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Re, DS  作者: SIOYAKI
第三章 同じ轍を踏まない
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第38話

嘗ての決戦。

◇宙歴28624年3月1日


 別火の時は終わりを迎える。人の生命と言う汚れを祓った彼女らは、星の化身として生まれ変わった。


 迸る水の奔流が、溢れ出す火の岩漿が、吹き荒ぶ風の轟音が、揺れる土の咆哮が、淀んだ空と汚された大地に舞い降りる。


「私は悲しい」


 其は嘆きと共に現れた。人が彼女に求めた資格は“哀憫”。星の水が人に抱いた色は、哀れに嘆くその心であったから。


 生まれ落ちた子供は、感受性を高まるように育てられた。嘆き悲しみ涙を流せるように望まれた生命は、人の手によって海の底で溺死した。


「人の裏切りが、それに対し、信じ続けることも、怒り狂うことも出来ない私自身が――私は悲しい」


 知らされてなんていなかった。必要な場所へ連れて行くとだけ伝えられ、騙し討ちにされて殺された。果ての彼女は、唯只管に嘆いている。


 青に染まった瞳と髪。視力は向上し、不要になった眼鏡はない。与えられた髪留めを捨てたのは、人と決別する為か。


 汚れた風に髪を靡かせながら、少女の形をした人外はその尾を振るう。腰から下は魚のそれと化しており、人の想像する人魚に等しい姿と成っていた。


「それでも、私は戦いましょう。そうあるべきと、それだけが私の内に残った責務であるから」


 嘆きの色に染まった彼女、マリナ・オンディーナは人への情も愛も残してはいない。だが、それでも責務と感じている。人を導き、魔王を倒す。でなくばどうして、この悲しさを拭えよう。


「腹が立つ」


 其は怒りと共に現れた。人が彼女に求めた資格は“憤怒”。星の火が人に抱いた色は、怒りに満ちたその心であったから。


 生まれ落ちた子供は、苛烈に活動的に在れるように育てられた。正しく怒ることを望まれた生命は、人の手によって火山の口に落とされ焼死した。


「あたしを殺した人間共も、あっさり騙され殺されたあたし自身も、そして何より――全ての元凶となった魔王が気にくわない」


 知らされていなかったのは彼女も同じく、精霊候補者達は皆騙し討ちで殺された。精霊王と成る為に、人の側面が余計であったから。その事実に、彼女は耐え難い程に怒っている。


 赤に輝く瞳と髪。元は短かった髪の毛は、燃える炎と混ざって波打つ程度には長く見える。蜥蜴の亜人であった少女は、臀部の尾と全身の鱗にその名残を示す。


 だが、今の彼女は蜥蜴の亜人そのものではない。伸びた尾や、頭部に生えた二本の角。鋭い爪や鱗に覆われた手足から想起させるのは、蜥蜴ではなく巨大な火吹き竜であろう。


「だから死ね。とっとと死ね。どいつもこいつも、あたしの炎で燃え尽きろぉっ!」


 怒りの色に染まった彼女、シュア・ホォロンユエンは全ての死を望む。先ず最初は元凶たる魔王。それを滅ぼした後に人も殺す。でなくばどうして、この怒りを抑えられようか。


「結局、こうなるんだよね」


 其は諦めと共に現れた。人が彼女に求めた資格は“諦観”。星の風が人に抱いた色は、諦めから成る無関心であったから。


 生まれ落ちた子供は、人を人とも思わぬ所業の果てに資格を得た。何もかもに執着せぬ自由な在り方を望まれた生命は、足を潰され逆さ吊りのまま病死した。大気に含まれた無数の病原菌が引き起こした合併症で、彼女は苦しみながらに命を終えた。


「分かっている。分かっていた。どうせ世界は碌でもなくて、神様は誰も助けてなんてくれないから――せめて、幸せな形で生きて眠ろう」


 その末路を知らされてはおらずとも、彼女は最初から察していた。彼女が生まれた第一研究所は、第二研究所が天国に思える程に劣悪な環境であったから。期待なんて、産まれた時より、唯の一度も抱いたことがない。


 黄色に輝く瞳と髪。両の腕からは羽毛が伸びて、その形状は翼のように。ハーピー、或いはハルピュイア。そう呼ばれる存在と酷似した、それが今の女の姿。


 されど磨り潰された足は治らず、その翼の大きさも相まって女の動きは鈍重だ。人に求められた執着をせぬ自由な心に反して、その在り方はこの場の誰よりも不自由に見えた。


「その為にも、今はドーシャも戦います。いつか皆が、安らかに終われる日が来ると信じて」


 諦めの色に染まった彼女、フェドーシヤ・シルフィードは全てに価値を感じていない。だがだからこそ、どうせならば救われた方が良いとは思う。意味はなくとも価値はなくとも、その方が心地良いのだから。


「戦うと決めた」


 其は覚悟と共に現れた。人が彼女に求めた資格は“慈愛”。星の土が人に抱いた色は、子を親が愛するような心であったから。


 生まれ落ちた子供は、失われる命と共に育つ中で愛すると言うことを知る。人が望んだ形に育った生命は、人の手によって生きたまま地面に埋められた。果ては無残な餓死である。


「愛すべき人の世が、一度終わりを迎えるのだとしても――明けない夜はないように、日はまた昇ると信じて進もう」


 知らなかったのは、彼女も同じく。フェドーシャと違い、想像だってしていなかった。人への期待を裏切られたことに怒りがないと言えば嘘になり、殺されると分かった時に悲しくなかったと言えば嘘になる。


 それでも今は、嘆きも怒りも諦めもない。人はそんなものだと分かってはいる。楽観出来るような環境で、生まれ育った訳ではなかったから。けれど、それだけでもないと分かっても居る。そんな場所で、育ったから。


 緑色に輝く瞳と髪。生前とは異なる浅黒い肌を、守るように覆う無数の獣毛。死と言う形で人の因子を削ぎ落とし、より獣に近付いたその姿。人を外れた女は、だからこそ戦うと決めた。今も絶えぬ愛を胸に抱いて、戦い続けると決めたのだ。


「泥に塗れて歩き続けたその先に、誰かの笑顔があると信じてっ!!」


 この日、四つの星の化身が産まれた。生前の彼女らの人格を写し取り、殻と被った星の断片。後に、四大の精霊王と呼ばれる存在。


 まるで、その誕生を待ち侘びていたかのように。それは訪れる。肌を焼く程の酸性雨を降らせる、分厚い雲の向こう側。久しく星を閉ざしていた、暗雲が晴れると同時に落ちて来る。


「時は来た」


 先ず最初に振って来たのは、威圧感を伴う声。静かに、抑揚も少なく、語る男の声がしかし大きく響いている。そんな矛盾と共に、膨大な量の瘴気を感じ取る。


 四人が空を見上げた直後、雲を引き裂いて落ちて来るのは魔物の群れ。人の形骸を残したそれらは、星の彼方で敗れた命の成れの果て。目算では数えられない程の数が、滝のように落ちて来る。


 悲痛の声が上がる。憎悪の絶叫が上がる。戦おうとする意志は、まだ残っていた。けれど今の彼らは盲目であり、誰が敵だったのかも理解出来てはいないから。


 喰らい尽くされた残骸が、その意志すらも凌辱されながらに襲い来る。百や千では足りないその数に、精霊王達ですら硬直した。たった一人の女を除いて。


「はっ! 丁度良いっ! くそったれな人間共の残骸も、纏めて全部燃やし尽くしてやらぁっ!」


 魔王の悪辣さに絶句した水の王も、黙祷を捧げるように目を伏せた風の王も、愛するが故に迷ってしまった土の王も動けなかったその一瞬。


 先手を打つのは、何もかもに怒りを燃やす火の王だ。シュアはその右腕に巨大な炎を灯して、腕を振り抜くと共にそれを放つ。巨大な火の玉は、更に膨れ上がると爆発した。


 亡者の群れの内、数十程が一手で消し飛ぶ。焼かれる死霊が苦悶の声を上げる度、シュアは楽し気に笑い声を漏らす。ざまぁみろ、とその悪意を隠しもせずに。


「……死者に鞭を打つのは不本意だが、事此処に至っては眠らせる方が慈悲か」


 次いで動いたのは土の王。シュアが炎弾をばら撒いて、爆発の度に数十数百の命を燃やす姿を見ながら彼女も動く。


 同胞と異なり苦悶の表情を浮かべながらも、大地を隆起させて死人を貫く。せめて痛みを感じさせぬようにと、強い力を込めて浄化した。


「マリナ。私達も」


「…………え、ええ、そうね」


 土の王に僅か遅れる形で、風の王が水の王に声を掛ける。笑いながら破壊を振り撒く火の王と、彼女と同じ殲滅速度で腕を振るう土の王。

 彼女ら二人には追い付かずとも、流れる水が、吹き荒ぶ風が、亡者達を浄化していく。その度にマリナは表情を歪め、その度にフェドーシャは彼らの冥福を祈って。


 そうして、数分とせずに道は開く。いつから其処にあったのだろうか、亡者が現れる前にはなかった物が其処にはあった。


「裁定の時だ。生命を賭して挑むが良い。これは魔王の試練である」


 それは玉座だ。赤い絨毯が引かれた階段の上に、石で出来た玉座が一つ。その存在は、玉座に腰を掛け、優雅に足を組み、気だるげに頬杖を付いていた。


 それは黄金だ。風に靡く髪の毛も、悍ましい程に整った顔にある双眸も、目が眩む程に輝く黄金。黒き衣を纏った若く美しい青年の姿をした彼こそは、原初の魔王アカ・マナフ。


「はっ! 上から目線でほざいてんじゃねぇぞ、糞野郎がっ!」


「魔王アカ・マナフ! 全ての元凶である貴様を、此処で妾達が討つっ!」


 高みより見下す魔王の姿に、やはり先んじて動いたのはこの二人。シュアが両手の間に作り出した身の丈を超える火球を打ち出し、クロエが周囲の土を操り巨大な津波と変える。


 周囲を巻き込みながら肥大化する火球と、その熱に炙られ一部がガラス化を始めた砂の津波。それらは残っていた亡者の群れを飲み干しながら魔王へ迫り、届く前に彼の魔王は指を鳴らした。


「喰らえ、暴食の獣。大地を穢せ、ベヒーモス」


【Guoooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!】


 名を呼ばれた直後、大地が激しく揺れて割れる。地割れかと思われたその巨大な裂け目は、地の底より現れた獣の口だ。


 その巨体は、頭部だけでも山よりも大きい。その全長は、大陸一つにも迫るだろうか。大きく口を開いただけで、その口内へと火も土も飲まれてしまう。


 巨大な河馬が、その全容を此処に晒す。余りにも大き過ぎて鈍重な怪物は、もそもそと口に含んだ力を咀嚼している。瘴気を浄化する筈の精霊力は、その総量の差故に押し負け汚染され消えた。


「二人とも、下がってっ!」


 鈍重なまま、クロエとシュアに向かって鎌首をもたげるベヒーモス。その大きな口を再び開いて、何かを為そうとする瞬間に黄色の風が先んじる。


 本気を出せばこの場の誰よりも早く動ける女が、此処に風を操り干渉する。開き掛けたベヒーモスの口は大気の層に押し潰されて、強制的に閉ざされる。故に一段落かと言えば、当然そうなる訳もない。


「染めろ、傲慢の獣。空を奪え、ジズ」


【Kiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!】


 魔王がその右手を上げて、指を鳴らす。振り上げた腕の影が伸びて広がり、その黒は天を覆う程に膨れ上がる。空を覆い隠す闇の中から、巨大な翼が羽搏いた。


 直後、風が狂う。元より科学と言う毒に犯され、澱んでいた大気。それが影より現れた巨鳥の羽搏きと共に、鼻が曲がる程の悪臭と数え切れぬ程の病毒を孕むことになったのだ。


 故にジズは、シルフィードの天敵だ。巨鳥が存在する限り、風は真面に操れなくなる。生前の死因が病死である為に、その病毒を振り撒く特性が覿面に通じてしまっていた。


「水よ! 癒し、守れっ!」


 咄嗟にマリナが割って入り、巨大な水のドームを作り上げる。精霊の力に満ちたその球形は、魔性の侵入を許さぬ防壁だ。


 その性質故に、ベヒーモスとジズの追撃も防がれて――――これで一安心だと、息を吐くにはしかしまだ早かった。


「阻め、嫉妬の獣。海を犯せ、リヴァイアサン」


【siiiyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!】


 魔王の言葉と共に、水の防壁が大きく揺れる。生じた波紋の内側から、現れ出でるは巨大な海蛇だ。浄化された水の中から這い出たそれは、まるで精霊力の影響など受けていないかのように鎌首をもたげ息を吐く。


 いいや、事実意に介していない。嫉妬の獣が全身を覆う鱗は金剛石より遥かに硬く、それでいてゴムよりも柔軟な物。物理的に傷付けることが不可能に等しいその外皮の、最大の強みは物理的な防御力ではない。あらゆる異能を反射する。その鱗にはそんな性質も宿っており、故に浄化の力が完全に弾かれていたのだ。


 そんな巨大な蛇が口から瘴気を吐き出す。前者二匹には火力で劣れど、それでも大魔獣の一角。その一撃は軽視出来ない程には彼女達を痛め付け、顔色を悪くした精霊王達は防壁を解除すると大きな後退を余儀なくされた。


「ベヒーモス、ジズ、リヴァイアサン。これら三大の魔獣は、諸君ら星の化身を穢す為に用意したものだ。存分に戯れると良い」


 大地の魔獣ベヒーモス。山よりも大きな顔と、大陸に比肩する程に巨大な体を持つ異形の河馬。何でも捕食するその口へと吸い込む呼気は、ブラックホールにも等しい吸引力を有している。更には自身の周囲数十万キロの重力を自在に操る力と、土の精霊の動きを強制停止させる性質も持ち合わせている怪物だ。


 大空の魔獣ジズ。天を覆う程の巨大な翼を持ち、亜光速での飛翔を可能とする異形の怪鳥。羽搏きと共に国が幾つも滅ぶであろう程の天変地異を引き起こし、その身が過ぎ去った場所には数え切れない程の病毒を撒き散らす。更には風と天候を操る力と、風の精霊の意志を狂わせる性質も持ち合わせている怪物だ。


 大海の魔獣リヴァイアサン。島よりも巨大な体を持つ海蛇は、全身に鉄壁の鱗を纏っている。それら一枚一枚が金剛石を遥かに超える程に硬く、ゴムよりも柔軟で、あらゆる異能を反射する。そんな鱗を数千数万と纏った怪魚は、水のある場所ならば何処にでも出現する。更には周囲の水を操る力と己が体格を可変とする力、水の精霊を自壊させる性質をも持ち合わせている怪物だ。


 これら三大の魔獣は、星を狂わせる為に魔王が生み出したモノ達。対精霊王用の魔物であった。


「手抜かりだなぁ、アカ・マナフっ! 土と風と水は封じても、あたしは普通に動けんぞっ!」


 其処に存在するだけで、精霊王の内三体は真面な行動すら難しくなってしまう。クロエは土を操ることさえ出来ずに超重力で圧し潰されて、フェドーシャは方向感覚を狂わされたまま風に翻弄され、マリナは自身の体からすら生えて来る海蛇から逃れる為に自裁し逃げ惑っている。


 三体の大魔獣を前に、三体の精霊王は完全に無力化された。だがその事実を前に、己を奮起するように手抜かりだなと笑うシュアが駆ける。焔を纏って迫る女を前にして、魔王は椅子に腰を掛けたまま悠然と微笑むばかりである。


「そうかね? 私はそうは思わんよ。君一人では、無力であろう」


「ああっ! 舐めてくれたなぁ、糞がっっ!!」


 頬杖を付いたまま見上げる魔王へ向けて、裂帛の気合と共にシュアは巨大な炎を落とす。同胞達が敗れる前に、この元凶を滅ぼすのだと。


 空から落ちる大火球。それは宛ら周囲の砂をガラス化させながら、広がり続ける爆心地である。されどその中央にある魔王は、傷の一つも負ってはいない。


「侮りではない。正当な評価だ。君では、君達では、私には勝てない」


 黒い影が魔王の周囲に広がっている。途方もない密度をした瘴気の壁が、彼の周囲には展開されていたのだ。


 精霊力と瘴気は相反するもの。故に相殺し合った後に、残るはより強い方だけ。今のシュアの全力よりも、魔王の方が強かった。


「いいや、勝つ負ける以前の問題だ。君達はまだ、勝負の土台にすら立てていない」


「ぐぅっ!?」


「戦いとは、雌雄を決する為の物。1割でも1分でも1厘でも、勝利の可能性が存在する物。端から結果が決まった物を、戦いとは言わぬのだよ」


 魔王が足を組んだまま、右手を横に軽く振るう。それを追うように動いた瘴気の波が、広がる炎を容易く飲み干して尚止まらず、シュアの体を蝕んだ。


 唯の一撃、全力とは思えない軽い所作。それだけで大きく吹き飛ばされたシュアは、地面に転がり血反吐のように火花を散らす。臓物が残っていたのなら、今ので死んでいたであろう。そんな風に感じてしまったシュアは、怒りを燃やして魔王を睨んだ。


「しかし、退屈ではあるな。せめて玉座から、私を動かす程度はしてくれたまえ」


 視線の熱量に物理的な干渉力があったのなら、それだけで燃やし尽くされていたであろう程の憎悪を宿した瞳。シュアの悪意を一身に受けながら、微笑む魔王は気だるげなまま。怯える素振りも慄く気配も、何一つとして見せてはくれない。


「くっそっっっ! ちっくしょぉぅがっ!!」


 微笑む魔王は、路傍の石を見るような瞳で彼女に告げる。取るに足りぬと断ずる侮辱を身に受けて、溢れる怒りのままにシュアは大地に拳を叩き付ける。


 だが、それも一度だけ。燃え盛る炎と共に溢れる感情を吐き出すと、彼女は歯噛みしながら飛翔する。向かうは魔王アカ・マナフの下――ではない。


「認めてやるよっ! あたし一人じゃ届かねぇっ! だから――――カバは私がやるっ! それまで任せた、クロエっ!」


「無論! 任されようっ!」


 自分では勝てない。否、自分以外の精霊王でも単独では届かない。ならば魔王よりも先に、同胞を抑え付けている大魔獣を倒さねばならない。


 怒りを抑えそう判断したシュアは、全体を俯瞰し一番マシな相手を選んだ。豪と燃える火球をぶつけて顔を焼き、重力場からクロエを開放すると相手を変える。


 彼女を選んだ理由は幾つかあるが、一番はその耐久力。追い詰められているマリナやフェドーシャと異なって、クロエは動けなくなっていただけ。未だ傷一つないのだから、三大魔獣を倒し切るまで魔王を足止めする役として、彼女以上の適任者など居ない。


「ふむ、なるほど。次のダンスパートナーは君か」


「時間稼ぎだが、付き合って貰うぞ。アカ・マナフ!」


 天から雨霰と炎を降らせるシュアを背に、先には行かせぬと立ちはだかるクロエ。大地を隆起させ砂の津波を引き起こす彼女を前に、悠然とした仕草でアカ・マナフは腕を振るった。


 結果は先の焼き直し。火が土に変わっただけで、精霊力は一方的に瘴気に飲まれ打ち消される。されど明確な違いが一つ。瘴気の直撃を受けたクロエの傷は、目に見えぬ程に極少だ。無傷ではない。だが致命打どころか重傷にも程遠い、掠り傷程度の被害に納まっていた。


「成程、これは加減したままでは、少し手間取るか」


 二度三度、魔王が腕を振るい影を動かす。その度に衝撃波が放たれて、クロエの体が揺らされる。最初は掠り傷、次は擦り傷、その次は切り傷程度へと。


 少しずつ広がる傷口に、しかしクロエは焦らない。シュア程の火力もフェドーシャ程の速力もマリナ程の汎用性もないが、強度だけならば彼女は仲間の誰よりも勝るのだから。


「耐えて見せる。それしか出来ぬが、それだけならばっ! そうとも、妾は一人ではお前に勝てぬ! だが、一人で戦っている心算もない! 数を頼みとするやり口だが、卑怯とは言うまいな!」


「言わぬとも、元より数で圧しているのは私の方だ。……だが、しかし、そうだな。こうするしよう」


 軽く腕を振るうだけでも、外皮を傷付けることは出来る。だが手足を切り落とすとなれば、玉座に腰を掛けたままでは難しいだろう。そう判断して、しかし魔王の余裕は崩れない。


 それは三大の魔獣がそれ程に強力であるからか、或いはそれ程に自身の力に自信があるのか、はたまた不完全な精霊王には負けぬと言う矜持であるのか。いいや、否である。


「下がれ、三大の魔獣よ。お前達は必要ない」


 彼は微笑みながら指を鳴らす。言葉と共に影が広がり、三体の魔獣はその内側へと帰還した。抗うことは出来ていたとは言え、優位にあったのは魔王側であったと言うのに。


「な、に……? 何の、心算だっ!?」


「結果が見えた。及第点ではある。故に要らぬと断じた。それだけのこと」


 意味が分からない。訳が分からない。困惑と共に動きを止めた精霊王達。彼女らが自失している間も追撃を仕掛けることはなく、鷹揚に微笑んだまま魔王は挑発の言葉を口にした。


「過程は省いたぞ。お前達が望んだ通り、今度は四人掛かりで来ると良い」


『馬鹿に、するなっ!!』


 余りにも舐め切ったその態度に、誰もが激怒し力を放つ。炎が、水が、風が、土が、星の全てが魔王を襲う。


 浄化の光を前にして、しかし魔王は揺るがない。先には展開した防壁すら彼は生み出さず、無防備なままに力の奔流をその身に受けた。


「何なの、コイツっ! 何で、躱すこともしないの!?」


「必要がない。それ以上の理由があるかな?」


 魔王の体が浄化される。手足が掻き消え、頭部も半壊して、だが瞬きと共にそれが戻る。まるでビデオテープを逆再生したかのように、一瞬で全てが元通り。結果として魔王は傷一つない姿のまま、鷹揚に足を組んで微笑みながら彼女達を見上げている。


「このっ! このっ! この糞がっ!!」


「おや、玉座が壊れたか。これは少し想定外だな、立ち上がらねばならないとは」


 精霊王の内で最も火力に秀でたシュアが苛烈な攻撃を繰り返し、魔王の全身が玉座ごとに消し飛んだ。それでも数瞬後には夜の闇から魔王が再び現れて、ゆっくりと一歩足を踏み出す。


「……やっぱり、まだ。星の力は、人の力に届いていないのね」


「分かっていたことだろう。君達が今の私を倒せるようになるには、後10万年程度は時が足りぬよ」


 精霊王達の攻勢は止まらない。雨のように浄化の力は降り注ぎ続けて、そんな中を傘も差さずに魔王は優雅に進んで行く。まるで暖かな日差しの中を散歩でもするかのように、その程度の痛痒しか感じさせていないのだ。そんな中で、アカ・マナフは軽く手を振るう。その度に瘴気が刃となって、彼女達の身を襲った。


「傷は付いているのだ! 浄化自体は出来ているっ! 諦めるな、マリナ、シュア、ドーシャ! 奴の攻撃は、全て妾が引き受けるっ! お前達は攻めに専念しろっ!」


「無意味と知り、それでも抗うか。だが、哀れだな。君達は選択を間違えた」


 魔王が放つ瘴気の刃は、クロエですら手足が切り落とされ掛ける程の物。恐らくは他の三者では、一撃貰った時点で行動不能となるだろう。


 そう断じたクロエは自ら体を盾として、同胞達へ向かう攻撃をその身で全て受け止める。そんな彼女に守られた三者の攻撃は、確かに魔王の体を削り取っていく。だが、それでも、魔王を倒すには程遠かった。


「北米の、旧ニューヨークか。其処に残っているな、人間が極少数」


 魔王アカ・マナフ。彼は人の悪思である。彼は人類の半分であり、常に全人類と繋がっている。故に隠れ潜んだ所で、その目から逃れることなど出来はしない。


 そも、彼が望んだのならば、人類など何時でも滅ぼせたのだ。人の立てた策は全てが筒抜けであり、何処に逃げ隠れしようと見付かってしまうのだから、本来は抗うことすら出来やしない。


「私の力を少しでも削ぐ為に、多くの者が命を捨てたのだろう。星の力を少しでも取り戻す為に、贄と成ったのは君達四人だけではない。……だが、思い切りが足りていなかった」


 だが、魔王には制約がある。神が定めたその役割は、人間に対する試練として在ること。試練とは常に、乗り越えられるものでなければならない。


 結果として、試練を突破出来なかった人類が滅ぶのは良い。だが初手で、何もさせないままに人を滅ぼすことは許されていない。それが魔王の制約だ。


 故に魔王は機会を与えた。最初の宣告から、人類が無駄に浪費した一万年。太陽系に到着してからは侵攻速度を大きく下げて、人類が打ち出す対策を一つ一つとその身で裁定し続けた。時には人に味方するような魔物を生み出し、時には重要拠点を敢えて見逃して来た。


 そうして与えて来た試練。それに対する人の解答。この場に立つ精霊王達の姿から、魔王は既に裁定を下した。


 それは詰まり――及第点以下。人類はもう、滅んで良いと言う結論だ。


「一人でも、残すべきではなかった。私を倒したいのなら、人を絶滅させてから立ち向かうべきだったのだ」


 この時代の人間は魔王を封じた後に冷凍睡眠から目覚め、繁殖の為に新人類を生み出して、彼らと共に文明を作り直す予定であった。そんな甘過ぎる見通しを立てていたのである。


 だから、アカ・マナフは断じる。現行人類は、判断を間違えたのだと。極少数を箱舟で眠らせるのではなく、全員首を吊って死ぬべきだった。人類が一人残らず滅びた後なら、今の不完全な精霊王達でも魔王の撃破は可能であった。故にその後、精霊王達が新人類を生み出し文明を引き継いでいけば良かったのだ。


「日はまた昇るが、昇った日は必ず落ちる。昼と夜は不可分であり、光と闇もまた同じく。生きとし生ける者全てが滅ばぬ限り、この私(アカ・マナフ)は滅ぼせない」


 完全な滅亡を恐れ、後に繋ぐのではなく、僅かでも今を維持しようとした。その愚行の対価こそが敗北。故に人は此処で、魔王の手で滅ぶのだ。


「そんな、私達はっ! 人を守る為に、全てを奪われたのよっ! なら、どうして、そんな貴方を滅ぼせても、今が何も残らない選択っ! 選べる訳がないじゃないっ!!」


「その弱さこそが敗因だ。水の王、嘆きの乙女よ。世に価値など求めるべきではない。全てに意味などないのだから」


 瞳に涙を浮かべて叫ぶ水の精霊王の悲痛を耳にして、されど揺らぐような情をアカ・マナフは有しない。どれ程に傷付きながらも平然と、機械のように適切な攻撃を続けるだけである。


「くそ、くそ、くそっ! だから、さっさと人間なんか滅ぼしとくべきだったんだよっ!!」


「その通りだよ。火の王、怒りの乙女よ。何なら今から殺しに行くかね? 君がそう望むのならば、私は待とうとも。好きにしたまえ」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 何なんだよぉ、お前はぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


「人が全て消え去れば、私も消える。だがそれも、一時のこと。世界の何処かで、命が産まれる瞬間に、闇もまた産まれる。故に滅びなど、私にとっては一時の微睡みでしかない」


 口から罵声を撒き散らしながら叫ぶ火の精霊王の憤怒を耳にして、されど揺らぐような情をアカ・マナフは有しない。まるで友人と雑談を交わすような気安さで、そんな最悪の提案を投げ掛けて来るだけである。


「……悲しいね。世界にアカ・マナフが出現した時点で、知的生命体が貴方を認識した時点で、私達は詰んでいた。人類は、滅ぶしかなかった」


「そうだな。風の王、諦めの乙女よ。私を認識した時から、人類は二つの未来しか選べなくなった。即ち私と共に滅びるか、永劫私と戦い続けるかの二択である」


「なら此処で負けてしまった方が、もしかしたら幸せなのかもしれないね」


「そうと分かって、それでも抗うのを止めぬのかね?」


「うん。だって、ドーシャの友達は、きっと最期まで抗うから。今だけは、ドーシャも皆に付き合うの」


「そうか。まあ、それも良かろう」


 諦めた瞳で風を操る風の精霊王。そんな彼女と何処か分かり合ったような言葉を交わして、それでもアカ・マナフは揺るがない。彼は淡々と、詰め将棋のように手番を重ねていくだけである。


「アカ・マナフっ! 勝利を騙るなっ! 敗北と決め付けるなっ! 妾達はっ、人はっ、お前に勝つぞっ!!」


「今尚、勝利を信じ続けるか。土の王、慈愛の乙女よ。君のそれは強さではあるが、果たしてそれに付き合える者がどれ程居るか」


「無論、此処に居る友らがっ! そして後に生きる人々がっ! 幾度だって貴様を打ち倒すともっ!!」


 覚悟を抱いた土の精霊王は、今尚諦めようとはせずにその身を盾とし抗い続ける。勝ち目はない。勝機はない。そんなことは知っている。もう分かっている。だが、それが諦める理由にはならない。まだ負けてはいないのだ。ならば勝利を信じて、愚直に抗うだけである。


「永劫続く戦い? だから、それがどうしたっ! 生きることは戦いだろうっ! ならばどうして、貴様と戦い続ける未来を恐れる必要があるっ! 何もないともっ! 戦うと決めた意志と共に、戦い続けて勝ち続ければ良いだけだっ!」


「それは愚かな思考の停止だ。そも今の私に勝つ術がない時点で、机上の空論にすら劣っているよ」


「空論だろうと構わない! 理想も夢想も、目指さねば至れまい! ならば届くと信じ、進み続けることこそ肝要だろうっ! そうとも、人はいつか至れると信じる! 私達は必ず勝てるっ! そこに疑いを挟む必要などないのだ! ならば、信じ続けることに否はないっ!」


「その愚直さ。時には強さとなるであろうが、今だけは弱さと言える。それを、教えてあげよう」


 吠えるクロエの言葉を聞いて、静かにアカ・マナフは歩を止める。そうして指を一つ鳴らすと、その影が波打ち広がり大地を覆った。


 そして次には、影の中から溢れ出す無数の魔性。悍ましい悪鬼化外の群れは宛ら、百鬼夜行に等しき異形の津波。いいや、百鬼などでは数が足りぬ。正しく数えることも不可能な数。億鬼夜行、或いは兆鬼夜行とでも呼ぶべき途方もない物量だ。


「あ、ぐぅ」


「こ、んのぉ」


 空も大地も海も全てを埋める程の数。化外の群れは星の半分を隙間なく埋め尽くし、鮨詰めとなった彼女達は身動き一つ取れない状態へと陥る。


 火の粉や輝く砂を漏らして、如何にか動く空間を確保しようとする精霊王達。彼女達が動き出すよりも早く、アカ・マナフが腕を振るって追撃を放つ。百億を超える魔の軍勢ごと、黒き光が全てを薙ぎ払ってみせた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


「つ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


 身動きすら満足に出来ぬ状態で、その一撃を躱せる筈もない。精霊王達は誰もが甚大な被害を受けて消耗し、それで魔王の手筋が緩むこともない。


 アカ・マナフはパチンと指を弾き、直後に再び影の中から魔の軍勢が溢れ出す。闇の魔王が在る限り、魔の軍勢は不滅である。その悪意は、無限に湧き出し続けるのだ。


「では、これを繰り返そう。君達の心が、折れて砕けるその時まで」


 精霊王達に、この攻撃は躱せない。それが初手で分かったのだから、後は延々と繰り返すだけ。闇の魔王は微笑んだまま、当たり前のように彼女達を詰ませに来た。


 そうして、何度も何度も天を黒い光が覆う。無数の群れが消し飛ぶ度に精霊王達は疲弊して、疲れた素振りさえない魔王は機械的に同じことを繰り返す。


 何度も何度も何十何百何千何万、気が遠くなる程の繰り返しの果てに――遂に最初の脱落者が現れた。


「ああ、勝てない。こんなの、どうすれば良いと言うの……」


「存外保ったが、こんなものか。最初の脱落者は、予想通り君だな。嘆きの乙女」


 最初に心折れたのは、水の精霊王たるマリナ・オンディーヌ。元より彼女には、義務感しかなかったから。それだけで絶望的な戦いを、続けられる道理などなかった。


「脱落、いえ、でも、私は……」


「ならば続けるかね、この徒労を。七日七晩続けたのだ。もう十分ではないかね」


 それでも、億鬼夜行が始まってから七日は持った。それで十分だろうと、同じことを繰り返しながら囁き掛けるアカ・マナフ。その甘言に抗おう程の熱はもう、彼女の内にはなかったのだ。


「これ以上の徒労を続ける、筋道が君にあるかね? 胸の内を燃やす程の理由が、君にはあるのか? いいや、何もないだろう」


「……私、は」


「義務感だけで、徒労を続けられる程に人は強くない。君のそれは、当たり前の反応だ。悪ではない。悪思ではない。他ならぬ私が認めよう」


「…………私、は」


「故に、もう眠りたまえ。君は十分、よくやったとも」


「あ――」


 今まで以上に強く光が輝いて、水の精霊王は崩れ落ちる。宙から力なく落ちていく彼女に対し、アカ・マナフは追撃をしなかった。


 億鬼夜行は其処で止まって、再び大地に玉座が現れる。石で出来たその椅子に深く座り込んだ魔王の姿は、まるで勝利を確信しているかのようだった。


「くそっ! くそっ! くそぉぉぉぉっ!!」


「十二日。ペース配分を間違えたな、怒りの乙女。君が此処で倒れる理由は、己が感情を制することが出来なかったが故である」


 魔王は以降、二週間近く座して動かなかった。どれ程の攻撃を受けても微動だにせぬまま、微笑んで見下し続けるだけ。


 その姿に、心折れて諦めた同胞に、怒りを燃やしたシュアは全力を発揮し続けた。全身全霊全力全開。そんなことを続ければ、当然直ぐにガス欠を起こす。


 故に、第二の脱落者は彼女。火の精霊王であるシュア・ホォロンユエンであった。


「何で、届かねぇっ!」


「言ったであろう。星の力は未だ、人の力には届いていない。君達人類は、増長し過ぎた。星を穢し過ぎたのだ」


「何で、倒せねぇっ!」


「それもまた伝えた筈だ。私は不滅。そも、私に挑むと言う行為は、根本的には徒労と変わらぬものなのだと」


「なら、何で――私は殺されなくちゃいけなかったんだよぉぉぉぉぉっ!!」


「ふむ、今更問うのか。まあ、それも良かろう。私なりの答えを教えるとも」


 悲痛に叫びながら、既に小さな火の粉程度しか出せなくなったシュアが拳を振るう。ぺちんと、当たっても何一つとして痛痒を感じさせぬ拳。それを哀れみ見下し侮蔑しながら、魔王は嗤って彼女に告げた。


「君の生命に、意味などなかった。君の生は無価値であり、君の最期は無駄死にだった。産まれて来たのが、間違いだったと言う奴だ。残念だったな、シュア・ホォロンユエン」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 最後の言葉で心折れた女の叫び。それに何一つとして感じ入るものもなく、魔王は笑みを浮かべたまま腕を振るう。唯それだけで、火の精霊王は敗れ去った。


「……悲しいね、アカ・マナフ」


「そうかね、私には理解出来ない感傷だ」


「その答えもまた、悲しいことだよ」


「さあ、どうだろうね。分からぬ以上は、どうでも良いことだろう」


 水と火が落ちて残るは風と土のみと成った後、彼女達は内心ではどうあれ表向きには平静のまま抗い続けた。


 アカ・マナフもそれに合わせるように、それまでの詰ませるための動きを止めた。もう、その必要がないからだ。


 最初と同じく無防備に攻撃を受けながらも、時折反撃を織り交ぜるようになったアカ・マナフ。そんな魔王と相対する二人は、盾と矛の役割に徹し切った。


 土が攻撃を全て受け切り、風が徒労と分かって尚も攻め続ける。互いに軽口を混ぜ、励まし合いながらも続くその時間。


 火が落ちてから十日が過ぎて、それから更に一月が過ぎて、二ヶ月、三ヶ月と一切進まぬ繰り返しの中で疲弊しながら時は過ぎ去る。


 そうした果てに、終わりは来る。積み重なった傷が故にフォローが間に合わず、庇い切れなかった一撃が風の精霊王へと直撃したのだ。


「長々と語り合う状況でもなかろう。君もそろそろ退場したまえ。……半年も喰い下がり続けたのだ。怠惰な君の行いとしては、十分賞賛に値するとも」


 魔王が地球に降臨し、半年が経過したその時に風の精霊王は落ちた。フェドーシャ・シルフィードは遂に敗北し、残るは疲弊し切ったクロエ・グノーメ唯一人。


「あぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「しかし、良く飽きないものだな、慈愛の乙女。唯一人となって、既に十年は過ぎたぞ」


 以降は最早、語るに値しないワンサイドゲーム。土の精霊王は唯のサンドバッグと成り下がり、敢えて止めを刺さない魔王に遊ばれ続けるだけ。


 宙に浮かぶことも出来ずに大地を転がり続けるクロエを、玉座に深く腰掛けたまま見下すアカ・マナフは何度も何度も腕を振るう。その度に彼女に刻まれた傷は、更に深く重くなっていく。


「碌に傷付けることも出来ぬ身で、滅びぬ私を相手に徒労を続ける。よくもまあ、これだけ意志が続くものだ。感嘆を通り越して呆れてしまうよ」


「退く理由が、(ワラワ)にはないっ! 唯それだけのことであるっ!!」


 それでも、クロエの意志は変わらなかった。一方的に嬲られ続けて、耐えることしか出来ない状態。何も出来ない有様で、けれどだからこそと吠える女。


 その女が折れる瞬間を、見たいと感じてしまうのは魔物が有する悪癖か。魔王もまた魔物の一角なれば、十年前から続くこの時間はそんな戯れ故に成立したもの。


「それだけ? いいや、違うだろう。自覚の有無は知らぬがね。星と一つになった時、君達はそれぞれが該当する属性の影響を強く受けたのだ」


 一体どうすれば、この女は折れるだろうか。その抗いを嗤って見下すアカ・マナフは、思い付きの一つを試す。その芯を砕かんと、その真を口にした。


「流れる水は嘆きの色を、燃え盛る火は怒りの色を、吹き荒れる風は感情の希薄化を、そして揺るがぬ土は意志の固定化を引き起こした」


 精霊王達は、生前の彼女達とは違う。星と共鳴した少女達が死の瞬間に抱いた想いが、星に焼き付いた後に具現化したのが彼女達。


 故にその未練や遺志を継いではいても、正常な人間としての感性を完全に残している訳ではない。特にクロエ・グノーメこそが、最もその影響を強く受けている。


「君が進み続けているのは、諦めていないからではない。諦めることが出来なくなったからに過ぎない」


 彼女は強い意志で、諦めないと誓っている訳ではない。諦めると言う機能が、彼女の心に残っていないのだ。だから、抗い続けることしか選べない。


「君が抗い続けているのは、勝機があるからではない。勝算を考えるような思考が出来なくなったからに過ぎない」


 それでも普通は、勝機や勝算程度は考えるものだろう。それらが皆無であれば、退くと言う選択肢を選ぶのが論理的な思考と言う物。


 だが今のクロエに、そんな柔軟性は残っていない。融通が利かないのだ。言ってしまえばとんでもなく頑固になったとも言える。一度決めたことを、翻せないと言う精神異常。


「君が今も愛しているのは、君が過去に愛していたから。その胸に宿った感情は、今の君に芽生えた物ではない。唯の薄汚れた残骸だよ」


 彼女の胸にある愛情もまた、そんな精神疾患の一部。嘗て愛していたから、今更にそれを翻すことが出来ないだけ。考えを変えると言う機能が殆ど残っていないから、まだ愛していると言うだけなのだ。それを残骸と言わずに、一体何と呼称する。


「さて、それでも挑むと言うのかね? だとすれば、君は酷く哀れだな。土の王。慈愛しか残らなかった乙女の残骸よ」


 そして、それが唯の薄汚れた残骸に過ぎぬと言うのならば――どうしてそれが、戦い続ける理由になるか。いいや、そんなもの、理由になどならぬだろう。


「はっ、成程成程っ! 意志の固定化かっ! 確かに、妾は元より、それ程強い人間ではなかっただろうよ!」


 問われて、女は笑う。傷だらけのまま、泥に塗れて蹲り、立ち上がることさえ出来ない女は笑って見せた。


「愛されて、託されて、戦うと決めた! そんな、何処にでも居る唯の小娘に過ぎなかった! そんな妾が、永劫の時を変わらずあり続ける! それが精霊化の影響だと言われれば、ああそうだと認めざるを得んだろうよ!」


 人間クロエと、精霊王クロエ・グノーメは違う。こんな状況で、恐れ一つ感じない少女ではなかった。臆病で、優柔不断な所もあって、そんな当たり前の人間であったから。


 魔王にその不具を指摘され、自覚させられた事実にショックがないと言えば嘘になる。主観的には地続きでも、客観的にはもう違うモノと成ったのだと。どうしようもなく、分からされてしまったから。


「だが、それがどうした!」


 けれど、それでも、クロエは笑って胸を張る。傷だらけのまま、泥に塗れて蹲り、立ち上がることさえ出来ない己を良しとした。


「不変であれ、発端は妾自身の内より生まれた物っ! 残骸であれ、かつて大切だと定めた宝物っ! ならば、変わらぬことを寿げば良い! 胸を張って吠えようとも、妾は不変にして不滅! これぞ大地の王であるとっ!!」


 だって、人間クロエはそんな人間を愛していた。頑張って、歯を食い縛って、情けなくも足掻き続ける。そんな人間は、救われて欲しいと願っていたから。


 だって、人間クロエはそんな人間に憧れていた。傷だらけのまま、泥に塗れて転がり惑い、それでも這って前に進んで行く。そんな風に、生きたいとさえ思っていたから。


「妾を誰だと思っているっ! 妾はクロエ! 土の精霊王、クロエ・グノーメなるぞっ!!」


「なるほど、付ける薬がないとはこのことだな。まあ、それも良かろう」


 クロエ・グノーメは折れない。その真実が嘗ての残骸に過ぎぬモノであれ、その残照は美しいのだと知っているから、土の精霊王は折れない。


 そんな女を前にして、アカ・マナフはゆっくりと歩み寄る。大地に崩れ落ちて、それでも顔だけは上げていた泥だらけの女。その髪を掴んで、引き摺り上げた。


「この身は滅びない。闇は消えない。真に不滅なるは、この私であり、君ではない」


 そうして、拳を打ち込む。女の体に亀裂が走って、その隙間から砂がポロポロと零れ落ちる。血や臓物を零すことさえ出来なくなった女は、それでも不適に笑って返した。


「この、意志は、潰えないっ! 妾は戦うぞ、この身滅びるその時までっ!」


「闇は消えぬが、土はやがて消え去るだろう。風に削られ、水に流され、火で溶けてしまうように。時と共に、大地は形を変えるものだ」


「だとしてもっ! 始まりの想いは絶えぬっ! 妾は忘れぬっ! 星は覚え続けるぞっ! 戦い続けた人々が居たことをっ! 果てに、今があることをっっ! いつか、貴様に勝つと言う意志をっっ!!」


 二度三度と顔に打ち込まれる拳。頭部を半壊させながら、それでも折れずに吠える女。その姿に何の感傷も抱くことはないまま、魔王の拳に闇が宿る。それは今の精霊王を終わらせるには、十分過ぎる力であった。


「そうか、それも良かろう。では、その無価値な想いを抱いたまま、何も為せずに終わり給え。土の王」


 詰まらぬ物を摘み取るように、伸びる拳が当たれば終わる。そんな死の直前に至っても、目を逸らさずに居る土の精霊王。彼女の頭蓋を、魔王の拳が打ち砕く。


 その直前、眩き光が世界を包んだ。


「光? これは、星の息吹か? まだ、星の再生が終わるには、時間が足りぬ筈だが」


「は、はは……待たせてくれたな、友らよ。だが、信じていたとも! あの日より、変わることなくっ!」


 青色の光が、赤色の光が、黄色の光が、星に満ちる。クロエの体は急速に復元し、その頭部に打ち込まれた筈の拳は外皮で止まっていた。一体何故と、問うまでもなく魔王は察する。そうかと抑揚もなく、静かに彼は頷き理解した。


「惑星再生の加速。三属の精霊王め。成程、敗れた後に姿が見えぬと思えば、これを狙っていたか」


「侮ったな、アカ・マナフ! 我が友らを圧し折った軽んじ、遊興に耽った貴様の敗北だっ!」


 パンと腕が弾かれる。女の髪が数本宙を舞い、魔王の腕から解放された精霊王が力を放つ。浄化の光が魔王の体を半壊させて、しかし復元は直後のこと。


 互いに距離を取った後、鷹揚に闇を握って放つ魔王の一撃に、精霊王は翠の光を束ねて迎撃とする。結果は拮抗。二色の光は相殺し、互いに被害は皆無となった。


「ふむ、そうだな。認めよう、今宵は君らの勝利である」


 その結果を見て、アカ・マナフは理解する。彼我の実力は今、完全に同等と成ったのだと。文明崩壊寸前まで減少した人の闇では、神代へと急速に回帰し始めた星の断片にも届かない。


 そして同時に発現している、世界規模の力場。これは大規模な封印だと、理解したのは策として提唱した人が居たから。人の闇である彼は、故にその本質の全てを見抜いて――だからこそ、もう抗えないと敗北を素直に認めた訳である。


「だが、良いのかね? この光、この力、私を封じるのだろう。一体何処にと、問うまでもない。私を閉じ込められる者など、ここには君以外に存在しない」


「元より、承知の上よ! 貴様と言う存在を、我が体内。大地の奥底へと封印するっ! それは――」


「未来永劫、人類が滅びるその時まで、私と戦い続けると言うことだ」


 されど、封印に成功した所で全てが解決する訳ではない。封じられた魔王が抵抗する限り、それを抑え付ける必要性が生じるのだ。


 本来ならば、四体の精霊王が分担して成立させる筈だったその封印。しかし今、器と成れるのはこの場にこの女一人しか居ない。ならばこれより始まるのは、永劫続く孤独な戦いなのである。


「此度の十年、そんな短い時では済まないだろう。千年でも万年でも足りぬ。人が生き続ける限り、果てのない徒労だ。それを続ける意志が、君にあるのか」


「無論」


 そんな未来を前にして、しかしクロエ・グノーメに怯懦はない。そんな機能は存在せず、なればこそ守り抜けるのだと女は吠えた。


「愛した人々が、望んだ未来があった。妾と言う犠牲の上に、そうした未来が拓けると言うのならば否はない。明日の為に、私は今日と言う礎と成ろう! 世が滅ぶその時まで、付き合って貰うぞ、アカ・マナフ!!」


「ふむ。まあ、それも良かろう」


 大地が裂けて、其処より生じた無数の鎖が魔王を縛る。そうして大地の底へと、魔王と精霊王は落ちていく。その間際に、魔王は変わらぬ笑みを浮かべて告げた。


「人の世が再び発展し、この星の内側に私を封じ続けることが出来なくなる日。その訪れも、然程遠くはないだろう」


 星の封印は、永劫には持たぬものである。滅びを回避した人の文明はまた発展を始め、その進歩は魔王の糧となる。いずれ人が星を穢せるようになれば、その時こそ新たな試練が始まる日だ。


 故に闇の魔王にとって、これは一時の微睡に過ぎない。決して負けぬと叫ぶ女と踊りながら、人が人の愚かさ故に滅ぶその日が来るまで待とう。アカ・マナフは決して滅びることがないのだから。


「だから、そうだな。君達に贈るべきは、この言葉か……では諸君、次の夜にまた会おう」


 斯くして、魔王アカ・マナフは星の中心核へと封じられた。多くの命が抗い続けた果てに、人の世は再びの繁栄を迎えることと成る。果てに訪れる結末は、今はまだ分からない。






【TIPS】

精霊王の内、クロエだけ行動の自由もないのは今回の戦いで最後まで残っていたのがクロエだけだったのが理由。他の3名は早期に倒された結果、担当大陸内では比較的自由に動けました。


まあ、火は虎視眈々と人類を滅亡させる準備をしていたり、風は諦めて何もしてなかったりと動けたから何か? と言う感じだったのですが。


因みに一番真面目に働いていたのは水の精霊王。アカ・マナフ復活阻止の為に人類の文明を発展させる西方に技術発展するなと弾圧していたら、逆に西方に精霊王殺しをされて死にそうになった人。現在は人間恐怖症を再発し、重度の引きこもりになってしまいました。

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