男は東国六武衆の中でも、最も修羅に相応しい修羅だ。他の誰よりも、他の何よりも、闘争に夢中で真摯である。


 故に武を穢す者、断じて許さぬ。今この瞬間にクリスとアンジュは、成長して彼を打ち倒すか、或いは無残に殺されるか。それ以外の選択肢を失った。


「これで良し、武鋼の爺様はおじさん達に付き合ってくれるよ」


「私が諦めたり、失望されたりするまでの間は、だけどな」


 細身の刀と、巨大な両手剣。それぞれ構えて、父と娘は肩を並べる。口にした言葉も、向き合う心も、どちらも酷く震えていた。


(親父の不調は、一日二日で戻せるようなもんじゃねぇ。なら、あの爺さんの、予想を超える可能性は一つだけ。私だ。私だけが、この状況を引っ繰り返せる)


 強大な敵に向き合う恐怖。それ以上に、その双肩に掛かった義務の重さに恐怖する。この状況、最も重要なのはアンジュだ。


 長く己を省みない生活で、五感の殆どが狂ってしまっているクリス。彼が全盛期の実力を取り戻すのは、そう簡単なことではない。

 ましてや武鋼が求めるのは、全盛期のそれを僅かでも超えた力。となればミュシャをして、先ず不可能だと言う看做しをするのも当然のこと。


 故にアンジュだ。この場において最も未熟な彼女こそが、最も可能性に満ちている。そう事前に受けていればこそ、少女の心は震えてしまう。

 先の攻防のように、動かなければならない状況ならば動ける。だが、こうして足を止めてしまえば動けなくなる。それは紛れもなく、彼女の弱さであった。


(くそっ、体が硬くなってやがる。びびってんな、だせぇぞ、私)


「大丈夫」


「親父」


 それでも、彼女は一人じゃない。相手が動かぬと分かっているから、目線まで外したクリスが肩を片手で軽く叩く。

 同じく敵から視線を外して見上げた少女に向かって、いつものように何処か情けない表情で笑って、それでも力強くクリスは言った。


「何も、私や武鋼の爺様を今ここで超えろと言う話じゃない。爺様の成長予測。それを一瞬でも上回れば良いだけの話だ。君なら、出来るよ」


「応!」


 不思議な気分だった。あれ程に心が揺れていたと言うのに、父親の言葉一つで自信が生まれる。出来る。出来る。己は出来る、と。そんな自信を胸に、アンジュは剣を構え直して前を向く。


 そう、不思議な気分だったのだ。あれ程に危険に晒したくはなかった。何よりも守りたいと思っていた子ども。そんな彼女を己の都合で、己の手も届かない強敵と戦わせる。それは恥じて然るべき行為だと言うのに、何故だかクリスの心は澄んでいたのだ。


「悪くないんだ。この今は」


「ええ、悪くない。実に良い」


 思わず漏れ出たクリスの言葉に、武鋼は頷き同意する。その深みさえも感じさせる眼差しは、眼前の両者の心の底までも見抜いているかのようで。


 老人が軽く、安物刀を片手で構える。足を前後に、半身の姿勢で。視覚的には当然、幅が薄くなった分だけ圧力は減っている筈だと言うのに。まるでそうとは思えない、恐ろしさが其処にはあった。


「さあ、来なさい。腐った英雄と未完の娘。その真価、この私が見定めましょう」


 此処に開く第二幕。最初の戦場はこの場所、コートフォールの政庁前。巨大な城門を背にして、雷の親子は肩を並べる。

 敵は六武の先将、武鋼。嘗て魔王封印を為した勇者でさえ武力では太刀打ち出来なかった、東に三百年も君臨していた修羅の権化だ。


 そんな英雄さえも超えた怪物に対し、二人は雷を纏って飛翔する。甲高い金属音が、其処に響いた。






 中央公園でのヒビキと炎王の対決。南西部城壁跡での雷将親子と武鋼の対峙。続く三ヶ所目の戦場は、それらから僅か離れた町の北西部。

 軍事施設が多く集うこの場所で、盗み出した資料を片手に暇を潰していた男。仕立ての良い肩衣袴を身に纏う子龍と呼ばれた青年は、聞こえた主命に小さく呟く。


「好きにしろ、か。拝命、確かに」


 王が楽し気に発した言葉。離れていたも大気を振るわせる程の圧に、楽しそうで何よりと、一線は超えていないようで何よりと、にやけた笑みで思考する。

 軍人用の寮の屋上。その縁に腰を掛けていた子龍は、一通り目を通した機密書類を無造作に地面へと投げ捨てる。そうして首から上だけを動かして、現れた者らに鷹のように鋭い視線を向けた。


「そやけど、どないしたもんか。君らはどない思う?」


「ふん。私が知ったことか」


「知っていたとしても、態々敵に伝える義理はありませんよね」


「いけずやなぁ。おたくら、ほんまにしっかりしてはるわ」


 現れた敵は二人。先頭を行くのは、青い長髪を後ろで束ね、階級章のない詰襟の軍服を身に纏い、金十字のペリースを靡かせる女。十三使徒は第二聖典オードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワー。


 その後に続くのは、階級章代わりの文様が刻まれた白銀に輝く騎士甲冑を身に纏う金髪碧眼の女。既に鞘から抜いたレイピアを片手に、この戦場へと参戦するのは討魔師団団長シャルロット・ブラン=シュヴァリエ。


「せやけど、僕に対して二人も割いてええん? 君ら、そんなに余裕ないやろ」


 迫る雷将の姉妹弟子たちを前にして、尚も常態のままに軽い笑みを浮かべて立ち上がる子龍。のらりくらりと言う擬音が似合う動作で振り向いた彼へと向けて、オードレは鼻を鳴らしてから答えを返す。


「そうだな。私一人で十分だ、とでも返してやりたい所ではあるが……出来の悪い妹分の数少ない友人が、どうしてもと言うのでな。言にも一理程度はあれば、多少は付き合ってやらんでもない。そう断じたが故のこと」


「……なんや、口悪いけど。言うてること、要は身内大好きって意味?」


「素直になれない人なんですよ。昔から」


「やかましいわ、シャルロット! 敵と無駄話をする余裕が、貴様にはあるのか!」


 言ってオードレは剣を抜き、そして即座に力を行使する。それは本来、彼女が出し惜しみをする切り札の一つであった。


「聖典顕彰――狩り立てる牡牛の法則!」


 水色の輝きと共に、世界の色が一瞬変わる。そして、法則もまた変わる。オードレの斬撃は、あらゆる過程を無視して必ず弱所に当たると言う法則に。

 引き抜いた剣は振り抜く必要もなく、子龍の体を切って捨てる。そうなる筈の理は、しかし通じずに空を切る。それは何故か、既に子龍も心威を用いていたが故。


「は~ずれ」


「肉体の変質。カルヴィンの言っていた霧化が、それか」


「君ら、立派過ぎるんよ。脱獄したんが分かった時点で、僕は奇襲に備えとった」


「ふん。戦士としては、当然だな。何も為せずに倒れていれば、失望を禁じえん所であったぞ」


 子龍の胴が霧に変わって、過程を無視した攻撃が当たらなくなる。否、当たってはいるが通じなくなっている。

 彼は北の虜囚たちが脱獄した瞬間から、誰が来ても問題がないように防御用の心威を発動していたのだ。故に初手の必殺が、必殺に足り得ない。


 その事実を前にしかし、オードレは実に平常だ。動揺も驚愕もなく自然体で返す女に、子龍は如何なる対処をしたのかと笑みを深めて問い掛ける。


「それで、どないするん? 今の僕に、刃は通らんで」


「無論、ならば通るようにするだけだ。行くぞ、耐えてみせろよ、シャルロット! 氷晶円陣!」


「はい、オードレ姉さん! 雷翔天衣!」


 その言葉に答えを返すと同時、オードレは練り上げた闘気と集めた精霊を用いて天候を操作する。夕日が差し込む町の一部、北西部のみが曇天からの降雪に。嵐の如く風が吹き荒れ、降り注ぐ雪はやがて局所的な猛吹雪に。


 全てが凍結するのではないかと思える程の環境で、被害を受けるのは術者であるオードレ以外の全員。当然凍結の影響を受けるシャルロットは、故に雷光を鎧と纏う。防ぎ切れない冷気の寒さに震えるも、動けない程とは至らなかった。


「ひゃー、さっぶ。その子も、巻き込まれとるやん。ようせんわぁ」


「寒いは寒いですが、これでも姉妹弟子なので、慣れてはいますよ」


「は、これで倒れるような惰弱な鍛え方をしていたならば、後でじっくりと私手ずから揉んでやろうと言うものだよ」


 両手で体を抱いて、道化た態度で寒い寒いと嘯く子龍。彼は既に察している、己の肉体の変化が鈍い。霧化と実体化がスムーズに行えなくなっている、と。


 霧とは空気中に浮遊する微小な水滴だ。氷点下においては水は凍って固体となる。その当然の物理現象が影響を与えるのは、心威で出来た浮遊する水滴も変わりはなく。故に子龍の身体は、凍り付いたと言う訳である。


「さて、これで準備は十分。貴様が霧になると言うなら、大気中の水分ごと全てを凍らせ固定化させてしまえば良い」


「そして凍った貴方を、雷速で砕くのが私の役目。貴方の心威も外部から強制された状態変化を即座に治せる程に都合の良いものではないのでしょう」


 凍った体は動かし難い。当然雷速の一撃に反応し切るのは難しく、更に細かく砕かれてしまえば体を動かすことも叶わなくなる。

 そしてそれを嫌がって心威を解除すれば、飛んでくるのは聖典の一撃だ。今も聖典は解除されていないのだから、オードレの一存で効果はいつでも発揮できる。


 聖典授受者。十三使徒の最たる利点の一つがこれだ。聖典は外付けの力であるが故に、コストである信仰力さえ余っていれば片手間でも扱える。利便性の高い代物なのである。


「では、さっさとコイツを潰して、他所の助力に行くぞ。シャルロット」


「ええ、あの子の見立て通りなら、ここが一番有利。翻せば、他の皆は苦戦を強いられる訳ですからね」


 ミュシャがこの地に二人を配した理由は、ここが一番必要になると判断したからだ。一番危険な武鋼の下には、数を送っても逆効果となる可能性が高い。一番弱い姫乃の下に主戦力として送ることも考えたが、それは何故か嫌な予感がした故に取り止めた。


 故に残るは四席と五席の二人。一対一では十三使徒も危ない四席と、相性有利を取れる人材のいる五席。どちらに人材を多く送るべきかは明らかで、その上で相手を圧倒して他の戦場の助力へ向かうことが彼女たちに求められた役割だった。


「ふーん。考えたもんやね。心威を解けば、効果を発揮し続けとる聖典で対処。そんな状況で、心威のままでも防ぎ切れん環境を用意して、僕が対応する前に倒し切る、か」


 速攻で倒す。そう嘯く姉妹弟子を前にして、笑いながら子龍は言う。成る程確かに、自身に対する対応としては実に考えられた物であろう。彼我の戦力差を比べれば、窮地にあるのは己の側だ。だが、しかし、それでも足りない。その自負がある。


「そやけど、まだ足りん。僕を侮るんも、大概にせぇよ」


『――っ!?』


 縮地。闘気で物理法則を改竄し、子龍は瞬く間にも距離を詰める。そして凍り付いたまま、動作し難い手足を振るった。


 正眼に振り下ろされた巨大な大太刀の一撃が、咄嗟に構えたシャルロットを吹き飛ばす。その動きに反応出来なかったオードレの驚愕が止まぬ内から、刀を手放した男はその懐に。内臓を磨り潰すような、鋭く重い掌底がオードレの身体を大きく突き飛ばす。


「これでも僕は、六武衆の四席や。君ら二人くらい、纏めて僕が蹴散らしたる!」


 東国六武衆は、玉しかいない武闘派集団。その四席である子龍の技量は、手足が多少動かぬ程度で大きく落ちるようなものではない。

 所詮は王国軍でも四番手の師団長。所詮はその師団長以下の剣の技量しかない十三使徒。そんな娘たちに、この程度の不利で倒される程に六武は甘くないのである。


 絶対の窮地にも関わらず、そう語り、そう信じさせる子龍の圧。膨大な闘気を発する男を前にして、構え直したオードレとシャルロットは静かに息を飲むのであった。






 黒いカソックを着たアルビノの男が、静かに商店街を歩いている。腰から下げた二本の剣は、先に朧の手で折られた物。されど、その刀身に傷はなかった。

 それも当然、その十字を模したナイトリーソードは十三使徒筆頭のオスカーより譲り受けた物。本来六本一組の刃は、例え跡形もなく砕けようとも復元する先史文明の遺産である。


 武具は問題なし。信仰力は十分に溜まっている。故に万全。そんな状態の青年が、敵を探すでもなく人気のない大通りを歩いている。

 その理由は、挑発行為だ。与えられた役割故に町を練り歩いていたデュランは、その崩れた瓦礫を前に立ち止まる。そこは先に、狼の亜人が首を落とされ掛けた場所。


「よう、会いたかったぜ。むっつり野郎」


「……来たか」


 立ち止まったデュランが見上げる。その瓦礫の山の上に、近くの建物の屋上から飛び降りて来たのは狂気の獣と呼ばれた男。六武衆は第五席、リアム・ファミーユは痛々しい火傷の残る顔を笑みに歪める。王は好きにしろと言った。故に彼が求めたのは、先の屈辱に対する応報だ。


「この間は、随分とやってくれたよなぁ。ここでその借り、熨斗付けて返してやるぜぇっ!」


「そうか、暇な奴だな」


 デュランは言葉に感情を込めぬまま、リアムへ向けて静かに告げる。先の交差で示された結果は、運否天賦によるものではない。

 彼我の相性差。それを埋める手段がない限り、此度も同じ結果に終わろう。即ち、デュランが勝って、リアムが負ける。その事実を、青年は端的に突き付けた。


「そして愚かだ。お前は俺には、決して勝てない」


「は、はははっ! 言ってくれるじゃねぇかよ、糞野郎がっ!」


「事実だ。技量は同等。武具には差があり、相性にもまた差異がある。そして、七日と言う時は、彼我の差を埋めるに足る程の時じゃない。ならばお前に、処刑の刃は防げない」


 その宣告が引き金となったか、瓦礫が崩れてリアムが跳ぶ。頭上から飛び掛かり、拳を振るう狼の亜人。その襲撃を前にして、デュランも大きく後退する。


 一瞬前までデュランが居た場所に、着地と同時に拳を振り下ろしたリアムが大穴を穿つ。隆起する地面と土煙の中で、デュランはその身を紛れ込ませる。わざと手を抜く必要は既にない。


「当然躱すかっ! だが、見えてるぜっ!」


 リアムも六武衆の一角、自身の攻撃で生じた余波で敵を見逃すと言う不手際は打たない。視界から消えても音と気配の位置から、敵の居場所は捉えている。


 故にその方向に向かって駆け出そうとした男の眼前に、飛来するのは十字の剣。まるで投げナイフのように、デュランが剣を投げたのだ。そうと察するより前に、リアムは膝を折り曲げ横へと躱す。


「お前がな」


 されど其処に二発目が、移動先を予測して事前に放たれていた十字の剣が飛来する。着地の瞬間、眉間に向かって迫る刀身。このままでは刺し貫かれると言う状況で、背に冷や汗を搔きながら、それでもリアムはにやりと笑う。


 そして、左足の刻印を起動。風の魔術が発現し、着地直後の動けぬ体を吹き飛ばす。大きく飛んだリアムの身体は、中空で一回転して崩れ掛けた瓦礫の上へと。着地したリアムはその時気付く。既に背後に、デュランが居た。


「ち――っ!?」


「隙だらけだ。死神の鎌(デス・サイズ)!」


 青年が手に握る、血塗られた大鎌が牙を剥く。強引な動きの連続で、最早攻撃を躱す余裕もないリアム。その体に叩き込まれる猛毒の刃は、その命を今度こそ奪い取ろうと――


「――っ!?」


「隙が、何だって?」


 する直前に、一瞬で沸騰して蒸発した。一体何がと、予想外にも程がある光景に一瞬の硬直。

 その瞬間を見逃さなかったリアムが放つ、振り返りながらの裏拳。顔を強く打たれたデュランは仰け反って、態勢を立て直す前に更にリアムが追撃。鋭い回し蹴りが胴に打ち込まれ、大きく飛んだ青年の体は家屋の壁へと叩き付けられた。


「が、は……お前っ」


「考えたさ。テメェの毒の正体。それが何なのか。あの時俺に、何が起きたのかをよ」


 痛みに咳き込み、それでもすぐさま態勢を立て直したデュラン。そんな彼を追い掛けるでもなく、瓦礫の山の上から見下ろしリアムは告げる。デュランの扱う死神の大鎌。それが有する能力。彼が見抜いた真実を。


「魔物になった途端に、効果を増した。詰まりは免疫力の向上が、結果として不利に働く毒。考えに考えた訳だが、ヒントは実に簡単な場所にあったよなぁ。お前の鎌、その色だ」


 リアムが言葉にしたように、ヒントは端からあったのだ。今もデュランが手にしている巨大な鎌。その刀身から握りに至るまで、全ての色が唯一色。それは血のように、暗く濃い赤色だ。


「濃厚な血の色。その鎌を作ってんのは、お前の血だろ。んで、聖術には血にある毒を清めるっていう術も確かあった筈。なら逆に、血の毒性を増幅するような術があってもおかしくねぇよなぁ」


 そうともリアムが見抜いた通り、死神の大鎌はデュランの血を用いて作り上げたものである。治療の聖術を反転させたものを己に掛け続けることで、デュランは自身の体内を巡る血液自体を異質な物に変えていた。

 デュラン以外のありとあらゆる生物に適合せず、一滴でも混じれば他者の血液を汚染し肉を血から破壊する性質を有する猛毒へと。


「要は拒絶反応だよ。他人の血を輸血された奴が、そのまま死んじまうこともあるように。体に合わない血ってのは、猛毒となんも変わらねぇ。んでもって、拒絶反応自体は正常な機能な訳だから、絶対に人間の体に合わない血液になったもんを注ぎ込まれりゃ、そら死にそうにもなる訳だ」


 死神の大鎌に切られた者は、その切り傷から体内に入ったデュランの毒血に体内の血を汚染される。爆発的に他者の血液を染め上げ、適合しないものに変えてしまうのだ。故にこれを受けた者は、重度の拒絶反応を引き起こして死に至る。これこそが、彼の扱う毒の正体だった。


「なら、どうすれば良い? 話は単純。血を体内に入れねぇようにすれば良い。簡単な話だろう」


 治療は効かない。拒絶反応自体は、正常な反応だからだ。受けた場合の対処は二つ、先のリアムのように血を抜くか、処刑人の持つ聖典のような異能殺しを用いるか。だがどちらにせよ、被害は大きい。故により重要となるのは、先ず刃を受けないと言う戦い方をすることだろう。


 掠り傷でも、死に至る猛毒。それを受けないために、先ず考え付くのは避け切ること。だがしかし、使い手であるデュランの技量は並ではない。リアムをして、完全回避は難しいのだ。故にリアムは、もう一つの対策を立てた。それは、その策を見抜いたデュランをして、信じられぬと感じる狂気の沙汰。


「……狂狼め。異名通り、狂っているな。血を体内に入れないために、常時己の身体を燃やし続けるなど、焼身自殺と何が違う」


「はっ、俺は凶狼だ。狂った狼じゃなくて、主の敵に凶つを届ける狼だ。間違えるんじゃねぇよ、処刑人!」


 リアムの体の周囲にある大気が、陽炎のように揺らいでいる。デュランが土煙に隠れた時点で、取られると断じていた彼は左手の刻印を使っていたのだ。

 皮膚の一枚下。皮と血肉の間に火を灯す。己の血肉と皮脂を焼きながら、強引に纏った炎の鎧。それが血で出来た鎌が届く前に、超高温で蒸発させたものの正体だった。


 これが雷将の師弟が用いるような、雷を鎧と纏う技法ならば見事とデュランは称えただろう。だが、リアムが今に行っている行為はそれとは違う。

 そんな技なんて習得していなかった。七日で覚えることも叶わずに、だからリアムは己の身体を燃やしている。比喩表現ではなく文字通り、自身に火を付けたのだ。


 自ら望んで、自身を燃やす。そんなことをすれば、常人ならば直ぐに死ぬ。痛みや苦痛によるものか、或いは呼吸に障害を起こしてか、ともあれ普通は生きていられない。だが闘気と言うエネルギーを用いることで、リアムはそれを覆す。そうして彼は、嗤いながら駆けるのだ。


「はぁっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「ちっ、来い」


 殴られた顔や蹴られた胴に軽い火傷を負いながら、鎌を消したデュランは両手を左右に翳して呼ぶ。投擲武器と用いられていた二振りの剣が、デュランの意思に従うように転移し彼の手元に戻る。


 そして、衝撃。交差した二振りの剣の中央に、リアムの踵が上から落ちる。金属同士がぶつかり合うような甲高い音がすると同時に、振り上げたリアムの右足に刻まれた刻印が輝く。何もない虚空から、僅かな砂が生じて落ちた。


「目潰しかっ!」


「はぁっ、はぁぁぁっ! 呼べば来るとは便利な剣だな! だが、これは想定外だろうっ!」


 重力に従って落ちて来る砂による目潰しを、咄嗟に目を閉じることで回避する。されど至近距離で視界を塞ぐことは、英雄域の戦いの中では明確な隙だ。


 交差した剣の上に落とした右足を軸に、左の足を上方向へと蹴り上げる。その背を風の力が押して、空中にて一回転。顎を蹴り付けられたデュランの体は、其処に大きな隙を生み出した。


「おっ、らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


 その隙に、着地したリアムが右の掌底を叩き込む。臓腑を揺さぶる一撃を受けて再び吹き飛ばされたデュランはどうにか着地するも、蹈鞴を踏んで血を吐いた。


「腸を揺さぶる一撃だ。どうよ、刻まれた痛みは軽くはねぇだろ」


「……問題はない。自傷を続ける貴様より、俺の方がまだ被害は少ない」


 口腔に残った血を吐き捨てた後、デュランはリアムに視線を向ける。口にした言葉は挑発の意味もあったが、同時に確たる事実でもある。


 自身を燃やすと言う常識外の対処法。それを続ける限り、時間はリアムの敵である。一分一秒ごとに死に近付いている亜人の男に対し、デュランが受けた傷はまだ致命とは言えないもの。そしてそれさえも、彼は治療の神聖術で治してしまえる。故にどちらが優位かは、余りに明らかな状況だ。


「は、はははははっ! さぁて、そりゃどうだろうなぁ! 上等な物言いだが、そいつが強がりの類じゃねぇのか! 一つ試すとさせて貰うぜぇぇぇっ!!」


 それでもリアムは、高らかな嗤いと共に返す。分かっていない筈がない。理解していない筈がないのに。まるで己の死すら恐れぬ狂戦士のように、亜人の男は己の死地を歓迎するのだ。


 狂狼と言う異名。それがこれ程に、相応しい男もそうはいないだろう。そう感じ、僅かに気圧されながらもデュランは剣を構える。怯懦は要らない。真面にやれば勝てる相手。ならば、真面にやって勝てば良いだけの話なのだから。






 そして此処が最後の戦場。町の北東に位置する住宅街。その中に聳え立つ豪邸の中に女は居た。豪商であろう本来の持ち主が用立てた皮張りのソファに足を組んで座る女は、大理石のテーブルに置かれた籠盛りの果実を一つ取る。しゃくりと一口、不味いとその場に投げ捨てる。他者の邸宅を勝手に占拠し、私物を無断で利用しながらその態度。傲岸不遜は氏か育ちか、果たして一体どちらであろう。


 常の和甲冑を外し、身に着けているのは鎧下である小袖のみ。美しく色気もある女は気怠げに背を預ける。思うは先の屈辱。捕らえた捕虜でも嬲って紛らわせたい所ではあるが、彼女の王はそれを許さない。故に無聊を持て余し、こうして怠惰な仕草で贅を貪っていたと言う訳だ。


「……愚劣だな。炎王の恐ろしさを知って、まだ諦めていないのか」


 傲岸だろうと怠惰であろうと、女は東国六武衆の末席だ。生命力の探知と言った技能は当然習得しているし、こうしてやる気がない状態であっても奇襲を警戒した周囲の探知程度は続けている。


 その索敵範囲に、敵が一人掛かった。誰かが近付いてきている。そしてそれは、先に己に泥を塗った女達ではない。その事実に苛立ち舌打ちし、唯でさえなかったやる気はどん底に。計算も出来ない痴愚が、無駄に手間を取らせてくれる。敵の接近を理解して、出した女の結論はそれだけだ。


――外功実行・以って我は心威を示す――


 そして姿勢を正すこともなく、ソファに身を預けたままに詠唱を始める。手印を刻む必要もない。先の屈辱に満ちた敗戦を経て、女の実力は一段上に上がったのだ。態々印を組んで威力を増幅しなくとも、今の女の心威であれば英雄級の実力者にも通るのだから。


――神鬼助持、菩提不退、有求皆従、業道永除――


 選ぶのは、先に得た新たな技ではなく、使い慣れた地蔵の裁き。効果は高いが敵の位置を認識していなければ使えぬ人頭杖よりも、一定範囲内にいる全てに問答無用で被害を齎すこちらの方が利便性と言う点では上だ。そう考えて選んだ、と言う訳ではない。態々敵の下まで足を運ぶのが面倒だから、選んだ理由はそれだけだ。


――我、六道輪廻を巡る者。クシティ・ガルバの名の下に、汝ら衆生を解き放つ者――


 袈裟地蔵の効果範囲は、姫乃自身の索敵範囲とほぼ同値。故に気配を認識された時点で、敵対者はこの心威から逃れられない。敵対者でなくとも巻き込まれるが、幸いこの地の住民たちは既に逃げた後。巻き込まれる哀れな被害者は居ないだろう。仮に居たところで、姫乃はさして気にしないだろうが。


 精々、王に不快に思われるのは面倒だなと思う程度。そこで反省するなら可愛いものだが、この女はそこでお前たちの所為でと被害者に責任転嫁を行う類だ。惚れた男に配慮し取り繕ってはいるが、その性根は鬼畜外道の類である。


――未だ道半ばにあれど、十王が真理を此処に示さん。色に満ちた苦界より、空と成るを救いと知れ――


 もう間もなく、そんな外道の詠唱が終わる。人間のみならず、思考能力を有するあらゆる生命を自責からの自害に追い込む悍ましい心威が完成する。

 さすれば近付いてきている敵は、無様に蹲って自ら腸を捧げるだろう。その光景を夢想して、僅か口角を上げる。無聊の慰めにはなれよと、女は今も傲慢だ。


――罪深き者らよ、首を垂れよ。我が身を裂いて、腸を捧げよ。我はお前たちを裁きたいのだ――


 英雄の優れた聴覚が音を察知する。大きなリビングの向こう、廊下の先に広がる巨大な玄関ホールの扉。その先から聞こえて来たのは、軍靴を思わせる硬質な足音。


 男か。その音の質とリズムから扉の向こうに居る相手を悟る。腐っても鯛と言う言葉があるように、優れた能力を持つ姫乃は相手が誰か音だけで察した。王に焼かれた、無様な男。肉体だけが無敵と言う、己にとっては鴨のような相手であると。


――心威・解放――


「衆生を救えや――袈裟地蔵」


 心威の発動と扉が開くタイミングは、全くの同時であった。故に現れた獅子の鬣を思わせる金髪の男は、扉を開けて飛び込んで来た姿勢のままに崩れ落ちた。


 飛び込むように膝を付き、何かに耐えるように蹲る。カルヴィンと呼ばれたその男の無様な姿を見下して、幾らかの溜飲を下げた姫乃は嘲笑と共に傍らの刀を手に立ち上がる。


「愚劣だなぁ、十三使徒。無敵の肉体の欠陥は、既に炎王陛下が指摘していたろうに。私の裁きを、貴様如きの聖典が防げると思っていたのか?」


 自殺衝動に耐えているのだろう。震えて動かなくなったカルヴィンに向かって、ゆっくりと歩み寄りながらに姫乃は語る。


 先の戦いの後、王は仲間内での情報共有を命じた。負け犬共の能力になど興味はなかったが、臣を想って王が用意してくれた場に女が参加せぬ理由もない。

 彼の語る内容よりも彼の声自体に耳を傾けつつも、その優れた脳は確かに内容を諳んじられる程には理解していた。故にそう。カルヴィンの能力など、女は既に知っていたのだ。


「肉体を介在しない干渉には、抵抗の術がないのだろう? 私のこれは、範囲内の生物全ての精神に直接干渉する。目で見たから、声を聴いたから、そうした手順は要らないのだ。私の間合いに入った時点で、私の裁きからは逃れられない。理解したか? 私こそが、お前にとっての天敵だった」


 黄金のオーラを纏った部分を無敵に変える能力。攻防一体の優れたものだとは思うが、無敵となるのは肉体のみと言う点が拭い切れない欠点だ。


 視認すれば死ぬと言う能力なら、無敵となった眼球で防げるだろう。耳にすれば死ぬと言う能力なら、鼓膜や脳を無敵にすれば防げるだろう。だが、肉体を介さず精神を直接弄る力に対し、肉体を無敵にする能力で如何に抵抗すると言うのか。出来やしない。故にこその現状。そう理解して姫乃は、その首筋に脇差を突き付ける。


「じゃあな、十三使徒。そのままここで、無様に散れ」


 そして、軽く振り上げ、下す。自殺衝動に耐え続けているであろうカルヴィンは、当然それに対処出来る筈もなく。ならばその首は切り落とされて、地面に転がるが自明の理。今正に、その結末が現実になろうとした瞬間――カルヴィンが、嗤った。


「はっ、馬鹿がっ!」


「な――っ!?」


 蹲った状態から、右手を持ち上げアッパーカット。金のオーラを纏わぬその拳が女の顔へと迫り、それでも咄嗟に刀で身を庇えたのは姫乃の技量が故か。

 脇差の刀身に、強化されたカルヴィンの拳が当たる。一瞬の拮抗。罅が入った刀身を見て女の表情が歪んだ瞬間、笑みを深めた男の拳が金色に輝きそれを砕いた。


「く――、貴様っ!」


 砕かれる直前、追撃を避けるために止むを得ずに後退した姫乃。しかし何故か追撃の好機を前に、一瞬表情を歪めたカルヴィンは同じく退く。

 一体何がと、姫乃が思案する暇もない。跳躍して後退したカルヴィンは、眼球の奥を僅かに光らせながら大地を蹴る。その拳が、再び姫乃に向かって迫った。


「おっらよぉぉぉぉっ!」


「ちっ、舐めるなっ!」


 獣のような剛腕を前に、姫乃は折れた刀を投げ捨て無手で抗する。静水が激流を制するように、荒々しい拳の連打を手や指の回転で受け流す。

 そうして泳いだ上体。生まれた隙に踏み込んで、裏拳を顔に当てる。常人ならば骨が陥没するであろう打撃を受けて、しかしカルヴィンは嗤って拳を振り下ろす。


 肉を切らせて骨を断つ。男の意図する所は、それに近いか。技量で負けていると分かっているから、幾ら打たれようとも気にせずに攻め続けて来る。

 正しくこれは、獣と武人の争いだ。両者の間にはそれ程の差があり、しかしその程度の差でしかない。獣の懐に入ろうとした武芸者の首が取られることもあるように、僅かなミスでこの均衡は崩れ去る。


「気に食わん、気に食わん、気に食わん、気に食わん!」


「は、どうした? ヒステリックに叫びやがって、更年期の障害かよ」


「程度の低い物言いをっ! 貴様のような輩に、私の心威が防がれるだと! 一体どういう理屈だっ! 間違っているだろうが、ふざけるなっ!」


「あ゛あ゛っ? 馬鹿かよ、テメェは。戦狂いの上に頭が悪いんじゃあ、つくづく救いがねぇなぁ。劣等種」


 拳の応酬。傷はカルヴィンの方が多いが、姫乃とて無傷と言う訳ではない。受け切れず掠めた爪先が頬を浅く裂き、受け流すために衝撃を受けた指や腕が内出血で青くなる。

 それだけの威力。それだけの強化。こと肉体の強化率においては、カルヴィンと言う男は覚醒した修羅にも迫る。素の状態では姫乃であっても、身体能力では遅れを取っていた。


 その事実に、そして己の心威が通じないと言う理不尽に、怒りと屈辱に塗れた女がヒステリックに喚き出す。己の犯した過ちがあったとしても、認めず他者や社会の所為にする女。その感性からしてみれば、現状は許されることではない。故に当然の権利とばかりに怒りを示せば、返るは失笑と憐憫と侮蔑に満ちた声。


「罪悪感の増幅による自殺なら、俺の無敵を抜けるとでも思ってたのかよ。カスがっ、そういう所が頭沸いてるって言うんだよっ!」


 剛腕によるテレフォンパンチ。本来ならば容易く躱せるような攻撃も、補助と治療と防御に特化した神聖術の技量を有するカルヴィンが放てば無視出来ない暴虐となる。

 紙一重の回避では腕の骨ごと持っていかれる。先の交差でそう察したが故に、姫乃は舌打ちしながら大きく躱す。大きく躱せば反撃の隙はなく、獣の攻勢がまた続くのだ。


「テメェの心威は、確かに俺の精神に直接干渉してやがる。膨れ上がる罪悪感は、確かに俺じゃぁ防げねぇ。だが、膨れ上がった罪悪感で自殺するって言うのはよぉ。死にてぇって、頭で考えるってことだよなぁ。脳内を巡るシナプスは、紛れもなく実体を持つ肉の塊。俺の無敵の範疇だ! だからこそっ、思考をした時点で歪められた心情なんてもんは、脳を無敵にすりゃ簡単に戻っちまうのさっ!」


「く――、なんだ、その理屈にもなってない、屁理屈はっ!?」


「はっ、聖典ってのは、そういうもんだ。神の齎す奇跡に対し、人の理屈なんざ通じなくて当然だろうがっ!」


 嵐のような攻勢の中で、カルヴィンが告げるは姫乃の心威を防げた理屈。心威は確かに通じていた。罪悪感は肥大化していた。

 しかしその肥大化した罪悪感が思考に影響を及ぼす前に、カルヴィンは脳を無敵に変えることでその干渉を弾いていたのだ。


 頭蓋の中で、脳髄が金に輝いている。故に今もその眼球は、淡い金色の輝きを宿しているのだろう。その輝きが尽きぬ限り、姫乃の心威はカルヴィンには通らない。


「さっきは随分と、笑いを堪えるのに苦労したぜ? テメェは俺の天敵だそうだなぁ、異端の雌猿」


「下賤な血がっ! 何が言いたいっ!」


「なぁに、単に逆だって言いてぇだけさ。俺こそが、お前にとっての天敵だぁっ!」


 倒れ込んでいたのは演技。震えていたのは、笑い声を出さないように耐えていただけ。その事実を告げられて、唯でさえ沸点の低い姫乃の苛立ちは限界点へと到達している。


 理屈で考れば、この場は撤退するのが正解だ。聖典の輝きがある限り、不利になるのは姫乃の側。だが聖典の発動時間にも制限がある以上、限界まで逃げ回ってから心威を使えばそれで勝てる。


 ここに居たのが姫乃ではなく、リアムや子龍ならばそうしただろう。或いは眼前のカルヴィンもまた、一時の恥や屈辱に耐え確実な勝利を狙える男だ。だが、公方姫乃は違う。


 炎王を除く全ての他者を自分より下だと見下していて、同胞である六武衆の面々以外の生物全てを劣等種と蔑んでいるような女だ。このような煽りに、彼女が耐えられよう筈もなかった。


「く、このぉっ!」


「はっ、おらぁっ!」


 無手でも己の方が圧倒的に強い。そう分からせてやる。目は口程に物を言い、所作はそれ以上に彼女の心を映し出す。

 逃げ回ることも、反撃が行えなくなる程の後退も、どちらも禁じて前に出た姫乃。その拳と、男の拳が目にも止まらぬ速さでぶつかり合う。


「やはり、私の方が上だっ!」


 殴打のラッシュの中で、一瞬の隙を付いて突き出された腕を掴む。そのまま勢いを殺さず引いて、折り曲げた肘をその鳩尾へと。

 骨が折れ、臓器が潰れた。その感触と確信に、笑みを浮かべた姫乃が勝ち誇る。これで己の勝ちだと見上げた顔が、すぐさま驚愕へと変わる。


「甘ぇんだよっっ!!」


「なっ!? がっっ!!」


 皮が裂け、肉が抉れ、臓腑が潰れ、骨が砕ける。そうした状態でも活動出来ると言う異常は、決して修羅の専売特許と言う訳ではない。

 心臓を潰されながらも動いた男もまた、回復の神聖術を用いることで不死身に近い肉体を有する例の一つ。臓器を一つ失くした程度で、死にはしないし止まりもしない。


 勝ったと油断した女の顔に、男の拳が突き刺さる。潰れた鼻から血を流しながら宙を舞う女を睨みながら、流石に直ぐには動けなかった男は傷付いた臓腑の位置に手を押し当てて治療を始める。


 大理石のテーブルに突っ込んで、果実を撒き散らしながら転がった姫乃。彼女は右手の親指と人差し指を使って、曲がった鼻の形を元に戻すと怒りの形相で立ち上がる。その時には既に、男の治療も終わっていた。


「おのれ、おのれぇっ。この高貴な私に血をっ、私の美しい顔に傷をっ!」


「はっ、下らねぇ女だ。顔の傷が怖ぇなら、戦場になんて出るんじゃねぇよ」


 美しい容貌を凄絶に歪める女と、口腔に溜まった血を吐き出し嗤う男。距離が出来たことで睨み合う形で膠着した両者は、再びの交差を前に煽り文句のような言葉を交わす。


「子を産み愛して育てるのが、女の美点で特権だろう? 男にも出来る下らねぇことで、その特別に汚物を塗るなよ。汚ねぇだろうが」


「男根思想か? 低劣な種の愚劣な思考。どっちが下らない輩だ!」


「ああ、そうかい。そうじゃねぇけど、それで良いさ。テメェはどうしようもねぇ類だろうからよ」


 その最中でカルヴィンが口にしたのは、身勝手な偏見に満ちた思考であろう。子を産み育てることこそ女の幸せだと、そう捉えられる発言は古い男尊女卑にも似た考えだ。


 故にそれを揶揄した姫乃の言葉に、カルヴィンは笑みを消して嘆息交じりに返すだけ。元より言い聞かせる気などはない。見ていて哀れになる同胞の女傑と異なって、この女はどうしようもない類であると分かっていたから。思わず漏れた本音に蓋をして、肩を回してから男は姿勢を低くした。


「気に食わねぇ女だ。テメェみたいなのは、相手にすんのも嫌気が差す。だが、テメェはどうもあの化け物野郎の部下の中じゃぁ、一番得体が知れなくて怖いんだそうだ。亜人の雌が言うにはよ」


 カルヴィン・ベルタン=クールドリヨンには、嫌いなものが多くある。公方姫乃と言うこの女は、カルヴィンが最も嫌う女に比べれば遥かにマシだが、その要素を幾つも有している女であった。


 故に本音を言えば、視界に入れることすらしたくはない。心底から嫌い侮蔑する相手には、関わりたくなくなるのがこの男であるが故。その点で言えば逐一喧嘩を売る相手である同胞の女傑を、実は結構気に入っていたりするのだが。


 そんな素直ではない男は、これで身内と認めた相手には甘い。だからこそ、必要とあれば己の流儀を容易く曲げるし、関わりたくもない相手とだって相対する。


「薄汚ぇ亜人の、糞みてぇな勘に頼る。反吐が出る話だが、他の奴なら危ないって言うのなら仕方ねぇ。お前の能力が全く効かねぇこの俺が、一肌脱いでやるしかねぇって訳だよなぁ」


 そうとも、ミュシャ・ルシャの見立てが正しければ、王を除いた相手の中で最も鬼門となるのがこの女。公方姫乃こそが最悪の地雷であるが故、カルヴィンは此処に居るのである。


「つー訳で、だ。この俺が直々に手を下してやんだから、嬉しそうに死に腐れや! 人間未満の塵屑女っ!!」


「修羅と言う種の中でも、尊き血を流すこの私をっ! 幾度も幾度も見下しおってっ! 修羅に生まれることが叶わなかった劣等種がっ! これ以上はほざくなよっっ!!」


 表情を一瞬消してから、嘲笑を張り付けて告げるカルヴィン。彼の心中は図れずとも、度重なる愚弄や侮蔑の意思に堪忍袋の緒などとうに切れている姫乃。


 向かい合っていた両者は怒声を互いに飛ばしてから、再び前へと跳躍する。そして、激突。先の焼き直しとも思える拳の乱打と交差が始まって、互いの血が周囲を染め上げていた。






【六武衆の皆の余暇の過ごし方】

・炎王  修羅の衝動を抑える為に、自然豊かな公園で瞑想をして過ごしていた。

・武鋼  リアムに稽古を付けながら、クリスを殺せるチャンスを待っていた。

・子龍  今後に備えて、北の軍事機密などを盗み見。情報収集に徹していた。

・リアム 捕虜の世話と監視をしつつ、武鋼の稽古を受けていた。

・姫乃  民家に侵入。勝手に貴重な酒や果物を貪り食って、豪華なベッドでぐうたらしていた。因みに余談ではあるが、本文中に出てきた豪商の屋敷は三軒目。なので家主不在の間に、高級品の貯蔵がないなった屋敷が二軒はある。

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― 新着の感想 ―
姫乃ぉぉぉぉ なんだその六武よりも、十三使徒や四大に相応しのダメ人間ぶり。
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