第51話
十三使徒VS六武衆①
「十三使徒。中央の狂信者共かっ!」
「貴様ら修羅に狂人呼ばわりされるのは、些か以上に不快だな。戦狂い共め」
崩れ落ちた城壁を背に、二人の女が向かい合う。和甲冑の女は脇差を手に構え、対する軍服の女は吐き捨てるように返しながら剣を抜く。
片刃の剣の鍔は、雪のように白く冷たく。その刀身は澄んだ氷のように細く冷たい。その名は氷桜刃。雷招剣の姉妹剣として作られ、同じく三騎士の一人が用いたと言う伝説の残る剣である。
「知っているぞ、貴様ら十三使徒とやらは、聖典と呼ぶ切り札を使うらしいな」
互いに刃を手に向き合いながら、姫乃が口にしたのはそんな言葉。
先立って中央にて十三使徒と交戦した朧と武鋼、過去に十三使徒の一人を倒しているリアム。彼らから、姫乃も確かに聞いている。
聖教の切り札たる最高戦力、十三使徒が用いる聖典と言う力。その厄介な性質を耳にしながら、嗤うのは修羅らしい感性と言うよりかは傲慢な彼女の性質が故。
「無聊の慰めには丁度良い、風変わりな見世物だ。私の目を汚す栄誉をくれてやろう。さあ、此処で見せてみろ」
そう。女の言葉は唯の慢心だ。より良い闘争を求める修羅の本能も確かに多少は混ざっているが、姫乃自身そうした直接的な戦いは趣味じゃない。
故に見せろと彼女が言った理由は単純に、相手がどのような力を使おうとも、己ならば問題なく処理出来ると言う根拠なき自負があるからなのだ。
「断る」
「何!?」
「断ると言った。貴様には、聖典を使うまでもない、とな」
姫乃の言葉に、オードレは不機嫌そうに鼻を鳴らして告げる。さて、女の拒絶の意味とは何か。その意図を探るような素振りも見せず、姫乃は腹立たしいと激昂する。
彼女にとって、己と王以外の人種は須らく劣等種。百歩譲って同胞たる六武衆の実力は認めていても、外付けの切り札に頼る十三使徒など認めよう筈がない。
故にその低劣な者らが、己の意に従わぬことなどあって良いことではない。己よりも格下であるべき相手が、己を前に余力を隠そうなど許せることではないのだ。
「この私を侮辱するかっ!」
「そうとも、侮辱した。気に入らんと言うならな、己が力で黙らせてみろ」
「吠えたな、十三使徒っ!」
吐き捨てると共に、姫乃は大地を蹴って踏み込む。一瞬で彼我の距離を縮めた後、振るわれるのは短い刀身。それを氷の刃が受け止めて、甲高い音が周囲に響く。
一度、二度、三度、四度。一息の呼吸を挟む間もない連撃に、半歩遅れて返される刃。打ち合うそれらが火花を散らし、最後に一度。一際大きな交差を経てから両者は退く。
顔に浮かんだ色は真逆。一人の女の頬に浅く刻まれた傷から、血がゆっくりと滲み出しては滴り落ちる。侮蔑の悦楽に歪む姫乃の顔を見て、オードレは目付きを鋭く細めた。
「はっ、威勢が良いのは口先だけか。未熟に過ぎるぞ、劣等種。これならまだ、其処で倒れている師団長の方がまだマシだ」
「ふんっ。己の無才は自覚している」
姫乃は喜悦と共に、刀に付いた汚れを振って落とす。嘲笑と侮蔑の籠った女の言葉を受けて、オードレは鼻を鳴らして答えを返す。
十三使徒たる女の剣は、確かに早く鋭い物だ。一流と呼んで良い域には、到達していると言えるだろう。
だが、相対するは武芸者としては超一流しか居ない六武衆の一角だ。末席とは言え、その技巧は一流程度の域には収まらない。
そんな超一流の実力者にしてみれば、オードレの剣は単調だった。僅か数手の交差で底を暴いて、こうして一方的に傷を付けてしまえる程には、彼女の剣には才能と言うものが欠けている。
「どうにも、これ以上には至れなくてな。素直に羨ましいと思うよ、貴様らのように戦の才に溢れた輩はな」
オードレ自身、自覚はあるのだ。武芸の才には、恵まれてはいないと。反応速度が遅い訳ではない。反射神経が劣っていると言う訳ではない。体捌きが未熟と言う訳でもない。
唯、勘の働きが鈍い。咄嗟の状況で直感に身を任せると、どうしても下の下と言う動きをしてしまう。端的に言えば、センスと言うものが欠けていたのだ。
「生来のセンスの無さ。それをカバーする為に鍛錬を重ねた所で、動きの型は単調となる。さりとて下手に崩せば、下の下に落ちる。貴様に言われずとも、分かっているさ。私に剣の才はない」
鍛錬を重ね、動きのパターンを骨の髄から沁み込ませることである程度は改善された。だがそれでも生来の資質は拭い切れず、教本から外れた動きをした瞬間に襤褸が出る。
雷将に教えを受けた時から、才能がないと断言された身。自身より才溢れる妹弟子達が、自身よりも高みへ上っていく焦燥。そんな中でも胸を張って生きるため、他者の十倍以上の質と量を己に課した。
結果として至った今になっても、近接戦と言う分野においては同じ英雄域の者らに一歩も二歩も劣っている。
或いは格下にすら、剣と言う分野では負けかねない。それがオードレ・アルマ・カイ・ダグラスの限界だった。
「だが、それでも明確な事実は揺るがない。剣才に溢れた筈の貴様は、無能な私の首さえ落とせていないぞ?」
されど、剣の技量など目的を果たす為に必要な分だけあれば良いのだ。そう確信しているオードレは、何処か小馬鹿にするように皮肉を返す。
「これから、そうさせて貰うと言うだけだっ!」
その挑発を受け、奥歯を嚙み砕かん程に怒りながら、公方姫乃が脇差を手に再び踏み込む。既に相手の動きはある程度見切れている。故に、この斬撃は躱せまい、と。
神速の踏み込み。視認さえ許さぬ抜刀。これを防ぐ為に必要となるのは、正にセンスだ。見えない程の速度で振るわれる斬撃を防ぐには、見える他の要素から動きを推測せねばならない。その為に必要となる観の目を、オードレと言う女は有していない。
故に、この一撃は防げない。――真面に斬り合ったのならば、の話だが。
「氷晶一迅・極」
「な――に――っ」
オードレが言葉を紡いだ瞬間、姫乃の動きが硬直する。傍目に見れば、突然振り抜いた刀を振り切らずに自ら止めたかのような異様な動き。
だが主観で見れば、認識出来ない程の速さで相手が動いたようにも等しくあった。故に返しの刃を防げず受けて、姫乃の腹から赤い血が周囲を彩る。
「何だ、今のは? 何を、された?」
大気を染めた赤色は、地に辿り着く前に凍り付く。一体何故と、女が懊悩する間も修羅の体は自動で動く。後退する姫乃に対し追撃は出来ぬかと、オードレは小さく息を吐いた。
「考え事をしている余裕があるのか、今の貴様に」
「ちっ! はぁ――っ!!」
オードレは大地を凍らせると、滑るように移動する。冷たい言葉と共に刃を振るう彼女に向けて、姫乃は舌打ちを一つ零してから刃を振り下ろさんと振り下ろす。
オードレの動きは単調だ。姫乃の目には、斬撃がどの方向からどのタイミングで来るのか手に取るように分かっている。故に当然、当たり前のように通る筈の迎撃は――しかし動きの硬直によって止められた。
「ち――ぃっ!?」
「そら、隙だらけだっ!」
「く――っ」
当然生まれる隙に向かって、オードレの剣が打ち込まれる。赤い血が再び宙を彩り、痛みに顔を歪める姫乃は漸くに自身に起きている異常を悟った。
「動きが、急速に加速した? いや、違う。私を停止させたのか、貴様はっ!?」
「気付いたか」
極寒の風が吹く。それは天の星々さえも凍らせて、時さえも止めてしまう秘奥。剣の才なきオードレ・ダグラスと言う女が、しかし辿り着けた到達点。
「剣の才覚はなかったが、幸いこちらの才は並以上にはあったようでな。私の冷気は、時間さえも凍て付かせる」
周囲の時間を凍らせて、限定的に停止させる。体感にして5秒にも満たない時間停止ではあるが、担い手の実力が一流域にあるのならば途轍もない脅威となろう。これは正に、近接殺しの技法であった。
「さらに一つ、ハードルを上げよう。雷翔流戦法が派生の一つ、防之型が壱、氷晶円陣!」
そして、オードレは更に畳み掛ける。膨大な冷気を周囲に発して、天候さえも変えてしまう。空より雪が降り注ぐ。
吹き付ける風は強風へと変わり、やがては目の前さえも見通せない猛吹雪へと。
唯、その場に居るだけで消耗する極寒の世界。この場所こそ、オードレが最も真価を発揮出来る戦場である。
「周囲一帯を包む極寒の世界。極低温の領域で、果たしてどれ程抗えるか。見せて貰おうか、上等種!」
大地を滑るように移動して、その手にした氷のような剣を振るう。周囲の天候を変えながら、同時に時間停止の力を時折混ぜる。常識で考えれば、消費が多過ぎる筈の行動。
されどオードレが疲弊の色を見せない理由は、一つに手にした剣の存在。水と風の精霊を合わせた氷の術を使う際に、それを増幅させると言う氷桜刃の有する機能が故であろう。だが、それでも常人ならば数分で力尽きる筈である。
そんな無理を跳ね除けるもう一つの理由は、彼女に流れる血が故だ。五大貴族の一角たるダグラス家は、元は西方に属する者らである。中央と西方の戦争の折、西を裏切り下った家系であった。
元は水の精霊王の眷属であるレーヴェの一族。その分家がダグラス家であり、その末たるオードレの体にも水の精霊王の血が流れている。
青い髪はその証明。カイの名はその証左。彼女は青の貴種ではないが、それに準ずる資質を有していたのだ。
その膨大な資質と手にした剣の性能で、本来必要となる消費を大幅に軽減している。故に常人ならば数分が維持限界となる力すら、彼女は数時間単位で発動し続けることが可能であったのだ。
「くぅぅぅぅっ!」
「はぁぁぁぁっ!」
尽きぬ力で展開される氷原で、狩人と獲物の位置は不動。剣を振るう為の前動作さえ、その途中で停止するのだ。真面な抵抗さえも、今の姫乃には許されない。
姫乃が剣を振ろうとした動きを止めて、後から刃を振るったオードレがその身を傷付ける。遅れて振り下ろした刃がオードレの身に届く前に、彼女は悠々と後退するだけで躱せてしまう。
「はぁ、はぁ……くっ、おのれぇっ!」
更にはこの極寒だ。吐いた息さえ白く染まる空間では、唯呼吸を続けるだけでも酷く消耗してしまう。
傷口から流れる血はすぐさまに凍り付き、全身の動きは停滞の力場がなくとも鈍く重い。
凍死と失血死、果たしてそのどちらが先か。そんな状況を押し付けるオードレは、決して無理には踏み込まない。
そうである以上、このままでは敗色が濃厚だ。鈍った思考で、歯噛みしながら、姫乃は一つ腹を括った。
――外功実行・以って我は心威を示す――
「判断が遅いなぁっ!」
「――――っ」
切り札を使う、と。その判断はしかし、オードレが言うように既に遅い。
姫乃の動きが変わった途端に、オードレが烈火の如くに猛攻を始めたのだ。
「詠唱に時間が掛かること、それこそ貴様らの最大の弱所だっ!」
――神鬼助持、菩提不退、有求皆従、業道永除――
言葉で語る必要はなく、心の形を示せば良い。とは言え、心威を発動する際には思考をそちらに寄せる必要性がある。
集中が必要なのだ。そしてそんな心威の有する最大の弱点は、どうしても発動までに時間が掛かってしまうことだろう。
思考の速度さえも停止させられる相手を前に、発動に時間が掛かると言う弱所は余りにも致命的であった。
「心威とやらを使う心算なら、無駄に拘ることなく、もっと早くに手札を切るべきだったのだよっ!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
最適解は間違いなく、オードレが時間を止める前。その時点で使っていたなら、彼我の立場は或いは逆転していただろう。
そう断じることが出来る程度には、両者の実力に開きはない。単純なスペックならば、寧ろ姫乃の方が上なくらいだ。
しかし、現状で王手を掛けているのはオードレの側である。
「修羅の上澄みと言えど、一番下はこの程度か。詰め将棋のように嵌めてしまえば、何も出来ずに命を終える」
この状況を生んだのは、互いの相性と女が心に抱えた慢心だ。
一度油断してしまったのなら覆せない状況を作り出せる、そんな相手の力を見抜けず傲慢な振る舞いを続けた姫乃の未熟が故にこうなったのだ。
「さあ、雪原に眠れ。この一撃を手向けとしよう!」
軍服の女は、右手に握った剣を大きく掲げる。左の柄に当て、その刀身が蒼く光り輝いた。
明らかに大振りの一撃が来る。そう分かっていながらも、途中で停止してしまう姫乃の体は追い付かない。
「攻之型が参っ! 氷晶、蒼波刃!」
刀身を覆う光の刃が巨大化し、そのまま一息に振り下ろされる。如何にか間に合わせた脇差は熱したバターのように断ち切られ、姫乃の体は袈裟に大きく切り裂かれた。
「が、はっ、う、あぁ……」
咄嗟の後退も間に合わない。大地に転がる女の胴は、最早骨一本で繋がるだけ。中身を幾つも地面に零しながら、荒い呼吸を漏らし続ける。
決着は付いたと断じるように、オードレは剣を鞘に納めた。
「……不憫な、まだ意識があるか」
油断なく距離を取りながら、静かにその身を見下ろす。公方姫乃と言う女は、もう長くはないだろう。
そう確信させるだけの傷を負っていて、ならば仕留めてやるのが或いは慈悲か。とは言え、オードレは自ら近寄ろうとはしない。
一つに窮鼠の一撃を恐れるが故。時を停止させなければ、接近戦では確実に負けると自認している。
センスの無さも相まって、オードレ・ダグラスと言う女は想定外の一撃に弱いのだから。
「寒さは慈悲だ。あらゆる感覚を失って、眠るように終わるが良い。それが貴様の為でもあるよ」
そしてもう一つの理由は、近付く必要がないからだ。振り続ける吹雪は、あらゆる感覚を麻痺させる。死の間際に感じる痛みすら、氷は全てを冷たく閉ざす。
痛みも苦しみも与えることがないのなら、介錯なんて不要だろう。リスクのある行為を徹底的に避けるオードレは、これで終わりだと腕を組んで目を伏せる。
最早戦いの結末は、誰の目にも一目瞭然だった。
されど――
「わた、しは……」
その女には――
「私、は……っ」
或いは、遠く見詰めて動かぬ王の目には――異なる結果が見えていたのだろう。
「まだだっ! まだ、死ねないっ!!」
そう。まだ、終わりじゃない。修羅と言う生き物は、古き文明が作り上げてしまった戦闘生命は、こんな程度では終われない。
いいや、違う。終われないのではない。常人ならば終わると言う傷を負った瞬間こそ、修羅と言う怪物たちにとっては始まりなのだ。
「な――っ!?」
驚愕の声は、油断なく見据えていたオードレの口から。
瀕死の重傷を負っている姫乃の体から溢れる闘気が天高くまで湧き上がり、荒れ狂う吹雪を跡形もなく消し飛ばしたのだ。
「氷界を、力尽くで吹き飛ばしただとっ!? 馬鹿な、その傷でっ!?」
全ての雲が吹き飛んで、晴れ晴れとした夜空の下。満月を明かりに浮かぶのは、死体と見紛う女の姿。血に塗れ、臓物を撒き散らしながら、公方姫乃は二つの足で立ち上がる。
その姿に、オードレの思考は驚愕で固まる。あり得ない。あり得ない。その思考こそが予想外。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「致命傷を負っているのに、気の総量は増えている!? 増えた力で強引に肉を再生させて、まだ動くと言うのか!? 貴様はっ!!」
死滅していた細胞を、闘気で強引に叩き起こして機能させる。千切れた肉が、裂けた皮が、音を立てて塞がっていく。傷口を闘気で強引に塞いで、それでも足りない臓器は気を巡らせることで代替とする。
心の臓を失くしたならば、周囲の筋肉を強引に伸縮させ続けることで血流を動かす。姫乃が行っている行為は、そんな机上の空論どころではない無茶な屁理屈と同じものだ。人間ならば、英雄級でも、その途中で死んでいる。だが修羅とは、それでも死ねぬ生き物だった。
これは常識で考えればあり得ないこと。だがそれを当たり前に行ってみせる生き物こそが、修羅と言う名の怪物達。
公方姫乃は当たり前のように立ち上がると、産声にも似た、高らかな笑い声を上げ始めた。
「ああああああああはははははははははははははははははっ!!」
そう。それは、確かに笑い声。顔に刻まれている亀裂は、確かに満面の笑みである。
鬼と見紛うような形相。狂相としか言い表せない程に歪んだ表情。憤怒と憎悪と屈辱に彩られたそれは、それでも笑みだとしか言えないものだったのだ。
――外功想行・以って我は心威を示す――
「ちっ! やらせるかっ!」
――神鬼助持、菩提不退、有求皆従、業道永除――
嗤いながら心威の詠唱を始めた姫乃に対し、漸く思考が追い付いたオードレは剣を構えて周囲に力場を展開する。
吹雪が吹き荒れ、空を覆う。極寒に凍り付いた大地を滑るように疾走し、オードレ・ダグラスは剣を振るう。その直前に世界を凍らせ、時間の流れをゼロにした。
相手の技が成立する前に息の根を止める。それはそんな、合理的な判断による当然の対策。されどそんな合理を、修羅の不条理は容易く踏み躙ってしまう。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「こいつっ! 凍り付いた世界で、動いただとっ!?」
溢れる闘気が、凍った時を強引に動かす。否、時を凍らせると言う力を無理矢理に吹き飛ばしたのだ。
結果として姫乃の動きは止められず、仕掛けたオードレは返す刀で逆袈裟に斬られていた。
「くっ、冗談では、ないっ!」
血が噴き出して、吹き飛ばされる。振るわれた脇差が半ばで折れていなければ、この一撃で既にオードレは命を奪われていたことだろう。それ程に、それは鋭い太刀筋だった。
「はは、ははは、はははははははっ!」
よろけるように蹈鞴を踏んだオードレに対し、次から次へと振るわれる斬撃。如何にか受けようとするも受け切れず、女は一方的に傷付いていく。
気の強化で、姫乃の剣速も増しているのだ。元からあった近接戦での技量差を思えば、オードレに抵抗など出来る筈もない。
「力押しで、こうも良いようにされるなどっ!!」
時の凍結はもう通らない。時間停止の力と言えど、その本質は精霊力による世界への干渉だ。ならばオードレが干渉に用いた以上の力を以って、世界に止まるなと命じてしまえば防げてしまう。
凍らせることに特化したオードレの世界干渉に対し、姫乃のそれは遥かに効率が悪い物だろう。だが十倍・百倍の効率差があったとしても、百倍・千倍の出力で干渉すれば覆せる。姫乃が行っているのは、そういう類の力技だ。
世界を一瞬凍らせても、その直後に無理矢理破られる。僅かな一瞬で出来ることなど、折れた脇差から後退して逃れることだけ。
もしも剣先が折れてなければ、振るわれる斬撃全てが致命傷に至っていたであろうもの。その事実に、オードレは頬を引き攣らせることしか出来ずにいる。
――秦広・初江・宋帝・五官・閻魔・変成・泰山・平等・都市・五道転輪――
「あははははははははははははははっ!!」
狂笑と共に、詠唱を続けながら、姫乃はその刃を振るう。防戦一方となったオードレは、襲い来る刃を辛うじて躱し続けるも無傷では済まず、少なくはない手傷が増えていく。
壊れたように暴れ狂う姿となっても、修羅の技巧は変わらない。いいや、それどころか、より鋭く、より巧みに、実力を増してすら居る。
生命の窮地においては、あらゆる要素が急激に成長する。それこそが、修羅と言う生物が有する性質故に。
――我、六道輪廻を巡る者。クシティ・ガルバの名の下に、汝ら衆生を裁く者――
「これが、修羅か! 命の危機において、爆発的に強く成るっ! 戦いの為に生まれたと言う怪物かっ!!」
そうとも、これが修羅。古代の民が生み出してしまった哀れな戦闘生命は、自己の生命の危機においてその真価を発揮する。
死を間近にした時、修羅の内包する闘気の量は常の十倍に膨れ上がる。更には戦闘技能が須らく向上し、以前は出来なかったことさえ可能となる。
――罪深き者よ、汝が言は嘘である。例え真実が如何なるものであろうとも、我は定め裁くのだ――
「清々しい気分だっ! 私は、私達はっ! これ、この感覚こそが、我ら修羅が求め続ける闘争だっ!!」
此処に、公方姫乃は一つ上の位階に上った。己の未熟と傲慢から、至れなかった第二の心威。其処に今、女は確かに至ったのだ。
――心威・解放――
「影の形に随う如く――裁け、人頭杖!」
心威の質が変わる。格下を確実に殺し尽くす屠殺の結界が、同格の強者を一方的に嬲り殺す処刑の場へと。
これが発動したならば、オードレの勝ち目は零となる。彼女を殺す為に、変質した心威であるのだ。当然耐えられぬし、最早真っ当な手段では発動を防げもしない。
故に――
「聖典顕彰――っ!」
オードレもまた、切り札を使った。故に、これにて戦いは終わる。オードレの有する聖典は、そういう性質の物故に。
苦々しい顔をしたオードレが深く息を吐く。その白い吐息が空に消えるのと同時に、嗤い狂っていた姫乃の体は唐突に倒れ伏したのだった。
「な――くっ、あ……っ」
「……認めよう。貴様は私よりも強い。取るに足りぬと下した判断は誤りだった。そうとも、お前は聖典を使うに相応しい敵手であったよ」
かちゃりと剣を鞘に納め、懐より取り出したのは紙タバコ。過剰な鍛練の影響で、常に痛む体を動かす為の痛み止め。
それを一つ口に咥えて、指先に灯した火を付ける。今も震える心と鼓動を落ち着かせる為に一つ吸い、オードレは深く深く煙を吐く。
「まだ、私は、まだだ、私は――っ」
「また気の量が膨れ上がったか。目算だが、一度瀕死になる度に、凡そ十倍か? たった二回で元の百倍とは、馬鹿げた話だ」
最早終わったと断ずるオードレの前で、地に伏した姫乃の体から吹き上がる闘気の量が膨れ上がる。
死に瀕していると言う感覚がある限り、修羅は無限に成長を続ける生き物だ。故にそう、此処は彼女の限界などではない。
「その全てを強化に費やすことは、肉体と言う器が耐えられぬ故に出来ぬとは言え。無尽蔵の闘気量は、無尽蔵の生命力と同義だ。体力切れは、貴様らにはない。……最早、笑うしかないぞ。真面にやり合えば、どうしようもない。貴様ら修羅と言う奴は、理不尽に過ぎる生き物だな」
その闘気量は死に瀕する度に、それまでの十倍に膨れ上がる。そしてそれ以外の能力も、全てが研ぎ澄まされて向上する。とは言え、その戦力がそのまま十倍になると言う訳ではない。
事実上、無限に闘気が増え続けるとは言え、肉体の方が強過ぎる強化に耐えられなくなる。故に二回目以降の強化の幅は、覚醒と言う程に大きな物には成り得ない。
それでも、種の全てが瀕死時に強化されて復活すると言う性質を有するのは明確な脅威ではあろう。同じ土俵で立ち合えば、先ず人間は修羅には勝ち得ないのだから。
「だが、如何に強く成り続けようが無駄だよ。我が聖典、狩り立てる牡牛の法則は、必中にして必殺の理だ」
その道理を覆す不条理を更に打ち破ったのは、神より授けられた十三の聖典が一つ。オードレが担い手として選ばれた、狩り立てる牡牛の法則による物である。
「私が剣を振るう前に、私が剣で斬ったと言う結果を残す。斬られる場所は、標的の最も脆弱な部位。詰まりは我が聖典の能力は、防御も回避も不可能な一撃を神速で打ち込むと言うものだ」
絶対先制の一撃を、最も弱い場所へ絶対に命中させる。言葉にすれば単純で、しかし余りにも凶悪な奇跡。
圧倒的な大差があれば覆すことこそ難しいが、こうした彼我の実力が拮抗している状況においては最悪に分類出来る鬼札だった。
「その性質上、こうして剣を振るう必要さえない。私が使おうと思った時点で、お前は既に私に斬られている。故、我が聖典は我が敵に対する必殺となるのだ」
剣を振るう、と言う必要さえ第二聖典には必要ない。今正に姫乃が斬撃を受け続けているように、思った時点で敵は切り裂かれて倒れるのだから。
オードレが斬ろうと思う限り、姫乃の敵意が消えぬ限り、その斬撃に終わりはない。
「全く以って、強過ぎる力だ。こんなものに頼ってしまえば、唯でさえ足りぬ剣の腕が更に鈍る。故に好かんのだ、これを使うのはな」
そう。余りにも強大過ぎる力だ。数ある聖典の中でも上位に位置するこの能力を、オードレ・ダグラスは好まない。故に彼女は、追い詰められるまで使おうとはしなかったのだ。
その点で言えば、此度の戦闘はオードレにとっては敗北と同義だ。使いたくはなかった奥の手を切らされた。そこまで追い詰められてしまったのだから、勝利の美酒など味わえよう筈がない。
「あ、う、うぅ……あぁぁっ!」
「まだ足掻くか。無駄に苦しむだけだと言うに」
それでも、勝者と敗者は明白だ。大地に崩れ落ちた姫乃の体には、今尚斬撃が刻まれ続けている。
その度に死に瀕し、爆発的に闘気量を増やし続けてはいる。されど増え続ける力も、使う場が与えられなければ無意味である。
「吸い終わるまでには、諦めてくれると有難いんだがね。まあ、貴様の命が尽きるまで、気長に付き合うとしよう」
思った時点で刻まれる斬撃に、使用回数などと言う無粋な制限はない。彼女が斬ろうと言う意志を失わぬ限り、永劫に敵対者は切り裂かれ続ける。
故に倒れた時点で、姫乃にはもう起き上がることさえ許されてはいなかった。
ドー姉は才能面ではアーちゃんより下。現時点でも同条件で斬り合った場合、泥試合の果てにギリギリでドー姉が負けるくらいの技量差です。
それさえも後遺症が残るレベルの鍛錬で漸く身に付けたと言う程の無才。本作で一番剣の才能がないのは、ドー姉で間違いないでしょう。
反面、精霊術師としては最上級の才能の持ち主。多分、後方で術師やってた方が簡単に大成出来たであろう人。でも実家の方針で、その道は選べなかった人。
聖典抜きでも英雄級の実力者で、第二聖典が反則級の能力を持つことも相俟って、現在では最上位の実力者の一人と成っています。




