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Re, DS  作者: SIOYAKI
第三章 同じ轍を踏まない
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第44話

美しい人の意志を見た少女達。反して、微睡む少年が見るものは――


 無人となった深夜の大通り、その中に轟音が響く。竜の尾が整地された道を抉り、空を踏んで跳躍したヒビキが駆ける。対する男は剣を構え、防がんとするがそれは無意味。


 身の丈よりも巨大な剣で身を守るように構えたアダムは、その手にした剣諸共に砕かれる。竜の振るった拳が男が手にした鋼だけでなく、その血肉や骨までも粉々に潰して染みへと変えた。


「ちっ」


 だと言うのに、舌打ちをするのはヒビキの方。跡形もなく磨り潰したと言うのに、大地に刻まれたクレーターの中に残った痕跡は瞬きの間に消えてしまう。


 そうしてまた、今度は僅か異なる場所に男の姿が現れる。夜風に晒された刺青だらけの上半身には傷一つなく、その瞳は死んだ魚のように濁ったまま、アダムは静かに告げる。


「無駄だ。君では僕を殺せない」


 夢幻のアダムは不死不滅。嵐のような勢いで、血飛沫さえ残さず吹き飛ばされても蘇る。その貌に苦悶の色は一切なく、淡々とした表情で彼は死に続ける。


 まるでミキサーの内に入れられた食材のように、ヒビキが仕掛ける度に砕けて潰れて消し飛び戻る。十や二十では足りない程の死と新生。それらを繰り返した後に、砕かれるのは町の人工物ばかり。敵は変わらず、其処に居る。


「殺せないって、言うんならっ! 死なない程度にぶちのめして、動けないようにしてやるよっ!」


 幾つものクレーターを作り上げた少年は、苛立ちのままに思考を変える。胸に溢れる悪感情。血肉を潰す度に感じる歓喜にも似た充足感。それらが故にか、今も思考回路は透んでいる。


 二十を超える殺害数で、物理的には殺せないのだと理解した。ならばと思考を一つ変える。指の一本程度も動かせない形にしてしまえば、それは死んでいるのと大差ない状態であろうと。


 轟と音を立てて大地を踏み込み、それだけで地割れが起きて町の一部が沈み込む。そんな余波さえ然程気にせず、ヒビキは再び疾風となった。結果が出たのは、瞬きも必要とせぬ程に一瞬の後。


「成程、加減されてもこの速度。僕では反応さえ出来ないか」


 巨大な右手に胴を掴まれ、みしりみしりと骨が軋む音を聞く。空いた左の腕が竜の頭部を形作り、アダムの体へと喰らい付く。左の腕。左の足。掴んだ腕の角度を変えて、次は右の腕と足。


 一つ一つと喰らい付いては引き千切り、音を立てて捕食する。四肢を失くした男の背骨をそのまま圧し折ってから、気道が潰れぬ程度に首も折る。見る影もなくなったその残骸を、雑に瓦礫の山へと投げ捨てた。


「これで、もう邪魔は出来ない」


 今にも息を引き取りそうで、それでもまだ生きてはいる瀕死の重傷。その状態へとアダムを追い込んだ少年は、そう吐き捨てて背を向ける。


 より重要なことがあるから、死なないだけの男になんて何時までも付き合ってはいられぬと口にはせずとも雄弁に。背で語った少年は、そのままこの地を離れようとする。


 だが、それは――


「向かうか。だが、それは困るな。だから、こうしよう。報復刻印、解放」


「が――っ!?」


 夢幻のアダムと呼ばれる男にとっては、余りにも明確過ぎる隙だった。


「殺せないのなら、死なない程度に痛め付ける。それを選んだのは、君が初めてではない。対策は十全にしているよ」


 激痛と共に、訳も分からず倒れるヒビキ。気が付けば、手足が全て失われている。首の角度もおかしくて、背骨も確かに折れている。これは間違いなく、ヒビキがアダムに刻んだ物と同じ傷。


 対するアダムは五体満足。まるで彼我の状態だけを入れ替えたように平然と、死んだ瞳のままに男は立ち上がる。その半身に刻まれた術式の一部が、仄かに赤く輝いていた。満足に動かぬ顔でそれを見上げて、ヒビキは状況を理解した。


「傷の、押し付け! 報復魔術の、刻印術っっ!」


「流石に見抜くか。まあ、君の権能を思えば妥当な話だ」


 自身の受けた傷を、そのまま他者に押し付けると言う原初の呪詛。男の体に大量に刻まれた魔術刻印の中に混じって、その呪いが隠れていたのである。


 それこそが、夢幻のアダムが得手とする戦術。その要となる札の一枚。殺せないのなら死なない程度に甚振ろう、そんな安易な解決策を選んだ相手に対する対抗手段だ。


「僕の体は、魔物と同じだ。この身、この血肉が高純度な魔術の触媒となる。……自覚してなかった頃は、こうではなかったのだけどね」


「くっ」


 倒れたまま、悪竜の再生力を用いて傷を治そうとするヒビキ。彼が復元を終える前に、近付いてきたアダムが剣を振り上げる。その斬撃が下りる直前に、右手の復元が間に合ったのは偶然だ。


 生やせた腕は骨に皮が付いたような不出来な形で、指先もまだ三本程度しか揃っていない。そんな不完全な物を頼りに、ヒビキは自分の体を腕力で引き上げるように動かす。少年が飛び退いた直後、先まで居た場所に巨大な剣が突き刺さった。


「見事な物だ。その呪詛を受けて、まだ其処まで動けるか」


「……ちっ、治りが遅いっ」


「けれど、流石に動きは鈍っているね。今なら、こんな僕でも手が届く」


 単純な傷ではなく、膨大な呪詛による欠落。総意は傷付いた状態を正常だと思わされており、単純な治癒再生さえ満足に行えない。


 足を止めて解呪に専念すれば、この程度はどうとでもなるだろう。だが、その僅かな時間を相手は与えてくれない。振り下ろした剣を再び振り上げ、迫る男の技量は十二分に一流域だ。


 追撃を前に、完全な再生は間に合わないと諦める。そうして作り上げたのは、鳥のような粗末な足。体を支えるのがやっとと言うその無様な足で、如何にか距離を取って身構える。


 眼前に迫っていたアダムが振り下ろした剣を、骨のような腕で受け止める。拮抗したのは一瞬で、そのままポキリと折れる腕。されど拮抗した一瞬に、生やした棘のような左手を男の脇腹へと打ち込んだ。


「くっ、だぁっ!」


「相打ち、か。では、もう一度。報復刻印、解放」


「ぐ、うぅぅぅぅぅぅっ」


 そして、また傷を押し付けられる。唐突に裂け、じくじくと血を滴らせる傷口。その痛みに耐えながら、何とか吹き飛ばした敵手を見る。


 対する男はやはり顔色一つ変えることなく平然と、再び剣を構えて向かって来る。治療に専念するような時間はなくて、故にヒビキは腹の傷はそのままに、醜い右手だけを復元した。


 少しでも怯んでくれれば、と異形の腕で殴り掛かる。吹き飛ばそうとする一撃に、アダムは敢えて無防備に受け止め耐える。男の額が割れて、血が噴き出し、そしてその傷がまた押し付けられた。


「あ、ぐっ。くそっ!」


 流れる血が目に入り、痛みと一時的な失明に敵を見失う。その隙に振るわれる横薙ぎの斬撃。その一撃は脇腹の傷から内部に食い込み、血肉を引き千切りながらも骨を通せず其処で止まる。


 胴の中心部深くにまで、剣を刺された少年は痛みに喘ぎながらも腕を振るう。駄々を捏ねるような技量も何もない動きだが、伴う破壊の圧は十分過ぎる物。躱さなければ、相応以上の被害を受ける。だと言うのに、アダムは剣を握ったままに離さない。


 そして拳の刺さった男の体が大きく軋み、その痛みの全てがヒビキに対して押し付けられる。最早痛みに声を上げることも出来ずに、音にならない叫びをヒビキは上げた。


 そんな少年に向かって、片手で剣の柄を握ったまま、もう片方の手を握り拳に変えて振り下ろす。何度も、何度も、何度も。下手に抵抗すればそれ以上の被害を受けるから、動けぬ少年に向かって男は何度も殴り付けた。


「……くっ、そ。……離れ、ろっ!」


 痛みに苦しみながら、如何にか自由になる拳を振るう。目標は直ぐ傍にあるアダムの体ではなく、己の体に深く突き刺さった両刃の巨大な剣。


 無理に引き抜けば、傷口が広がると分かってはいる。けれどその剣がある限り、逃れることも出来ぬから。拳をぶつけて強引に、刺さったそれを取り除く。


 必要以上の血肉を巻き込んで、小さな破片を幾つも体内に残しながら、如何にか抜けた剣と言う名の鉄杭。泣き叫びたい程の痛みに耐えながら、ヒビキは身を翻す。


 攻めてはならない。少なくとも、この呪詛を解呪するまでは。故にこその敵前逃亡。魔王と言う立場に産まれながら、その配下でしかない男を前に無様に逃げる。それは耐え難い程に屈辱であった。


「行かせない。それが僕に与えられた命令だ」


 傷を治しながら逃走を計るヒビキだが、今の不完全な彼では速力でアダムに劣る。すぐさま先回りした男は大振りに、構えた剣を振り下ろした。


 その動きは、剣の振り自体の鋭さに反して無防備だ。それ程に綺麗な動きが出来るなら、隙を失くす位は容易いだろうに。敢えてそれをしないのは、それこそが彼にとっての最適解であるからだ。


「ノーガードで、殴って来て、反撃を受けたら傷は全部相手に押し付ける。最悪に、性質が悪いよ、お前っっ!」


「そうだね。我ながら、醜悪な姿だ。あの女に刻まれた術式に縋って、こうも無様に足掻いている。もしも僕に自由があれば、今直ぐにでも腹を裂いて詫びたい気分だよ」


 被害を受けても、問題がない。即死する程の威力なら、そのまま夢幻から蘇生するだけ。即死に足りぬ被害なら、全て相手に押し付けてしまえば良い。


 故に夢幻のアダムは常にノーガード。自分の身を一切省みない死兵のような戦闘法で、実力以上の脅威を発揮する。そういう性質の悪い戦士であるのだ。


 そして更に、この男の厄介な点は――


「故に、だ。これは詫びだよ」


「が――っ」


 どうにか距離を取ろうとするヒビキの眼前で、アダムは自傷する。片手に握ったその剣を、己の腹に突き刺したのだ。そしてそれが、報復呪詛で繋がったヒビキに押し付けられた。


 痛みはある。自傷行為はアダム自身にも痛みを齎している。だが、それでも平然と自傷する。どんなに痛くとも苦しくとも表情一つ変えることなく、平然と己を切り分けてしまう。その性質こそが、この男の最も厄介な点であろう。


「とは言え今に見たように、僕は腹を裂いても死ねないのだけどね」


「それ、をっ! 相手に押し付ける所が、性質が悪いって言うんだよっ!」


 これにて逃げ道は塞がれた。後ろを見ずに逃げて回れば、アダムは只管に自傷を繰り返すだろう。最低限、先ずこの呪詛を解かねば逃げ延びることも出来ない。


 だが、その時間がない。普段は微睡んでいることもあって、ヒビキの魔術に対する知識は権能頼りだ。検索エンジンを使わなければ分からない事実を前にして、文字を打ち込む余裕もなければ機械を起動する暇もないと言えば伝わるだろうか。


 逃げ道はなく、自ら接近するしかない。されど近付き過ぎれば、今の状態では力でも技量でも負けてしまう。故にヒビキに出来るのは、距離を取り過ぎない位置で守勢に回り、相手が自傷の素振りを見せたら妨害すると言う極めて不合理な戦い方のみだった。


(ほんの少し、で良い。少しでもアイツに、隙が出来れば……権能を使えれば、解呪方法なんて直ぐ分かるっ! 解呪出来れば、こんな奴、敵じゃないのにっ!)


 剣を躱す。躱し切れなければ腕を犠牲にする。そうして如何にか距離を取り、しかし退き過ぎずに敵の間合いに留まり続ける。


 そんな不慣れで困難な戦闘を続けながら、ヒビキは荒い息を吐く。このままでは不味い、と。現状は詰みに近い。万全ならば万に一つもない敗北が、罠に掛かったが故に避けられない。瞳を僅か揺らしながら、それでも彼は唯耐える。


(ううん、駄目だ。これじゃあ、この考え方じゃ駄目だ。だから、考えろ、考えろ、どうすれば良い? 今は、考えるしか、出来ないんだから)


 斬撃を受け、耐える。打撃を受け、耐える。歯を喰い縛り、頼りない手足で頭部を守るように体を丸めて、一方的に振るわれ続ける痛みに耐える。


 傷付く度に不完全な修復で補い、隙を見つけては取り過ぎない程度に距離を取る。直ぐに距離を詰められて再び寸刻みにされていくが、それでもヒビキは耐えながら思考を回した。


(誰かが来ることに、期待するか? 多分、これだけ騒いでいれば、人が来る。アイツの意識が数十秒でもそっちに向けば、多分解呪の手段は見付けられる。……でも、いつ来るか分からない誰かを待つの? 今にもミュシャやアンジュは、危ない目にあってるかもしれないのにっ!)


 先ず考えたのは他者の助力。耐え続ければ、第三者の介入は必ずある。現場の騎士が嘘にされた影響で、恐らく混乱は広がっているのだろうが増援が来るのは時間の問題だ。


 故に時間を稼げば、有利になるのはヒビキの側。と断言出来ないのが、全体を通してみた時の話。あくまでも夢幻のアダムは足止め要因で、本命は間違いなくミュシャとアンジュ。その無事を確保しようとするならば、助けを待つでは駄目なのだ。


(僕一人で逆転する。そのために必要なのは、やっぱり権能だ。現状を覆すために、権能での検索に専念する。その間、何をされても死なないなら良いと割り切って、痛みに耐えるなら。それなら、一度の反撃くらいは出来る筈。……けど、どんな魔術を使えば良い? 失敗すれば、手足を捥がれたまま、逃げ続けることさえ出来なくなる。この状況さえ維持できなくなる)


 必要なのは、打ち勝つこと。逆転の可能性があるとするなら、今に続けている不完全な手足を再生させての戦闘を止めること。その再生に使っているリソースを、反撃に回して一手打つこと。


 だがしかし、それで出来るのは恐らくは後一度だけ。治療を止めれば逃げ回ることさえ出来なくなるのだから、無防備に受ける痛みにヒビキが耐えられない可能性はあるし、選んだ一手が間違っていれば敗北に繋がるだろう。


 悪竜王が簡単に、殺し切られるとは思えない。だが、拷問のような扱いを受ければ、幼い彼の心が持つかは怪しい。彼の心が折れてしまえば、今も離れ離れになった少女達がどんな目に合うかも分からない。


 だから、負ける訳にはいかないのだと。だから、選択を誤る訳にはいかないのだと。そう思えば思う程、道を選ぶのが怖くなる。このまま逃げ続けていれば、少なくとも己は助かるのだからと逃げたくなる。


(怖い。怖いよ)


 そんな弱さに泣きたくなって、情けないと叫びたくなって、負けそうになる度にそれで良いのかと風が囁く。空色の風が胸を吹き抜け、不快な感情に苛まれたまま、それでも――馬鹿にするなと少年は確かに前を見た。


(けど、それでも、それ以上に怖いことがあるから! 考えろ。考えろ。考えろ。使える魔術は一つだけ。チャンスは後一度だけ。それを外せば、次はない。なら、どんな魔術を使えば、あと一度だけで逆転出来る?)


 前を見て、それでも不安に心は揺れる。ミュシャの目で、間違いないと保障して欲しい。アンジュに大丈夫だって、暖かく抱き締めて貰いたい。そんな風に、弱音が思考を掻き混ぜる。


 だって、悪竜王には強さがない。そんな綺麗な物は、龍宮響希が抱え込んだままくれなかったから。アジ・ダハーカには、弱さと醜さしかなくて。でも、始まりがそうであれ、終わりまでずっとそうでなければならない訳じゃない。


(呪詛の解呪は? いいや、出来ても治療を直ぐに出来る訳じゃない。再生と引き換えの解呪じゃ、結局逃げ切れなくて詰む。直接攻撃系はどうだろう。即死させたら、即座に復活する。少しでも残したら、その分の傷を押し付けられる。けど、魂に直接攻撃するような術なら、治療を妨害するような術なら、もしかしたら。でも、本当に? いや、けど、だけど!)


 弱さと強さは、表裏一体。どちらかが欠けても、本当の意味では成立しなくなるものだから。弱さしかない心の内にも、何時しか強さは産まれ得るのだろう。


「ああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」


 少年は叫ぶ。涙交じりに、弱音を全て吐き出すように。迷いを全て、振り払いように。そして何より、ほんの小さな心の欠片を燃え上がらせて進む為に彼は叫んだ。


 そして、再生を解除する。即座に迫る斬撃が少年の身体を解体していくが、それでもヒビキは言葉を止めない。呪文の詠唱。魔術の発動。勝利に繋がる道と信じて、彼は此処にそれを為す。


「奈落の底より湧き上がれ。聖者を呪う屍者の獄炎。青白き光に映りしを視よ。汝の果てたる屍蝋の彩を。唯一人例外なき孤独の終焉。救いなく続く末路。其は永久に儚き、不変の刹那。魂さえも穢し犯され滅ぶが良い。発動(Exit)――――命蝕む(Purgatory)呪怨の(falls)蒼炎(curse)!」


 選んだのは、先に見た賢者の用いた術式。魂を始めとする形なき物に、再生を妨害する蒼き炎で干渉すると言う攻撃魔術。少年の眼前に産まれた火の玉が、半ば両者を巻き込む形で燃え上がる。


 術者であるヒビキすら巻き込んで、燃える炎に両者が苦しむ。苦悶の声は、それでも歯を食い縛って漏らさない。そうして、火が消える。その後には、息も絶え絶えに地面に転がるヒビキと、そして――無傷に等しい、男の姿。


 効かなかったのか、通じなかったのか、失敗したのか。一瞬の内に脳裏を過ぎる様々な怯懦と後悔。地に転がったまま、肉体の再生を始める少年の身体に男の剣が突き刺さる。


「残念だったね。痛みには、慣れている」


 形なきもの全てを燃やす炎を用いて、魂に対する直接攻撃を行う。この一撃で倒せずとも、痛みによって解呪の隙を作れれば良い。


 ヒビキはそう判断したのだろうと、アダムは察した上で端的に否定する。彼は痛みに慣れている。故に隙など生まれない。そうとも、男は痛みに慣れている。


「隙を作りたいのなら、痛み以外の物に頼るべきだったね」


 恐らくは、の話ではあるが、夢幻のアダム程に痛みに慣れた者などこの世にはいない。何せ過去を視ることが出来る吸血鬼が、その愛を証明するために、ありとあらゆる破壊と苦痛と拷問を彼に与え続けたのだから。


 人の想像出来るありとあらゆる苦痛と拷問を、夢幻のアダムはその身に受けた。繰り返す世界全てを含めても、彼以上の拷問を受けた存在など居はしないのだ。


(違う)


 しかし、刃に腹を貫かれて頭上に掲げられたヒビキは思う。想定した意図は、確かにアダムが語った通り。だがしかし、失敗した理由が異なっている。そうとも、吊るされる彼の瞳にはもう映っていたのだ。その、救いようのない真実が。


(失敗、した。こいつ、そもそも、魂なんて持ってなかったんだ)


 夢幻のアダムは、その異名の通り夢と幻。彼には傷付く魂などないし、そもそも生物などではない。生きていないのだ。死んでいないから、動いていると言うだけで。


「しかしこの状況、どうしたものか。……倒せてしまったが、果たして仕留めて良いのだろうか?」


「くっ、そ」


「まあ、問題があれば後々修正するとしよう。残念だったね、悪竜王。君はこれでさようなら。夢幻のアダムは殺せない。僕の悪夢は、終わらない」


 剣に貫かれた少年の身体を、両刃の剣を大きく振ることでアダムは遠くに吹き飛ばす。そして距離を取った後、男は姿勢を正して構えを変えた。


 それは直立した状態で半身を取り、片手を開いて伸ばし少年に向けると言う独特の構え。伸ばした右手の先、地面に突き立てた両刃の剣。その中心にある円に、右腕を手首まで通したアダムは静かに告げた。


「では、幕引きといこう……権能代行、虚構之真言」


「それは、アリスの」


「母に作られた我が身には限定的にだが、彼女の権能を使用することが許されているんだ」


 言葉と共に発行し、ふわりと浮かんだ両刃の剣が回転を始める。翳した掌の前で回る光の軌跡は、まるで巨大な輪のようで。その腕輪を中心に、悪しき力が集う高まる。その力は紛れもなく、第三魔王が持つ権能。


 全てを嘘に、嘘を真実に変える力。その権能の前半分、全てを嘘に変えると言う能力のみを夢幻のアダムは行使出来る。発動にも時間が掛かると言う制限こそあるが、それでも今のヒビキが呪詛を解呪し傷を治してから逃げ出すと言う程の余裕はなかった。


「では、そうだな。一先ず全て忘れてしまえ。赤子に戻り、もう一度最初から積み上げると良い。賽の河原にある小石のように、また崩れ去る定めだろうが…………人生なんて、そんなものだろう?」


 光が集う。もう放たれるのに間に合わない。弱さに耐えて、選んだ結果がこれかと後悔した少年は呟く。それは風の音に溶けて消えてしまうような、思わず漏れ出た弱音であった。


「選択を、ミスった。お前の正体、もっと早く、気付いていれば……」


「……僕の、正体?」


 だが、その小さな音が響いたと言うのか。アダムの動きが硬直する。一体何を言い出すのかと興味深げに、力の行使を止めた男の姿にヒビキは好機と見た。


 とは言え此処で、治療や解呪を進めたならば今にも控えている虚構の光が襲い来るだろう。故に出来るのは、言葉を紡ぎ時間を稼ぐこと。近付く増援の気配に、その到着に期待しながら、少年は至った答えを口にする。


「命を蝕む火でも、お前は気にした素振りはなかった。魂を焼く炎を受けて、痛いと零すこともなく、それは痛みに慣れているからが理由じゃない。お前はそもそも生きてない。魂が、最初から存在していない」


「こんな様でも、痛覚自体はあるのだが。肉体の欠損と、魂の欠落は、痛みの質が違うのかい?」


「違うよ。お前は、生き物じゃない。魔物ですらない。そんな連中ですら、魂は有している。それさえないお前は、化け物以前の存在だ」


 苛立ちや罵倒を存分に込めて、時間稼ぎも兼ねながら、回りくどく語る少年の言葉に男は反発一つ示さない。自認しているのだ。己がそういう、生き物でさえない不出来な泥人形であると。


 だが、だからこそ、彼は足を止めて耳を傾ける。五大魔王の一角が、己と言う存在にどのような評価を下すのか。僅かでも自己が知らない情報が出ることで、それが己の消滅にも繋がるのではないかと。か細い期待に縋るように、夢幻のアダムは唯問うた。


「それで、生きてさえいない僕を、君は一体何と結論付けた。悪竜王」


「お前は影だ。日が差した時に出来る影。アリス・キテラと言う本体が日に当たった時に、地面に出来る影こそがお前だ」


 ヒビキは言う。夢幻のアダムは影である。太陽の下にある物が、地面に影を伸ばすように。光に当たったアリス・キテラの体から、伸びている影こそが夢幻のアダムの正体だ。


「だから、幾ら殺しても、アリス・キテラが無事な限り、お前は何度でも出現する」


 魂を焼こうとしても、燃やせなかった瞬間にそれに気付いた。こうして話している今に、解析の魔術を相手にも分かるように掛けて確証を得る。


 夢幻のアダムは影である。或いはスクリーンに映った映写機の映像や、テレビに映った画像でも良い。彼は本体ではなく、そこから投影されている情報でしかない。


 それ自体は、アダム自身も既に知っていた情報だ。だからその身、その心に、揺らぎはなく。彼を揺るがせたのは、その後に続く言葉であった。


「けれど、消える度に発生するお前と前のお前は厳密には同一存在じゃない。だから自身の報復を行うその刻印は、即死した時には使えないんだ」


「……同一ではない、か。それは僕自身、初めて知ったな。だと言うのなら」


 彼の体に刻まれた術式は、己の受けた被害を返すと言う単純な物。故に再生ではなく再誕であるから、次に現れた夢幻のアダムは前に居たアダムの傷を相手に押し付けることが出来ない。


 別人なのだ。今の彼と前の彼は。記憶の引継ぎ、意識の連続性がある以上は情報を双方向でやり取りする構造や手段があるのだろう。だがもしもそれを妨害されれば、別人だと言う事実はより明白に分かるであろう。それ程に、彼の自我とは、彼の存在とは、不確かで吹けば飛ぶ程に曖昧な物でしかなかったのだ。


「この記憶も、この感情も、この自我も、他人の物でしかないと言うのなら。それこそどうして、僕は罪悪感を抱えている? この罪をどうして許せない? 一体どうして、ディアナは僕をこの世に留め続けるのだろう?」


 そして、その事実は、如何なる痛みにも平然と耐えるアダムにすら耐え難い真実。何もかもが他人の物だと言うのなら、どうして今に己はこんなにも苦しんでいるのか。それに対する答えを、男は何も有してはいないから。


「……お前」


「もう、遠い昔だ。僕は、許されないことをした。いいや、許してはならないことを許した。ああ、厳密には僕ではないんだったか。なら、どうして……」


 動揺し、困惑し、独り言のように過去を語り始めるアダム。そんな姿を呆然と見詰めながらも、ヒビキは自身に刻まれた呪詛を解除していく。


 報復の呪詛が消えれば、万が一にもアダムはヒビキに適わない。次は先のような罠にも嵌らないだろう。そんな絶体絶命の窮地にも関わらず、アダムがそれに反応することはなかった。


「泥の中から生まれた時、僕は己を泥人形だとは知らなかった。愚かなことに、唯の人間だと自認して、ああ、それはもうどうでも良い話。……唯、愚かな僕は、恋をしたんだ」


 始まりは、第三魔王アリス・キテラ=ドゥルジ・ナスが原初の魔王に嫉妬したこと。彼には三体も配下が居るのに、自分には一つもないと駄々を捏ねたのが始まりだ。


 当時既に邪教の本尊として、第三魔王を利用していた育ての親であるディアナ・プロセルピナが童女に吹き込んだ。欲しいのならば、作れば良いと。作り方を、彼女に仕込んだ。


 子供が砂場で泥遊びをするかのように、アリス・キテラは嘘に嘘を重ねて居もしない存在を作り上げた。夢幻のアダムが居ないなんて嘘、と彼の存在を本当に変えた。


 結果生まれた魔王の影は、己をそうとは知らずに居た。ある日唐突に成人した姿で発生し、狂った童女に纏わり付かれながら過ごす。そんな日々の中で、吸血鬼と知り合ったのは自然の流れだ。


 自分の作った傑作を、親に見せて褒めて貰おうとする子どもの行動。それによって出会った美しい女に、産まれたばかりのアダムは愚かにも恋心を抱いてしまったのだ。


「美しい吸血鬼。それに心奪われた愚か者は、不幸なことにその想いを遂げてしまった。愛するだけじゃない。愛されてしまったんだよ。それが、彼女を変えてしまうとも気付かずに」


「……魔物の衝動」


「修羅も似たような衝動を抱えているがね。好きな者程、彼女達は穢したくなるそうだ」


 己の産まれも知らず、母の素性も知らず、女の真実も知る由もなく、愚かなアダムは愚かなままに想いを伝えた。真っ直ぐに愛する男の心に、ディアナが絆されたのは偶然か。いいや、必然と言うべきだろう。


 過去を視る吸血鬼は、繰り返しの中で男をずっと視ていたのだ。己が愛することになる男の存在を、彼が生まれるより前からずっとずっと待っていた。だからこそ、漸く手に入れたその存在に、女が狂ってしまうのもまた必然だった。


「当たり前の、何処にでもある幸福だった。女と寄り添い、子を成し、暖かな家庭を作る。幸せだったさ。この感動が、例え己の物ではないと知っても結論は変わらない」


 己の素性を隠したまま、何も知らない男と多くを知る女は共に生きた。自覚無自覚関わらず、互いに唯人の振りをしながら当たり前の日々を過ごす。


 小さな家屋の中、暖かな暖炉を囲むような生活。晴耕雨読の日々の果て、子宝にも恵まれて、愚かな男は愚かなことにこんな日々が何時までも続くのだと無邪気に信じて。


「だが、ディアナは喰った。己が腹を痛めて産んだ、僕の子を」


 そんな日々を、女が壊した。


「子に対する愛情は、確かにあったと思う。けれどあの女は言った。それ以上に、僕が苦しむ顔が見たかった、と」


 愚かな男にとっては、これ以上ない程に幸福だった日々。だが過去の世界を知る女にとっては、幸福ではあれど物足りない時間であったのだ。


 だって、同じような時間を過去の自分が経験している。己ではない己が既にした行為など、己だけの特別にはならない。だから、もっと、もっと、もっと、特別な何かがしたかった。


 愛すればこそ、求めればこそ、足りなかったのだ。だから、女は魔物の衝動に身を任せた。


「僕は、救うべきだったんだろう。今でも目に焼き付いている、泣きながら母に食われる我が子の姿が。助けてと、僕を呼ぶその声が、鼓膜に纏わり付いて離れないんだ」


 女は見せ付けるように、男の前で子を壊した。ゆっくりと腑分けしながら、生きたままの踊り喰い。それを見た男は、拘束されている訳でもなかったのに、一歩を踏み出すことが出来なかった。


 だから、今も目に焼き付いている。今も耳にこびり付いて離れないのだ。あの子の恐怖が。あの子の悲鳴が。それら全てが失望を経て憎悪に変わり、果てに絶望の色から濁って輝かなくなるその時まで。


「僕は、憎むべきだったんだろう。愛する我が子を救えないのならばせめて、その無念を晴らそうとするのが正しい親の姿だろうに。だと、言うのに」


 ゆっくりと壊されて、子が亡くなったその後で。男は女に捕まった。自殺は許さぬと無数の刻印を刻まれて、監禁されての獄中生活。与えられたのは、肉体接触による快楽と拷問による苦痛だけ。


 苦しむ顔が見たい。悶絶する顔が見たい。嘆く顔が見たい。餓死する所が見たい。見たい見たい見たい見たいまた見たいと、欲望のままに貪られ続けて心が摩耗していく。何時しか男の反応は薄くなり、今のような姿に変わった。


 それでも、今も目に焼き付いている。今も耳にこびり付いて離れてくれない。最初の子の姿が、そして獄中での日々の中で産まれ殺されていく子らの姿が。


 決して忘れさせはしないのだと、ディアナは男に術で刻んだ。だから彼は今も尚、その声を耳にしている。その顔を目にしている。四六時中、休む暇もなく、死に続ける姿が彼を苛み続けているのだ。


「僕は救えなかった。僕は憎めなかった。刻まれた記憶は情報の再現でしかなく、この身は既に滅んだ後に再誕していただけ。別人の記憶でしかないと言うのに、今も想いは胸に燻っている。……ああ、僕は、なのに」


 子を愛するならば、あの時どうして動けなかった。我が子らを愛するならば、どうして復讐しようとしなかった。その問い掛けに、答えは一つ。今も胸に、燻る想いが残っているから。


 だからこそ、男は己を許せない。女を恨めず、子らに許しを乞うことも出来ない男であるから。恨めたのは自分一人。憎めるのは自分一人。この世で誰より殺してやりたいのは、こんな無様な己である。


「だから、死にたいって? 逃げるのかよ、お前っ!」


「そうだね。これは逃げだ。無様な逃避だ。夢幻のアダムは、そんな程度の低い男だよ」


 解呪は出来た。肉体の復元も終わった。そうして立ち上がったヒビキは、眼前の男の無様に怒る。何がどうして、こんなにもざわついているのか分からない。だがそれでも、一つだけ確かに言える。このアダムと言う男は気に入らない。


 そんなヒビキの結論に、過去を振り返ることを止めたアダムは苦笑を零して返す。逆転した状況。殺されることはなくとも、千日手に戻ったであろう情勢。与えられた仕事も出来ないとは無能だな、と自分で自分を罵倒しながら。それでもアダムは、力なくこう告げるのだ。


「だが、逃避しているのは君も同じだろう?」


「な――っ」


 逃げているのは、お前もそうであろう、と。ヒビキがアダムに感じる情は、即ち同族嫌悪であると。まだ青い、まだやり直せる子どもだからこそ、彼はそう感じている。そして、そうではないからこそ、男が抱いた情は真逆の物だ。


「同病相憐れむと言う奴だ。程度の差はあれ、似た者同士。多少、気にはしてしまう」


「一緒にするな、お前なんかとっ!」


「……ああ、そうだね。僕みたいな奴には、決して成らない方が良い」


 自他共に認める程に、アダムの過去は醜く無様だ。そしてそれを拭おうともせず逃げ続けている現在も、輝かしい強さとは程遠い情けない弱さに満ちている。


 そんな男と同一視され、反発することが出来るのならば――或いは、変わっていくことも出来るのだろう。だから、役目としては許されずとも、個人としては素直に寿ぎたい。そんな風に少し笑って、しかし直ぐに笑みを消す。


 夢幻のアダムは奴隷である。子を喰われ、支配の魔術を刻まれたあの日から。いいや、或いは、あの月明りの下で、愛するべきではなかった女を愛してしまった瞬間からか。


 そして、更に救いのない真実は、その始まりに抱いた想いすらも、魂のない彼のものではないと言う事実。


 夢幻のアダムは空っぽだ。本体の抱いた感情が、伽藍堂の中に響いているだけ。そんな男だから命令に逆らえず、戦うと言う道しか選べない。故に再び剣を構え直した彼の姿に、ヒビキもまた拳を構えて臨戦態勢を取る。


 戦況は振り出しに戻った。真面にやり合えば性能差故に、ヒビキが一方的にアダムを殺し続けることも可能である。だが僅かでもしくじれば、先の二の舞になるであろう。


 そして殺し続けたとしても、アダムを完全消滅させることは出来ない。影でしかないこの男に一切の干渉は無意味であり、放置して本体である大魔女を討つことこそ正当解。


 しかし大前提となる問題として、アリス・キテラはこの場に居ない。更にアダムは完全に無視してしまえる程に弱くもなくて、それが故にこのままでは千日手を繰り返す羽目になるだろう。だが――そうなる前に、事態は動いた。


「通報のあった現場は此処かっ! な――っ!?」


「王国軍の到着か」


 連絡が途絶えた部隊。相次ぐ異変と町の崩壊。それらを確認し対処する為に、行動を開始していた王国軍が到着したのだ。


 完全武装の騎士一個小隊を率いて現れたのは、金髪碧眼の女騎士。六大師団は一つ、討魔師団の長シャルロット・ブラン=シュヴァリエだ。


「夢幻のアダム。それに、アンジュと一緒に居た少年。ヒビキ、でしたか? その姿は、一体……」


「……後で話す。今は、アイツの方が先だ」


「分かりました。討魔師団の団長としては問題かもしれませんが、あの子の信じた貴方を信じます」


 言葉を交わしたのは一瞬、それだけで信用して無防備な背中を預けて来る女の姿にヒビキの方が目を丸くする。


 今の彼は修復を優先した結果、黒い鱗が全身の至る所に出現している如何にも怪物然とした姿。だと言うのに、こうもあっさりと納得されては肩透かしもあるだろう。


「雑兵を数と入れずとも、二対一か。中々にハードではあるが、僕のような罪人には相応しい苦難か」


「……邪教の幹部を相手に、騎士達では荷が重いか。隊を二つに分けなさい! A班は他の部隊と合流。大きく円を作る形で包囲を! 決して手を出してはいけません! B班は周辺の被害確認。並びに避難者の救助を! この男は、私とこの子で対処します!」


 無防備に背中を預けて、大声で連れて来た兵士たちに指示を出す。そんな背中を目を丸くして見詰めるヒビキの内に、一瞬疼くのは魔物の性。


 もしも此処で、彼女を背中から引き裂いたらどうなるか。驚愕や絶望。仲間の少女の涙を夢想して、愉しくなるのが魔物が有する悪徳の素養だ。


 それでも、その悪徳に負け流された果てがあの男の無様なのだろう。そんな醜い果てを見たから、同じ轍を踏まないように、少年は己の衝動を抑えて宥める。


 抑え続けることは難しいが、今は幸い向けても良い敵が居る。あれを潰し踏み躙ることで慰みとしようと、細剣を構えた騎士に同じく背を預けた。


「シャル、ねー、だっけ? ちょっと時間、稼げる?」


「シャルロットです。時間を稼ぐのは構いませんが、勝算はあるので?」


「ん。儀式魔術、使う」


「分かりました。では、任せますし任されます」


 必要以上の疑問を挟むことなく、為すべきことだけを為す。その判断の速さは、流石は英雄域にある人間と言うべきか。


 言葉少なく頷いて、バチバチと音を立てて雷光を纏う。発する量はアンジュのそれと等しく、されど質はそれ以上なのだと一瞥だけで分かる程。


「聖王国軍討魔師団団長シャルロット・ブラン=シュヴァリエ! 推して、参るっ!!」


 踏み込み、駆ける。その速度は正に神速。雷翔一迅・三歩。僅か三歩の踏み込みで、音速の凡そ八倍にまで引き上がったその速力。


 瞠目するのは、それ程の速さで動きながらも、大地には傷一つない点か。闘気による物理法則干渉。全力を出して尚、世界に影響を与えない。それこそが、英雄とそれ以外を分ける大きな差異だ。


「流石は六師団長でも、一・二を争う使い手。やはり速度は、僕より上か」


「軽々と対応しておいて、嫌味ですかねっ!」


「いいや、以前の経験が無ければこうはいかない。それは先の交戦で、君も知っていることだろう」


「首を刎ねても心臓を刺しても、死ななかったことは覚えていますがっ!」


 本来ならばノーガード戦法を基本とするアダムが、身を守る為に剣を扱う。理由の一つが彼自身が未だ動揺しているからと言う点ならば、もう一点はシャルロットの戦い方が故にだろう。


 重症を負わせてしまえば呪詛で返される。一度でも呪詛が通れば、以降は自傷の傷も押し付けて来る。そんなアダムとの戦いにおいて、有効手段の一つが攻撃に伴う追加効果による行動阻害だ。敢えてかすり傷程度のダメージを与えることで、それに伴う電撃による体の麻痺を狙うと言う物である。


(夢幻のアダム。素の実力は、私のような六師団長の上位陣と同程度。けれど極めて厄介なのが、その不死性と報復呪詛。身を守る気もなく、常に捨て身で来る戦法は、多少の実力差など容易く覆す)


 麻痺している状態では、呪詛の発動も一手遅れる。雷に籠った精霊力による魔力の中和も含めれば、呪詛の発動難度は大きく上がるのだ。


 呪詛を使っても自身の隙を作る結果にしかならないと言う状況ならば、アダムの側も呪詛をメインにはしてこない。


 それは先の交差で既に分かっていて、故に導き出した対抗策がこれ。麻痺狙いを主体にして、隙が出来れば致命の一撃を叩き込むと言う物だ。


 とは言え、それでもアダムの脅威度は変わらない。シャルロットがそうと動けば、即座に対応してくる程度の実力は有しているのがこの男の厄介な点の一つ。


 そしてもう一つの難点が、アダムにとっては対策など十全でなくとも十分だと言う点。元より不死身の彼を相手に持久戦など、人にとっては愚策でしかない行為なのだから。


「こんな相手に一体、どんな魔術が通じると言うのか。いえ、今は信じましょう。可愛い妹分が信じた仲間を」


 そんな時間稼ぎに敢えて付き合う。それだけならば、一昼夜でも持たせてみせる。雷となって加速するシャルロットは、心の底からそう断じて駆け抜けた。


『凍て付いた水の流れ。澱み穢れた風の歌。山を崩して海を穢す。海から溢れて山を染める。其は瞭然たる異常。其は特異なる不条理』


 両の肩に開いた口が、涎を垂らしながら呪文を紡ぐ。幾度も幾度も、同じ呪文を繰り返し。二重三重四重五重、数え切れない程に重ねているのは今に作り上げたばかりの術式が不安定で不完全であるが故。


(夢幻のアダムは殺せない。影でしかないあれを真に滅ぼすには、大本であるアリス・キテラの討伐は必須。あの女が表舞台に出て来ない以上、アダムは不死身だ。何をしようと倒せずに、全てが徒労に終わるだけ。なら――――正当解は封印すること)


 アダムは死なない。殺せない。それは悪竜王の権能を以ってしても、覆すことが出来ない事実だ。故に対抗手段は封印。滅ぼせない存在ならば、動けないようにするのが唯一無二の対処策。


(時間軸を狂わせた異空間に追放する。けど、それだけじゃ足りない。影が生じる原因である光の遮断と、奴が扱う第三魔王の権能の発動妨害。それらを機能を権能で引き出した魔術に追加する。術式の再編は面倒だけど、新規構築より遥かに楽な筈。……人間の魔術師よりも、僕は多くの下駄を履いてるんだ。だったら、優れた人間に出来ることくらい、やってみせなきゃ嘘だろうっ!)


 だが、唯封印するだけでは足りない。この場から異界に追放したとしても、アリス・キテラが健在な限り即座にあれは戻って来る。ならば、先ずはその繋がりを徹底的に遮断するのが前提条件。


 しかし、それを満たせるだけの都合の良い魔術はなかった。悪竜王の権能である幾千之魔導は、過去現在未来の全ての時間軸で人間が作り上げる魔術の全てを知れる力。だが故に、未来にも存在しない魔術など記録にない。


 だから、ヒビキは作り上げたのだ。此処に、夢幻のアダムを封印する為だけの魔術式を構築する。ゼロからではない、既存魔術式の改変。それは権能があっても容易いことではないが、それでも権能を持たぬ人間にも出来ること。悪竜王に、出来ぬと言う道理はない。


『故に肯定し、遂行しろ。昨日の先に今日など要らず、汝の果てに未来はない。全てを奪われ、連環の底へと堕ち続けろ』


 基本式に、封印効果のある第九小節魔術を制定。其処に権能を行使して見つけ出した類似した魔術の中から、必要とされる式を抜き出し基本式に書き加える。


 例えるならば、パソコンのプログラム。素人が複数のデータから必要となる情報を探してコピーとペーストを繰り返し、作り上げた物を無理矢理マシンパワーで動かそうとするような物。


 無理がある。滅茶苦茶だ。出来た式はバグだらけ。効率なんて一切考えられてなく、何時止まってもおかしくないような出来損ない。


 されど、確かに此処に動いてみせた。


――其は(The sin of)許されざる(Unaccept)罪である(able)――


 複雑に噛み合い、奇跡的に動いてみせた魔術式。発現したのは彼自身も意図した物ではない、世界を滅ぼすに足る第十小節魔術の認定。


 発動し、放置すればそのまま人類文明を崩壊させる。そうと認定されたが故に、許されざる罪と人類総意より定められた力が此処に威を示す。


展開(enchant)――哀れな魂(The three)輪廻を巡れ(realms of)其は出口なき(endless)無限回廊(loop)!!」


 瞬間、世界に穴が開いた。それは、一見すれば黒い穴であろうか。だが、よく見ればそうではないと分かる。だが、何と言えば良いかも言語化出来ない不快な空白。


 それが唐突に、アダムの背後に出現し彼を一瞬で飲み干した。


 抵抗することも悲鳴を上げることも許さずに、飲み干し追放した空白。其処にぞっとするようなものを感じて、即座にシャルロットは後退した。


「あれは、一体? 何もないのが、ある?」


「……近付いちゃ、駄目。飲まれる、よ」


 後退し、着地した女騎士。困惑する彼女に対し、答えるヒビキは少し眠たげだ。


 アダムが居なくなった以上、思考回路をそのままにしていては魔の衝動に飲まれてしまう。故に彼は思考を放棄し、再び微睡の中へ沈むことを選択したのだ。


 とは言え、完全に眠る前に、まだするべきことがあるのだが。


発動(Exit)――――無価値に(Reset and)終われ(rewind)


 空間に開いた穴に向け、少年はその手を振るい魔術を使う。直後に震えていた空白はゆっくりと小さくなっていき、遂には閉じて消えてなくなるのであった。


「消えた? いえ、戻ったの、ですか?」


「ん。あのまま、だと、広がって、全部、無に変える、から」


「……え、いや、無に、ですか」


「ん。第十小節魔術は、人類崩壊級。放置する、と、余波だけで、人類、滅ぶ」


 開いた空白は本来、そのまま周囲に災害を引き起こしながら広がり続ける。そしてその果てに、世界に存在するもの全てを飲み干してしまうのだ。故にこその、第十小節認定である。


 世界が滅びるかもしれなかったことに恐怖するべきか、それ程の魔術を発動しなければ対処出来なかった邪教幹部に戦慄すべきか。僅か悩みながらも終わったことだと結論付けて、シャルロットは一つ息を吐く。


「……凄く、嫌なことを聞いた気がします。ですが、これで夢幻のアダムは無力化出来たと考えても」


「一時的、には、ね」


 それだけの力を使ったならば倒せたのであろうと口にしたシャルロットに対し、ヒビキは首を横に振って否定の意を返す。夢幻のアダムは性質上、如何なる手段を用いても彼だけを滅ぼすことは出来ないのだから。


「三界の果てで、アイツが死ぬか。アリスが気付いて、作り直せば、また出る、から、時間の、問題」


「です、か。……いえ、撃退出来て、尚且つ時間も稼げるのですから良しとしましょう」


 これだけしても、やがては戻って来てしまう。そう聞いて、少し落胆しながらもシャルロットは切り替える。今までは長く時間を稼ぐことも難しかったのだから、十分過ぎる戦果ではあるのだと。


 そう結論付けて、アダムについてはこれで終わり。それ以外にも聞くべきこと、問わねばならないことは多くある。だからと彼女は、寝ぼけた目をする少年に向かって問い掛けた。


「それで、聞きたいことが多いのですが。先ずは何から問うべきか、その姿についてや、どうしてアダムが此処に居たのか。後は、あの子。アンジュ達はどうしたのか」


「ん! 今は、時間、ないっ! 後、で、ね!」


 問われて少年は、ごめんねと首を振ってから身を翻す。臀部に生えた尾を一振り、轟音と共に大地を砕きながら跳躍した。その勢いは凄まじく、見る見る内に姿が夜の帳の向こうへと。


 あっという間に見えなくなった少年を、唯見送った女の下に周囲を包囲していた騎士達がやって来る。内の一人が声を出して、その場に佇むシャルロットに対し指示を仰いだ。


「師団長、追いますか?」


「……いえ、後で、と彼は言いました。ですので、その言葉を信じましょう」


 追い掛けるかと言う問いに、シャルロットは首を振って答えとする。


 彼への問い掛けを除いても、他にもやることは多いぞと。ぱんと手を叩いて気を引き締め直し、身を翻した女騎士。彼女は事態の後処理の為、夜通し身を粉にして動くのであった。






夢幻のアダムはギミックボス。即死させると自動蘇生で全回復。大ダメージを与えると呪詛で相手に傷を押し付けてきます。


対策は本文で書いたように封印や強制転移。呪詛も一応は魔術なので、精霊術での中和・軽減と魔術や神聖術での解呪も可能です。反射ダメージを何らの手段で軽減・解呪しながら、隙を突いて封印するのが正当解。


先代勇者パーティは実はこいつ相手だとかなりバランスの取れたパーティでした。

精霊術が使える前衛二人が呪詛を軽減しながらダメージを与えて、防ぎきれなかった呪詛は聖女が治療。隙を突いて賢者が封印と言う形で対処が出来たので、旅路の中で恭介たちは何度かアダムに勝っています。

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一時でもアリスとディアナから切り離され、異世界に追放されたアダム。そこでの大冒険の末に真人間になるの可能性は?
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