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Re, DS  作者: SIOYAKI
第一章 後悔先に立たず
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第6話

幕間後編。


 森が揺れる。まるで小さき獣が震え慄くかの如く、木々が騒めき揺れていた。その中心、嵐を思わせる激しさに反して、何処までも静かに獣骨の魔人は呪を紡ぐ。


【降り注ぐ悪意。湧き上がる病毒。無形なる大地の浸食。有形なる天空の凌辱。溢れ包め何処までも。穢し染めろ何時までも。溶かし、犯し、腐らせ、呪え。展開(enchant)――――呪い侵す(Deadly )酸雨毒霧(acid fog)!】


 紡がれた音の葉は七節。生命の構造を無視した魔人が為すは、これまた世の道理を無視したもの。七小節魔術と言う、現代においては使える者すら片手に足りぬ大魔術。


 魔術は元来、五小節で一流、六小節で超一流と称される。七小節ともなれば本来個人で扱えるものではなく、一流以上の術者たちが複数人で同時に行使する儀式魔術の一種である。


「な、七小節魔術!? そ、そんなっ!? 聖王国にも、そんな魔術を個人で使える奴なんていないのにっ!!」


 目隠れ魔術師が動揺するのも当然のこと。三人組が硬直するのも妥当な所。これで疲弊の素振りも見せれば妥当だが、白き貌には何の変化も見られない。対して周囲に起こる変化は明白。――雨が、降り出したのだ。 


「撤退だ! お前たちは先に行け!」


 水滴が一つ、落ちてきた瞬間にコルテスが叫ぶ。弾かれるように動き出す三人組の鈍さに舌打ちしたくなる気持ちに耐えながら、コルテスは懐より無数の石を取り出し投げ付ける。


 向けた先は空ではなく大地。異変は降り出した雨だけではなく、音もなくどこからともなく溢れ出すは毒々しい色の霧。霧に触れた木々が急速に枯れ落ちて、耐え難い悪臭を発していた。


 霧に向けて投げられた石が、触れた瞬間に弾けて割れる。目を覆うばかりの強い光を放ち、半透明の壁を作り出す。星の息吹を宿した精霊石と呼ばれる宝石は、確かに腐敗の毒霧を一端は退けた。


 されど質も量も足りていない。障壁が煌めいていたのは一瞬だけ、数瞬後には既に色褪せ消え始めている。もって数秒から十数秒。更に言えば、防げているのは一面だけ。上から落ちる雫は、全くもって防げていない。


「ぐぅっ、これっ!」


「痛ってぇぇぇっ!? 何だよ、この雨は!?」


「呪い侵す酸雨毒霧。半径10キロの範囲内に一昼夜強酸の雨と腐敗の霧を発生させる、戦略級と言われる第七小節魔術! 彼の狂乱王の時代には、西方侵攻や南伐で何度も使われ幾つもの都市を壊滅させたと言う! まさかこの目で見られるなんて!?」


『テメェは何、溶けながら解説してんだ!? さっさと逃げねぇとマジで死ぬぞこれ!!』


 一滴でも触れたなら、皮膚を溶かして肉を抉る雨。最初はにわか雨程度だったのが、少しずつ勢いを増していき、今では視界も怪しい程の豪雨へと。


 煌めく障壁を染め切って、溢れ出した毒の霧。触れれば最後、肉は腐って枯れ落ち骨となる。阿鼻叫喚の地獄を産み出す、死毒に満ちた霧は今も広がり続けている。


 これが一昼夜も続くのならば、正に地獄絵図と言うべき光景を生み出すだろう。嘗ての伝承が残る都市群は、侵攻側である王国兵が嘔吐し恐怖する有様だったと伝わっている。


 ウルソンとゾラに両手を引かれて、引き摺られながらそんな解説を続けているバルナベ。彼の言葉を片耳に入れながら、手持ちの精霊石を投げ続けているコルテスは内心で魔人の危険度を跳ね上げる。何故ならアレは、まだ遊んでいる。


【呵々、呵々々! もう死ぬか? 今死ぬか? 牽制程度でこの様とは、口ほどにもないとはこのことよのう】


 顔色の分からぬ白面が、しかし楽しそうだと伝わるように骨を鳴らしている。中空に佇むその怪物は、雨に隠れて捉えられない。そんな中でコルテスは、空に向かって石を投げる。


 雫に触れて光輝く障壁は、傘となって頭上に広がる。されど罠師が懸念していた通り、豪雨に耐えられたのは秒にも満たぬ時。毒霧に対するそれより短く、瞬きした後には傘は壊れて消えてしまう。だが、求めたのはその一瞬。


「ゾラ、2歩前! バルナべ、3歩右! ウルソン、12歩後ろだ!」


 雨を遮った理由は二つ。味方の位置を確認して、己の指示を届かせるため。豪雨の中では真面に機能しない目と耳を、光の加護によって押し通したのだ。


 言われるがままに、三人組の内二人は従い動く。バルナベだけは押し込められるような形で定位置へ。彼らがその場に立った瞬間、その足元が光輝き円を描いた。


「こ、こいつは!?」


「……転送用の、魔術陣。いつの間に」


「って旦那ぁっ!? 何で俺だけこんな遠かったんっすかぁ!?」


 大地に刻まれた印から、発動するのは長距離移動の転送魔術。用心深い罠師が事前に仕込んでいた逃走手段の一つが、息も絶え絶えなトゥリコロールの面々を包み転送する。


 逃れる場所は、北方大陸唯一の都市。欲を言えば直ぐに雷将辺りを応援に寄越して欲しい所だが、下手な増援を呼ばれても負担が増えるだけ。足手纏いが減るだけでも十分だと割り切り、己を鼓舞する為に笑う。


「油断し過ぎさ、ご老人」


【成程、のう。罠師の早仕掛け、だったか。流石はAランクと、褒めてやるべきかのう。自身は転移せぬ事も含めて、良い判断じゃ】


「ははっ、光栄と言いたい所だけどな。……流石にアンタ程の魔術師相手に、無防備に魔道具を使ったら不味いって事くらい分かるさ」


【然り然り。お前も逃げ出すようならば、転移先の情報程度は改竄してやっていたとも。空の果てと、海の底。お主らの好きな場所へな】


 コルテスの挑発に、鷹揚に笑い返す死人。躁鬱を思わせるような気性の波に、コルテスは算段を立てながら大地を蹴る。踏み抜く場所は、記憶を頼りに。


 彼の足が地面を打つ度、その半歩後ろの地面が爆発する。それは罠師の仕込みの一つ。精霊石と共に地面に仕込んだ、低威力の地雷である。


 地雷が破裂する度に、雨や霧を風が吹き飛ばす。同時に輝く光が一瞬であろうと魔術の力を中和して、それが複数重なることで僅かな安全地帯を作り上げる。


 いつの間に、どれ程の罠を仕掛けたのか。誰の目にも止まらぬ程に、一瞬で為すは早仕掛け。故に彼の異名は罠師と言う。無数の仕込みを武器に戦う、極めて特異な戦闘者なのだ。


「6番、9番、32番」


 言葉と共に、三方向で起きる爆発。溢れる光は、身を守る意図で紡いだものに非ず。守護するべき相手が減った今、攻め手に回る余裕もあった。


 故に光は刃の形状となって死人に迫り、しかし雨に減衰した刃では魔人の周囲を覆う瘴気の守りを貫けない。黒き炎の如くに瘴気が溢れ、精霊の力を消してしまう。


 されど微弱ではあれ、波打つように瘴気の守りは揺れた。その僅かこそが罠師の狙いで、拓いた隙間に向けて投げる短剣こそが彼の一手。


 衣納より取り出した手に握るは、三つの短剣。その刀身は鉄ではなく、魔を浄化する精霊石を削ったもの。中でも特に純度が高く、一つ作るだけでも金貨が数枚は飛んでいくもの。


 大赤字だと内心で頭を抱えながら、放たれた退魔の投剣。魔物である死人には、確かに効果的であろう。その身に突き立てる事が出来たのならば。


【ふむ、成る程――】


 死人の王は浮遊しながら、僅かに後退する。それだけで十分と刃を躱して、故に大量の光に包まれた。そう。投擲した刃ですら、牽制の一打。躱した先にこそ、空に舞う機雷のような仕込みがある。


 更にそれだけではなくて、外れた刃が刺さった先にも異なる仕込みが。仕掛けられた魔法陣を通り抜け、刃が反転して戻って来るのだ。これが罠師の本領。複数の布石で相手を罠に嵌める、そうした戦い方こそこの男の強み。


 罠師の早仕掛け。それは用意周到なコルテスが事前に仕掛けた罠の事であり、また彼が有する特殊なスキルの事でもある。


 何時でも何処でも罠を仕掛けられる。そんな便利なスキルと事前準備の合わせ技こそが、無尽と思える罠地獄を作り出すのだ。


 されど――


【お主には、地力が足りんようだ】


 短剣が確かに刺さったならば、瘴気の壁すら貫けよう。精霊石の機雷であっても、これだけの量が至近で爆発すれば瘴気の壁を削り五感を惑わす役を果たそう。


 だが、どちらも致命にまでは届かない。否、届くまでに時間が掛かる。短剣も機雷も、一瞬瘴気に阻まれる。そんな一瞬さえあれば、死人の賢者にとっては十分過ぎた。


「無詠唱で、転移、か。こいつは、厄介だな」


 刃が己の身を貫く前に、空間を転移し別の場所へ。故に背後の上空に浮かび見下す死人は、この今に至っても全くの無傷。使った魔術も二つだけ。


 対して雨の中で見上げるコルテスの体は、四肢が腐り、顔の皮膚が溶け始めている。如何なる守りか、被害は軽い。されど明確に消耗していて、手札も大きく消費している。


【哀れじゃのう。お主、才能がないと言われないか?】


「……自覚はあるさ。A級の中じゃ最弱だろうね、俺はさ」


 腐った大地に片膝を付いて、焼け爛れた瞳で敵を見詰める。そうして荒い息を繰り返すコルテスに、余裕綽々と言った体で白骨の魔物は見下し告げる。


 言われたコルテスは自嘲交じりの笑いを返し、それでも何処か不適な態度を崩さない。地力の不足など、才能の不足など、彼自身が一番良く分かっている。悩み惑い苛立つ程に、今の彼は若くない。


「弱いから、罠に頼る。手札が尽きれば、何も出来ない。コルテス・イルデフォンソは、そんな程度の男だよ」


 闘王(カンペオン)のように圧倒的な身体能力はなく、義人(コンデナドール)のような目を見張る程の技量も有してはいない。


 万能を絵に描いたような美麗(ペルフェクシオン)とは比べるべくもなく、他のA級の下位互換にしかならない罠師(マエストロ)。そんな彼に出来るのは、罠を仕掛けて敵を嵌める事だけだから。


「けど、仕掛けはこれで全部じゃないさ」


 出来る事を、やるだけなのだ。


【ほう】


 関心の声を漏らした死人の眼前で、再び罠師は走り出す。先と同じ行動で、しかし先とは明確に違う結果が一つ。


 足元で爆発が起こらない。酸の雨に濡れ、腐敗の霧を受け、その身を壊しながらに走っている。まるで死に際に、諦めて特攻するかの如く。


 その意図は――


【成る程、人形か】


「……これもばれる、か」


 宙に跳び上がった死に体の男が、魔人が操る黒い影に縫い留められて硬直する。直後に自嘲しながら、光を発して爆発した。


 その爆発に巻き込まれながらも傷一つ付かぬ死人は、感心するように一つ頷く。無傷でやり過ごした彼からしても、何時入れ替わったのか分からなかったのだ。


【それで、さて、どれが本体じゃろうかのう】


「こっちも気付くか、本当にやりにくい」


 死人は空の眼孔に輝く、赤き光を森の木々へと向ける。霧が囲んだ向こう側、雨のまだ弱い場所に彼らは居た。


 罠師と同じ顔をした、人形が目算だけでも12体。これまでの手際を考えるならば、更に隠れていてもおかしくはなかった。


 生き人形。そう呼ばれる魔道具は、コルテスにとって切り札の一つ。己の背格好だけではなく、能力までもある程度模倣する貴重品だ。


 何処からともなく道具を取り出し、望んだ場所に設置出来る。早仕掛けと言うコルテス特有のスキルと合わせれば、その使い道は多岐に渡ろう。だが――


【探すのは面倒じゃ。お主に過ぎた玩具故、取り上げるとしようかのう】


 パチン、と指を鳴らす。それだけで膨大な魔力が溢れ出し、波が過ぎ去る後には動かなくなった人形の群れ。


 そうとも、どれ程の性能を有していようが、所詮は魔道具。魔術によって作られた道具である以上、この死人に操れぬ道理はない。


「相性、最悪だ。制御権を、横から奪われるなんて」


【くっくっく、これでも伊達に賢者と呼ばれた訳ではない。お主のような、浅い底など見えておるよ】


 動かなくなった自分と同じ顔の人形たち。倒れていたそれがゆっくりと起き上がる光景に、短距離転移で距離を取っていたコルテス本体は頭を抱える。


 制御権を奪われた自分と同じ身体能力を有した人形。それが襲って来ると言う事実は、敵の手数が増えた以上の脅威である。何せ使い捨てではない魔道具が、役に立たないと証明されてしまったのだから。


「しかし、賢者ね。二十年前に世界を救った勇者様のお仲間が、草臥れた賢者とか言われていた魔術師だったと記憶してるけど」


【吹かしと笑い飛ばすかのう?】


「いいや、世も末だと嘆くだけさ」


 降り頻る雨の中、同じ顔が拳を合わせる。振るわれる正拳突きを、片腕を回して受け流す。迫る鋭い回し蹴りを、膝を屈めて体勢を崩すことで回避する。


 躱して守って退く一人は、本体であるコルテス本人。雨に溶けながら攻め続けるのは、同じ顔をした12の影。楽し気に見下す賢者が手を出さないことが、せめての救いと言うべきか。


【懐かしい。今でも思い出すよ。あの日々は、輝いていた】


 聖剣の担い手、異界の勇者キョウ。彼には旅を共にした、三人の仲間が居たと言われている。内の一人を除いた二人は、今も多くの人々から称えられている。


 騎士達の長。聖王国の国軍が誇る三将軍が一人、雷将クリストフ・フュジ・イベール。

 聖教の乙女。天見(ホシミ)の塔にて今も祈り続けているは、聖女アリエル・ミィシェーレ=リュミエール。


 そして、最後の一人。草臥れた賢者とだけ伝わる老人は、魔王討伐を最後に歴史の表舞台から姿を消した。賢者ジャコブ・ファミーユと言うその名が、記録に残っているだけである。


「政争に敗れ北の地に封地させられた今も、軍部と市井では絶大な支持を持つ雷将クリストフ。俗世を離れ信仰の道を生きていても、民衆からの人気は根強い聖女アリエル。……対して亜人の賢者は、その後を語られてはいない」


【奪われたのよ。失ったのじゃよ。亜人の英雄など、貴様ら人間にとっては都合の悪い生き物故になぁ】


 もう汗なのか雨なのか、分からぬ程に濡れて溶けた姿を晒す。吐く息は荒く、敵の数は減らせていない。疲弊を隠せぬ有様で、それでも会話に付き合うのは彼の性分なのか。


 中央大陸は、差別が根強い。特に国教たる聖教は、亜人を穢れた存在だと定義している。亜人の殺害ですら一部では浄化と言われ、罪に問われないどころか賞賛されることも多くあるのだ。


 20年前は、まだマシだった。しかし魔王の撃退後、亜人への風当たりは更に強く大きくなっていった。結果、誰かが言ったのだ。勇者の仲間に、獣の賢者は相応しくないと。救世の賢者は、その存在さえも否定された。


「そして恨みで、化外へと堕落したと。全く、本当に世も末だ」


【常に敵を作り、常に他者を蹴落とし、常に己こそが正しいと妄信する。彼の魔王ですら、人が生み出した悪性だ。人が根絶出来ぬ悪性。いいや、人間の本性こそが悪性なのだ。故に根絶出来ぬ。人ある限り、人が滅びぬ限り……ならば、そんな不完全な種は、滅んでしまった方が良いと思わんか?】


 死人の言葉を、コルテスは否定出来ない。末路の分からぬ賢者の存在を、死人が騙ったとは思えなかったから。人に裏切られた英雄が、魔物に堕ちても納得しか出来なかったから。


【故に先ずは、貴様から此処で死ぬが良い】


「……哀れには思うけど、それは出来ない相談さ」


 賢者の語りに付き合いながら、逃げ回るコルテスは勝機を探る。諦めない。諦めてはいない。手札の全てが尽きるまでには、まだ幾ばくかの余裕がある。


「7番、4番、1番」


 言葉と共に大地が爆ぜて、精霊の光が周囲に溢れる。一瞬後には消える光は、されど人形の魔道具に影響を与えて動きを乱す。


 その直後に駆け出して、向かうは浮かぶ賢者の足元。懐にしまった右手で取り出したのは、透明な糸を出す魔道具。糸を使って引き寄せたのは、先に止められ大地に落ちた短剣の一本。


 剣を回収すると同時に、制御権を奪われる前に糸の魔道具を収納。逆手に握った剣を右手に、コルテスは死力を尽くして加速した。


「11番、12番、13番、14番、15番、以降順次連続解放!」


 加速したコルテスの足元で、地雷が弾けて爆発する。肉体が傷付かぬ程度の爆風に、浮かび上がった男の体を更に続く爆発が加速させていく。


 手持ちを全て使い切っても良い。そう覚悟したと思わせる攻勢を前にして、賢者は余裕を崩さない。舐め切った態度で、嘲弄する為に指を鳴らす。


 瞬間、コルテスとジャコブの間に現れるのは無数の生き人形。お前の手札が、お前の切り札を台無しにするのだと。燃えるような赤い瞳が、爛々と輝き語っていて――


「Qué bien! 賭けだったが、最高だぜアンタ! 舐め切ってくれてありがとよ!!」


【なっ!?】


 不死者の眼前に現れた人形が、急激に膨張し破裂する。賢者の魔力で止められないのは、その爆発が精霊の力に由来するものであるから。


 一体誰が考えようか。魔道具に精霊石を仕込むなど。精霊と魔術の力は反発するのだ。そんなことをすれば、魔道具の性能が大きく落ちる。場合によっては、動かなくもなるだろう。


 早仕掛けで今仕込んだ、と言う可能性はない。早仕掛けは自分の所有物と触れている周囲を対象としたスキル。あくまでも仕掛ける手間を省くというもの。既に所有権を奪われた人形に、後出しで仕掛けることは出来ない。


 そう、ならば、コルテスは最初から魔道具に仕込んでいたのだ。もしも制御を奪われた際、最後の最後に扱う切り札として。そして其処に仕込んでいた精霊石の総量は、コルテスが保有していた総量と同等量。


【ぐ、ぬぉぉぉぉぉぉぉぉっ!】


 起爆する。瘴気の壁も吹き飛ばす程の大出力が、賢者の至近距離で爆発する。転移魔術も直ぐには使えない。何せたった今、転移を使ったばかりである。数秒程度、インターバルが必要だ。


 故に、被害は防げない。迫る光に身を焼かれながら、それでも対処の術を構築し始めたのは流石であろうか。障壁を抜かれて影を消されて光を浴びて、痛みの中で対抗魔術を展開。光を搔き消しながら、そこで賢者は気が付いた。


 当たり所が、悪かった。コルテスが狙ったのは頭部。故に最初に傷付いたのは、豪奢なローブに似合わぬ粗雑なフード。獣の毛で編まれたそれが、衝撃を受けて解けていた。


【お、おぉ】


 不死者の身体に、然したる傷はない。豪奢なローブは、少し焦げた程度で済んでいる。頭部もまた、多少の焼け跡こそ残ったが、致命傷には程遠い。コルテスの切り札など、その程度。


 だが、それでも大きな傷は残った。不死者の体に比すれば当然脆く、豪奢なローブに比べても遥かに弱い。小さな子ども達が手作業で作った、継ぎ接ぎだらけのフード。糸が解れて、ばらけたそれが、光に飲まれてしまったのだ。


――お父さん、これ、誕生日プレゼント。皆で作ったの。


 草臥れた賢者は、疲れ切っていた。明晰王と謡われた王の下、様々な知識を学んだ若き日々。手にした力も得た知識も、王の崩御と共に使う場を失った。掌を返すように強くなった亜人差別で、宮中での居場所を失ったのだ。心折れぬ筈がない。


――ゴミ捨て場にあった本で、頑張って作り方勉強したんだ。


 それまでも裏切りはあった。一度や二度ではない掌返しに、彼は少しずつ摩耗していった。疲れて草臥れてしまったから、尊敬する王が居なくなったなら、国に拘る理由もなかった。人気のない場所へと隠棲し、穏やかに生きることを選んだ。


――材料は、見付からなかったから。皆の毛で、少しずつ編んだんだよ。


 そんな風に日々を無為に過ごしていた時、勇者と名乗る少年が現れた。騎士と聖女と共に現れた彼は、力と知恵を貸して欲しいと頭を下げてきた。何度となく拒絶して、しかし諦めの悪い彼に、何時しか気付けば助力していた。


――聞いて、聞いて、リアムったら、毛を抜く時に泣いてたんだよ。他の皆は、我慢してたのに。


 綺麗なものを見た。勇者との旅路の中で、美しいものを多く見た。穢れもあった。醜さもあった。けれど尊いと最後に結論付けられる、そんな夢のような日々だった。


――うっせぇ、俺は泣いてねぇよ。糞親父も笑ってんな!


 だから勇者と共に旅を終えた後、もう一度だけ頑張ってみようと思ったのだ。若き頃、尊敬した王が己を庇護してくれたように。同じことをしようと思った。


 様々な場所で身寄りのない子どもを拾って、己の長き生で学んだ知識を与えていく。この理不尽でいて、それでも美しい世界の中で、子ども達が少しでも良い明日を選べるように。


 優しい時間があったのだ。着る物も住む場所も食べる物さえ困る毎日だったけれど、それでも優しい時間が其処にはあった。


【おぉ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ】


――痛い、痛いよ。お父さん。


――熱い、苦しい、何で?


――暗いよ。寒いよ。お父さん、何処?


――………………


 亜人の英雄など、聖なる教えを信仰する者にとっては邪魔でしかなかった。そんな英雄が子を育てる事を、許さぬ者達が居た。


 だから孤児院は火に包まれた。審問官達の手で、子供達は生きたまま苦しめられて壊された。優しい時間を失って、多くの物を取り零した。


【おぉぉ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ】


――生きてて良かっただぁ! お前だけでも、だぁっ! 何であの時、来なかったっ! 何でアイツらに、復讐しねぇんだよ! 糞親父ぃぃぃっ!!


 唯一人、地獄の中で生き延びていた子が居た。その姿に安堵して、抱き締めて、もう諦めようと彼は思ってしまった。


 国は大きい。仇は強い。聖教に歯向かえば、十三使徒の筆頭が出て来るだろう。勇者の師であった彼に、古き友でもある彼に、賢者は勝てぬと知っていたから。


 諦めた賢者を罵倒して、たった一人の生き残りは何処かへと去ってしまった。一人残された男の手には、あの日に貰った不格好なフードしか残らなかった。それしか、もうなかったのだ。


【おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!】


 それさえも今、光の中に消え失せた。最早何も瞳に映らぬ死人は、唯只管に後悔しながら慟哭しながら憤怒する。


 何時だって、そう。生きていた頃も、死んでしまった後の今も、ずっとずっと後悔ばかり。死人の王はあの日より、何処にも行けてはいない。


【大地に満ちる醜き命よ。天空の檻に鎖されし愚物よ。百億の怨嗟を音に聴け。千億の憎悪を光と視よ。其れなるは、冥府の底より溢れし呪詛。呪われろ、呪われろ、呪われろ。悪意は天を染め、大地の生を許しはしない。世に蔓延れよ、死の病毒。世界全てを地獄へ堕とせ】


 歯をガチガチを嚙み合わせ、憤怒で骨を鳴らせながら、死人はその呪を紡いでいく。其は魔術の到達点。第十小節魔術と言う、本来人には許されない領域の力。


――其は、(The sin of)許されざる(Unaccept)罪である(able)――


 十の詠唱に続いて口を突く音は、彼が意図したものではない。瘴気を介して集合無意識に干渉するという魔術の性質が、結果として齎した音である。


 許されていない。許さないのは、集合無意識。人類全てが、それを使うなと悲鳴を上げているのだ。故に第十小節魔術は本来誰にも使用出来ぬ魔術であり、しかし極まった魔術師はそれさえ踏み越えてしまう。


 発動する魔術の名は、世界よ堕ちろ、(fallen)人類終焉(hell)の刻来たれり(doomsday)。その効果は、影響範囲内の全生物を強制的にアンデット系の魔物に変えてしまうというもの。正に許されない魔術である。


展開(enchant)――世界よ堕ちろ、人類終焉…………っ! 居ないっ! だとぉっ!?】


 その発動の間際、地獄の苦しみを与えてやろうと思った相手の顔を見ようとして気付く。既に罠師(マエストロ)コルテス・イルデフォンソの姿が見えないことに。


 賢者の頭脳が結論付ける。あの死力を賭した一撃ですら、罠師にとっては布石でしかなかったのだ。単独では勝てないと踏んでいた彼は、ただ逃げることだけを考えていた。故にあれは目晦ましでしかなく、思った以上の効果が得られた時点で撤退していたのである。


【おのれ、おのれおのれおのれおのれおのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! 許さん! 何処へ行こうと! この大陸全土を破滅さえようと! 貴様だけはぁぁぁぁぁっっっ!!】


 されど罠師の想定は、しかし甘いと言わざるを得ない。不死王の切り札たる大禁呪の影響範囲は、この北方大陸全土を覆い尽くしてしまえる。


 面と向かって戦うならば遅れを取ろうが、距離を取れば嘗ての仲間である雷将と謡われた聖騎士にだって防げない。故に破滅の時は、最早秒読みと言う段階。


 さあ、今直ぐ終わらせてやろう。そう怒りに逸る思考が荒ぶるが、同時に賢者と謡われた思考の鋭さを保つ部分が懸念を抱く。


 十中八九、諸共に堕とせば殺せよう。だが一や二の可能性として、この大陸から敵が逃げ出している可能性だってある筈だと。


 確実に殺さねば、最早我慢が効かぬのだ。故に敵の位置を捉える為に、大陸全土に感知の魔術を行使して――――故に死人は、己の忘れ形見に気付いてしまった。


【あ】


 己が拠点とする、シャーテリエの森が内側にて。自然体ながらも油断なく、周囲を警戒しながら身を休めている狼の亜人。何も為せなかった己に見切りを付けて、去ってしまった最後の我が子。


【ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ】


 その顔を見た瞬間、その存在に気付いた直後、頭の中であらゆる感情が氾濫する。生きていてくれたという歓喜。何故此処にいるという嘆き。無数の情に、しかし相手への怨嗟はない。


 怒りは唯、己の身へと。悍ましい姿に堕ちた己が身を、今も愛する子には見せたくはないと。両手で頭を抱えて地に蹲り、藻掻き始めた死人の王は唯思う。既に禁呪を、広範囲に使おうとする気はなかった。


【おぉ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉおぉぉおぉぉぉおぉぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉぉ】


 恐ろしい声で泣き喚く。もうどうして良いか分からぬ幼子のように、僅かに燃え残った毛糸の残骸をその手に掴んで。そうして長く嘆き苦しみ抜いた後、賢者の残骸は己が影の中へと消えた。






【現時点での登場人物の強さ】

ヒビキ:神話級(上位)

リアム:英雄級(中堅)

賢者(生前):英雄級(下位)

罠師:準英雄級

ミュシャ:F~E級冒険者と同じくらい


神話級>英雄級>準英雄級>B~F級

強さの順は大体上の通り。それぞれの階級は結構な差があるが、覆せない程ではない。


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