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Re, DS  作者: SIOYAKI
第四章 死して後已む
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第60話

ヒビキVS朧①


 対峙し同時に大地を駆けた両者。中空で交差する二人の性能には、明確な程の差異がある。生物としての格が違うのだ。


 修羅は元々、古き時代を生きた人々が原初の魔王と言う存在に抗う為に作り上げた戦闘生命。

 非常に死に難く、そして死に瀕すれば急速に強くなる。そうした強みこそあるが、基本となるスペックが人間を大きく逸脱している訳ではない。


 あくまでも基準値は、平均的な魔物よりも低いのだ。純粋な筋力や速度で魔物と競えば、順当に負ける程度が一般的な修羅である。

 死に瀕すればひっくり返るとは言え、基本値ならば魔物の方が上。そうであるが故に嘗ての修羅たちは、魔物の大軍勢を前に敗北したのだ。


 如何に朧が修羅の上澄みとは言え、対するヒビキは五大魔王の一角。魔物の最上位に位置する怪物だ。

 再誕を果たした彼の性能は今までの比ではなく、故に当然、真面に競えば朧の側に勝機など欠片も残りはしない。


 故に――


「な――!?」


 真面に競わない。修羅の究極でもない朧が、ヒビキとの戦いで選ぶ手筋はそうした物だ。


「あら、素直で可愛らしい動き」


 ふわりと風に揺られるこの葉のように、朧の体が中空を舞う。鱗に覆われた少年の右手が接敵と同時に振るわれる直前、前に向かって跳躍していた朧は全身から力を抜いたのだ。


 完全なる脱力。目の前に迫る拳を受ける直前にそれを為した朧の体は、音速を超えた拳が放つ衝撃と言う名の風に乗る。拳の直撃は一切受けず、頭上を舞うように通り過ぎる女は笑みと共に腕を振るう。


「けど駄目よ。真っ直ぐに弄るだけじゃ、飽きてしまうわ」


 白魚を思わせる指先から、伸びて来るのは白い糸。逆様の姿勢のままに放たれたそれが、振り返るヒビキの体に纏わりつく。

 風を切る音は鋭いと言うのに、その糸は非常に粘着質だ。ヒビキの体に傷を付けることはなく、ぐるぐると巻き付き縛り付ける。


「ちっ、こんなもの」


 蜘蛛の巣に手で触れた時のような不快感。それを全身に感じながら、ヒビキは引き剥がさんと右手で糸に触れる。強靭だが弾力もあり、粘着質でもあるそれは簡単には剥がせない。


 取り除こうとした指にまで付着したそれに舌打ちしつつ、手の周囲に瘴気を集める。瘴気で溶かすように糸を侵食することで、漸くに取り除けるが如何せん時間が数秒。それだけあれば、女にとっては十分過ぎる隙となろう。


「女の誘いを袖にするの? それとも、自分色に染めるという暗喩かしら?」


 地面に着地した朧は両手を軽く振って仕込みを行い、それから前傾姿勢でヒビキに向かって走り出す。妖しい笑みを浮かべた女に、ヒビキは舌打ちと同時に足を開いて腰を落とすと五指を開いて瘴気を更にと其処に集める。


 周囲の大気が歪む程に、濃密度と化した悪意の爪。当たれば絶殺、どころではない。掠めただけでも常人ならば肉片すら残らず腐って滅ぶその爪は、脱力で完全回避を為そうが問答無用でその命に牙を突き立てるだろう。


 修羅の上澄みである朧なら、全霊を防御に費やして如何にか生き延びることが出来るかどうか。それだけのエネルギーを地面に向かって振り下ろせば大地が持たぬ故に、少年はスコップで土を掬い上げるように腕を振るった。


 直後、大地に五本の亀裂が走る。全てを汚染しながら走る悪意の爪は大きな傷を刻みながら天へと向かい、空の雲を五つに切断して尚一切減速すら見せず、成層圏を超えて宇宙に入って漸くに僅か減衰し、頭上の月の表層に大きな傷を刻んでいた。


 無論、与えた衝撃はそれだけでは済まない。少年の腕の一振りで今、月と地球の位置が僅かにずれた。星間距離を物理的に広げた少年は、己の本気が齎した破壊に僅か背筋を凍らせる。これを地面に向かって放っていれば、地球が輪切りになっていただろう。


 だが――


「は――?」


 その驚愕は、己が力に対する戦慄だけが故にではない。その攻撃を無傷で躱して、背後から糸を巻き付けて来る女に対するものである。


「お前、そんな――っ! 嘘だろっ!?」


「うふふ。だって余りにも、足元がお留守なんだもの」


 あり得ない、と己が目で見ていたのに抱いた感情はそれだ。そう言いたくなる程に、朧の回避行動はイカレていた。

 迫る爪と言う脅威を前に、左右や後方へ逃げたのではない。前方へ自ら飛び込んで、闘気によって加速した。そして迫る爪が振るわれる直前に、ヒビキの股下をスライディングで抜けたのだ。


「下を責められるのは、初めてかしら。随分とまあ、ガードが緩いわね」


「僕の、足元だぞ。この、僕が、どんだけ小さいと思ってるんだよっ!?」


 あり得ない、とヒビキが困惑するのも当然だ。今の彼の身長は、135センチしかないのだ。正式には135.8センチ。その股下の高さともなれば、垂直に立っていても59.4センチ。それが足を開いていたとは言え、腰を落としていたのだ。恐らく隙間は、50センチにも満たなかった筈であろう。


 よく見れば、朧の通ったであろう地面の周囲が僅かに凹んでいる。通り抜ける際に足りないスペースを、糸で強引に広げたのだろう。そうと分かって、それでも信じられないとヒビキは困惑してしまう。


「あり得ない。僕が攻撃をする前に、足元を抉って僅かな隙間を擦り抜けるなんて。それも僕に気付かせないように一瞬で、こんな小さな隙間に体を潜り込ませるなんて。音速を超えた速度で動き回る針の穴に、遠くから糸を投げて通すような神業じゃないか」


 そう。朧の行った行動は単純ながらも、あり得ないレベルの神業だ。ヒビキが瘴気を集めて爪を振るうまでの時間は、精々一秒か二秒といったところ。そんな僅かな時間に間に合わせる為に、朧はあの瞬間に音速を超える加速を実現していた筈だ。


 闘気を用いた超加速。音を遥か後方に置き去りにする速度で移動しながら、自分の体を50センチもないスペースに当て嵌め押し通す。迫る死の恐怖の中で、一切の躊躇なくそれが行えること。それこそがあり得ない行動だった。


「あり得ない、その発想は戦場においては致命的よ。自分の下が取られることはない。その思い込みの所為で、貴方は私の行動を見落とした」


 言って朧は、指を振るう。次から次へと纏わりついて来る糸が、ヒビキの体に纏わり付いてくる。その時分に至って漸くに、ヒビキは朧が敢えてそんなアクロバティックな回避手段を選んだ理由を察していた。


「そして今もまた、隙だらけ。いくら驚いたからって、動きを簡単に止めては駄目」


「ちっ! 敢えてあんな回避をしたのはっ! 僕の思考を混乱させるためだろうにっ!!」


 敢えて前方に入り込まずとも、全力で防御に徹すれば女ならば耐えることが出来たであろう。回避にしたところで最大速度で左右へ走れば、恐らくは射程外にまでは逃げ切れた。


 それでも敢えて、リスクを許容して前に出た理由はチャンスを得る為。あり得ないと困惑させる。その思考の空白を得るこそが、女の狙いであったのだ。


「ふふ、左手の小指に、赤く染めたものを付けるのも考えたのだけど。出会って直ぐにそうする女は、正直はしたないでしょ」


 そうであることに気付いた時には既に遅く、ヒビキの体に更なる糸が絡みつく。特に糸の量が多いのは左腕。白い荒縄と見紛う程に、蜘蛛の糸は巻き付いていた。


「はしたないんじゃなくて、重いっていうんだよ。そういうのはっ!」


 瘴気による浸食で体の自由を取り戻しながら、ヒビキは苛立ち紛れに吐き捨てる。相手の狙いが見抜けない。既に幾度も打ち込めるだけの隙を晒しているのに、やって来るのは外し難い糸を巻き付けることだけ。


 旅路の途中で魔物相手にやっていた、糸による切断を朧は使ってきていない。ヒビキの体を、切り裂く糸がないからか。

 それは恐らく是にして否だ。骨まで斬断することは出来ずとも、肌を切って臓腑を抉る程度は出来るだろう。女の余裕には、そうした凄味も感じさせる。


 ならば一体、何を狙っていると言うのか。僅か思考を巡らせて、直ぐにヒビキは切り捨てる。頭がクリアになっているとは言え、元より明晰な訳ではない。考えるよりも先ず動く、今為すべきは、そういうことだと判断したのだ。


「そんなに纏わり付いてくるなら、こっちがそれを利用してやるっ!」


 都度都度糸を剥したとて、相手は手を変え品を変えて同じ状況へと持ち込むだろう。ならばとヒビキが考えたのは、絡み付く糸を逆に利用してやること。それは酷く単純で、余りにも暴力的な発想だった。


「あらあら、まあまあ」


 自身の左腕に纏わり付いている荒縄のような糸を、ヒビキは右手で掴む。糸が掌の中で粘着くのも気にせずに、そのまま両手を思いっ切りに振り回した。


 要は砲丸投げの要領だ。ヒビキに絡み付いた糸は、朧の指先から伸びている物。ならば拘束されているのは、彼だけでない。互いに鎖で繋がっているような状態なのだから、綱引きをすれば相手の体を引っ張り回せる。そんな頭の悪い対処法。


「女を振り回すなんて、悪い子ね」


「それが、どうしたっ!」


 ぐるりぐるりと全身を使って、糸で繋がる相手を振り回す。数周どころか十数周は回転させて平衡感覚を奪ってから、地面に向かって叩き落さんと。


「けど、まあ概ね想定の範囲内」


 絶叫マシンなどとは比べ物にならない速度で回転を強要されながら、酔った素振りなど欠片もみせずに朧は平然と笑う。

 その発言に、強がりなどは一切ない。元より執拗に糸を巻き付けていたのは、こうして逆用させるためでもあったのだから。


「テコの原理は分かる? シーソーが動く理屈ね。要は力点がどれ程に強くても、中央にある支点を動かすことは叶わないということ。準備も仕込みも十二分、綱引きの相手は私じゃないわ」


 言って女は指先から一本の糸を伸ばす。それが絡み付いた先には、一体何時に仕掛けていたのか。

 断崖と化した泉の跡地の一角に、無数の糸で編まれた蜘蛛の巣が存在していた。その巣に糸が絡み付き、朧の体が気の放出で自転する。


 となれば今の彼女はシーソーの支点だ。両端の片方が力を加えた悪竜王なら、もう片方は糸が伸びた先にある巣。

 否、その蜘蛛の巣は大地に深く根差している。故に力が流れる作用点とは、この惑星と言う巨大な物に他ならない。


「な――っ!?」


「正面からぶつかれば、星を砕く程の力がある。それでも、貴方は一瞬迷ったわね」


 力点と作用点。それぞれをヒビキとこの星に分け、女は自らをその中間である支点と変えた。強引に引く力が力点であるヒビキの体に掛かり、それに抗えば今度は作用点の方に流れるのだろうと察せられた。


 故に、ヒビキは一瞬迷ったのだ。今の自分の全力が、この星にどれ程の影響を与えるか分からぬから。その一瞬の迷いが故に、素の体重の軽い彼の体は気付けば宙に浮いていた。


「星が壊れるかもしれない。だから、貴方は下手に踏ん張れない。となれば、見た目の通りに軽い体重。それしかない貴方は、少し力を流してあげるだけで、こうも簡単に宙に浮く」


 動かぬ作用点と、回転する支点。それらによって、半ば己の力を利用される形でヒビキが逆に振り回される。

 それでもヒビキはどうにかせねばと、全身から瘴気を放って軌道を制御しようと試みる。だが、それをさせる程に朧と言う女は甘くはなかった。


「では共に、滝の底へと沈むのよ」


 虚空で一瞬止まったヒビキの頭上に、糸を手放した朧が舞い踊る。そして、何処からともなく大量の糸を取り出し落とした。

 天から地の底、断崖絶壁の下まで落ちる糸の津波は宛ら滝だ。朧の闘気によって強化された、飛沫のない大滝。それに飲まれた少年は、そのまま女と共に底へと。


「くっ、此処は断崖の底か」


 地面に落とされたヒビキの体は、落下の衝撃以上に滝から受けた痛みに震える。全身を針に刺されたように、その身には無数の穴が開けられ出血していた。


 滝に使われた糸の強度が、粘性ではなく硬質な物だったのだ。ヒビキの外皮を切り裂ける程に強いそれが、明確なダメージを彼に刻む。

 とは言え、その程度。全身に開いた小さな穴は、その再生力が故に直ぐに塞がる。この程度で済んでしまうから、これまで朧は攻撃を控えていたのだろう。


 全ての糸を穢し貶め、自由を取り戻したヒビキは立ち上がる。嘗て聖剣の泉があった場所。勇者と魔王の最後の戦いで出来た大穴の底で、立ち上がった少年は頭上を見上げた。


「糸が、蜘蛛の巣みたいに。一体いつの間に」


「女のお色直しに、疑問を挟むのは紳士じゃなくてよ」


 見上げた先には、蓋をするように大きな蜘蛛の糸。その巣の下に足の裏を張り付けて、朧は逆様のまま微笑んでいる。


「元から、これが狙いか」


「ええ、私の糸では、貴方を切り裂くのは困難。となればせめて、私に有利な場を整えないといけないもの」


 はっきりと言えば、先までの場は朧にとっては極めて不利な立地であった。泉の周辺は、開けた草原。それでは、糸を絡めて巣を張れるような高低差なんて殆ど生じない。


 素の性能で負けていて、攻撃してもダメージなんて殆ど通せない。そんな相手と不利な場所で戦うなど自殺行為だ。故に彼女は最初から、どうにかしてこの崖下へとヒビキを落としたかったのだ。


「嗤わせるな。有利な地形なら、僕を倒すのは困難じゃないって? ああ、ムカつくけど認めてやるよ」


 この状況、不利なのはヒビキだ。先ほどまでのやり取りで、癪ではあるが認めている。生物としてはヒビキが上でも、戦闘者としては朧の方が数段上だと。

 彼女の見切りが、事実から大きく外れているとは思えない。となればこの状況を作り出した時点で、彼女の中には勝利への算段が出来ているのだろう。


「お前は確かに強いし、お前が見立てるんなら、確かにここだと僕が不利なんだろうさ。なら――」


「ならば、地形ごと破壊する、と? 確かにそうした選択が、貴方にはある。けれど、それは止めておいた方が良いと思うわよ」


 ならばその勝算の根底。それ自体を崩してやろう、とヒビキが口にする前に朧が先んじる。地形そのものを簡単に変えてしまえるヒビキに対し、それをさせぬための釘差しこそが彼女の告げる言の葉だった。


「まだ、産まれてから間もない貴方。力の加減が今までとは違っていて、まだ慣れていないのでしょう。こんな地下深くで地形を変える程に力を行使すれば、余計なものも壊してしまう。少なくとも、もう少し慣れるまでは、私に付き合っていた方が良い」


 悪竜王として真に産まれ直したことで、ヒビキの性能は不完全であった頃より格段に上がっている。だが、だからこそ、現時点においても彼は自分の限界値を掴めてはいない。手加減した心算で大地を叩いても、そのまま星の中心核まで爆発させてしまいかねないのだ。


 闘気と異なり瘴気では、物理法則を都合良く歪めて、被害を軽減させることは出来ない。元より負のエネルギー。人や物を傷付ける以外には向いていないのだ。

 魔王としての本能が、ある程度は自動で制限を掛けてくれる。だがそれも確実とは言い切れなくて、だからヒビキは本番前の前哨戦でその使い方を学ぶ心算で居たのだ。


「だって、まだ、なりふり構わなくなる程の、命の危険は感じてないでしょ?」


「ち――っ、言ってくれる」


 それを察して、まだ追い詰められてはいないだろうと女は笑う。後先を考えられる内から、思考を捨てて戦う心算かと挑発する。


 そんな朧の言葉に、舌打ちをしてヒビキは睨み返す。つくづく癪な話ではあるが、朧の言い分は実に尤もだ。敗北の可能性はまだ少ない。此処で後先考えずに暴れるのは、ある意味逃げとさえ言えるのだから。


「なら良いさ。もう暫く、付き合ってやる。お前のその、ちんけな力で僕を倒せるって言うならさ」


「あら、ちんけな力だなんて、酷い言い草。もう、女の秘密を暴いた心算?」


「分かるさ。あれだけ見せられたら、お前がどんな力を使っているかなんてさ」


 向き合って、動き出さずに相手の出方を見る。そう誘導されていると分かっていても、そうせざるを得ないヒビキは苛立ち紛れにそう告げる。


 お前の力は見抜いたぞ、と。敢えて見下すような口調で告げたのは、こうしてやり込められている現状に対する意趣返し。そうであるからこそ、言葉程には相手の力を見下してなどいない。


「望んだ時に、望んだ場所に、望んだ量だけ、望んだ質の糸を作る。それがお前の力でしょ」


 ヒビキが察した朧の異能。隠し持てるとは思えない程の量の糸を出せるのは、その時その場で都度都度生み出しているからであろう。

 そして生み出す糸の質も、糸を出現させる場所も、ある程度は任意に選べる筈だと。もしそうならば、こうして気付かぬ間に巣を張られたことにも得心がいく。


「あら、惜しい。少し違うわ。私の心威は、貴方が告げた物よりも、もっと小さくて、もっと浅いの」


 しかし、そんなヒビキの推察を朧は否定する。推察自体は極めて近いが、しかし真実からは僅かにズレて居る。正答率は、5割程度か。


「私の心威、洞にて糸繰る七人妖魔。これは望んだ質の糸を作れるし、望んだ量も生み出せる。けれど、貯蔵しておける量には限界があって、作れる場所も決まっているの」


 言って朧は、撫で回すような妖しい手付きで、己の肢体を弄り始める。両手で自身を抱き締めるように肘から肩へと撫でていき、胸元を抜けて脇腹に触れながら太腿へと。全身を愛撫した後に、その両手が辿り着いたのは下腹部。


「ここ」


 子宮の位置に触れながら、女は妖しく笑って告げる。それはある種、一つの狂気だ。


「私の体内、腹の中。作り出せるのは、その中だけ。主に子宮を使っているけど、他の臓器は勿論、骨や脂肪や筋肉の隙間や血管の中なんかにも幾つか仕込んでいるわ」


 女は体の中に糸を隠している。衣服の隙間にも当然、一定量は隠している。それでも、扱う糸の大半は常に体内にある。

 そう。彼女の心威は体内で糸を作るだけ。作り出した糸が本来通るべきではない穴を抜け出る痛みを軽減する機能はなく、取り出した糸を都合良く操る力だってない。


「私の心威は、体内に望んだ質の糸を作り出すだけの物。それを人体にある無数の穴。眼球、鼻孔、耳孔、口腔。女陰や肛門、或いは毛穴や汗腺と言った小さな穴から取り出して、操っているのは自前の技術ね」


 痛みに耐えているのは根性論で、糸を扱う技術は自前の物。指先を使った操糸術に、闘気の操作を混ぜ込んだ純然たる人の業。

 そんな優れた技術と逸脱した精神性が無ければ、使い熟すことなど出来やしない欠陥能力。それこそが、朧が有する七人妖魔だ。


「……何だってそんな、無駄に手間の掛かる真似を」


「そうね。確かに端から体外で糸を生成出来れば、もう少し使い勝手も良かったわ。けど、このやり方にも利点があるの。消費がとても軽いのよ」


 ヒビキが今までに見た心威は、ミュシャの天空王の瞳に、リアムの狼面狂者と炎王の片刃朱雀の三種類。

 六武衆の二人の能力は単純な物だが、それでも強力な物だった。ミュシャの瞳に至っては、複雑だが極めて凶悪な代物である。


 心威には、本来それだけの性能がある筈なのだ。なのに朧の心威は、三人の物と比べても遥かに弱い。

 敢えてそうしているのだろうと、気付いてヒビキは疑問を漏らす。対する答えは、やはり狂気に満ちた物だった。


「私はこの心威を得て12年。唯の一度も、この心威を解除したことがない。寝てる時も、ね。そうと言えば、どれだけ軽いか伝わるかしら?」


 女盛りの26歳。年齢の半分に迫る程の時間、朧は常時心威を発動し続けている。食事の時も眠る時も、入浴や排泄や情事の時だって、唯の一度もこの心威を解除したことがない。


 一生解除しなくて済むように。唯の一度も隙を作らないように。もう二度と、後悔なんてしないために。能力の規模を最低限にまで下げて、それを可能にした異能こそが洞にて糸繰る七人妖魔なのである。


「消耗の軽さは、それだけ隙を減らせると言う利に繋がる。そして、もう一つ。消耗が軽いからこそ、こういうことも出来るのよ」


 微笑みながら語られる、狂気的な事実を前に絶句する。そんなヒビキが硬直している隙に、静かに朧は語り出す。それは、そう、紛れもなく――


――外功想行・以って我は心威を示す――


「は? 心威の、詠唱?」


 心威を既に使っていると語った女が口にしたのは、神威法の使い手が心威の発動に必要とする詠唱に他ならなかった。


――さも美しき女の身には錦の羅、五色に織たる綾を纏い、いと嫋やかに、步み来る――


 洞にて糸繰る七人妖魔は、内功の想行に属する心威である。己の体内にて、糸と言う存在しない物質を作り出す。実にシンプルで分かりやすい、内功想行の心威であろう。

 だから、この今に朧が口にしている詠唱は七人妖魔のそれではない。外功の想行と言う、己の外に変革を求めた異能であるのだ。


――扨々、心づよき仰かな。我、御身を焦し事、母人、不便に覚し召し――


「まさか、お前」


 女の艶めかしい唇が紡ぐ鈴の音に、混乱していたヒビキが徐々に思考を取り戻す。冷静に成れば、その意図も察する。詰まりはそう、心威の切り替えである心威変性ではない。これは、その先の――


――愛しい人よ、どうかお願い。死なないで――


「心威を、二つ同時に使えるのかっ!?」


 心威併用。其は神威法における第三階梯。東が誇る最強集団である六武衆の中でも、第一席次の炎王を除けば朧にしか出来ない技巧。


 されど常軌を逸しているのは、恐らくは最初から朧は二種の心威の併用を想定して自身の心威を組み上げたのであろうと言う点。己ならば必ず至ると、卓越した判断力を女は有していたのである。


――されど我は修羅なれば、我が想いは悲恋に終わる。それが定めと言うならば、せめて共に果てましょう――


「ちっ、させるかっ!」


 心威一つでも厄介なのに、二つ目など使わせるものかと。動き出したヒビキはしかし、やはり初動が遅い。

 あと一秒、あと僅かでも早ければ。だが艶めかしい唇が言葉を発した瞬間に、ヒビキの拳は間に合わない。


 跳躍し、拳を振り抜かんとした少年の眼前で、その異能が行使される。


――心威・解放――


「浄蓮に沈めや――絡新婦(ジョロウグモ)


 その直後、ヒビキの拳が女の体に触れる。瞬間、血肉が弾けて拳が沈んだ。瞠目するヒビキの腕に伝わるのは、明らかに異様としか言えない感触。内から弾けた体で笑う女は、少年に対して告げる。


「惜しいと伝えた理由を教えてあげる。常時発動している七人妖魔の方だと出来ないけれど、こちらを併用すれば概ね貴方の言った通りのことが出来るようになる」


 何が、とヒビキが察するより前に言葉が届く。胴の半ばから両断された朧の体が、無数の糸で繋がっている。それは、詰まり――


「自分の体を、糸に!?」


「いいえ、違うわ。私の心威は、既にある物質を変えられるようなものではない」


 体を糸に変えたのだ、と。そんなヒビキの推測に、朧は笑って首を振る。上下に分断された体を己の糸で縫合しながら、女が告げるは更なる狂気。


「唯単に、貴方に触れられる前にお腹の糸を使って、自分の体を中から吹き飛ばしただけ。その後で、胴体部分に人体と同じ機能を持つ糸を作って縫い合わせたの。簡単でしょ?」


 あの直前まで、女の体は血肉の通った本物だった。だが、心威の発動は間に合っても、回避は間に合わないと察した女はその血肉を捨てた。


 自らの体を内から真っ二つに引き裂いて、失った血肉の代替として糸を用いた。筋繊維や臓器の機能を行える性質を持ちながらも、糸の性質を失っていない物を生成。それを己の腹と入れ替えたのだ。正に狂気としか言えまい。


「望んだ時に、望んだ場所で、望んだ質で、望んだ量の糸を生み出す能力。望んだ質とは、人体の代替にも出来る程に多様な物」


「そう。それが二つの心威を同時に発動した時の、この私に出来ること。最初に貴方が予想した内容そのものね」


 異能で同じ物を作れるからと、自らの体をあっさりと捨て去る。その性質こそが、単純な二つの心威を凶悪な物に変えている。


 それこそ必要に迫られれば、朧は脳髄や心臓だって糸製の物にあっさりと作り変えるだろう。今までそれをしていなかった理由は、十三使徒の処刑人のような異能殺しを警戒していたが故に過ぎないのだ。


「これぞ神威法は第三階梯、心威併用。私の心威は二つとも軽いから、この状態でも数十年は維持してみせる。時間切れは存在しないわ」


 なるべくならば、朧も体の切り捨ては行わない筈である。今の胴の切断も、修羅の生命力と闘気による再生能力を合わせれば、その内治ると断じたからこそ行った自傷行為であろう。


 それでも、必要に迫られれば女は自身の肉体全てを容易く糸に変えるだろう。そしてそうなった時に、果たしてヒビキに女を殺し切ることが出来るのか。


「――っ! 僕が言うこと、でもないかもだけどさ。言わせて貰うよ、化け物め!」


「うふふ。人間擬きなのはお互い様。さあ、化け物同士。どちらが先に果てるのか、或いは共に果てるのか。その結末に辿り着くまで、共に愛し愛されましょう」


 東国六武衆第二席の朧。恐らくは東から来た六人の中で、最も悍ましく狂っている女。巣から地に落ちた妖魔は瞳孔の開き切った瞳でヒビキを見詰めて、無数の糸を操り嗤った。






【六武衆の皆に聞いてみました。貴方は彼・彼女をどう思いますか? ~by二席編~】

第一席「古い馴染みだ。こんな男に付き合ってくれる大恩ある友であり、己では救えん女だよ」

第三席「素晴らしい才能! 素晴らしい壊れ方! ナイス修羅! 99点!」

第四席「同族嫌悪。嫌うべきやないと分かっとっても、どうしても好きにはなれんね」

第五席「ムカつくことも多いが、見習うべき面も多い大切な仲間。けどいずれ、その席次は俺が貰うぜ」

第六席「陛下に近いのがムカつく。それを見せつけてくるのも腹立つ。いつか殺す」

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