第54話
炎王出陣。
不可視の斬撃が女の肉を切り裂く。苦悶の声を上げる姫乃を見下ろしながら、痛み止めの煙草を吹かす。そんなオードレが有する聖典の能力は、二つの形で現実に傷を刻む。
一つは今、彼女がしているように斬ったと言う結果だけを出力すると言う物。片手の指で挟んだ煙草を吸いながら、見下ろす女は剣を振るう素振りも見せていない。だと言うのに、敵は切れる。
剣を振り上げ、振り下ろす。その一撃を、最も弱い急所に当てる。そうした本来必要な過程を全て省いて、斬られたと言う結果だけを押し付けるのが彼女が有する聖典能力の一端だ。
「ふん。まだ折れないか」
絶対に当たる斬撃を、最も脆い場所に当てる。その凶悪さは言うまでもなく、素の実力ならば同格以上の相手がこうして抵抗一つ出来ずに追い詰められている。
だが、敵はまだ折れない。それはオードレの有する聖典の欠点である、と断じるのは些か話が異なるか。
狩り立てる牡牛の法則は、本人が持ち得る以上の火力を発揮出来ない。絶対に当たる斬撃の威力は、オードレ自身が実際に振った斬撃の威力と等価である。
それが限界とは言え、普通の人間は剣で斬られれば死ぬ。英雄と謳われる存在だろうと、油断していれば変わらない。
闘気や魔術と言った異能で強化されていない肉体は、研ぎ澄まされた同格が放つ異能で強化された一撃に耐えられるような物ではないのだ。
そしてオードレの聖典は、そうした強化されていない最も脆い部分に必ず当たる。故に唯の斬撃でも本来ならば十分過ぎる火力となり、だからそれを指して火力不足が欠点だと語るのは筋に合わない話と言えよう。
詰まりはそう、単純に相手が悪いのだ。
「修羅の特性。最早、悍ましいとすら思えるものだな」
心の臓を潰しても腸をぶちまけても死なず、どころか強化されて蘇ると言う東の修羅。古代文明が生み出した戦闘生命を相手にした時、鋼の剣ではその命を奪うには値しないと言うだけの話である。
「これ以上は、敵に塩を与えるだけか。このまま続けば、いずれ貴様は私の剣では傷付かぬ程にまで至るだろうよ」
瀕死になった瞬間、急激に強化されると言う体質。脳や心臓が機能を停止しても戦闘が終わるまでは生き続けると言う頑丈さ。常人ならば治癒不可能な傷すら闘気で治せると言う特性。
それらの要素が、修羅と言う存在を死に難くしている。戦闘生命として生み出された彼・彼女らは、極めて特異な例外なのだ。
そんな例外を相手にしている今だけは、第二聖典は火力不足となってしまっている。故にこうして粘られ続け、果てには逆転の目途まで見えてしまう。
素直にその事実を認めたオードレは、忌々しいと舌打ちを一つしてから咥えていた煙草を手放した。
「良いだろう。ここまで使わされるのは業腹だが、貴様を認め、見せてやる。我が切り札、十三使徒の秘奥、聖典の第二顕彰を」
大地に落ちた吸い殻は一瞬で凍り付き、オードレの足元で踏み潰されて砕け散る。その結末を見届けることもなく、オードレは右掌を己が心臓の位置へと押し当てる。
引き抜くように取り出したのは、水色に輝くその神々しい書物。それを宙へと放るように女が腕を翻した直後、書物が一人でに動き出す。
風もないのに頁が捲れ、一つ一つと落丁していく。それらが風に、土に、世界に溶けて法則全てを塗り替える。
常識外の敵に対しては、理外の法にて対処する。さあ、覚悟せよ。これより先は異界である。人の知る物理法則など、何一つ当てにならぬと知れ。
「第二顕彰――限りなき牡牛の――」
世界が変わる。その直前に――
「其処までにして貰おうか」
燃え盛る業火が、変わり始めた世界を焼いた。
「――っ! 敵の増援かっ!?」
水色に染まった空間が一瞬で切り裂かれ、同時に男の声が響く。咄嗟に声から距離を取り、そちらへ視線を向けるオードレ。鋭い視線を向けられた男は、全く動じず其処に居た。
炎のように赤い髪。鮮やかな赤色に輝く瞳。二メートルと言う筋肉質な巨体を包むのは、黒地の長袍に赤と白の陣羽織。男らしさを感じさせる強面は、しかし非常に整っており、或いは男性の理想像の一つとも言えるだろう。
「炎の王。話には聞いていたが、別格だな。これは」
男が纏う気配を感じて、女は静かに息を飲む。肌で感じる圧力は、オードレをして体が震え冷や汗が止まらぬ程。まるで太陽が目の前にあるかのようだと、錯覚する程の威圧感。
常人ならば視線を向けられるだけで、呼吸も出来ぬ程に消耗しよう。そしてその圧力さえも恐らくは、男にとっては常態であると言う事実。全くの自然体でこれ程の圧なのだ。戦地で殺意を向けられたのならば、精鋭の騎士ですらそれだけで命を落としかねない。
勝ち目がないと、素直に悟る。いいや、戦いと言う体にすらならない。せめてこの場に居る自陣営。その全てを搔き集めなければ、抗うことすら許されない。
そうと察したオードレは、震える体を意志で抑えつけながらに撤退の隙を探る。注意深く、用心深く、一時の隙さえも見逃す訳にはいかないと身に徹し――
「姫乃」
だと言うのに、その動きを認識することすら出来なかった。
視界に残像すら残すことなく、炎の王は倒れ伏した臣下の下へ辿り着いていたのだ。
(何と言う、速さだ! 一体如何なる能力なのか、それすら理解も出来んとはっ!)
自身と同じように時間を停止させたのか、コマ落ちで出現した巨漢の背を見据えて慄く。同じ類の類の能力かと自問しても、オードレはそれに解を出せない。
周囲に満ちたのは、単純な闘気のみである。ならば一体如何にして、と。その問いに答えは出ないのだ。
それも当然、オードレが想定したような答えなどない。何せ炎の王は単純に、自身を強化して走り抜けただけなのだから。
光が動くよりも遥かに早く動いて、その動作が周囲に与える影響を完全に無効化して、臣下の傍らに王は片膝を付く。指先で姫乃の頬に触れ、その容体を確認すると彼は力強く告げた。
「泣き言は聞かん。立てるな?」
「舐めない、で……私、は……まだ、負けて……」
「良い啖呵だ。流石は己の臣。だが、今は退け。王命だ」
焦がれる男にそう言われ、反発心を胸に立ち上がろうとする公方姫乃。噛み付くような意志を隠さぬ彼女の姿に小さく笑うと、直ぐにそれを隠して炎王は命じる。
まだ戦えるだろうが、まだ勝てる程には至っていない。そう目されたのだろうと理解した姫乃は、烈火の如き視線をオードレに一瞬向けた後で顔を伏せて首肯した。
「くっ、承知、した……」
東においては、力こそが正義。修羅にとっては、強さこそが絶対の価値基準。その極点が認めた以上は、公方姫乃も敗北を認めざるを得ない。
悔し気に歯噛みしたままの臣下を慰めるでもなく、仏頂面で見下ろす王。されど僅かな慈愛を瞳に宿していた彼は、その背を無防備に晒したまま背後の女に問い掛ける。
「それで、貴様は見ているだけなのか?」
「――っ! 良いだろう、我が聖典、我が剣の力を見せてやるっ!」
まだ来ないのか、と。その余りにも明らかな挑発に、怒りを感じながらも冷静さを保ち、女は片手で剣を抜く。
振るう力は第二ではなく、第一顕彰。相手の実力が明確に高いと分かっている現状、狙うは逃走一択からの味方との合流。その判断は変わっていない。
何もせずに背を翻して逃げ出したとて、先に見せられた速力差から追い付かれる。となれば挑発に乗った振りをして、牽制の一撃を加えるのが妥当であろうと。
「な――っ」
だが、その目論見は規格外を前に崩れ去る。
「成程、必中か。その理を砕かん限り、回避も防御も意味は為さない。だが、火力が足りんな」
背を向けたまま、首筋に加わった筈の衝撃を気にも留めず、ゆっくりと立ち上がる炎の王。必中の斬撃を当てられた筈の彼の体に、しかし傷跡は一つもない。
それは極めて単純な話で、公方姫乃が至らんとしていた勝ち筋の結実。炎の王の体は素の状態で、オードレでは傷一つ付けられない程に頑健だったのだ。
「貴様、本当に生き物か!? 私の剣は、最も弱い場所に必ず当たると言うのだぞっ!!」
「戯けが。お前の剣では、例え弱所を突こうと俺の体を傷付けるには至らない。唯それだけの話であろうに、何をそうも惑い怯える」
オードレの聖典は、単に必中と言うだけではない。最も脆い部分に必ず当たると言うその性質は、並大抵の者では対処すら出来ない代物だ。
特に人間、生き物であるのならば必ず何処かに急所はある。構造上、鍛えられない部位がある筈なのだ。だと言うのに、切り傷どころか擦り傷さえも付けられないのは人間を止めているにも程があろう。
二度三度と斬撃を加えながら、オードレは焦燥を強くし舌打ちする。これでは逃げる隙すらも、作り出せる気がしなかった。故に女は、内心の動揺を敢えて隠さず表に出す。
「冗談ではないっ! 意識の空隙、完全に脱力した場所に当たっているんだぞ!? それでどうして、傷一つ付かないと言うんだ貴様はっ!?」
「同じことを問うな。単にお前が、未熟だと言うだけのこと」
「ふざけたことをっ! 貴様に比すれば、誰も彼もが未熟だろうにっ! 化け物めっ!!」
吐き捨てるように、聖典の力を行使する。怯え戸惑い、混乱から無駄な行為を続けていると。そう思わせた所で、オードレは次なる札を切る。
その醜態は内心にある事実でもあるから、演技よりも真に迫り炎の王さえ欺けよう。聖典の第二能力と言うべき応用技で、オードレは王の視界から掻き消えた。
(狩り立てる牡牛の法則は、二種の必中効果を持つ。一つが過程を全て無視した斬撃ならば、もう一つは一部の過程のみを有する必中だ)
剣を振るうことなく、切られたと言う結果だけを相手に押し付ける。それが第一の能力ならば、第二の能力は発動者が望んだ過程のみを残すと言う能力だ。
相手の最も脆い場所へ剣が当たるまでの過程を一部残すことで、疑似的な空間転移として機能する。相手の最も意識していない死角へと、斬撃と同時に移動出来るのだ。
(それを利用した応用技。斬撃と共に相手の認識外へと転移する能力。直撃直後に時を凍らせて、全力で駆ければ逃れる程度は――)
敢えて見せた醜態が、此処でその効果を発揮する。ほんの一手、時間にしてはコンマ以下にも届かぬ刹那。王の視界から逃れたオードレ。
彼女は予定していた通り、精霊に声を届かせ世界の時間を凍らせようとする。刹那の時でも大きく引き伸ばせるならば、逃げる程度は叶うであろうと。
だが、それは一つの無知が故に破綻した。
「が、ぐっ」
「背後への転移、か。目の付け所は悪くなかったが、次に選ぶべき手を間違えたな」
打ち込まれた裏拳。蚊を潰すような、蠅を叩くような、羽虫を払う程度の一撃。だがそんな物を受けただけで、オードレの体は塵の吹き飛ばされる。
幾つもの家屋を巻き込み倒壊させながら、瓦礫の上で呻く青髪の女。明らかに手加減された一撃だったと言うのに、それだけで真面に立ち上がれぬ程に彼女は消耗し切っていた。
「な、ぜ。……時が、凍らない。精霊が、怯えて、動かない」
「残念だったな。四色の貴種を前に、貴種でなき者は、貴種の許しなく、精霊の力を使えない――――己は、赤の貴種だ」
ゆっくりと歩み寄る炎の王の言葉が示す通り、彼は四色の貴種が一人でもある。四大精霊王が選んだ地上の全権代行者。星の意志たる精霊の、寵愛を一身に受ける存在。
その一人でもある彼に対し、精霊の力を借りた異能は一切の効果を発揮しない。火の寵愛を受けた男を恐れた水と風の精霊達は助力を拒み、故にオードレは刹那の好機を失ったのだ。
「切れる札は、これで全てか?」
瓦礫の上に倒れた女を、上から見下ろし男が問う。これがお前の全力か、と。その問い掛けに、女は力なく睨み返すことしか出来なかった。
(第二、顕彰は、駄目だ。第一が、傷一つ付けられん時点で、私のこれは、意味がない)
オードレ・ダグラスにも、切っていない札はまだ一つある。彼女の有する最大の切り札たる第二顕彰。オードレの有する最大火力でもあるこれは、しかし現状では役無し札と化していた。
斬撃が通らず、精霊術も通用しない。実力差も大きいが、相性もまた最悪であった。真っ当なダメージを欠片も与えることが出来ない時点で、オードレ・ダグラスには抵抗一つ出来やしない。
「化け物、めっ……」
「そうか、ならば――もう寝ていろ」
「が――っっっ!?」
吐き捨てるように恨み言をぶつけた女に、静かに受け止めた男は拳を振り下ろす。その一撃は狙い過たず、女の意識を刈り取った。
「先ずは一つ。さて、次だ」
斯くして、十三使徒の一人が落ちる。そしてこれは同時に、彼らの勝機が完全に消えたことも意味していた。
カルヴィンが傷付け、デュランが弱らせ、オードレが決める。それだけが、聖教側に出来る唯一。王に対し、僅かな勝ち目が残る手段であったが故に。
知ってか知らずか、その目を最適解で潰した王は征く。最早、敗残処理と化した戦場。男を止められる者など居ない。
◇
市場を駆け抜ける二人の男。溢れる闘気を用いて既に傷が治りつつある子龍は、建物を足場に立体的に逃げ回りながら両手を叩く。
鬼さんこちらと煽りを飛ばして来る子龍に追随するのは、黄金の全身鎧を纏ったカルヴィンだ。彼は子龍が足場とする周囲の家屋を薙ぎ倒しながら、子龍を叩き潰さんと走り続けている。
「ちぃっ! 見っとも無く逃げ回りやがってぇっ! てめぇには、恥も外聞もねぇのかよっ!」
「あははははっ! 追い付けん奴が言うても、負け惜しみにしか聞こえんなぁ」
追う者と追われる者。一見すれば一方的な戦場だが、追い詰められているのは時間制限のあるカルヴィンの側である。
無敵の効果時間はあとどれ程か。内心で焦りながらも笑う男に挑発混じりの罵倒を浴びせれば、返って来るのは嘲笑ばかり。
「それに、恥と外聞? そんなん、幾らでも掻き捨てればええやん。たった一つ、譲れないもんだけ守れれば良い。それは、君も同じやろ?」
「忌々しいが、同感だよっ! クソッタレっ!」
そんな嘲笑の中に混ざった真摯な台詞に、思わず共感してしまい忌々しいと吐き捨てる。両者の性根は大きく違っているが、戦場に於いての価値基準は似ているのだ。
子龍もカルヴィンも、そのどちらもが、戦場にロマンを持ち込まず、泥を被ることを否としない。
戦いを嫌悪しながらも自らの生態故に戦いを楽しんでしまう者と、戦いを嫌悪しながらも他を守るために戦うことを選んだ者。ある意味で、両者は似た者同士と言えるのだ。
「せやけど、遊び時間は此処までみたいやね」
「あ?」
周囲に破壊を振り撒きながら、続いていた鬼事遊びの途中で子龍が立ち止まる。一体何だと警戒しながらも突き進むカルヴィンの前に突如、太陽の如き威圧感を纏う男が現れた。
「うおっ!?」
そのまま踏み潰さんと進んでいたカルヴィンの体が、気付けば宙を舞っている。思い出すのは、中央で受けた屈辱の記憶。技量によって、完封されたと言う経験。
されど先とは違い、今のカルヴィンは全身無敵だ。触れることさえ出来ない筈の状態だった。だと言うのに、完全に投げ飛ばされている。それがどれ程の絶技であるのか。
明らかに、先に相対した第二席の女を超えている。遠く飛ばされ瓦礫の上に転がるカルヴィンは、立ち上がりながらその事実を理解した。
そして、その光景に絶句する。其処には一人、己では絶対に勝てないと確信させる怪物が立っていたのである。
「子龍」
「はいな」
「敵の捕縛と傷の治療をしておけ――これは己が潰しておく」
黄金の鎧に触れ、傷付いた己が掌。それを見詰める炎王は、視線も向けずに臣下に命じる。王命を受けた子龍は一切の不満や疑問を挟むことなく、即座に応じて身を翻した。
捕縛に必要な道具を探しに行ったのだろう。振り返り様におちょくるような表情で、カルヴィンに手を振ってから撤退するその姿。苛立ちを感じながらも、それでもカルヴィンは眼前に居る男から目を離せない。
「東国の、武王かっ! はっ、配下がズタボロにやられて、もう我慢出来なくなったかよ? だが悪いな、早漏野郎。テメェに付き合う義理はねぇんだわ!」
罵倒と挑発を口にしながら、カルヴィンは足元の瓦礫を蹴り付けると同時に後退を始める。強気な口調に相反し、彼の頭脳は冷静に現状を危地と断じていた。
(腹立つが、コイツは俺一人じゃ無理だ。デュランの奴か、せめてオードレの糞女と合流しねぇとっ! こいつ相手に唯一、盾役を出来る俺が先に落とされんのは最悪だろっ!)
「ほう。逃げの一手、か。成程、子龍の見立て通り。粗野な言動に反して、中々に見事な判断力だ」
無敵の鎧があっても、投げ飛ばされた結果から分かる。このまま前進を行った所で、無敵の効果時間が切れるまで投げられ続けるのが関の山だ。
時間は稼げるが、勝ち目はない。そう断じたが故に逃げに徹したカルヴィンの姿を、炎王は表情を変えずに評価する。十三使徒、その上澄みはやはり生かすだけの価値があると。
「だが、初動が遅かったな。己から、逃げられると思わんことだ」
「糞がっ! 速過ぎんだろっ!?」
相手の動きを予測して、一歩を踏み込む。その直後には、炎王は既にカルヴィンの進行方向に回り込んでいる。
闘気の強化によって光さえも置き去りにする速度を有する王に対し、音速超過が精々なカルヴィンでは逃げ切れる筈もない。
(だが、幾ら化け物野郎でも、俺の無敵はそう簡単には崩せねぇ。情けねぇが、亀のように縮こまって耐えてりゃ、時間だけは稼げる。それで――っ)
「成程、無敵の肉体。物理的な干渉だけでなく、肉体を介した干渉は全て無効化するか。鉄壁、と評するに値する理だな」
故に今度は足を止め、両手で顔を覆ってガードの姿勢に。両手をL字に構えた、ボクシングで言うブロッキングの姿勢を取るカルヴィン。
重心移動をしなければ、さしもの炎王とて自身を投げ飛ばすことは容易ではないだろう。触れてしまえば、傷付くのは無敵の理を持たぬ王の側となるのだから。
「ならば、こうしよう」
だが、それで止められると考えるのは、余りにも東の頂点を侮り過ぎた判断だった。
「なっ!? がぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
意味が分からない。訳が分からない。何をされたのか、理解が一つも追い付かない。
炎王が軽く腕を振るったその直後、何もされていない筈のカルヴィンが苦しみ悶えて崩れ落ちたのだ。
赤熱する視界。肉体は熱さなど感じておらず、物理的に火なんて何処にも燃えていない。
だと言うのに、何故だか焼かれていると分かる感覚。五感とは異なる第六感でそれを感じて、カルヴィンは耐えられずに仰向けに倒れた。
「肉体を介さず、魂魄だけを焼き払う。さすれば、肉体が無敵であろうと無意味な話だ」
炎王が行ったのは、魂と言う目には映らぬ物に対する直接攻撃。肉体が無敵であるならば、それを鎧と見立てて臓腑のみを焼き尽くす。そんな究極の鎧通しであったのだ。
(ふざけ、ろ。精神攻撃だって、普通は通らねぇんだぞ。認識したら、アウト。そんな能力でも、目と言う肉体に、脳と言う肉体に、関与するから、俺は防げる。なのに、コイツは、俺の肉体に、五感に一切、影響を与えないで、中身だけを、焼きやがった)
だがそれは言葉で語るには易く、現実に起こすには不可能に等しい神業だ。
例えるならば卵を茹でる際、黄身にだけ火を通すような所業。弱火で白身は半生、などと言うレベルではない。完全に黄身にしか火は通らず、白身や殻は熱一つ帯びていない。そんな状況を作らねば、カルヴィンには攻撃が通らぬ筈なのだ。
見たら死ぬ、と言う能力だろうと視覚と言う肉体を介する。聞けば死ぬ、と言う能力であっても聴覚と言う肉体を介する。脳に直接作用する、と言う能力であっても脳も肉体だから無敵で弾ける。
ほんの僅かでも、刹那に満たぬ一瞬でも、体に触れた時点でカルヴィンにはあらゆる能力が通用しなくなる。それが故の無敵と言うのに、こうして絶技と言うのも生温い技量一つで覆された。
その事実を認識は出来ても、理解も納得も出来ないまま、カルヴィンは意識を奪われたのだった。
「これで二つ」
敵と認識する必要さえもない獲物の意識を刈り取って、直後に炎王は半歩横に動いて身を躱す。この瞬間こそが、最後の好機だろうと察していたが故。
動いた炎王が一瞬前まで居た場所を、血で出来た鎌が擦り抜ける。舌打ちと共に遠ざかり始めた気配に対して、驚くことなく振り向いた炎王は冷徹な声で彼へと告げた。
「そして、三つ目。何、案ずる必要はない。命までは取らん。お前達は、後の世に必要だ」
カルヴィンが付けた掌の傷。僅かに血が滲む程度の擦り傷を狙って、毒を仕込もうとしたデュランは失敗した。そうと察した瞬間に、一目散に逃げ出す判断力は炎王をして見事と言う程。
修羅を束ねる王の望みは、天下布武。世界征服だ。そしてそれすら過程でしかなく、その先で彼は魔の根絶を、果ての世界平和をこそ目論んでいる。故にこそ必要なのだ。後の時代で生きるに足る、人類側の実力者の生存が。
故に殺さぬように加減しながら、それでも尚規格外な王は動く。闘気を練り、さあ今行くぞと言わんばかりに。
その動作は英雄級ならば見落とすようなものではなく、故に当然デュランは迷うことなく即断した。先んじて、聖典の力を行使するしかないと。
「無価値なる罪人の裁定!」
「……ほう。これは、異能の無効化? いや、違うな。これは、成程、そういうことか」
その瞬間には走り出していた炎王は、しかし途端に失速する。興味深そうに己の体を見下ろす炎王は、既に眼前一歩手前に。追い付かれる寸前だったデュランは、脇目も降らずに全力での逃走を選択する。
先ずは己の安全を確保し、それから隙を突いて仲間達を助け出す。奇襲の失敗から即座にそう切り替えた青年は――しかし、其処で歩を止めた。
「面白い能力ではあるが――」
「――っ!?」
「地力が不足だ。己自身も縛る奇跡を振り回すには、武の練熟がまるで足らんぞ」
一目散に駆けていたのに、進む先に炎王が居る。闘気も異能も一切使わぬ素の性能、それにも大差があったのだ。
地力が違い過ぎる。故に回り込まれたのだと理解が追い付く前に、炎王は一歩踏み込んだ。
「東青」
踏み込みと同時に放たれたのは、その勢いを一切殺さずに載せた左の掌底。まるで風が吹いたと錯覚する程の拳速に、デュランは反応さえも許されない。
その五指は血肉を引き裂く猛獣の爪が如く、打ち込まれたデュランの胴に深く突き刺さり、そのまま斜め上方に向かって引き裂き千切る。鮮血が舞って、しかし王の動きは止まらない。
「西白」
掌底からのアッパーカット。それに続くは右手の手刀。振り抜いた左手の動きをそのまま流し、勢いを殺さず独楽のように回って打ち込まれた手刀がデュランの胸に新たな傷を刻む。
特殊な製法で作られた十三使徒の法衣とペリースをバターのように切り裂きながら、続く王の動きは止まらない。
流れる水の如くにスムーズに、凍て付く氷の如くに冷たく、瞬きしただけで見落とすような速度で、拳舞は更に続くのだ。
「南赤」
身を回しながらに王は、その右足を垂直に伸ばす。驚く程の柔軟性と見事な体感で掌底と手刀の勢いを一切殺さぬまま、次いで放つは烈火の如き踵落とし。
その一撃で後頭部を強打され、地に這い蹲り首を垂らす。その姿を前に振り下ろした足を地面に下さず、再び流れるように炎王は半回転。
膝を曲げた右足を伸ばして強く地面に踏み込むと、軸足と使っていた左足でデュランの顔を蹴り上げた。
「北紫」
雷光を思わせる鋭い蹴撃を受けて、デュランの体が宙に浮く。彼の体が大地に落ちるその前に、回り続けた勢いを一点に収束させた王は腰だめに拳を構える。
強く五指で握り締め、深く両の足で大地を踏み締め、呼吸を一つ、そして放つ。裂帛の気迫と共に放たれた正拳突きは、単に威力があるだけの拳と言う訳ではない。
「央座玉雀・鳳凰拳武」
まるで鳥が羽搏くように、炎王の背に光の翼を幻視する。崩れ落ち意識を失おうとするデュランには、その理由が理解出来ずに居た。
(光の、羽? この、異界で、どうして……)
「玉雀の拳は、気の練り方が特殊でな。……詰まりは認知の問題だ。貴様が理解していない。故にその聖典では直せない。唯それだけの理由だよ」
その正拳に込められた闘気は、その練り方故に決して防げず耐えられぬ物。そしてその特性故に、十三の聖典でも無効化出来ない物だった。
余剰の気を背より翼の形で放出した後、残心を終えた王は構えを解く。白く染まった世界が解けて、聖典は書物の形に戻って倒れたデュランの下へ。その聖典が青年の体内へと消えていくのを確認してから、王は陣羽織を翻す。
「地力は最も秀でてはいるが、聖典とやらの扱いはお前が一番未熟だな。次はあるのだ。精進しておけ」
此処に、十三使徒は倒された。しかし、炎王の歩みは止まらない。残敵を掃討する為、彼は港に程近い南東の倉庫街に向かって進む。
旧版では殆どヒビキとしか戦っていなかったので、強さが分かり難かった炎王様。
リメイク版では折角なので人類最上位層を全員蹴散らして貰おうかなと思い、北方決戦で参戦可能な十三使徒を投入してみました。




