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Re, DS  作者: SIOYAKI
第四章 死して後已む
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第53話

十三使徒VS六武衆③

◇聖王歴1339年風ノ月12日


 聖王国の首都、王都ヴィル・リュミシオ。その北部には、聖教会の大規模な拠点が存在する。

 王都の市場区画と同程度、小さな村落ならば上回る程度の敷地に広がるのは、その全域を占める大教会だ。


 経済活動どころか、生産活動さえも建物内で完結している教区区画。余りに巨大な教会の最たる特徴は、北東部に聳え立つ白亜の塔であろう。

 天見の塔と呼ばれるその塔は、雲さえ貫く高さを有する。いつからあるかも分からぬ遺物である。


 白髪に赤目。中世的な顔立ちをしたアルビノの青年が、地上から塔の上層を見上げる。全高2000メートルと言うその頂上は、見上げた所で目に映るような物ではない。


 天見の塔の頂上には、嘗て勇者と共に世界を救った聖女が居る。魔王を倒して凱旋し、一年を掛けて国内を慰撫して回った後、聖女は塔の頂上で有事に備え祈りを始めた。


 祈りの業。神への祈りを捧げることで、聖術を使用する際に必要となる信仰力を自らの内に蓄える業。これを為している間、祈り手の新陳代謝は停止し世界の時から切り離される。


 理論上は祈り続ければ不老不死となれるようにも思えるが、現実的には人体が溜め込める信仰力の限界値と言う点に阻まれる。


 だが、この限界値が人より遥かに高い特異体質を持つ者も稀に現れる。何故か女性にしか存在しない特異体質。それを有する人間を、聖教では聖女と称するのだ。


 特に今代の聖女アリエル・ミィシェーレ=リュミエールは、歴代の者らよりも限界値が高い。そんな彼女は魔王を倒して以降の二十年間、塔の頂上にある一室で日夜祈りの業を続けていた。


 全ては何れ、再び世界に災厄が訪れた時のために。聖教が誇る最強戦力が十三使徒ならば、それに対を為す切り札が聖女アリエルの溜め込み続けた膨大な信仰力だと断言出来よう。


「……姉さん」


 青年は塔を見上げ、小さく呟く。誰に届くでもない声は風に消え、抱え込んだ想いが表に出ることはない。だから唯、思うのだ。


 もう二十年近く前に一度会っただけの、己のことを知らぬであろう姉のことを。彼女はあの日、手を差し伸べてくれた日の姿から何も変わっていないのだろうと。


 視線を戻して、男は塔へと進む。門前を警備していた僧兵らが肩のマントに描かれた金十字を見て一瞬硬直し、最敬礼の姿勢を取って門を開けた。


 すれ違う間際に、向けられる敬意や好意の視線に混じった恐怖の色。それを感じ取り、僅か物騒な思考が脳裏を掠めるのは職業柄か。気付かれない程度に小さく目を伏せ、吐息と共に吐き捨てる。


 そうして一歩一歩と歩を進める。向かう先は頂上――――ではない。階段を下りて進むのは、大教会の地下に広がる巨大な施設。


 一般の教徒らには知らされていない、聖教の暗部とでも言うべき空間。牢獄や実験棟と言う比較的浅い場所を通り抜け、突き当りの壁に触れて隠し通路を開く。


 古臭い意匠の昇降装置を動かして、地下へ地下へと奥深く。空調を維持する為にある配管から、風の流れに載った讃美歌が流れる場所。


 白く、白く、病的なまでに白い空間。仄かに揺れる蠟燭の灯りだけが、命を感じさせるような場所。殺菌されたような廊下を抜けて、青年はその場所に辿り着く。


「来たか、デュラン」


「……はっ」


 扉を開いたその先で、巨大なステンドグラスを背に立っていたのはカソックを着た老齢の男。齢80を超えるとは思えぬその体躯は、祈りの業による恩恵も含まれているのだろう。


 オスカー・ロードナイト=ミシオネール・イデアル。勇者の師であり、青年を始めとする多くの僧兵達の師でもある十三使徒の筆頭。彼の呼び出しを受けたデュランは、何時ものように片膝を付いて言葉を待った。


 さて、今度は誰を殺すのだろうか。そんな栓のないことを脳裏の片隅に浮かべて、沈む心に蓋をしながら目を伏せる。


 静かに待つ青年を前に、老人は僅か言葉に迷う。彼が口にしたのは、常の命ではなく問いであった。


「東国六武衆。その王、お前はどう見た?」


「……余程の幸運に恵まれた上で、と言う前提ですが。我ら十三使徒の総員を使い潰しても、腕の一本を奪うのが限界かと」


 問われた内容に一瞬どう返すかを思考してから、実直な言葉をデュランは返す。これが教皇や大司教ならばもう少し言葉を飾ったが、オスカーに対しそうしたものは不要であろうと。


 デュランの想定に反することなく、オスカーもまた同じ見立てであったのか、老人は満足そうに一つ頷く。


 先の宣戦布告にて相対した炎の王は、長く生き多くの魔を討った筆頭の目から見ても別格であった。


「やはり、お前もそう見るか」


「筆頭殿も、見立ては同じと」


「多少は異なるが、大枠は変わらん。……今代の十三使徒は、玉と石の差が大き過ぎる。石は使い物にならんと見るべきだな。いざ、その場になれば逃げ出すだろう輩が数人は出るぞ」


 聖教会の最高戦力たる十三使徒。その席次に付く条件は、意志を持つ神器である聖典に担い手と選ばれること。その性質故に、どうしても玉石混交となりやすい。


 聖典を見るに値する資格を判別する場もあるが、聖教会と言えど人の運営する組織。意図や忖度は当然混ざるし、欲や悪意も多少は混ざる。大規模な組織であるが故、これは避けられない陥穽だ。


「…………仕事、ですか」


「いや、それはまだだ。逃げ出すだろうと言う予想だけで、資質なしと断じるのは拙速に過ぎる。それに忸怩たる話ではあるが、今の聖教には其処までの余裕がない。そうでなくば、誰があんな混ざり者の台頭など許すか」


 教会には自浄作用を求められた。教皇と大司教らが運営する公議会と十三使徒筆頭の判断により、不要とされた同胞を狩る者。処刑人と言う立ち位置こそが、十三の席に課せられた使命である。


 故にこうして、他の席次の者らも知らぬ教会の最暗部に呼び出される。此度の招集もそれだと判断していたデュランは、鉄面皮の裏で安堵の息を小さく零していた。己の役目を、忌むが故に。


「話を戻そう。公議会(コンスル)は東国六武衆への対応に揺れている。結論は未だ出てはいないが、奴らは中央を最後と明言しているからな。王国軍と全面協力した上で、迎え撃つと言う判断をしているのが大勢だ」


「…………」


 聖教の議会は独特で、トップである教皇に次ぐ権力を有する枢機卿は筆頭を除いて参加する資格を有しない。枢機卿とは、十三使徒に与えられる階級だからだ。


 聖典授受者は神に選ばれた天使と同義とされるが故に高い地位に付けねばならぬが、専門の教育を受けた訳でもない者を議会の中枢には置きたくないと言う妥協が為の結果であろう。


 議会への参加権を持たない他に、十三使徒には教皇に立候補する資格もない。だがそれで異論が出るかと言えば、そうさせない程度の権限は与えられているし名分もある。


 例えば次期教皇を選ぶ権利。立候補者から次代を選ぶのは枢機卿の特権であり、それだけでも顕示欲が強い者は満足するものだ。


 実際には選択肢自体を議会に制限されているのだが、現場でも複数の特権を振るえることも相まって、存外気付かないものである。


 それに枢機卿は神に選ばれた天使であり、人ではないのだから俗世の政治に関わるべきではないと言う名分もあるのだ。


 それで納得する者はそれなりに多く、そうでなくとも目敏く気付けるような者らであれば愚行を為すことも殆どない。


 事情に気付いて浅慮で動けば処刑人の仕事案件となるので、そうした厄介者が少ないのはデュランとしても有難い話ではあった。


「あの不埒な混ざり者である空将も、実力だけは確かなものだ。奴と六師団長に我ら教会の総力。それらを結集出来れば、東の武王にも勝機はあろう。万に一つ、程度のものでもな」


「…………」


「だが一つ、厄介な話も出て来ている。お前も知っているだろう。北方より、サングフワーに救援の要請があったと」


 つい先日、王都を襲った東国六武衆。彼らの首魁は途轍もなく強く、故に筆頭や議会の意向としては万全の態勢で迎撃を行いたい。その点で考慮すれば、北部の応援要請なんて論外だ。


 三将の一人が居るとは言え、中央に比すれば戦力の薄い地。重要な拠点と言う訳でもないのだから聖教としては、雷将が中央に戻ってくればそれで良いとまで考えていた。


 だが、此処で聖王国上層部の思惑が足を引く。貴族院の過半数を掌握しているモラン公爵は、王位継承権の第三位。雷将との契約で第二位の娘を見逃してはいるが、機会があれば潰したいと考えているであろうことは誰の目にも明らかだった。


 王党派もまた、姫の従妹と言うロス家の生き残りを持て余している節がある。空将の手前率先して潰しに行くことはなくとも、隙あらば排除したいと目論む者も少なくはない。その筆頭は、恨まれていると言う自覚がある宰相か、或いは瓜二つの従妹を最も憎む姫君か。


 どちらの勢力からしても、雷将とその娘は爆弾なのだ。今は黙っているが、条件が揃えば大きな被害をどちらの勢力にも齎せる。故に東の修羅たちを相手に、自滅してくれるならばそれに越したことはないと。


 それが聖王国上層部の判断ならば、聖教としても否やは言えない。聖教は政治への関与を自ら禁じている。


 嘗て、それを為して暗黒期を齎したと言う瑕疵があるのだ。また口を挟んで二度目の暗黒期を齎す訳にはいかないのだから、雷将のことは惜しいが割り切るしかないと議会は判断していた。


 だがそんな状況で、下らぬ謀略など知ったことかと断じるような女がオードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワーである。

 あの苛烈な女傑であれば、政治の都合で恩師を見捨てろと言う命に従う訳もない。十三使徒であることを辞して、身一つとなっても死地に向かうだろう。


「奴のことだ。止めても個人で行くだろう。だが融通は効かずとも、明確な玉の側にあるサングフワーを此処で失う訳にはいかない。故にだ、デュラン。お前に密命を与える」


 唯でさえ現状、東の武王を相手取るのに戦力は足りてないのだ。十三使徒でも上から数えた方が早い実力者の脱落など、聖教にとっては座して見過ごせるような物ではない。


「北方政府と協力し、東国六武衆を討て。後日、教皇猊下よりお前を筆頭とする数名に、その命が下る予定だ」


 故に聖教会は此度の事態を前に、東国による北部侵攻と言う異常事態に、全面的な介入を決定した。有数な戦力を悪戯に失うくらいなら、賭け金を増やすことで元を取ろうとしているのである。


「だが現状、我々十三使徒が総力を挙げた所で勝機は薄い。あの焔の王。奴が万全で在る限り、我らに勝機はないと言って良い」


 とは言え、幾ら賭け金を増やした所で北を舞台とする限り勝ち目は薄い。十三使徒の全戦力に、大教会と言う地の利。空将と師団長五人の助力に、聖女を動かしてようやく勝機は一割二割か。


「少なくとも、我々十三使徒全員と聖女に、癪ではあるが空将の奴め。十五人掛かりで、あれ一人を相手にして漸く勝機が見えるかどうか。……はっきりと言おう、中央での決戦を前に、奴の取り巻きが一人でも残っていれば我らは詰みだ。順当に潰され敗北する。故にだ、デュラン。お前に与える密命は、敵戦力の減衰と味方戦力の保全となる」


 それも、炎王が単独でと言う前提によるもの。六武衆の人員が一人でも残っていれば、それだけで勝機はゼロとなる。


 本来は北方や西方に削って貰う算段ではあったが、直接介入する以上は相応の戦果が必要となる。現実的な範疇で、狙える戦果は其処であろうと判断したのだ。


「此度、北方に派遣するのはお前を含めた三人。東国六武衆の連中を相手にしても、生きて帰れるだろうと確信が持てる精鋭だけだ」


 第二聖典、オードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワー枢機卿。今回の発端であるが故、外せぬ人材であり失いたくはない最精鋭の一人。


 いざとなれば背後から意識を奪ってでも、連れて帰れと言う命がデュランに下る。同胞たる十三使徒に対しては、絶対に勝てるのが十三聖典のデュランであるが故。


 第五聖典、カルヴィン・ベルタン=クールドリヨン枢機卿。無敵化の能力と本人の実力も相まって、十三使徒で最も死に難いと言える最精鋭の一人。


 オードレとの相性は顔を合わせれば殺し合いを始める位には最悪だが、両者が実力を認めるデュランが間に立てば最低限の協調は出来る。デュランの負担が増えてしまうが、他の者には務まらぬ以上は止むをえまい。


 そして第十三聖典、デュラン・カルリエ=ラ・モール枢機卿。筆頭であるオスカーに次ぐ実力と、同胞殺しの役目を冷徹に果たせるという生来の資質。間違いなく、玉の中でも最上位に位置する精鋭だ。


「北の連中、クリスの阿呆も含めて使い潰せ。炎王との戦闘は避け、その手足を捥いで来い。その上で、お前たちは絶対に死ぬな。何をしてでも、生きて戻って来い」


「……カルヴィンはともかく、オードレは殿に残ると言い出す可能性がありますが」


「前線における指揮権はお前に一任する。奴らも互いが上に立つよりは、と納得する筈だ。それでも命に従わぬのならば、意識を奪って回収しろ。お前ならば、難しくはないだろう」


「…………」


「不安か?」


「多少は。命を奪うのは慣れていますが、命を生かすのは不慣れですので」


「悪いが、慣れろ。お前は俺の後継。次の筆頭候補なのだから」


「……はい」


 常の鉄面皮に不安を隠すデュランは、オスカーが口にした通り次代の筆頭候補である。十三冊の聖典の中でも第一聖典は独特で、他の聖典に選ばれた者であれば誰でも使えると言う性質を有する。


 オスカーも第五聖典であった時期もあり、他の聖典授受者が筆頭を継ぐと言うのは一般的なことではある。


 今に継がれていない理由は、第十三聖典の後任が見付かっていないと言う問題からだ。自ら使い手を選ぶ十三冊の中で、選り好みが最も激しいのが十三番目の聖典なのである。


 最悪は後継が居なくても良い他の聖典と異なり、組織全体の自浄作用も担う十三聖典を欠番にする訳にもいかない。ならばデュラン以外の後継候補はと言うと、誰もが一癖も二癖もある有様だ。


 玉石の石と断ずる側は論外としても、情に篤いが故に清濁を併せ飲めないオードレや差別意識が強いカルヴィンを筆頭に指名するのは不安が大きい。残る最有力候補の一人は、オスカーをして底知れない不気味さがある。


 さりとてその三人とデュランを除けば、玉の側でも実力が一段以上に落ちてしまう者ばかり。故に今も、老齢のオスカーが現役を続けているのであった。


「前線での指揮、不仲な奴らの調停。それに、十三の役目。お前には苦労を掛けるな」


「……必要なことですから」


 そんな自身の後継に、負担を掛けていると言う自覚はある。だからこそ、そんなオスカーがその言葉を口にしたのは純粋な善意からであった。


「お前が望むのであれば、此度の遠征を前に、お前の姉とも会えるように手配しておくが」


「――っ」


 言葉にされて、デュランは鉄面皮を崩して息を飲む。会いたいか、と問われれば否と返すことは出来ない。それでも、胸を張って会えるかと言えば、それもまた否であったから。


「……いえ、不要、です」


 如何にか言葉を口に出来たのは、数秒では済まない時間が過ぎてから。脳裏に過った光景は、幼い時分に初めて話した時のもの。


 姉弟の両親は、碌な親ではなかった。食うにも困る貧民の身で、幼い娘が聖教に選ばれた途端に高値を付けて売り払ったような男女である。


 口止め料も含めた高額の報酬を受け取って、それを数年で食い潰した。そんな彼らは一時の贅沢を忘れられず、二匹目のドジョウを狙った結果に生まれたのがデュランだ。


 何で男が生まれたと、虐待されながらに育った。サンドバッグとしての役割ならば果たせるだろうと、そんな食い扶持さえ無くしたのが5歳の頃。


 食わせる余裕もなくなったと捨てられて、路地裏で残飯を漁る生活の中で知った。嘗て父母が語った聖女が、姉が魔王を倒して凱旋を果たしたのだと。


 だから一目会いたくて、遠目からでも良いから一度は見たくて、辿り着いた王都で倒れた。そんな汚物塗れの浮浪児を、抱き起したのは聖女であった。


 実の弟と気付くことはなく、されど己が身が汚れることも気にせず手を伸ばしてくれた人。輝く光のように綺麗な姉は、今もあの思い出の日から変わらぬ姿をしているのだろう。


 対して、今の己はどうだ。あの日のように、汚物に塗れてはいない。けれど――あの日と違い、仲間の血に染まっている。だから、会わない方が良いのだろう。


「十三の役目を、引け目に思うか。だが、必要なことだ。そう、我らが定めたこと。お前が気に病むことではない」


「いえ、分かっている心算です。……ですが、あの人はきっと、悲しんでしまうと思うので」


「そうだな。あれはそういう女だ。余計な荷を負わせぬ為に、名乗り出たくはないと言うお前の言い分も分からない話ではない」


 あの心優しい人ならば、きっと生きていることを喜んではくれるだろう。あの聡い人ならば、十三の役目が必要だと言うことも分かってくれるだろう。


 けれど、聖女は嘆くだろう。残された家族が、仲間の血で手を染めると言う生き方をしている現実に。彼女は泣いてくれると思うから、だから会わない方が良いのだ。デュラン・カルリエ=ラ・モールは、心の底からそう思う。


「俺の跡を継げば、お前も胸を張って聖女に名乗れよう。生き別れた姉弟である、と。だから、その日まで死ぬなよ。デュラン」


「……はい」


 青年の言葉に、嘆息を零してから老人は告げる。十三の役目を引け目に思うのならば、筆頭を継いだ後ならば胸を張ることも出来るだろうと。


 そう簡単に割り切れるような男でもないのかもしれないが、それでも何時かは胸を張れるように成って欲しいと願う。その為にも死ぬなと、語る言葉に嘘偽りは欠片もなかった。






◇聖王歴1339年風ノ月30ノ日


 かくして、舞台は今に戻る。幾つもの家屋や商店が倒壊した大通りの中心で、年頃の近い二人の青年が己が武を競い合う。


 片や無手。片や両手に二本の西洋剣。剣道三倍段と言う言葉があるように、間合いの広さを覆すにはある程度以上の実力差が必要だ。


 互いに闘気で強化されている牙は、間合いの不利を覆す程に差が生まれている訳ではない。単純な技量で言えば無手の亜人が僅かに上だが、運否天賦で覆る程度の誤差である。


 故に当然、武具の差でリアムは敗れる。それが道理と言うならば、そうならぬことにもまた理由がある。亜人の男が手足に刻んだ、四つの魔術刻印こそがその差を埋める要素であった。


 風の守りが、振るわれる剣を一瞬だけ受け止める。氷の刃が敵の侵攻を妨害し、大地の隆起を移動に利用し、炎の弾丸が間合いの不利を覆す。


 結果は拮抗。互いに余力を残している状態で、リアムとデュランの戦いは推移する。炎弾と氷刃を躱して迫る処刑人の刃を、自らの体を風で動かすことで躱してリアムは嗤った。


「はっ、流石にやる。あの似非宗教家が、本気でビビるだけはあるようだな」


 刻印術など所詮は小技と、他でもない使い手のリアム自身が認識している。詠唱不要で出が早く、消費も少ないがその分威力に限界があるのだ。


 直接相手を狙っても、英雄級に至った実力者が装備をしっかりと固めていれば先ず通らない。となれば牽制用途に限定するか、雷将を嵌めた時のように罠として運用するべきか。


 家族を奪った怨敵でもある聖教徒。それを前にして、怒りや憎悪は当然ある。されど相手は十三使徒、中でも自身が過去に殺した枢機卿が最も恐れていた十三番目だ。その意味を知っていればこそ、侮るなどと言う選択はない。


 激情に振り回されて挑めば、結果は己の敗北となる。そう自らを戒めて、冷静に冷徹に、如何に足を掬うかを考え続けているリアム。そんな男に対し、処刑人は剣速を一切緩めぬままに問い掛ける。


「……枢機卿殺しの狂狼」


「あん?」


「何故、お前は殺した」


 問い掛けに、主語はない。だが、何について問われているのかは明白だった。リアムは攻防の中で僅かに、己に罪を被せた敵を思い出す。そして、嗤った。


「はっ、私情だよ」


「そうか」


 理由はそれこそ、無数にあった。だが、最後に殺意を結論としたのは己の私情。故に、それ以外の答えはない。


「逆に聞くがよ、テメェは何で殺さなかった? 同胞殺しの処刑人」


「命がなかった」


 語るリアムは拳を交えながら、同じく敵へと問い掛ける。問われたデュランは抑揚の少ない、低い声で静かに返す。


 声自体は小さいと言うのに、不思議と聞き逃すことはない。そんな男の言葉を耳にして、リアムは鼻で嗤って更にと続けた。


「野郎は死に際に、町一つを捨て駒にしてきやがったぜ」


「そうか、礼を言う」


「あん?」


「手間が省けた」


「はっ、言うじゃねぇかよ! むっつり野郎!」


 そんな言葉に、表情を変えずに返される音。それが嘘偽りの混じらぬ本気の言葉と察して、リアムは笑みの質を変える。


 優れた戦士は、拳を交えた相手のことを察することがある。いつしか胸に燃える怒りや憎悪は燻り出して、闘争心が強まっていた。


 こいつは敵だ。王の道を阻む許されぬ者だ。されど、己の家族を殺したような卑劣漢の同類ではない。そうと分かったが故に、修羅の仲間に相応しく、今は戦いを楽しもうと思えたのだ。


「心威とやらは、使わないのか? 狂狼(ルー・ガルー)


「テメェこそ、聖典を使わなくても良いのか?」


「今は必要ない」


「はっ、そうかよ」


 リアムとデュランは更にと言葉を交わしながら、一切緩むことのない鋭い拳と刃を交える。


 翻る剣の斬撃を風を纏った拳で受け流し、空いた胴へと拳を一発。大きく飛んだデュランの体に、打ち込んだ拳に手応えを感じなかったことに気付いて舌打ち。


 中空で二転三転回ってから着地した彼に向って、リアムは大地を蹴り付け隆起させた。


「なら、俺も今は必要がねぇっ! どうしても俺の心威が見てぇなら、テメェの手で使わせてみせろやっ!」


 針山のようになった地上、その尖った先端の上に当たり前のようにデュランは傷一つなく着地する。


 そのまま平然と、針の上を跳躍して迫る処刑人。左手で左足の腿を叩いた後にリアムは、彼に向けて広範囲の熱風を生み出し吹き付ける。


「そうか」


 迫る脅威を前にしてデュランは両手の剣を手放すと、足を止めないまま肩に羽織ったマントの留め具を外す。そうしてそれを、まるで盾として使うように前方へと向けた。


 接触、そして爆発。何が爆発したのだと、リアムは考えるより前に思考を切り替える。何故どうしてと問うよりも、先ず必要なのは対処法。


 視界が塞がれたのだ。早急に敵が何処に行ったのか探らねばならない。気の探知は時間が少し掛かる。


 故にこれまでの動きから、相手の行動範囲を推察しようと判断して――


「なら、そうしよう」


「な――っ、テメェ!? 三味線引いてやがったかっ!?」


 背後から聞こえた声に、理解が追い付くと共に怒りを抱く。これまでの拮抗した動きからは考えられない程の速さで、デュランが動いたと言うその事実に。


 手を抜かれていた。恐らくはこの瞬間の為に。そうと気付いて、見抜けぬ無様な己に強い怒りを抱いて、されど切り替え即座に動く。赤黒い刃が、その身に迫っていたのだから。


死神の大鎌(デス・サイズ)っ!」


 振り向く途中で大地を踏み締め、咄嗟に距離を取ろうとした。その判断が功を奏したと言うべきか、受けた傷はしかし浅い。


 距離を取って向き直ったリアムは腕に刻まれた傷跡を憎々し気に一瞥した後、身の丈に迫る大鎌を手にしていたデュランを睨んで告げた。


「くっ、だがこの程度の傷なら……う、ぐっ」


「…………」


「こいつは、毒かよっ!? はぁ、んの野郎っっっ!」


 だが、その言葉も途中で途切れる。彼の体を、無数の異常が襲ったのだ。吐き気と眠気で朦朧とする意識。呼吸は安定せずに過剰となり、手足は痙攣して真面に動かなくなる。


 毒を盛られた。その結論に至ったのは直ぐのことだが、分かったからと言って対処も即座に行える訳ではない。闘気を練り上げる余裕があれば話は別だが、敵がそれを許す筈もないのだから。


 ふらつくリアムに向かって、デュランは大鎌を手にしたまま接近する。神速と言うに足る踏み込みで、振るわれる刃は掠り傷でさえも致命に繋がる物。


 その毒々しい刃を如何にか身を捩って躱し、込み上げる吐き気に歯噛みし耐えながら拳を返す。されどリアムの拳は空を切る。それは彼の動きの精度が劣化したから、だけではない。


「はぁ、はぁ、毒で弱らせて、後は距離を保ってネチネチと、か。陰険野郎がっ!」


「…………」


 デュランが退くのが、早いのだ。切り込むのはあくまでも、回復の余地を与えぬ為に。一手打てばそれが効いたか判断する前に、距離を取って安全を確保する。


 徹底した遅延戦闘。この猛毒と合わせれば、それが如何に厄介な行為であるか。まるで詰め将棋のように打つ手を一つずつ潰していく戦い方は、好悪で言えば嫌いな形だ。


 確かにデュランは、卑劣漢ではないのだろう。だが彼は戦士ではなく、分類としては暗殺者。戦いを楽しむリアムとは、戦いに対する意識が異なる。故にそう、認めなければならなかった。


「だが、認めてやるよ。効率的で、上手い手だ。このままなら、俺の負けは揺るがねぇ」


 感情を見せずに唯、機械的に合理的な手で相手を追い詰めていく。その戦い方は、勝つための戦い方。だから、間違いなく強いのだ。それ自体をリアム・ファミーユは否定しない。


 己も卑怯な手は使うし、仲間と認めた修羅達もまた同じ立場で嵌められたなら恨み言を言う前に喝采を相手に返す輩である。ならば良くぞやったと認めないのは、格好悪い話であろうと。


「なら、良いぜ。テメェに俺の心威を見せてやる」


 追い詰められたのは己。敵は油断なく、王手を掛ける前に駒を一つ一つと刈り取っていく。そんな現状を覆す為に、打てる手は最早一つ以外にないだろう。


 心威の行使。これを以て、逆転の一手とする。両足を肩幅に開いたリアムは、片手を胸の前に置いて己の中へと埋没した。


――内功実行・以って我は心威を示す――


 闘気を練り、心の芯と混ぜ合わせる。毒による不調はあるが、その程度で揺らぐならば芯とは言えない。いつ如何なる時も揺るがぬ物こそ、心の軸たる芯故に。


――熊、猪、狼。毛皮を纏い、フュアカトにてヒヨスを飲み干し、我は獣と成りて狂うモノ――


 体内で荒れ狂う力。自らの肉体の変異を感じながら、リアムは警戒する。神威法の最大の弱点は詠唱の長さ。この隙を、敵が見逃すとは思えなかった。


――秘薬と共に痛みを忘れ、激しい怒りを吠えたてろ。盾の端を嚙み千切り、出会う全てを喰い殺せ――


(何だ、あの野郎? 何で攻めて来ねぇ?)


 だが、デュランは立ち止ったまま。その手にした大鎌を何処かに収め、いつの間に回収したのか、両手で二本の剣を構え直している。彼がしたのはそれだけで、それ以上の動きがなかったのだ。


――忘我の果てに、残すは芯深く刻まれた焔の庭。嘗ての傷は、我が焦がれ。我が身焼く炎こそ、今も乞い願う憎悪の憧憬――


(詠唱が完了するぞ? 無理攻めでもやらねぇと、防げねぇ状況だろうに。……いや、もしや、端から心威を使わせることが野郎の狙いか?)


 そこでリアムも察知する。デュランの狙いは、己に心威を使わせることではないかと。気付いてしまえば、そうだと思わせる布石はあった。


 だとするならば、このまま心威を発動するのは危険であろう。だがしかし、ここで心威を用いなければ盤面が詰んでいるのもまた事実。微かな恐怖が、男の心を震わせた。


――我は唯、戦士となりたい。王の敵を討つ、一本の牙であらんと願う。故に強く、弱さを捨てた獣と変われ――


(だが、このままじゃ不味いのは変わらねぇ。良いぜ、誘いに乗ってやる。その上で、その思惑ごと叩き潰してやらぁ)


 それを、意志の力で捻じ伏せる。神威法は今の彼にとっての切り札。最も信を置く手札。そうであるが故に、進む道は揺るがない。


 並大抵の罠や思惑など、真向から喰い破ってしまえば良い。それでも喰い切れずに敗れるならば、それは己の実力不足。素直に負けを認めてやろう。


――心威・解放――


「月夜に狂え――狼面狂者(ウールヴヘジン)


 故に、リアムは変異する。満月が浮かぶ空の下、巨大な狼男がその地に立った。


「狼男。まるで魔物だな」


「はっ、まるでじゃねぇよ。今の俺は、理性ある魔物だ」


 さあ、これからが本番だ。未だ距離を保って、武器を構えたままの敵。あの男が如何なる罠を仕込んでいるか、如何にそれを喰い破るか、思考を進めながらリアムは一歩を踏み出して――


「当然、並大抵の毒なんざ通じねぇ。残念だった――なっ!?」


 ――そのまま、倒れ込むように地面に転がった。


「ぐっ、げぇっ!? 何、だ、こりゃっ!?」


 口から溢れる吐瀉物の中に沈む。視界は敵の居場所も認識出来ない程に霞み、巨大な四肢は無様に痙攣するだけで動かない。


 亜人の姿であった頃より、遥かに凶悪性を増した毒。リアムの再生力に比例する形で毒素を増したそれを前に、男には戦うことさえ許されなかった。


「死神の大鎌は、単なる毒じゃない。再生力の高さが、仇になったな」


「ちぃっ! くそ、力が、上手く入らねぇっ! 単なる、毒じゃねぇ、だと! なら、何がっ!?」


 静かに近付く、デュランが語る。リアムの問いには答えることなく、自身の都合だけをこの場で告げた。


「……お前のことは知っていた。枢機卿殺しの狂狼。六年前、十三使徒を弑逆したその時より、お前は俺の処刑対象と成っていた」


 聖教の剣たる十三使徒。中でも特別な立ち位置である十三位。彼は同胞殺しである以上に、聖教の敵にとっての敵である。


 故に聖教の敵とされる者の情報は可能な範囲で全て調べており、故にリアム・ファミーユのことも知っていたのだ。その生まれ、境遇に至るまでの全てを。


「全貌は分からずとも、その素性を探れば能力の方向性には検討が付く。だからお前には、これが一番通ると推測していた。結果は、予想の通りだ」


 同情の余地はある。されど、聖教の剣に同情などと言う機能は要らない。罪を許すのは彼の役目ではなく、彼は罪を裁く者であるのだから。


「く、そ、がぁっ!!」


(考えろ、何が原因だ? どう、対処法すれば良いっ! くそ、頭が、上手く回らねぇ。これ以上は、不味い。仕方ねぇ、賭けには、なるがっ!)


 窮鼠の足掻きを警戒しながら、ゆっくりと迫って来る処刑人。霞む視界の中に映る刻一刻と迫る姿に絞首台を連想しながら、リアムは死に物狂いで脳を動かす。


 四肢は動かず、立ち上がることは愚か上体を起こすことも出来ない現状。真面に動くのは思考だけで、それでこの状況をどう打破すると。出した結論は――


「っ、風よぉっ!」


「……自傷、か」


 左足に刻まれた刻印が輝いて、右腕の血肉をごっそりと抉り取る。大量の血が流れると同時に仕込まれた毒も流れたのか、体の痙攣が収まっていくのをリアムは感じた。


「は、ははっ。どんな毒だろうが、血ごと、抜いちまえばなぁ。それに、よぉ。今の、俺は、多少の傷なら、直ぐに治んだよっ!」


 そうして、ふらつきながら立ち上がる。骨まで晒す傷口は、それでも既に治りつつある。


 ならば今後は、時間は己の味方となろう。諦めずに喰らい付けば、勝ちの目は残っているのだと彼は咆哮した。


「成程、再生にも多少は時間が掛かるのだな」


「あ゛あ゛っ!?」


「想定以上に相性が良い。これで詰みだ」


 されど、迫る処刑人の顔に動揺の色はない。既に盤面は決している。チェックメイトは掛けられていて、王を逃がす場所など最早何処にも残ってはいないのだから。


「聖典顕彰――無価値なる罪人の裁定(ホクム・ラサルハグェ)


 片手の剣を地に突き刺して、空いた右手を胸に軽く当てる。そうしてデュランが取り出したのは、神々しく輝く一つの書物。


 学の無い者でも一目で尊い物だと分かる、その書の名を聖典。神が世界に残した奇跡は、男の手によって此処に行使される。


 掌の上で一人でに頁を広げた聖典が、解けて周囲と同化する。半円状の結界が形成され、世界を白く染め上げる。そして変化は、それだけではない。


「な、あっ!? 俺の、体が、戻るっ!?」


 リアムの体が、狼男のそれから人のそれへと戻っていく。抵抗しようと闘気を練り上げようとしても、そもそも闘気自体が上手く使えない。闘気だけではない。四肢に刻まれた刻印も、機能を失い唯の刺青と変わっている。


 そう。今のこの世界では、あらゆる異能が使えない。


「この領域において、俺もお前も、あらゆる異能に頼れない。神の奇跡は、此処にはない。あるのは唯――首を刈られるに足る罪人だけ」


(くそっ、毒と、血抜きの影響がっ! 治らねぇ内にっ!)


「では、処刑の時間だ」


 地を鞘に納めていた片方の剣を抜き放ち、殺意を込めて一歩を踏み込み二刀を振るう。


 鋭い踏み込み、鋭い斬撃。嵐を思わせるその刃を前にして、今のリアムに出来ることなど殆どない。


 霞む視界。失われた力。傷付いた体をどうにか抱えて、致命を凌ぐが限界だった。


「ぐ、く、そっ!」


「…………」


 あらゆる異能を封印し、真向勝負を強要する十三聖典。この領域において、両者の優劣は左程の差がない。本来ならば。


 だが現状、両手で二刀を振るうデュランに対し、リアムは圧倒的な不利にある。抜けきらない毒の影響、血抜きによる消耗、そして間合いの差。


 それらは運否天賦では覆せない程の大差となって、リアム・ファミーユに牙を剥く。迫る刃を前にリアムは致命を避けるばかりが限界で、しかしそれも何時までもは続かない。


(まずっ、とられ――)


 数度の交差。その先で、ふらつく足に力が入らず回避に失敗した。


 その隙を敵は決して見逃すことはなく、唯冷徹に冷静にその刃を男の首へと向かって振るう。


「その首、此処に置いて逝け」


 冷たい声が齎す死刑の宣告。窮地に陥った意識は走馬灯の如くゆっくりと事象を捉えるが、体が真面に動かぬ現状では何の意味も成してはくれない。


 首の皮へと触れた刃が血肉を容易く切り裂いて、喉と気道を潰しながら斬首に至らんとする。


 明確な死地に納得も後悔もなく、唯茫然とリアムはその命を終えんとし――――故に、女は此処で動き出す。


「はい、そこまで」


 甲高い音がして、デュランの刃が何者かに砕かれた。それをリアムが認識するよりも早く、彼の体はその何者かに蹴り飛ばされていた。


 加減がないと感じる程の衝撃で、家屋を幾つも貫きながら後方へと。飛ばされたリアムは遠のく意識をどうにか繋ぎ留めながら、瓦礫の中で己の首筋へと手を当てる。


 もう一度、狼男への変貌を遂げていた男。その彼の首は、正に皮一枚。肉も骨も全て断ち切られ、片方の皮だけが残っている状態だった。


「はぁ、はぁ……」


 それでも、死なないのが魔物の生命力。彼の心威が再起動したが故、断たれた首の血肉が膨らみ傷が癒える。


 だが、その傷を認識した瞬間の恐怖は直ぐには拭えそうになかった。


「まだ、ある。だが、後1秒。いや、コンマ以下でも遅れていたら――」


 ぶるりと背後を悪寒が走る。ほんの数瞬でも助けが遅れていれば、或いはこうして敵の聖典の効果範囲外で魔物の生命力を取り戻せていなければ、己の命は既に失われていただろう。


 それが分かって、恐怖し安堵した。そんな矮小な己が、根が修羅とは異なる事実が、どうしようもなく情けなかった。


「リアム君、生きてる~? まだ首、全部は取れてなかったわよね。修羅なら確実に生きてるのだけど。ごめんねぇ、リアム君が修羅じゃなかったこと、ちょっとど忘れしていたの」


「生きてるよ、糞がっ!」


 崩れた建物の向こうから、掛けられる声に苛立ちを抑えられず乱暴に返す。修羅ならば、その言葉が何時も以上に彼の心を抉る。分かってはいた、筈なのに。


 そうとも、他の六武衆ならば、修羅と生きた彼らならば、首の皮一枚残ったことに安堵などしまい。そのまま命を終えるとしても、彼らは嗤って死ぬ筈だ。


 リアムには、それが出来ない。そんな弱さが、酷く疎ましかった。


(情けねぇ。朧に助けられなきゃ、今ので俺は死んでいた。糞ったれにも程があるぞ、リアム・ファミーユっ!)


 助けられなければ死んでいたこと。死ななかったことに安堵したこと。助けた相手に怒鳴り返すような言葉しか返せなかった狭量さ。


 それら全てに腹を立てながら、リアムは立ち上がって前を見る。落ち込んでいる暇などないと、そんな彼が見上げた先で黒髪の美女は笑顔で手を振っていた。


「朧、助かった。……だが、これ以上手を出してくれるなよ。テメェの尻拭いくらいはさせてくれっ!」


「う~ん。負けたのに偉い! そういう理由なら修羅的には、二つ返事でオッケーしたいんだけどね。……もう居ないわよ、あの子」


「はっ?」


 圧し折った剣の残骸をペン回しのように指先で遊ばせながら、微笑み語る朧。その言葉を、リアムは一瞬理解することが出来なかった。


「見切り早いわよねぇ。私が来た時点で、尻尾を巻いて即座に逃げたわ。隠れるのも上手みたいだし、追い掛けるのは難しそう」


 中央への襲撃で、朧の実力は知られている。だが、だからと言って恥も外聞もなく即座に逃げ出すなどあるか、と。リアムは一瞬考えて、即座に躊躇するような奴ではないと断じる。


 デュラン・カルリエ=ラ・モール。あれは戦いに誇りや矜持を持ち込まないタイプの戦闘者だ。それはそれと割り切って、合理的に敵の排除だけを狙う。敵対者としては、最も厄介な部類と言えよう。


「――っ! なら、何でそんな余裕そうにしてやがるっ! 分かってんのか、野郎は相当に厄介だぞ!? 単純な強さもそうだが、それ以上に性質の悪い戦い方をしやがるっ!! お前や武鋼の爺さんなら兎も角、子龍や姫乃の奴だとやべぇっ!! 他の連中と戦っている最中に横槍が来れば、確実に打ち取られるっ!!」


「そうねぇ。油断した背中をざっくり、と言うのも厭わなそうだし。下手をしたら私でも危ないんじゃないかしら。あらあらまあまあ、中々素敵ね。惜しむらくは、もう少し小柄で可愛げのある方が私の好みって所かしら」


「んなこと聞いてねぇよっ!? 兎に角、とっとと他の連中を助けに行かねぇと」


「不要よ」


「あ゛っ、何でだっ!? まさか、修羅の闘争に横入は無粋とか言うんじゃねぇよな!」


「そういう気持ちも、ない訳ではないけどね。要らないのよ、増援なんて」


 己に土を付けた相手の凶悪さを語るリアムに、朧は首を振って増援は不要だと返す。何故、と視線で問う男に朧が返す言葉は一つだけ。


「リアム君が死に掛けた時点でライン越え。彼らは脅威と見做された。……赤鸞が動くわ」


「陛下がっ!?」


 炎王が動いた。唯その一言だけで、リアムも確かに理解する。最早増援など必要ない。東国六武衆の将たる炎王こそは、世界最強の存在なのだから。


「くそっ、本気で情けねぇ。陛下の手を煩わせるなんて、臣下に相応しくねぇ。失格だろ、何て無様だっ」


「……相変わらずの忠誠心。君の臣下ハードルがどのくらい高いのか、それ全部満たしたパーフェクトな臣下ってどんな奴なのか、ちょっとだけ気になるわね」


 王の身を案ずることはない。仲間の心配をする必要もない。それら全てが、王に対する軽侮にも等しいのだから。


 己の不手際を悔やんで落ち込む忠臣の姿に、幼馴染の情と義理で付き合う女はほんの僅かに疑問を零して。そんな態度が示すように、彼らの中では最早この戦いは終わったような物であった。


 天下無双の王が、敗れることなど決してない。これは東国六武衆の、否、東の修羅全てが抱く総意に他ならぬのだから。






聖女の弟VS賢者の息子。純粋な技量ではリアムが少しだけ上ですが、総合的にはほぼ互角な両者。デュラン君が初見殺しの塊なのもあって、初戦はこんな感じ。

リアムが作中で言ったように、四席以下では対処の難しいデュラン。初戦に限り、と言う前提はありますが子龍や姫乃相手でも今回と似たような結果になります。


流石に三席より上は初戦でも難しいものの、相性は悪くないので二席の朧にも勝機はある。武鋼とは相性が悪いので初戦でも厳しい。そんなデュラン君が今回の増援組では最高戦力です。

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