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Re, DS  作者: SIOYAKI
第四章 死して後已む
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第55話


 波の音を背に、二振りの刃が火花を散らす。互いに振るう刃はしかし、明確なまでに速さが違った。

 その差は単純な膂力故にではなく、初速の速さと振るう刃の正確さ故に。目に見えて分かってしまう程に、彼我の技量は違っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 肩で荒い息をして、流れる汗をそのままに、必死で刃を振るっている。既に疲労困憊な姿を晒しているクリスに対し、相対する男は全くの余裕。その表情に苛立ちが混ざることはあれど、焦りの色が混じることなど一切ない。


「やれやれ、辛うじては付いて来れている。故にすぐさま切り捨てるには値しませんが、さりとて評価するには物足りない。我が弟子ながら、実に実に見苦しい」


 年老いた白髪の男は、老いを一切感じさせない屈強な五体を用いて刃を振り下ろす。上段より断ち切る意志を込めた斬撃に、クリスは刃を軽く当てて身を捻り横に躱した。


 真面に受ければ、手にした剣ごと断ち切られる。受け流そうとしても、流し切れずに切り裂かれる。故に自ら遠ざかる以外に術はないが、さりとて唯逃げるだけでは動きを読まれて追撃で詰む。


 ならばこそ、一手挟んで相手の動きを一瞬だけでも止めねばならない。だがしかし、その一手ですら途方もない困難だ。

 武鋼が事前に用意している唯一の解法。それを僅かにでも外せば失敗し、クリスは即死に至るのだから。


「分かりますか、この剣撃。あの頃の貴方なら、命を賭ける必要もなく躱せる程度の物ですよ」


「……回避に徹すれば、と言う前提を抜かないでくださいよ」


「それも考慮の上で、です。二十年前の貴方が、守勢に徹すれば問題なく躱せたであろう程度の剣撃。それを前に今の貴方は、命を賭けねば生き残れずにいる。進歩はなく、現状維持ですらなく、劣化でしかない。……分かりますかね、それを見せられ続ける私の感情が」


 剣戟は続く。まるで舞を踊るかの如くに優雅に、されどその胸中は優雅とは程遠い荒々しさに満ちて。一太刀ごとに鋭さを増していく刃を前に、息を吐くのもやっとな有様。そんなクリスに向けて武鋼は、吐き捨てるように刃を振るった。


「時間を無駄にした。その事実を突き付けられるのです。これでどうして、温情など与えられようか。私が貴方の立場なら、己の無様さを恥じて早々に己の腹を切っている」


 流して躱し、しかしその剣圧だけで体勢を崩して地に転がる。倒れたままでは切られて死ぬと、転がる勢いに身を任せて距離を取ると片手地を押し跳ね上がるように立ち上がる。


 起き上がったクリスの眼前を冷たい刃が通り過ぎ、あと一秒でも遅ければと背筋が凍る。されど怖じ気付いている時間の余裕などはなく、更に数歩と背後に引いて如何にか距離を作った。


「生憎、死にたくとも、まだ生きていたいと、そう思える理由も少しだけ、ありましてね。それに簡単に諦められる程に殊勝な性格なら、あの旅路の中でとっくに命を落としていましたよ」


「成程、然り。あの頃の君達は、生きることに必死でしたね。私と言う勝てない相手を前に、生き延び逃げ延び限界を超えて、それでも勝てぬならと言葉巧みに丸め込み、ええ、そうした必死さと機転こそが、貴方達の有する最大の武器だった」


 背筋を冷たくする感覚。一寸の隙が死に繋がる状況に、クリスの脳裏に二つの想いが過ぎる。


 一つは今を生きる理由。まだ未熟なあの少女が、幸せになる姿を見届けたくて。漸くに前を向けそうなあの子の、未来を心の底から寿いでいて。

 そんな抱いた想いが今と明日に繋がる物なら、もう一つは過ぎ去った昨日にあったこと。


 勇者キョウに率いられ、聖女と賢者と共に旅した。その日々は困難の連続で、自身より強い相手なんて嫌と言う程に見てきたのだ。ならばどうして、簡単に諦めることが出来ようか。


 危機的な状況に、そんな少し場違いな懐かしさを抱いて、クリスは好戦的な笑みを浮かべる。その顔を見て、苛立ちに満ちていた武鋼の頬も僅か緩んだ。

 弱くても、無様でも、必死に食らい付いて最後には勝利する。その在り方こそが、嘗て老兵が認めた彼らの強さであったから。


「ならば、あの日のようにまた追い詰めるとしましょう。限界を超えた先を更に超えても、今の貴方では届かぬ程度の実力で」


(来る! 確実に、先より一段早くっ! 一段鋭い一撃がっ!)


 武鋼が刀を大上段に構える。みしりと音を感じるように、一瞬沈み込む老人の軸足。過去最高の一撃が来ると確信し、クリスは剣を手に構える。


 だが、その動きさえも遅かった。


「が――っ」


 それは単純に、早いと言う訳ではない。唯、至高の芸術を思わせる程に美しい斬撃であった。


 踏み込み、肩と腰の動き、腕の振り、剣が描く軌跡の弧さえも完全無欠。これ以上はないと、誰もが断言するであろう完璧な斬撃。

 意識の隙間を縫って打ち込まれた無拍子の剣閃は、斬られた後になってクリスに示す。その頂の、美麗さだけを。


(見え、なかった。振り下ろした、瞬間すら――)


「斬られた後まで、気付けないとは。本当に、君は20年を無駄にした」


 袈裟に斬られて、剣閃に魅せられて、斬られた事実を認識したのはその後だ。その時には既に肉体は自立する機能を失っていて、そのまま仰向けに倒れ込む。


 けほりと咳き込み、血が溢れた。クリスの体から流れた赤が、倉庫街を濡らして染める。


「残念ですよ、クリストフ・フュジ・イベール。結局君は、我が人生の汚点のまま、変われず此処で命を散らす」


 地に倒れ、それでも辛うじて息をしている。そんなクリスに向けて、ゆっくりと武鋼は歩を進める。汚点のままに終わった弟子の命を、此処で確実に摘み取る為に。


 一歩、二歩、三歩と。ゆっくり近付いたのはまだ僅かに期待があったから、故に近付く度にその表情は落胆の色に満ちていく。刃が届くその位置で、立ち上がれぬ男の姿に嘆息して、武鋼は剣を振り上げた。


「待て、武鋼」


 その振り上げた老人の腕を、背後より一人の男が掴む。まるで太陽を思わせる程の熱と圧を感じさせるその気配に、振り返りもせずに武鋼は応えた。


「……迦楼羅殿、ですか」


「己は言った筈だぞ。極力殺すな、と。修羅ではない実力者が減るのは、これからを思えば惜しい」


「これは私の汚点です。見るに堪えない。度し難い。多少時間を割いて鍛え直そうとはしましたが、やはり結論は変わりません。私は彼を許せない。今の彼は、私の武を汚している」


「その拘り、一握ではあるが理解は出来る。だが、今は退け」


 現れた炎王に腕を掴まれながら、しかし気にせず倒れたクリスに対する敵意を強める武鋼。

 その姿に嘆息し、炎王は腕に込めた力を増やす。それだけで振り下ろそうとしていた武鋼の腕は、微動だにすらしなくなった。


「己の言葉、聞けぬのか?」


「…………」


 掴む腕に、聞こえる言葉に、僅かな怒気が籠る。逆らうならば、と燃え上がる気配を前に武鋼は静かに嘆息する。深く、深く、腹の底の空気までも吐き出す嘆息。

 そうして肩を一つ竦めた武鋼を見て、炎王はそれで良いと言わんばかりに腕を離した。


「はぁ、仕方がありませんね。修羅にとっては、力こそが正義。即ち、東の正義は貴方だ。迦楼羅殿」


 刀の血糊を拭って鞘に納めながら、武鋼は修羅の道理を語る。修羅と言う生き物にとって、力の強弱こそが絶対の価値基準。そして故にこそ、修羅の王は炎王なのだ。

 単純な性能も、武芸に於ける技量も、その身に宿した異能の質も、全てが武鋼の上を行く。炎王とはそれ程の男だ。


 嘗て何も為せずに敗北した時に、どちらが上かは刻まれている。何れまた挑む心算はあるが、まだ勝てないと言う実感も、300年を掛けて届かぬ究極の武への憧憬も、武鋼の内には痛い程にあったのだから。


「で、ある以上。その決定に、否と唱える権利は私にはありません。好きにされるがよろしいでしょう」


 倒れたクリスを視界に入れることなく、立ち去っていく武鋼。その背が遠ざかるのを見送ることもなく、炎王は静かに倒れたクリスを見下ろす。意識はある。そしてこれならば、まだ命は助かる傷であろうと。


「終わりだな、雷将クリストフ。北は、もう終わる」


 クリスに向かって、炎王は告げる。それは勝利の宣言だ。炎王が率いる東国六武衆を前に、北方政府は今敗北したのだと。そんな言葉を受けて、クリスは歯を食い縛り顔を上げた。


「私、は……」


「死と言う罰を、求める目。時折、見る色だ。だが、生きようとする意志も感じる。矛盾を宿した深い色だな。悪くはない」


 立ち上がらねばならない。大量出血で意識は朦朧とし、王の放つ威圧に飲まれ体は震えている。それでも、背負う物があるからと。

 そうして足掻こうとして、しかしそれでも立ち上がることは出来ず、歯噛みし見上げることしか出来ていない。そんな男の瞳を見詰めて、王は小さく微笑し告げた。


「故、我が臣として従うが良い。いずれ、己は世界を獲る」


「まだ、負けた、訳、で、は……」


「無理はするな。答えは後に聞く。今はもう、休むが良い」


 そして、腕を一振り。唯、それだけでクリスの意識は刈り取られて闇の中へと落ちるのだった。




 斯くして、此処に決着だ。タイミングを計っていたかのように、コートフォールの砦に旗が昇る。東国の紀章が月に照らされ、風に踊る。

 故に、これは唯の敗残処理。立ち止まり、粋な臣下の行いに苦笑し、目を伏せていた炎王が静かに口を開く。


 先からずっと気付いていた、見ているだけの小娘へと。


「それで、貴様はこの幕引きに、一体何をしに来た。小娘」


 刮目し、視線を向ける。それだけで常人ならば呼吸すらままならなくなる程の圧が掛かる。直ぐにも平伏して命乞いをしたくなる程の恐怖に、少女の呼吸は荒くなる。


「あ、う」


 彼女が、アンジュがこの場に到着したのは、今ではない。辿り着いたのは、炎王と同じタイミングである。

 養父の窮地に駆け付けたは良いが、同時に現れた男の存在感に圧し潰されて身動きすら取れなくなっていたのだ。


 碧眼が揺れる。金糸の髪が揺れているのは、風が強いからではない。アンジュと言う名の少女の全身が、恐怖の念で怯え震えているからである。そんな少女に向けて、向き直った王はゆっくりと問いかけるように一歩を前に踏み出した。


「父を助けに来たと言うのなら、何故駆け寄らずに立ち止まる。己を討ちに来たと言うのなら、何故そうも怯え動かない。己が恐ろしいと言うのなら、どうして身を翻して逃げぬのだ」


「私、は……っ」


「何もせぬと言うのなら、何故にお前は其処に居る」


 王が一歩を踏み出す度に、アンジュは無意識の内に一歩を引いてしまう。


 一歩、一歩、また一歩。王の問い掛けに答えを返すことは一度も出来ぬまま、気付けば背後は荒れる海。後一歩でも引けば落ちると言う場所で、王はその足を止め少女の答えを待つ。


 アンジュは肩で息をする程に怯えながら、それでも雷の大剣をその手に握った。


「私はっ!」


「己に剣を向けるか。その迷い、鈍った意志で」


「――っ! はあああああああああああああああああっっっ!!」


 己に言い聞かせるように、己を叱咤するように、叫びを上げて切り掛かる。


 雷を纏った素早い斬撃を前にして、しかし王は動揺の一つも見せはしない。唯、一つ嘆息すると二本の指で振り下ろされた刃を掴んだ。


「な――っ!?」


 驚愕に、何かを思考する余裕もない。たった二本の指による白刃取り。唯それだけで、アンジュの全身は縫い付けられたかのように止められてしまう。腕を引いても押しても、掴まれた剣は微動だにすらしない。


 詰まらなそうに炎王は、掴んだその指を軽く回す。それだけでアンジュは剣を掴んで居られなくなって、雷招剣を奪われた。


「あ、くぅっ!」


 そしてその勢いのまま、地面に転がるように倒される。二転三転と地に転がって、潮の飛沫に濡れるアンジュ。金糸の少女が如何にか顔を上げた先で、奪った剣を投げ捨てた炎王は静かに告げる。


「足りぬ娘よ、抗うならば覚悟しろ。命ばかりは奪わんが、己は加減が苦手でな。躾と言うには手荒いぞ」


 零れそうになった悲鳴は音にもならず、ガタガタと嚙み合わぬ歯を震わせる。そんな少女へ、迫る王の手。少女は恐怖心に耐え切れず、その目を閉じて――故に、その手を払ったのは彼女ではない。


「アンジュ!」


 悪なる竜が腕を振るう。鋭い爪が生え、黒き鱗に覆われた凶悪な腕を勢い良く振り下ろす。手加減など一切ない、小さな山なら吹き飛ぶだけの瘴気が其処には籠っていた。


 だと言うのに、炎王の腕は僅かに揺れるだけ。自らぶつけたヒビキの腕の方が、腫れ上がって痛む程に彼の五体は堅牢だった。その事実に敵の強大さを認識しながら、竜は少女の体を人の腕で抱き上げる。


「ヒビキ、私……」


「ほう。貴様が」


 左の腕で横抱きにアンジュを抱え、臀部より生やした異形の尾で沿岸を強く叩く。反動で飛び上がった少年は、その勢いのままに炎王から距離を取る。あれは不味いと、その本能が訴え掛けていたが故に。


「ごめん、なさい」


「大丈、夫。大丈夫、だよ。守、る。僕が、守る、から」


 抱かれた少女が、目を伏せて詫びる。炎王から目を離すことへの恐怖から、一瞥さえ向けられぬままにヒビキはそれでも口にする。

 その言葉は、少女を安心させる為の物ではない。そうとでも口にしなければ、心が恐怖に飲まれてしまいそうだったのだ。


「アンジュに、皆に、これ以上、手を、出すなっ!!」


 抱えた少女を優しく地に下ろし、背後に庇うように立って告げる。これ以上は許さないぞ、と。震えながらも強い言葉を使う少年を前に、一瞬だけ笑った王はその闘気を開放した。


「怯え、震え、それでも、か。だが、守ると言う言葉。お前が思う程に、安くはないぞ」


「――っ!」


 爆発的に増す威圧感。そこで漸くに、その場の誰もが誤解していた事実に気付いた。


 常人ならば呼吸すら真面に出来なく程の威圧感。一般には一流の域に居るとされるアンジュ・イベールでも、剣を握って抗うことすら難しい程の圧力。

 それさえも、炎王にとっては常態ですらない。他者を気遣って、最低限に抑えていた結果だったという事実に。


「では、計るとしようか。悪竜王」


 それは目の前に、太陽が出現したと言う形容すら不足する感覚。無理矢理にでも例えるならば、既に太陽の表層で焼かれ続けている感覚が近いだろうか。それでも比喩にも足りていない。ヒビキが今に受ける恐怖の、一割だって表現出来ていないだろう。


 王を認識しただけでその双眸は光に潰され、近付くだけで血肉さえ残らず燃え尽きる程の濃密な熱量。

 常人ならば呼吸さえ難しい? いいや、否だ。闘気を開放した炎王を認識した瞬間に、一般人など即死する。それ程に、修羅の王とは格が違う存在なのだ。


「お前の言葉の軽重を、お前の心の在り様を、お前の芯が何処に在るかを」


 王が、敵意を向ける。それだけでも分かる。この怪物は、ヒビキが知る限りにおける最強だ。無造作に放つ気配だけでも、過去に類を見ない存在だと分からせて来る。

 それ程の怪物が、ヒビキに向かって闘志を燃やし始めている。少年の底を探らんと、王はその威を此処に示す。


 そうして夜空に浮かぶ月の下、ヒビキは震える体を抑えて相対する。向かい合うのは焔の王。その身が放つ圧だけで、本能が生を諦めるような怪物だ。

 構えも取らず、腕を組んだまま自然体で王は立つ。その姿から僅かたりとも視線を逸らすことが出来ない少年は、どう攻めるかと自問する。


 どう攻めても、己が倒れる未来しか見えなかった。


(どうする。どう攻めれば、良い)


 隙が無い。己よりも高みに位置する存在が、油断さえもしてくれない。その事実を前に体は震え、足は一歩を退きそうになる。


 されど退けない。退くわけにはいかない。背後に守るべき人が居て、守ると己に誓ったのだから。前に出るしかないのだ、今は――なのにどうして、己は一歩を踏み込めないのか。


「何だ、来ないのか?」


「――っ」


 初めての感覚に戸惑い動けぬヒビキに向かって、無言で出方を待っていた王が問う。彼の言葉に、ヒビキは何も返せない。


 先手は譲られている。力に差がある以上、下手でも仕掛けなければ状況は悪化していく一歩であろう。分かっている。分かっているのに、踏み出せない。


 大きい。素直にそう思った。見上げても果てさえ見えない壁が、目の前にあるかのような気分だ。勝てる気なんて、欠片すらも沸きはしなかった。


「来ぬのなら、己から行くぞ」


 闘気が更に湧き上がる。既に常人ならば圧だけで消し飛ぶ程の気配が、更に更にと膨れ上がる。

 まるで火山が噴火する直前の、噴火口を目の当たりにした瞬間。理性も本能も揃って逃げろと、警戒音を掻き鳴らしている。


 背後に庇う少女は、呼吸すら出来ず意識を朦朧とさせ始めている。そんな彼女に意識を配れない程に、威圧だけでヒビキの心は消耗している。

 故に彼は、その瞬間まで気付けなかった。王が動き出す、その直前に現れた男が声を掛けるまで。


「ま、待ってください。陛下!」


「リアムか」


 背後より現れた、顔に火傷痕がある亜人の男。その言葉を受けて、王は一歩を止めて一瞥だけを向ける。

 放つ圧は未だ変わらず、配下である彼ですら冷たい汗を搔いている程。それでも男は、その諫言を口にした。


「そいつは、唯のガキです。魔王ですけど、中身は小さなガキンチョです。ですからっ!」


「リアム」


 庇われているのだと、僅か緩んだ圧に理解したヒビキがその名を呟く。ほんの僅かな間だけ、旅路を共にした相手。そんな間柄だと言うのに彼は、自身が忠節を捧げる相手に対しても言葉を尽くしてくれている。


 何故であろうか、ヒビキは少しだけ泣きたくなった。


「ガキを潰すのは、(アナタ)の覇道に相応しくない! そいつはまだ、どうしようもない悪党って訳じゃないんだ! 今は捨て置いても良いでしょうっ!」


 王を止めるため、口にしているリアム自身苦しい言葉だとは分かっている。中身が子どもであれ、救いようのない悪党ではないとは言え、ヒビキは五大魔王の一角だ。人を滅ぼさんとする脅威の最たる者なのだ。


 天下を治めんと狙うのは、世に泰平を齎すために。人の側に立つ炎王からすれば、ヒビキは討ち取らねばならぬ存在だ。大儀は王の側にあり、臣下の言葉は楽観論。それで今を見逃して、やらかしたならば責任など取れはしまい。


 少なくとも一度、ヒビキ達はやらかしている。邪教の魔女に唆された結果とは言え、彼は土の精霊王に重大な被害を与え魔王の封印を揺るがせた。多くの命を、危機に晒したのだ。子どものすること、で見過ごして良い話ではない。


 故に正当なのは、このまま拳で打ち砕きその悪性の全てを炎で焼いてしまうこと。だが覇道とは言え、幼子を犠牲にする道は正しいのかと問われれば王をして明言したくないのは事実。それに、何よりも――


「ふっ、何だ。情でも湧いたか?」


「そ、それは……」


「良い。責めてはおらん」


 誰かを大切に思った臣下の心を、踏み躙るのは王に相応しくはない行為であろう。故に炎王は僅か笑って、しかし直ぐに笑みを消す。


 その在り様は快く、そう在れれば素晴らしく、しかし世とは往々にして悪辣であるものだから。義務だけは、しかと果たさなければならぬのだ。


「だが、あれは人の敵だ。生物として、そう生まれた。ならば、見定めん訳にはいかん。己自身の目で、な」


「陛下」


「何、貴様の言が真であれば、悪いようにはせんよ。故、今は黙って見ているが良い」


 五大魔王を、そのまま放置していくことは出来ない。忠臣の言葉とは言え、確認もせずに許す訳にはいかない。犠牲は出てしまえば、取り戻すことなど何をしても出来ぬのだから。

 故に己の目で見定める。そして、その中身に相応しい裁きを下す。それは王の義務であると、他ならぬ炎王自身がそう定めている。


 最早これ以上の繰り言は無意味かと、察したリアムは歯噛みし沈黙した。


 不満はあれど、目は逸らすまいと見届ける立ち位置に居る臣下。場合によっては、彼がその身を挺することもあるやもしれない。そんな心の在り様を察して、それで良いと炎王は頷く。その在り様が、良いのだと。


「さて、悪竜王。もう一度だけ、聞いてやろう。来ないのか? ならば、己から行くことになるぞ」


 再び増え始める圧力。痛みとすら感じるそれに晒されて、ヒビキは此処に覚悟を決める。


 隙はない。相変わらず、油断してくれない。ならば正面から力尽くで、知恵なんて捨てて殴り掛かるしかない。

 元より力も技術も頭脳でさえも、ヒビキは劣っているのである。ならば考える思考なんて余分でしかないと、野生の獣が如くに駆け抜けるのだ。


「うぅぅぅぅああああああああああああああっっっ!!」


 本能に身を任せ、殴り掛かったヒビキの拳。加減など一切ない全力は、地面に当たればそれだけで地割れを引き起こし、そのまま星の中心核まで引き裂くような威力を宿していた。


 だが、それですら届かない。まるで落ちてきた葉を受け止めるような気軽さで、炎王はヒビキの拳を右の掌で止めていた。


「軽い」


「なっ」


「拳の軽重ではないぞ。貴様の拳に、籠った意志が軽いのだ」


「くっ」


 拳を受け止めた五体は揺らがず、衝撃の一部を逃がした足元の地面が僅かに割れただけ。星を砕く一撃をその程度で済ませた王は、それを軽いと断じてから振り払う。


 まるで夏場に蚊や羽虫を払うような気軽さで、振り払れたヒビキの体は凄まじい勢いで吹き飛ばされる。

 埠頭の大地を転がって、少ししてから両手で起き上がろうとする。そんなヒビキの眼前には、王の足下が既に映っていた。


「それに、鈍いな」


「が――っ」


「猿に劣る。怯えか、怯懦か、芯なき心が雑念となり、己の足を己で引いている。これでは本能に従うだけの獣にさえなれん」


 明らかに加減している、そうと分かる拳を咄嗟に避ける。だがその拳圧だけでヒビキの体は傷付いて、叩かれた地面が砕け散った破片と化して彼を襲った。


 再び吹き飛ばされて、地に転がる。砕けた破片にさして当たらずに済んだのは、拳圧で吹き飛ばされた距離の方が大きいから。

 故にヒビキが受けた痛み自体は、然程大した物ではない。現時点では、精霊王や邪教の幹部と戦った時の方が遥かに体は傷付いていた。


 だと、言うのに――


「それで、これがお前の全てか?」


 ゆっくりと迫る王の姿。それが今までの何よりも怖い。体は殆ど傷付いてはいないと言うのに、既に心はどうしようもない程に傷付いていたのである。


 だって、勝てる気がしない。抗うどころか逃げることさえ出来ないと思える程の、明確な差異が彼我にはある。

 どうして良いか分からない状況だから、どうしたら良いのかなんて分かる筈もないのだ。


「うぅぅぅ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 それでも、己の鼓舞も含めて、立ち上がって吠え立てる。負けるな、負けるな、心だけは負けるなと。既に折れかけているそれを、必死に取り繕って前に踏み込む。


 逃げたらもう、立ち上がれる気がしなかったから。


――心威・解放――


「清め払え――片刃朱雀」


 炎の翼が燃え上がる。火の鳥が羽搏きを思わせるのは、炎王の右手に現れた炎の剣。心威の詠唱など一切しないで、それを出した王は雑に振り上げる。


 燃え上がる焔の剣は一瞬で伸縮し、その切っ先は空の雲を蒸発させて月まで届くのではないかと言う程に。

 過程に在ったヒビキの体は、直接触れてはいないのに、半身が灰と化して崩れ落ちていた。


「あ、あ、あ……」


「再度、問おう。これで、全てか?」


 立ち上がれない。肉体は既に再生を始めているが、心や精神は再生出来ない。


 瞳を涙が揺らし始めて、歯はガチガチと噛み合わない。勝てない。この男には、何をしても勝てない。己の全てを費やしても、傷の一つも付けられないのだ。

 そう思うと、どうしようもなく辛くて怖くて、もう一度、立ち上がることすら出来なかったのだ。


「そうか……それが、そんなものが、お前か。残念だよ」


 崩れ落ちたヒビキは立ち上がれず、それを痛ましげに見守るリアムはこのまま失望されれば良いのだと己に言い聞かせ、炎王は止めを刺すことなく見下ろすだけ。


 東の武王と悪竜王の戦いは、戦いと言う体を為すことすらなく、終わりを迎えようとしていた。






炎王は幾ら盛っても良い。そう考えているSIOYAKIです。


【人類側強さランキングTOP10 ~一部、人に化けた人外も添えて~】

第一位:炎王

第二位:第七聖典ほも

第三位:空将ヨアヒム

第四位:朧

第五位:武鋼

第六位:第一聖典オスカー・ロードナイト

第七位:子龍

第八位:第十三聖典デュラン・カルリエ

第九位:リアム・ファミーユ

第十位:公方姫乃


※作中で子龍が言っていたように、武鋼と子龍の間には大差がある(もっと言えば、オスカーと武鋼にも差がある)ので、5位と6位の差は大きいが6~10位はそんなに差がない。相性差や時の運でひっくり返る程度。


※ランキング外のキャラだと、オードレ、カルヴィンは11位タイでギリ範囲外。雷将は全盛期なら6~7位と同程度だが、現時点ではフル装備でもオードレ以下。他の勇者パーティは個人戦力としてはそんなに強くないので、20位前後と思われる。因みに今のヒビキをランキングに入れるなら、上位の1と2には絶対に勝てないので、3位か4位の位置に収まる。

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― 新着の感想 ―
可愛そうのヒビキもまた可愛いね。 これから戦後処理?駄猫の胃薬が足りる?
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