第46話
最初からクライマックス。
◇聖王歴1339年風ノ月30ノ日
防壁の一部が倒壊したまま、それでも威容を誇る城塞都市。北方唯一の都市であるコートフォールに、この今に行き交う人の影は少ない。
それも当然のことだろう。シャーテリエの森の異常に端を発し、六武衆の宣戦布告と大魔女の襲撃。それら異常事態が、この30日の間に連続したのだから。
特に民間人も多く犠牲になったアリスの戯れ。状況を軽視していた者らもそれには耐え兼ねて、中央への帰省や西への避難数は増加。今ではもう、民間人など殆ど残ってはいない。
この今にコートフォールに残っているのは、行き場のない者や船に乗る金もない貧民層。そして各々が覚悟して、この地に敢えて残った者らくらいか。雷将の異名は敗れた今も、安くはなかった。
六武の襲撃を生き延びた騎士たちに、大魔女に消されなかった軍人たち。そんな彼らを支えるために残った者ら。誰も彼もがそうして立ち向かうことを選んだ訳ではないが、少なくはない数の者たちが戦うと言う道を選んでこの地に残った。
雷将クリスはそんな者らに頭を下げて、城の一部を解放した。行き場のない者らもそこに集めて、戦争に向けた準備を重ねていく北方政府。彼らに勝ち目は、恐らくない。
誰もがそれを肌で感じていて、だが己が矜持のために諦めることなく勝利を目指していた。
「アンジュ、今日が最後よ」
そんな白亜の一室にて、朝を迎えた少年少女たち。彼らが今も此処に残っている理由は、雄々しい戦士たちのそれとは異なる。
今宵の刻限を前にして、慌ただしく駆け回っている軍人たちのような覚悟はない。
寧ろ異なる部屋の中で、身を寄せ合っている逃げ場のない者ら。彼らの方が、少女たちの心情には近いか。
彼らと違って、逃げる手段は少女らの手の内にある。それでも、逃げて良いのかと言う迷いがあった。
吸血鬼の残した毒は深く、未熟な心の内に巣食っている。常宿となりつつあった宿が閉鎖されて数日が経つと言うのに、それでも彼女たちはまだ道を決めてはいなかった。
「ああ、分かってる。分かっては、いるんだよ」
ミュシャの問い掛けに、アンジュは苦みを噛み締めるような表情で言葉を返す。
この場に居る三人の少年少女たち。中でも一番迷っているのは、アンジュ・イベールと言う少女であった。
そんな彼女でも、しかし現状は分かっている。東の地から、恐ろしい修羅がやって来るのだ。
玉しかいない集団の中に、アンジュが太刀打ち出来る相手はいない。ならば残った所で、足手纏いにしかならないと。
分かっていて、それでも迷ってしまうのは情があるから。
重ねた時間と想いがあって、逃げ出すことを良しとしない自分が居る。
逃げ出したら、もう立ち上がれない気もしていた。
アンジュ・イベールは弱いのだ。歯を食い縛って腹を据えねば、低き方へと安き方へと流れてしまう。
此処で家族を見捨てて逃げて、その後の自分はきっと録でもない者になるのだろうと分かっていた。
それでも残ろうと口に出来ないのは、アンジュには何も出来ぬから。この三人の中に、何かを為せる者が居ると言うなら、それは悪竜王だけである。
それが分かって、だからと縋り付くような真似は出来ない。ならば逃げるしかないと言うのに、その決断さえ下せていない。いつも中途半端だと、少女は自責し迷っている。
「私は、船に乗るべきだと思う」
対してミュシャは、既に腹を決めている。選んだ道は、悪く言えば逃避と言う選択肢。だが合理的に考えれば、それしかないと言える道だ。
少女の師である吸血鬼。彼女の真意を暴くことは難しい。その裏を取ろうとした所で、足を掬われるだけだろう。故に雷将と同じく、ミュシャも考えるだけ無駄だと思考から外した。
その上で、逃避と言う道を選んだ理由は幾つもある。例えば自分たちの実力不足だとか、或いは北と東のどちらが正しいか分からぬ点だとか、そして何より最たる理由は――傷付けたくない子が居るからだ。
「此処に居ても、“私達”に出来ることはない。この子に頼るだけになる。それはきっと、良いことではないと思うから」
「?」
何を言っているのかも分からず、小首を傾げているヒビキ。未だ微睡む少年は目覚めることはなく、誤魔化すように笑って髪を撫でられて、猫のように目を細めるだけ。
だからこそ、少女は思うのだ。この子を危ない目に合わせたくはない。辛いことを押し付けたくはない。
妹と、庇護対象と、重ねて見るが故にこその結論。正否の是非など知れぬ中、ミュシャがそうと決めるのは当然だった。
「……けど、私は、親父や、シャル姉を残していくのは、正直、嫌だ」
告げられたアンジュは一瞬言葉に迷って、それでもと口にしてしまう。頭では分かっているのだ。けれど理屈ではないのだと、心が何処かで叫んでいる。
情けないと拳を握り俯いて、それでも何が出来るのだと冷静な自分が責め立てる。或いは弱い自分と形容しようか。そんな己が、どうせ死ぬなら前のめりに死ぬべきだろうと叫んでいたのだ。
「それに此処で逃げているようじゃ、私は何処にも行けなくなるから」
アンジュにとって、二つの選択肢はどちらも死を意味している。
立ち向かうことは、何も為せずに敗れて肉体的な死を迎えることと同義だ。
だが逃げ出すことも、生き延びて己の心を腐らせていく精神的な死と同義と言えた。
だからそう、アンジュの心は残るべきだと叫んでいる。逃げ出すならば、ヒビキとミュシャだけで行かせれば良い。
目的がずれたから、進むべき道が分かれたから、ここでパーティを解散しよう。
それだけで済む話なのに、その言葉を口に出来ずに今日までずっと燻り続けた。
それが故に、少女たちは今も此処に居る。
「あはは、やっぱり、平行線だね」
「悪い。私の方が、無理言ってんのは理解してる」
理屈では、アンジュも分かっては居る。敗北の記憶は、今も生々しく残っている。だから分かっていたのだ。例え己がこの地に居た所で、何が出来ると言う訳ではないのだと。
結局の所、戦えるのはヒビキだけ。アンジュは弱者であって、彼の慈悲に縋るしかない立場だ。彼ならばとは思えど、だからと言って厚かましく乞い願える程に恥を知らぬと言う訳でもない。
「まあ、まだ夜まで時間はあるにゃん。もう少し、ギリギリまで悩もっか」
されど、そうして悩んでいるのはアンジュだけではない。逃げるべきだと決めたミュシャが、有無を言わせず仲間を引っ張って行こうしない理由もあった。
彼女の勘が囁いているのだ。制御されて以降、発動していなかった滲威。それが痛い程に主張している。
逃げるな、と。それこそ取返しが付かなくなるぞと。
(全く、ウジャトと違って、こっちは使い勝手が悪過ぎる。警告されたって、応じる訳にはいかないってのに。せめて何が不味いのか、具体的に示してよね。頭の中でガンガン痛むだけで、ほんっと役に立たない能力なんだから)
天空王の瞳が真実を暴く力なら、その前段階である月の瞳は言うなれば答えを察する力と言える。選択肢が限られる状況となれば確かに強いが、こうした場では扱い難いだけのものである。
そうとも、逃げるのが悪手だと分かっていても、妹のような弟分を危険に晒すなど年長者としては論外なのだ。
せめてこれが不味いと言う点さえ分かれば考慮にも入れるが、それさえ不確かな今は結論を翻す程の要因とはならない。
それでも、不吉な予感はあった。だからこうして、ミュシャは結論を急ぐことが出来ずに居る。
アンジュの悩みに託けて少女が残っている理由の半分程は、時間を掛ければ予感の実態が掴めるかもしれないと言う思惑だった。
そんな自分に少しだけ嫌悪を募らせながら、ミュシャは笑って内心を隠した。
「……悪い、助かる」
複雑な相手の内心を察する余裕もなく、アンジュはミュシャに感謝を返す。
そうして黙り込む少女たち。二人の間で、ヒビキは不思議そうに首を傾げている。
今も微睡む少年には、少女たちの複雑な心中など察する能力はない。
それでも何か、感じることはあったのか。両手を伸ばして、二人の服の裾を掴む。
少女らは柔らかく、それで居て力のない、笑みを返した。
選びたい道は異なっている。それでも別れようと口にはしないのは、彼が居るからでもあるのだろう。互いを仲間と、認めているからでもあるのだろう。
ミュシャもアンジュも、どちらも既に相手のことを身内として認めている。どちらもヒビキのことを、大切に思っている。
だから別れたくはなくて、それでもそんな時間はきっと長くは続かない。
このままこんな時間が続くのならば、少女たちはきっと此処で別れることになる。そんな風に心の何処かで思いながらも、今は互いにモラトリアムに甘えている。
悩むことはしても、互いに内心を語ろうとはせず、沈黙が部屋の中に満ちる。
ミュシャもアンジュも、分かってはいたのだ。結局の所、時間を掛けて考えた所で結論は何も変わらないのだと。
これは唯、心を納得させるためだけの行為。本来は、それで良いのだろう。それが良いのだろう。
ままならぬ現実の中で、多くのことを割り切っていくこと。それが誰しもが目の当たりにする、現実を生きると言うことだから。
されど――
「なっ!? 何だ、この音っ!?」
辺りに響く銅鑼の音が、そんな彼女たちの惰性を許しはしなかった。
「銅鑼の音? 一体、何処からっ!?」
ゴォォォンと言う重い音がする。一瞬、誰もが耳を押さえる程の轟音。一体何故と、次に疑問を抱いたのは当然の道理。
此処は大きな城の奥、そんな奥深くにまで大きな銅鑼の音が響くと言うのは異質であると。こんな音を出す設備が、この城にはあっただろうかと。
「……耳、痛、い」
そんな疑問に、否と言う結論は直ぐに出る。分からない筈がない。今の銅鑼の音は、まるで耳元で鳴り響いたかのように大きな音であったのだから。
「これ、まさか、闘気による、物理法則への干渉、か?」
「音が届くまでの距離を、ゼロにしたってやつ? 嘘、でしょ。城の直ぐ近くでやったにしても、どれだけの生命力が必要になるの、それ……?」
そうして、答えに辿り着く。耳元で鳴ったような銅鑼の音は、闘気による物理法則への干渉で音が伝わる距離を改竄したのだと。
限りなくゼロに近い距離にまで、因果の過程を縮めてみせた。結果が至近距離で響いた音だとして、それを為すのにはどれ程の量の生命力が必要となるのか。
少なくとも、ミュシャとアンジュ。二人の生命力を合計して、更にそれを倍にしたとしても城一つを巻き込むのには足りていない。
それ程の異常であった。だが同時にそれは、発端でしかなかったのだ。
〈北の地に生きる者達よ、これより通達する。これは最終勧告だ〉
それは、まるで面と向かって語られているような声量で男の声が聞こえてくる。
若い男の物と思われるその声は、耳にした誰もが背筋を伸ばし緊張に震えるであろう重さと深さを有していた。
その重みを前に、硬直した三人の少年少女達。思考をする余裕もない中で、ミュシャだけはその答えに至り異なる理由で頬を引き攣らせる。
あり得ないと、そう否定したい事実に彼女は気付いたのだ。
(文言から、これ、コートフォール全域に届いてる? 冗談、じゃない。城一つでも、異常なのに、それを大都市全土にって、こんなのっ)
この声の主は、明らかな怪物だ。これだけのことを仕出かして、しかし声に揺らぎは一切ない。男にとってこれは、息をするように容易いことなのだ。
ミュシャやアンジュを、百人単位で摺り潰しても出来ないようなことがである。
そんな怪物に、しかし心当たりがある。その声を、確かに少女らは知っている。
これより襲い来るとされた、東国六武衆の頂点。ミュシャの師である吸血鬼をして、彼こそが世界最強と断じる修羅の王。
その名を――
〈先ずは名乗ろう。己の名は炎王。東国六武衆は第一席、東を統べる修羅の頭よ〉
炎王。その名乗りと共に、声に熱が伴う。まるで灼熱を思わせる熱風を正面から浴びているような、まるで太陽が目の前に存在しているかのような、そんな錯覚を声を耳にした誰もが感じていた。
目の前に男は居ないと言うのに、呼吸をすることさえ儘ならなくなっていく。
〈既に知っている者も居ようが、我ら六武は今宵、この地を攻め落とす。故、これは最後の慈悲である〉
宣戦布告。その通達は既に為されている。北方政府も隠し立てすることはなく、率先して疎開を推し進めていた程だ。
故にこの地に残る誰もが、今夜に彼ら東国六武衆が襲い来ることを知ってはいた。
だが、情報として知っていただけなのだ。逃げろと言われたから逃げ出しただけ。危ないと言われたから、戦おうと備えていただけ。誰もの内に、実感がなかったのだ。
これ程に強い存在なのだと、言われて知ってはいた筈なのに。
〈先の銅鑼の音。これより二刻が過ぎる度、同じ音を鳴らす。そして、三度だ。三度目の音と共に、我ら六武は侵攻を開始する〉
未だ多くの者は力の差を明確には察しておらずとも、物理法則を歪める程の闘気が有する圧力によって心を怯懦で滲ませる。されど雷将の英名で、何とか心を震わせていることだろう。
そんな中で雷将を始めとした、一部の上澄みは明確に差を理解した筈だ。一般的に言えば強者の部類に入るアンジュが、その顔を蒼褪めさせているように。
彼我の間に横たわる、絶望的な差と言うものを。
(二刻。確か一刻が2時間だったから、侵攻は大体12時間後、か……)
ミュシャは仲間の顔色から、その異常さを察しつつ思考する。
今は朝食を終えて直ぐ、時刻は8時丁度である。故に彼らが襲い来るのは、夜の20時丁度となると。
〈それが過ぎて尚、この地に居る者は全て敵と見做す。死にたくなくば、疾く去るが良い。以上だ〉
逃げるのならば、恐らくはこれが最後。これより先の12時間を過ぎたのならば、彼らは容赦なく町を戦火で包むであろう。
そう通達を告げた後、町中に響いていた音が途絶える。喧騒が戻るまでには、暫しの時間が必要だった。
質の変わった静寂の中で、ふとヒビキの横顔を見たミュシャの顔が強張る。ありえないと硬直する。怯え、震えていたのだ。魔王の力を有する筈の、この少年が。
「……怖、い、人。うう、ん。人、なの、今、の?」
悪竜王は、龍宮響希と言う少年を苗床に生まれた存在だ。響希としての記憶も一部は有しているが、それとて実感など湧かない記録が大半。
だからこそ、彼にとっては初めての体験だったのだ。強者として発生した彼を、明確に、そして圧倒的に超えている実力の持ち主を知るなど。
あんな人間が居るものか。居て良いものなのか。三大の魔獣や五大の魔王ですら、あれに比すればちっぽけにも程がある。すっぽんと月、どころではない。蠅と太陽だ。あれと己との比較は、その表現が最も近い。
町に響いた音が伴う闘気だけで、ヒビキの本能はそう感じていたのだ。直接相対していないと言うのにこの少年が怯えている。その事実は、傍らに居るミュシャやアンジュにとって、何よりも重いものだった。
「アンジュ。悪いけど、考える時間はあげらんなくなったわ」
「……あ、ああ、分かってる。やべぇなんてもんじゃねぇってのは、今のだけでも嫌って程に分かった」
ディアナから伝えられ、分かっている気になっていた。だが、分かっている気になっていただけで、本当には分かっていなかったのだろう。
たった今、ヒビキの怯える姿を見て確信する。あれは駄目だ。戦いを挑んではならない。戦いにすらならない。逃げなければ死ぬしかないと、痛い程に理解した。
故に有無を言わせぬ口調でアンジュに告げる。告げられた少女も困惑していたのか、或いは実感が湧いたのか、今度は否とは言わなかった。
いいや、冷静になれば否とは言えたのだろう。だから冷静になる隙を与えず、ミュシャは一気に押し通す。
「港へ。船に乗って、西に逃げるわよ」
過去を知る吸血鬼をして、絶対に勝てないと断言させた東の怪物。武の極点が侵攻を開始する前に、少年少女らは逃走を開始する。
内の一人には異論がない訳でもなかったが、それでも内に懊悩を抱えてはいたからこそ、有無を言わせぬミュシャを前に口には出せずに従うだけ。
狡い行為だと自覚しながらも、ミュシャも今は配慮をしない。ここで道を分かち、彼女だけを残せば確実に生きてはいられない。そう思ったのならば、敢えて此処は狡く進める。死んで欲しくはないのだから。
そうして、少年少女らは町を走る。既に閑散としていた町中は、それでもあちらこちらから喧騒の音が聞こえてくる。
夫々の理由により、町に残っていた者らが今更に慌て出したのだろう。中には兵の姿もある。だがそんな姿に、しかし思う所はない。少年少女らも、同じ穴のムジナに過ぎぬのだから。
城壁を出て、商店街を抜け、港区画に差し掛かる。少なくはない人が詰め掛けている中、目当ての船は直ぐに見付かった。
一際大きく豪奢な船に向けて手を振って、チケットを見せれば船員がギャングウェイを用意してくれる。
物珍しそうに足で叩いているヒビキの手を引き進んだミュシャは、チケットを船員に手渡してこれでもう安心だと――――そう簡単には、話は進まなかった。
「は? 船が、出せない? 何でっ!?」
「沖合の風が強いんだよ! こんな中で出航したら、幾ら大型船でも転覆しちまう!」
今朝から続く異常気象。海は強風で荒れており、直ぐに船を出すことは出来ないのだと船員に呼ばれた船長が語る。
周囲を見れば常ならば既に多くの船が出ている時間だと言うのに、桟橋には十を超える数の船が繋がれたままとなっていた。
(こんな日に、風が強い!? 偶然、こんなの、あるものか!? なら、まさか、先生が!?)
「兎に角、アンタらも船室に入ってろ! 風が弱まれば直ぐに出す。そうでなくとも、逃げようとしてる民間人を襲うような敵じゃねぇだろ。態々、あんな宣告を出すくらいだからな!」
強面の船長が吐き捨てるように言って、スーツ姿の船員が申し訳なさそうに謝罪してから少年少女らを船室へと案内する。
華美にならない程度の装飾が彩る船室の中で、ヒビキはぼんやりと、アンジュは歯痒そうに、そしてミュシャは思考を進めながらに過ごす。
(これ、最悪も考えるべきね。今は混乱もある所為か抑えられてるけど、走れば間に合う距離で身内が傷付けば、アンジュが飛び出す可能性は十分ある。……そのままなし崩しで、ヒビキを戦いに巻き込むのが貴女の策なの? 先生)
動揺と混乱に付け込んで連れて来たアンジュではあるが、彼女の能力ならば闘気で町の状況を察することも出来るだろう。となれば、北の軍が追い詰められた時点で飛び出す可能性は高い。
アンジュ・イベールが東国六武衆との戦闘に入れば、彼女を守る為にヒビキもまた行動を開始するだろう。
となれば少年少女らはなし崩し的に、六武衆との敵対関係に陥ってしまう。恐らくはディアナの思惑通りに。
沖合で強風を起こすこと。唯それだけで、多くの者らを手玉に取った自身の師。その狡猾さと凶悪さに喚き散らしたくなる思いを抱えながら、ミュシャは静かに時を待った。
◇
状況は変わらず、時間ばかりが過ぎていく。それは少年少女らだけではなく、この町を守る側に立つ者達にとっても同じであった。
「ドーちゃん達、まだ来てないんだよね」
「……今朝から続く強風で、航路は潰れていますから。恐らくは数日前に出航したであろう、オードレ姉さん達の船も」
「巻き込まれてる、と見るべきだね。うっわ、最悪。戦力全然足りないじゃん、これ」
北を治める旧城壁、政庁庁舎の一室にて雷将と呼ばれる男は頭を抱える。
敵はもう既に町の直ぐ傍、目と鼻の先まで来ていると言うのに援軍が来ていない。
季節外れの暴風で、援軍を運んでいた船が立ち往生をしているらしいと。そんな話を軍団内の術師らからは受けていて、一体何時になったら来れるのか。目途すら付いていないのが現状だった。
「東国六武衆の策、でしょうか」
「いいや、修羅は基本、そうした策謀は好まない。それに、あの王様の気配。声だけでも感じるよ。策なんてなくても、おじさん達を全滅させるのは余裕だって。そんな気概とか気迫とか、言葉にし辛い圧を感じた」
「ならば、ディアナ・プロセルピナの策」
「そう、みるべきだろうね。唯でさえ弱いおじさんたちの方を、更に追い詰めてどうする気だって文句を言いたいよ。これ」
北方の戦力不足。それが東国による策かとシャルロットが問えば、クリスは迷いもせずに否定を返す。
勇者との旅路の中で東国に行ったこともある彼は、修羅の気性と言う物を良く知っていた。
修羅の誰もが、力押しを得意とする訳ではない。だが、修羅の誰もが戦狂いだ。
好む戦の形は千差万別。だとしても、相手を弱体化させるような策謀は好む者は殆どいない。故に下手人は彼らではないと断言出来た。
ならばと候補に挙がるのは、この地で暗躍しているディアナ・プロセルピナ。邪教の教主が行いだと、彼らも確かに察していた。
理由は、子ども達を戦いに巻き込む為か。或いは、これを機に王国や聖教を削る心算であるのか。
現状ではまだ裏は読み切れないが、あの女ならばどんな理由で動いていても納得だけは出来るだろう。
「厄介な状況だが、与えられた手札で対処するしかない。嘆いても意味はないさ、そうだろう。ご両人」
「コルテス殿。この状況でも、助力頂けるのですか」
そうして大人達が悩む中、扉を開けて入って来たのは堀の深い顔立ちをした男。朝黒い肌に、ラテン系の容姿。口元の髭を軽く撫でる外套姿の男の名は、コルテス・イルデフォンソ。
西方を拠点とする冒険者ギルド内でも四人しか居ない頂点、A級冒険者の一角にして罠師の異名を持つ人物である。
その到来を見て、シャルロットは目を丸くする。北方政府から正式な形で増援の依頼はしていたが、それでもこの状況だ。
戦力が前提していたよりも大きく減っているのだから、依頼のキャンセルをされても仕方がないと思っていたのだ。
「そりゃ、契約をしたからね。条件が変わったから、一抜けたとは言えないさ」
「助かるよ、罠師。現状、北方は不足ばかりだからね。君は貴重な戦力だ」
「正面切っての斬り合いじゃ、貴方は勿論、そこのシャルロット嬢にも及ばないがね。それでもA級冒険者としての自負はある。出来る限りはやってみよう」
実際、大抵の冒険者であれば既に撤退していたことだろう。
契約破りには相応の罰が下ると言う呪詛を生まれながらに宿す西方の民とは言え、此処まで前提が変わればそれも無視出来る。
となれば本人の気質を考えても五分五分かと、そう見做していたクリスは素直に喜び彼の助力を受け入れる。
この状況を切り抜けたならば、報酬は弾まなければならないなと頭の片隅で考えながら。
「三度目の銅鑼が鳴るまで、後8時間。俺は町中に、罠を仕込んでおくよ」
「任せるよ。城内にある物は、好きに使って良いからね」
「そいつは豪胆なことで。んじゃ、景気良くやらせて貰うさ」
それらの問題も、全ては生き残ってこその話。事此処に至って吝嗇はしない。
北方領土を治めて十二年、貯め込み続けた物を使い切るにも丁度良い時であろう。
豪胆な雇い主に笑って返すと、片手を振ってコルテスは執務室を後にする。
その背が見えなくなったのを確認してから、椅子に背を預けたクリスは深く息を吐く。これで最低限、首の皮は繋がった。
「私達はどう動きますか、先生」
「そうだね。がっぷり四つで組み合えば、負けるのは確実に我々だ。だから、彼ら修羅の性質を利用しよう」
「修羅の、性質、ですか?」
「戦いが大好きなのさ、あの人達は。……飢えてる王様とやらがどう動くか分からないけど、其処はまあ賭けになるかな。他に策がない以上、いっそ全てベットしようか」
生き残る為には、もう逃げるしかなかった状況。それがつい先程までの状況で、それも罠師の参入で変わった。
それでも、まだ勝利の可能性はか細い。偶然と奇跡。幾つの天運に恵まれる必要があるか分からぬ程、勝利と言う栄光は遠いのだ。
「やるよ、シャルちゃん。全力を尽くそう」
「はいっ!」
それでも、やるべきことをやるしかない。その弟子たる女は力強く頷いて、彼らは人事の限りを尽くすであろう。
北方は東国と激突するその時を、こうして待ち続けるのであった。
◇
そして、夜の帳が落ちる。もう間もなく、後数分程で20時となる時間。新円を描いた月夜の下、コートフォールは北にある小高い丘に彼らの姿はあった。
「あらら、まだ結構残ってんで」
「……ちっ、陛下の慈悲を汲まねぇとは。いっそ皆殺しにしてやろうか」
数は六つ。東において、自他共に最強を自認する上位六名。彼らの席次は実力順だ。
一騎討ちの決闘を以って、弱者と強者が入れ替わる。それを繰り返した果てに残った者こそ、この場における六人の実力者。
下位の者でも英雄級。玉石は混合せず、誰もが玉に位置する人間以上。それこそ世が世なら、彼らの内の一人であっても国の一つ二つは落とせただろう。そんな強者の集団をして、東国六武衆と呼ぶのである。
「あかんえ、リアム君。不可抗力みたいや。風強おて、船出せへんみたいやわぁ」
「闘気での探知と盗聴かよ。テメェは相変わらず、器用だな。……なら、船に乗ってるのは見逃すか。構いませんよね、陛下」
「ああ、それで良い。お前達には、任せておける」
その成立は古く、一体何時から在るのかさえ誰も知らない。
古き世、星々の彼方まで支配し魔王に敗れた先史文明。古代人達によって作られた、戦闘生命こそが修羅。
神代回帰計画によって、一度は氷河期にまで戻ったこの地球。敗走して尚生き延びていた修羅達が野生化し、氷に閉ざされた時代を生身で乗り越えて生き残って来た果ての末こそ東の彼らだ。
呼吸のように闘争を求め、蟲毒のように殺し合いを続け、その頂点に至った六人。
率いるは修羅の頂点にして体現。戦闘生命としての極点、炎王。
2メートルを超える長身に、仁王像のように引き締められた体躯。強面で男臭いが、整った容姿をした赤髪の巨漢。黒地の長袍を着た彼は、紅白の陣羽織を風に靡かせていた。
「あらまあ、その言い方だと任せておけない相手が居るようだけど……ねぇ、姫ちゃん?」
第一席たる男に垂れかかるように寄り添い、揶揄う言葉を音に紡ぐは妖艶な美女。肩と胸元の開けた桜柄の白い着物は、肉感的な彼女の体を最低限にしか隠していない。
そんな色香を漂わせる長い黒髪の女は、名を朧。彼女はクスクスと笑いながら、肩越しに振り向き告げる。
挑発染みたその言葉を受けて、名指しされた女は舌打ちを返す。
「侮辱と取るぞ、第二席。流石の私も、このような場では弁える」
「えー、でもー、貴女って構ってちゃんでしょ。大好きな人に、気を引きたくて意地悪するタイプ。ほら、今だって私のこと、すっごい目で見てる」
けらけらと笑う朧に濁ったような悪意はなく、寧ろ好意すら感じる色をしている。結局の所、要は仲間内での揶揄いでしかないのだろう。
朧と言う女には、そういう悪癖がある。他の五人は彼女の悪癖を良く知っていて、中でも姫乃と並んで標的にされやすいリアムなどは、飛び火して来ないか見るからに嫌そうな顔をしている程だ。
そんな女の揶揄いを、真面目に受け止めてしまうのが第六席。和甲冑を纏ったミディアムヘアの黒髪美人。公方姫乃には、煽り耐性と言う物がない。だからこそ、悪趣味な二席の標的に成り易いのだろう。
「でも安心して、私、赤鸞はタイプじゃないから。顔は整ってるけど、男臭過ぎて、ちょっと」
「はぁ……」
性的な行為を連想させる程に纏わり付きながら、そんな言葉を紡ぐ朧。分かりやすい挑発を行う彼女に、抱き着かれた男は迷惑そうに嘆息する。
炎王にとって、この場で最も付き合いが長いのはこの朧だ。互いに若き頃を知る相手。幾つもの恩や借りや情もある関係だが、本当にこの女のこういう所は度し難いと。
「それに、赤鸞は美雨のだし。略奪愛って、好みじゃないの。奪ってしまえば手に入るなら、それって軽い物に思えるじゃない。愛は重くないと嘘でしょう?」
「朧」
さりとて余り強く諫めることが出来ないのは、彼女の内面を知るからか。執着に対する殺意を別の行動で如何にか抑えようとした、その過程で得た悪癖こそがこれだ。
それだけ、愛すると言う行為に強い感情を抱いている。その元凶の片割れこそが己であると知るが故、炎王は強く否定出来ない。
それに、これもまた彼女流の愛着の見せ方。歪んでいるが、それでも仲間想いな女なのだと知っている。
故に度が過ぎない限りは、口を挟まぬとは決めていた。
「姫ちゃんも諦めた方が良いわよ。多分、脈ないし」
「――っ」
「朧、三度は言わん。黙れ」
「はーい」
とは言え開戦を間近とした現状で、搔き回され続けると言うのも困る。故に次はないと強く念を押せば、軽い返事と共に朧も黙った。
炎王が制止し、朧が引いたのであれば姫乃の側も不満は残れど飲むしかない。微笑みながら男から離れた女を、鋭い目付きで睨んでから姫乃も一歩距離を取る。
「さて、戯れている間にも、刻限が来そうですな」
そうして時間が過ぎる中、声を発したのは白髪の男性。無骨な筋肉に覆われた長身は、年齢を分かり難くはしているが見た目は六十代程か。
冷食系の着流しに、鞘に納められた数打ちの刀が一つ。簡素な姿を晒した彼の名は武鋼。先代六武衆が第一席にして、現在は三席の位置に居る生き字引。齢三百を超える老人だ。
静かに微笑みながら男が見詰める先を、同じ六武の者らが見やる。気付いたのは、一体誰が最初であったか。
その先にある町の中心、巨大な時計塔が音を立てて動き出していた。
「あらあら」
「ほう。中々の力を感じますな」
「北の牙、かよ。対大魔獣を想定した兵装を持ち出してくるたぁ、向こうも必死だな」
巨大な塔が半ばから圧し折るように横に倒れて、その先端を砲身へと作り変える。
構造物が左右上下に開いて、現れたのは大きく黒光する砲門。
射線上にある大通りの周囲もまた音を立て、周囲の構造物が巻き込まれない位置へと移動していく。通りの先にあった東門が、二つに割れて道となった。
そして町中に満ちている水のライン。それを介して常は魔物に対する結界として使われている精霊力が、その砲門へと集い輝く。
集まる力は膨大。対大魔獣用、或いは対魔軍用兵装。古代に作られた兵器の名称は伊達ではなく、放たれる威力は正に絶大。間違っても人に対し、向けるような武器ではない。
それが今正に放たれんとしている。だと言うのに、六武の者らに怯えの色は欠片もない。銅鑼が鳴る前、卑怯卑劣とも言えるタイミングであることにも否はない。
戦場で、それらは全て泣き言だ。如何なる術を以ってしても、生き残った側が勝者であろう。己たちは好まぬやり方だが、だからと言って否定はしない。
搦め手は使う側が悪なのではない、その程度で負ける弱さが悪なのだ。それが修羅の流儀である。
故に一歩、六武衆の五人が下がった。射線の外に出るのではなく、王の邪魔をせぬ為に。そして王は、一歩前に踏み出した。
「来るか、だが」
轟と音を立て、集いし極光が大地を焼く。空の雲を吹き飛ばし、地を抉り、大気を震わせながら迫る光。
その前に立つ王は、唯その手を軽く触れるように翳した。
光が掌に触れる、その瞬間――消えたのは、魔を滅ぼす極光の側。
圧倒的な破壊を周囲に振り撒いていた戦略兵器の放った光は、王の手を傷付けることさえ出来なかったのだ。
「無駄だ。四色の貴種を前に、我ら貴種の許しなく、精霊の力は行使できない」
天地を揺るがす兵器であろうと、その本質は星の力を束ねただけの物。精霊に属する力は、それ以上の権限を有する者の前にした時に無力となる。
最高位の権限を有するのが四色の精霊王ならば、それに次ぐのは地上の全権代行者たる四色の貴種。東の武王たる炎王は、内の一つ。赤の貴種をその身に担っている。
透き通った赤に輝く、瞳と髪。それを有する彼が居る限り、精霊の支配者たる彼の許しがなくば、誰も精霊の力は使えない。
故に北の牙もまた何の役目も果たせず、役無札となったのだった。
「では、進軍を開始しよう。さあ、最後の銅鑼を鳴らせ!」
炎王の言葉に従い、銅鑼の前に歩を進めたのは鋭い瞳を有する男。鷹のように鋭い瞳に、軽い笑み。肩衣袴を纏う青年は、名を子龍と言う。
開戦の号砲を告げると言う名誉ある役割を得た彼は、あの時グーを出していればと悔しがるリアムに勝ち誇るような笑みを向けた後、握った拳で強く鉄の銅鑼を叩いた。
生じた音を、子龍は闘気で増幅する。そして炎王が物理法則を歪め、町に居る全ての民にその音は届いた。
それを確認してから数秒、彼ら六武衆はゆっくりと進軍を始める。
しかし、進み出して直ぐに次なる北の一手が彼らを襲った。
「あら、霧ね」
「おや、これはまた、我らを分断する気ですか」
生じた霧が道を阻む。自然に生じた物ではなく、何らかの魔道具による物であろう。惑わし迷わす幻影の霧。
魔力による特殊な力によって、東国六武衆の者らを分断しようと言う北の策。罠師の用いた一手である。
「ふん。下らん小細工だ」
とは言えそんなもの、最強を冠する王には通じない。その掌に灯した小さな火を周囲に撒けば、それだけで容易く覆せる。
「待って、赤鸞」
だが、そんな王の動きを、他ならぬ臣下が邪魔をした。
白魚のような指先で、そっと押し留めたのは傍らに居た朧。何の真似だと、言葉にせずとも炎王は視線で問い掛ける。
「今日は折角の晴れの日、羽目を外したいのが男女の性。なのに祭りが始まる前に、貴方一人で全てを終わらせてしまうのは無粋が過ぎるわ」
返される瞳が爛々と輝く。彼女だけではない。霧に消え行く臣下らが、望んでいるのは闘争だ。修羅と言う生き物達は、戦いの場を求めている。
だが、最強の王が動けばそれで終わってしまう。炎王の制圧を止められる者など世に居らず、故にこそ彼の臣下らは敢えて策に乗りたいと望んでしまっていた。
「己は、無駄を好まん」
「でも、我ら修羅は、その無駄をこそ糧とする」
己が動けば、必ず勝利で戦は終わる。それこそが最短であり、最小の犠牲で済む道。そうと知るが故に、自らが動きたい炎王。
彼がその意志を口にすれば、忠臣足らんとする五席などは二つ返事で従うだろう。不満があれど飲み干すのが六席で、怒られない範囲で好きに動くのが三席か。
朧の場合は、こうして主君を説得する。修羅には戦が必要なのだと、他でもない彼女が最も強く意識するが故に。
「分かって、誰もが貴方程に強い訳ではないのよ。赤鸞」
「……ふん」
修羅にとって闘争とは、三大欲求や呼吸にも等しい行為。正気で生き続ける為には、必ず為さねばならないこと。
それを抑え付けることが出来る程の意志の強さを持つのは、歴史上でも炎王唯一人だけ。己も真似をしようとして、失敗し続けた朧だからこそ断言出来る。
誰もが炎王程に、強くはないのだ。ならば平和な世に修羅は不要。遠征が終われば、修羅は皆死なねばならない。
故にせめて、最後の祭りくらいは楽しませて欲しいのだと。
「我が臣が窮地となれば、お前が動け」
「ええ、勿論」
「ならば許す」
女の願いを理解して、臣下の在り様を受け止めて、腕を組んだまま炎王は瞳を閉じた。
六武衆に属する者らが追い詰められるまで、彼が動くことはない。
◇
町を満たす霧の海。それを抜けて、一人目は其処で相対する。
場所は南西部、政庁とされる古城の跡を前に向かい合うのは先の焼き直し。
未だ崩れ掛けた城門を前に、立ち塞がるはシャルロット。軍服の上から銀色の甲冑を身に纏う金髪の女は、細身の刀身を片手に握り敵を見やる。
受けて対すは小袖と呼ばれる着物の上から和甲冑を身に着けた、長い黒髪を風に靡かせる女。腰に備えた短い脇差を抜き放つこともなく、姫乃は冷たい視線を返す。
「初撃で大打撃を与えた後、霧で分断し確固撃破を狙う、か。……甘過ぎる見通し。単調過ぎる策。存外、我らも舐められたものだ」
「そうでしょうか、こちらとしては、これでも最善を尽くしている心算なのですが」
氷のように冷たい色を双眸に宿した女は、敵手の返しにその美しい顔を歪める。何が最善だ、と言葉にせずともその表情は雄弁に意思を示している。
そうとも、何が最善か。北の牙が無為に終わったのは炎王が居たから、それが想定出来るような物ではなかったことは確かに認めよう。
精霊王を知る者が居ればこそ、六武衆のような集団に貴種が居るとは思うまい。そも貴種は存在自体が希少であり、その能力の全貌を知る者も極めて少ない。
となれば初手、北の牙による砲撃は常道で考えれば正当解ではあった。
次手、霧によるかく乱。これもまあ悪くはない。敵の実力が上ならば、分断して確固撃破と言うのは戦の常道。
こうした罠の類には望んで掛かると言う修羅の特性を考慮に入れれば、北の選べる道の中では最善手に程近い。
次善で収まる理由は単に、修羅ならば罠を内から食い破れてしまうと言う点。だが、そこまで考慮しろと言うのは酷であろう。
故に、そう故に問題点はその後だ。公方姫乃のプライドを逆撫でするその行動。そこにこそ、この女は強い苛立ちを感じている。
「貴様が単独で私の相手をする、それ自体が思い上がりで無礼である。そんなことも分からないのか、師団長」
即ち、雑魚が舐めるなと。
「ええ、先の一戦で貴女の手札は分かっている。足止めくらい出来る自負はありますよ、六武衆」
その言葉に口では反論しながらも、内心では確かにと同意している。
足止めくらい出来る自負がある? いいや否、死力を尽くしても足止めしか出来ぬだろう。
分かっているのだ。彼我の実力差は明白。先の交戦にてシャルロットは完膚なきまでに敗北し、それから極端に実力を上げたと言う訳でもない。それでどうして、女の内に自信があろうか。
それでも、彼女は剣の柄を握り締める。それでも、やるしかないのだと雷を身に纏う。背負うものは多くある。引けない理由も多くある。
雷将の二番弟子。王国騎士団六師団長の実力二番手。万年二位で、頂点に立ったことはない女だ。
されど、それでも、その身と心は決して安くも軽くもないのだ。
「ふん。貴様如きを相手に気に食わんが、これも戦場の習いだ。先ずは一つ名乗りを上げよう。東国六武衆、第六席、公方姫乃だ」
「……王国軍、討魔師団、団長、シャルロット・ブラン=シュヴァリエ」
そんな女の矜持を察することもせず、刀を抜いた姫乃が軽く構えて名を名乗る。
合わせるように、或いは己を鼓舞するように、シャルロットもまた名乗りを返す。
そして、僅かな沈黙。数瞬の後に、両者が駆けた。
『いざ、参るっ!』
二人の女が激突する。細いレイピアと小さな脇差。互いに軽いとされる刀身がぶつかり合って、甲高い金属音を響かせた。
◇
町を満たす霧の海。それを抜けることなく、二人目は接敵する。
場所は北部、商店が立ち並ぶ歓楽街の一区画。敵の姿は一切見えぬまま霧の向こうから矢や術ばかりが飛んで来る。
彼が相対しているのは数だ。六武二人の宣戦布告。大魔女の戯れ。絶え間ない苦境の中で生き延びて、今尚闘志を失わない兵士たち。そんな者らが決死の覚悟で、男の道を阻んでいる。
「あー、くそっ。ちまちまと遠くから、うざってぇ」
鉄の矢尻や火球に氷塊。様々な飛来物を、男は闘気で強化した手足で撃ち落とす。会戦して数分、未だ一切の傷を負っていない彼は忌々しいと舌打ちした。
「俺を相手に雑兵だと、霧に隠れて、数を増やせば如何にか出来ると思ってんのか。舐めてやがんな、北の奴ら」
黒髪に白いメッシュ、顔には右の頬を覆う程の火傷痕。金属製の胸当てを、緑のシャツの上から纏った軽装の男の名をリアム。
苛立ちから小さな唸り声を漏らしつつ、狼の性質を有する亜人の男は霧中を進む。撃ち落とした飛来物から方向と距離を推察して、あっさりと下手人を捉え殴り飛ばした。
霧の中で気絶させた敵手の数は既に四人。一律な服装は軍部の纏うそれであり、四人と言うのも部隊の最少人数だろう。そう推理した所で、再び攻撃が飛んで来る。
この霧の中で、如何にして己の位置を捉えているのか。倒れた男の一人を抱え、攻撃を回避しながら懐を探る。これかと取り出した魔道具は、しかしどうやら使用制限されているらしい。
これが老いた父ならば、解析して逆算も出来たのだろう。だがリアムの有する知識では、出来そうもない程には複雑そうだ。
これは長引くなと認識し、舌打ちと共に宝石型の魔道具を握り潰す。そうしている最中も襲い来る攻撃を、苦も無く打ち払いながらリアムは嗤った。
「んで、雑兵共の裏で糸を引いてやがんのは、罠師の野郎か。どうせテメェも聞いてんだろ、折角だ。俺の名を教えてやる」
抱えていた男の体を投げ捨てて、霧の中を駆け抜けてその先へ。弓を構えていた騎士を蹴り付けて、その意識をあっさりと奪い取る。
倒れた男の背を踏み付けて、睨み付けた先には動揺している軍人の数が三。
やはり最小の小隊規模に分けて、遅延戦闘を仕掛けて来ているかと確信する。
「東国六武衆、第五席、リアム・ファミーユ」
そんな中で、男は告げた。大きな声で、炎王を真似た気による物理干渉も行って、周囲に居るであろう軍部の構成員全員に向かって名乗る。誇るべき己の立ち位置を。
語る男の言葉に、返る音はない。弓から放たれた矢が、火球や氷柱による攻撃が、苛烈な返しとなって迫るだけ。無粋とすら言えるその行動に、しかしリアムは笑みを深める。
「良いぜ、名乗る度胸もねぇんならっ! 数だけ頼りの雑兵共と纏めて、名無しの雑魚として、諸共に叩きのめしてやるよっ!」
風を纏った腕を振るい、あっさりと近くに居た兵を数人を無力化する。
そうした後に五感を用いて、次の敵を探ると跳躍する。高らかな笑い声と共に、リアムは霧の中を駆け抜けた。
◇
町を満たす霧の海。それを抜けて、三人目は其処で相対する。
場所は南東、港から居住区へと向かう道の途中。海に面した倉庫街の一角で、彼らは向かい合っていた。
「あらら、皆張り切っとるなぁ」
「君は随分と余裕そうだね、六武衆」
「そら実際、余裕やさかい。僕らの勝ちは揺るがへん」
常のざんばら髪をオールバックで固め、無精髭は剃り残しもない状態。だらしない姿ではなく、軍人らしい将校用の軍服に鎧を身に纏ったその姿。
銀に輝く鎧が示す、雷将クリストフ・フュジ・イベールは本気であると。そうとも、彼は勝つ気でいる。か細い勝利への道を掴む為、今出せる全力を出しに来たのだ。
「姫ちゃん相手に、あの嬢ちゃんじゃ力不足や。順当に詰むで、あの嬢ちゃん」
「そうかな、あれで中々、あの子も努力家だからね。身贔屓だけど、そこそこ良い線行くと思うよ」
「リアム君相手に、雑兵当てるのもあかん。罠師がおるにしても、結局は時間稼ぎにしかならへんで」
「まあ、そうだろうね。けれど、あの姫乃って子に数は逆効果。他のメンバーは実力不明となれば、リアム君に数を当てるしかないのさ。……あの子なら、極力殺さないように動いてくれるだろうしさ」
対する目付きの鋭い男はにやけ笑いを絶やさずに、一つ一つと否定の要素を口にする。
手駒の不足を哀れには思うが、準備を整えるのも実力の内。ならば、この状況も実力不足が故の物と。
六武衆が一角、子龍は東国の一部地方で使われる訛った言葉使いで話す。伝えようと言う意志が齎す共有言語。それがなければ、東を旅したクリスであっても聞き取りは難しかったであろう。
そんな声が告げる言葉を、一つ一つ否定しながらクリスは返す。手札が不足し切っている現状、この配役こそが唯一無二の勝機に繋がる道なのだと。
「武鋼の爺様なら、最初は必ず見に徹する。残る二人がどう動くかは分からないけど、彼らが動く前におじさんが君を倒せば良い」
北の抱える戦力で、六武衆相手に勝利の可能性があるのはクリス一人だ。シャルロットもコルテスも、彼らに比べれば一枚二枚は格が落ちる札である。
だから彼ら二人が他の六武衆を足止めしている間に、一騎打ちにてクリスが六武衆を一人討ち取る。その後、他の者らが倒される前に合流して一人ずつ倒していく。
元は初手の北の牙で削った後、手傷を負っている相手をクリスが討ち取る想定だった。故に相応に勝率が高い策ではあったが、誤算であったのは貴種の存在か。
赤の貴種が有する能力の全貌を、クリスは知らなかったのだ。
故に予想に反して、効果を発揮しなかった北の牙。それは全くの想定外であり、こうして無傷の相手と戦う羽目になった事実も予想の外。
唯でさえ戦力的に不利な現状、北方は既に追い詰められていると言っても良い。これから他の仲間が時間を稼いでいる間に、クリス一人で六武衆に名を連ねる強者を倒すと言うのは非常に困難だ。
その上、その後に他の仲間と合流して、各個撃破を狙うなどと言い出すのは最早無謀の域であろう。
それでもこの今、北の勝ち目はこれ一つ。数が意味のない姫乃をシャルロットが、殺人を好まないリアムを全軍とコルテスが、それぞれ抑えている間にクリスが子龍を討つ。
その後に、姫乃かリアムを仲間と共に、クリスが主力となって討ち果たす。そうして時間を稼ぎ、敵の数を減らしながら、嵐が収まり増援が来る時を待つ。
大目に見ても、運頼りが過ぎる行動。綱渡りを繰り返した先で、あるかないかと言う勝機。だが、これ以上など浮かばない。故に、これを押し通すしか道がないのだ。
「あかん、あかん、そらあかん。出来ひんこと、言うたらあかんよ」
そんな高望みが過ぎる策を語られて、僅か苛立ちながらも子龍は告げる。
勝つのは己だ。お前には負けることはない。少なくとも、衰え切った今のお前には、と。
「教えたる。剣ものうて、鎧ものうて、衰え切っとるアンタじゃ僕は倒せへん。ここで死にぃ、どあほ者」
「残念だけど、おじさんにも意地はあるんだ。……その首貰うぞ、六武衆」
鎧は軍の支給品。武器は安物ではないが、名刀とも呼べぬ打ち刀。例え嘗ての英雄であっても、これでは真面に負ける方が難しい。そう断じる子龍は、確かに強いのだろう。
席次だけを見ても、先にクリスが敗北したリアムの一つ上。真面に考えれば、勝ちの目が非常に薄いと言うのは子どもでも分かる事実ではある。
それでも、勝たねばならない。故にクリスは挑むのだ。
「東国六武衆、第四席、子龍。あんたを潰す、男の名や」
「王国軍、三将軍が一、クリストフ・フュジ・イベール。君を倒す、男の名だよ」
『勝負っ!』
片や余裕の笑みと共に、片手で背より引き抜いた身の丈程の大太刀を構えて。片や迸る雷光と共に、居合の構えを取って。此処に、両雄は激突した。
【TIPS】
勇者の旅路の中で、クリスは先代の赤の貴種と知り合っている。けれど、どの貴種とも敵対したことがなかったので、精霊力を無効化出来ることは知らなかった。
因みに炎王とも知り合いではある。だが当時の炎王は力の大半を封じられており、赤帝守護と呼ばれる立場で赤の貴種の傍に護衛として侍っていただけ。なので直接話したこともなく、多分顔を合わせても誰か分からない程度の関係だったりする。




