第35話
ある少女の過去。
◇宙歴22506年9月1日
薄暗い部屋の中、複数の男女がキーボードを叩いている。無数の画面を確認しながら、表示された内容を復唱し伝える。
白衣を着た彼らの後方、腕を組んで立つ太った男と椅子に腰を掛けた痩せぎすな男。二人の男性が見詰める先には、一つの大きな水槽があった。
研究者達が作業を進める部屋とは違う、強化ガラスを挟んだ先にあるもう一つの部屋。その中心に聳え立つのは、円柱形をした大型水槽。
緑色の溶液が満たすその中には、裸体を晒しながら眠る幼子の姿が。唯人ではないと一目で分かるのは、その子の頭部と臀部にネコ科の耳と尾がある為に。
「ゲノム配列、確認。ネコゲノムとヒトゲノムの割合は、4:6で安定中」
「呼吸、心音、正常に動作。代謝機能に、致命的な問題はありません」
「覚醒反応を検出。ナンバー096-E、目覚めます」
ゆっくりと、その幼子が目を開く。生まれたばかりの赤子は、光の眩しさに目を眩ませて閉じたり開いたり。まだ外界を、認識しても居ないのだろう。
この、どうしようもない程に詰んでいる外界を――
「Hellow World」
痩せぎすの男が立ち上がり、ガラスに触れて小さく呟く。もうどうしようもない世界だからこそ、生まれてきた事、それだけは寿ごうとしたのであった。
◇宙歴22509年3月6日
「ねぇ、どうしてミレーヌは、ミレーヌなの?」
「え? どういう意味かしら?」
「098-Eは098-Eだよ。096-Eも。なのに、ミレーヌはミレーヌだから」
「あ、ええ、それは、その」
子供が怪我をしないようにと作られた、色とりどりのクッションマット。それで覆われた、無数の玩具が散乱している部屋の中。
患者着を身に着けた少女が一人、白衣の女性に抱き着いて問い掛ける。視線の高さを合わせる為に膝を付いていた女は、困ったように目を泳がせていた。
「098-E。余り、ミレーヌを困らせてはいけないわ」
「えー、どうして? 098-Eも、ミレーヌみたいな名前が良い! 096-Eは、そうじゃないの?」
「……それは、私だって」
「だよね、だよね! だって、098-Eや096-Eは皆似たような名前ばっかり! 何か、ミレーヌ達の方が特別感あって羨ましいもん!」
だから手助けする為に、介入したのは同じく患者着姿のよく似た少女。髪の色も目の色も顔立ちさえも、まるで双子のように似通った子供たち。
年の頃合は8歳くらいか。外見年齢だけを見ればそう思える少女らはしかし、その実年齢は僅か3つ。培養液の中で5歳程度の肉体になるまで身体機能を促成された彼女らは、年齢不相応の見た目をしていた。
そして見た目に現れる異常は、外見年齢だけではない。どちらも頭に耳があり、どちらも尻に尾が生えている。猫を思わせるその耳と尾は、白衣の女にはない特徴であった。
そこにある明確な違いを制止した少女は知っていて、じゃれ付いている少女は知らない。少女らの違いなど、その程度のものでしかなかったのだ。
「……ごめんなさい。規則でね。ちゃんとした名前は、まだ付けられないの」
「えー! なんでなんでー!」
「だから、愛称みたいなものを付けましょう」
「愛称?」
「例えば、096-Eだったら――クロエ、とかどうかしら?」
「……クロエ」
ミレーヌと呼ばれた女が口にしたのは、言葉遊びの語呂合わせ。けれどずっと考えていたのだろうと、そう思わせる程に言い慣れた言い回し。
少女達の飼育員である彼女は、善良な人物だ。クロエと呼ばれた少女はそれを良く知っていて、だからこそ救いがないと諦めている。
「良いな良いなー! ねぇ、ミレーヌ! 098-Eはー!?」
「え、ええと……0と9と8とEよね。う、うん。ちょっと待って、ね」
「わくわく! わくわく!」
ミレーヌと言う名の女は、困ったような表情で思考を回す。幾つか案は考えているのだろうが、これだとなるものがまだ見付からないのだろうか。
ならばクロエの愛称もまだ付けずに誤魔化せば良いだろうに、そうしないのは本人の不器用な善性故にか。そう思えば思う程に、クロエは純粋では居られなくなる。
(知っていた。私達は実験動物だ)
愛称で呼ばれて、嬉しいと言う感情は確かにある。己達を担当しているミレーヌという女性は善良で、好意を抱くに値するとも思っている。だが、それでも、彼女は研究員の一人で、クロエ達は実験動物の一匹なのだ。
(名前がないのは、消耗率が激しいから。与えられていたのは、個体を分類分けする為の番号だけ)
クロエ達、Type-Eの個体だけでも100体。五番目の型番であることを考えれば、実験体の総数は単純計算で500体と言った所か。
だがそれだけの数が居るのに、クロエはE型の実験体としか会ったことがなかった。その百人の同胞ですら、時間経過と共に数を減らしていく。
薬を飲んで、注射を打って、毎日のように検査検査。実験はそれだけではなくて、時折挟まる手術の後で帰って来なくなる同胞も多く居る。
死後に解剖されて、標本となったのも一人や二人の話じゃない。誰も彼もの命が軽くて安くて、何時死んでもおかしくはない境遇。クロエはそんな中で生まれ育った。
(それは、恨んでも羨んでも、仕方がないことなんだと思う。私達は、まだ恵まれている方だろう。……担当してくれる飼育員が、優しい人だから)
合理的に考えれば、消耗品に感情移入するのは愚かなことだ。多くの飼育員は、食事の準備と体調管理を機械的に行っている。
ミレーヌくらいのものである。一緒になって玩具で遊んだり、絵本の読み聞かせをしてくるような愚か者など。そして、それはきっと偽善でしかないのだろう。
それでも、そんなミレーヌや明るく育った098-Eと過ごす時間は嫌いじゃなかった。嫌いになんて、なれなかった。
(でも――閉塞感がある。私は一体、何時まで生きていられるんだろう)
二人と過ごす、優しい時間。それはきっと、そんなに長くは続かない。明日もまた誰か一人が手術室から帰って来れないだろうから、そう遠くない何時かに自分も帰って来れなくなるだろう。クロエはそう、察していた。
◇宙歴22511年7月10日
緑の光が僅かに周囲を照らす、薄暗い実験室。立ち並ぶ巨大な水槽の中には、奇形の胎児が無数に並ぶ。その全てが、既に息をしてはいなかった。
「Type-Fは安定せず、どれも胎児の段階で壊死してしまいますね」
「……やはり、ゲノム配列のバランスはType-Eが最良か」
軍神の星で完成した遺伝子改造技術。その流れを汲むこの研究施設では、とある因子を覚醒させた個体の生産を目指している。だがこの惨状が示す通り、その研究は上手く進んでいなかった。
「ですが、Type-Eでは後天的な強化との相性が余り良くないのではないかと。Type-D以前の個体と比べ、施術後の生存率が極端に低いです」
「成長時の異常発生率も問題ですね。008-Eや013-Eを初めとした36体の個体は、二次性徴の途中で臓器に異常が発生し衰弱死しました。切り詰めた設計ですから、成長時に肉体のバランスが変化してしまうのが原因でしょう」
「成人させず、肉体を固定化するなら……いや、成長の阻害は問題か」
「ですね。何が覚醒に至る要因かも判明していない現状、安易な固定化処理は避けるべきかと」
それも当然、彼らの目的地が曖昧に過ぎる。覚醒させるべき因子とやらが、まだ観測さえもされていないのだ。理論上は存在する、机上の空論なのである。
惑星との同化適正。惑星から力を引き出せる特殊因子。アカ・マナフの存在実証から始まった研究理論は、実践の段階で躓き続けている。誰もが、口に出来ずとも察してはいた。
これは間違いなのではないか、と。
「……やはり前提条件を変えた上で、数を重ねるしかないな」
「Type-Fのゲノムバランスを見直してみます。場合によっては、受精卵に投与するジーンの種類も変えるべきかもしれませんね」
「ジーンの変更は、余りしたくありませんけどね。また一からとか、気が遠くなります」
「それでも、やるしかない。やるしか、ないのだ」
恰幅の良い男が、苦渋の言葉を零して歯を食い縛る。状況は悪い。現実は逃げ出したい程に最悪だ。そして解決策はまだ見えない。
これは藁に縋るような行いだ。そうと分かって、それでもと犠牲を積み重ね続けている。その行い、間違いと言わずに何と言うのか。
「だが、時間に余裕もないのは事実か。……Type-Fが上手くいかなければ、G以降のナンバーでは別の陸上生物を利用するとしよう」
「選定は今から始めておきます。うちは陸上生物限定でしたよね。範囲、広いな」
「他の研究所より、種類豊富ですよね。第一は鳥類限定ですし、今後開設予定の第三と第四は魚類と爬虫類らしいですよ」
「その第三と第四は、我々の成果を前提に稼働を始める予定だ。詰まり、その時期が我々にとっての締め日となる。……上も成果を急いでいる。次の決算期までに、何らかの成果を出さねばならん」
それでも、間違っていると分かっていて、間違いを繰り返し続けている。死後があるのならば、果ては地獄行きであろうと男は自嘲する。
ストレス性の肥満を抱えて、寿命を削りながらも男は続ける。前線に居ない己の立場は、このどうしようもない世界の中で、まだマシな位置だと知っているから。
「その日までに、我々は成果は出さねばならない。苦労を掛けるが、諸君らの奮闘に期待する」
◇宙歴22511年8月31日
「ねぇ、ミレーヌ。クーヤ……098-Eが、実験室で機能停止したって」
「クロエ」
一月程前から、実験の頻度が増えた。手術室に呼ばれる回数も増えて、当然のように帰って来なくなる命も増えた。
クロエは生きている。全身に手術の縫合痕が幾つも増えたが、それでも彼女は生きている。そして、彼女の妹分だった少女は帰って来れなかった。
「ねぇ、ミレーヌ。私、哀しいの。悲しんでいる、筈なの」
何時か失うと分かっていたからだろうか。最初からどうしようもないと、諦めていたからなのだろうか。
「なのに、どうして、泣けないのかな?」
「――っ」
クロエはその死に、涙を流すことさえ出来なかった。
「私が欠陥品だから? 私が失敗作だから?」
「……誰が、誰がそんなことを言ったの」
「誰も。けど、分かるわ。だって、私がちゃんと成功していたら。098-Eも、他の子たちも、皆、今も生きてる筈でしょう?」
悲しい時、人は涙を流すと言う。人を模して造られた亜人も、きっとそれは変わらないのだろう。なのにクロエは、悲しくても涙が流せない。
それを彼女は、欠陥品だからと結論付けた。ちゃんと生まれることが出来なかったから、壊れているから泣くことすら出来ないのだろうと。
「……ごめん、なさい」
「ミレーヌ?」
「ごめん。ごめん、ね。クロエ」
白衣の女は、凍った表情を浮かべている少女を抱き締める。強く強く、想いが伝わるようにと。
そんなのが、救いにはならないと分かっていた。こんな身勝手な謝罪など、こんな意味のない想いなど、伝わらない方が良いとも分かっていた。
それでもミレーヌは、偽善でしかないと分かっていても、伝わるようにと願ってしまった。だからそう、確かにその想いは伝わっていたのであろう。
「ミレーヌは、温かい。……羨ましいな」
「――――っっっ」
ぼそりと呟いたクロエの言葉が、ミレーヌの心を抉る。どうしようもないと、何もしてあげられない彼女の心を深く傷付けた。だから――その結末は当然のこと。
(知っていた。私達は実験動物)
クロエは知っていた。彼女を始めとした亜人達は、五番目に造られた実験動物。目的を達成する為に消費され、後には何も残せぬ個体達。
(毎日、毎日、一人一人と減っていく。目的の為の消耗品)
実験動物として生まれた時点で、消耗品としての結末は確定している。途中に何があろうと、その道で何を思おうと、最期は決して変わらない。クロエはそう思っていた。
(羨ましかった。飼育員のミレーヌや、他の研究者たち。ごく普通の人間が……)
だから、そう。彼女は願った。抱き締められる、腕の温かさに。抱き締めてあげられる、そんな自由を持つ人に。羨ましいなと、そんな風に成りたいなと、クロエは願ってしまったのだ。
(貴方達は、私達とは違う。当たり前の明日が、約束されているから――)
そう、クロエは知っていた。そして、クロエは知らなかった。だから、その結末は当然のこと。起こるべくして起きた、そんなこと。
(――そう、思っていたのに)
「本日より、前任者に代わり、貴女を担当します。適切な関係を築けるよう、努力を期待しています。096-E」
(その日以来、ミレーヌと会うことはなかった)
消耗品は、実験動物だけではない。研究者達もまた、消耗品に過ぎない。その事実を、クロエは知らなかったのだ。
◇宙歴22511年9月3日
「また、だ。また失敗した。くそっ!」
「ストレス値が高くなってるわよ。投薬して来たら?」
「……あ、ああ。すまない。少し外す」
排気ダクトの中を、クロエは匍匐前進で進んでいた。亜人であること、その身体能力を活かして進む。その先は、実験動物の立ち入りを禁じた区画である。
(今、私は初めて、施設の決まりを破っている。居なくなったミレーヌを探す。その為に、立ち入り禁止区画に忍び込む。見付かれば、きっと唯では済まない筈だ)
飼育員が新しい研究者に代わって、三日が経過したのにミレーヌの顔すら見ていない。何時もならば誕生日を祝うと言う名目で、クロエやクーヤの生産日には豪華な食事を用意してくれていたと言うのに。
夜になっても、朝になっても、ミレーヌの姿は何処にもなかった。見捨てられたのかもしれない。見限られたのかもしれない。それでも会いたいと想った。だから、クロエは初めて決まりを破ったのだ。その結果、どんな目に合ったとしても構わないのだと。
(でも、どうせ、このままでも、いつか実験で消費されて死ぬだけ。なら、この命の使い方は、せめて自分で選びたい。それが、最期になるんだとしても――私は、また会いたいから)
あの日から既に二度、手術室に行かされている。縫合痕は増え、体調は悪化している。多分己も、そう長くは生きられない。
そうと察したからこそ、クロエは自分の命の使い道を決めた。己の意思で、己の為に、選んだのは母のように慕う女を探すこと。
行く先も分からぬまま、排気口内を道沿いに進む。喫煙所やトイレの悪臭に顔を歪めて、長い道のりに途中で休み休み息を吐きながら、クロエはその場所に辿り着く。
「ふっ、……くぅ。この薬も、効きが悪くなってきたな」
(注射器、腕に刺してる? 研究員が、何で?)
ダクトの隙間から、見える研究員の一人が腕に注射器の針を刺している。実験動物に対する物なら何時もの光景ではあるが、研究員自身にしているのを見るのは初めてのこと。
一体どういう意図があるのか、疑問に思ったクロエが見詰める。その問いに関する答えは彼女が問い質すまでもなく、同じ部屋に居た空の注射器を手にした別の研究員が語ってくれた。
「ヘロインベースから、コカインベースに変えてみろよ。俺の方も効き目が悪くなって来たし、取り換えてやろうか?」
「あー、お前コカベース使ってんのかよ。……まあ、取り合えずはそうしてみるが、そろそろ洗浄処理を頼むべきかもしれねぇな」
「確かに、流石に薬物で騙すのもそろそろ限界か。洗浄する時は言えよ、俺も付き合う」
「連れションかよ、受ける」
「言ってろ。見知った顔が初期化されるのは、ストレス値がやべぇんだって」
(ヘロイン、コカイン? それに、洗浄って……)
口々に言い合って、部屋を後にする研究者達。彼らの姿が見えなくなって、暫くしてからクロエはダクトの枠を内から外す。
蹴破るような勢いで外れた枠囲いが地面に落ちて大きな音を立てた後、また数分程待ってから問題ないと判断したクロエが床へ下りる。
するりと重力を感じさせない動きで、殆ど音を立てずに着地した少女。彼女は机に向かって歩み寄り、男達が使っていた注射器を手に取った。
「……これ、だよね。ヘロインとか、コカインとか、言ってたけど。何なんだろう?」
クロエは必要な知識以外、与えられていない実験動物の一人だ。故に名称を聞いただけでは、それが何なのかすら分からない。
研究員が使っていたと言うことは、悪い物ではないのだろうなと。ならば一回、確かめてみようかと注射器を開けて僅かに残った中身を取り出す。
左手の掌に広がった小さな液体に、右手の人差し指を付ける。指先に付いたその液体を様々な角度で眺めてから、舐めてみるかと口元へ運ぶ途中で。
「何を、しているのかな?」
「――っ!?」
背後から、声を掛けられた。耳と尾の毛が逆立って、ピシリと硬直するクロエ。そんな彼女の手首を掴む、誰かが其処に立っていた。
「悪い子だ」
振り向いた先に居た、痩せぎすの男。病的なまでに濃いクマを張り付けた男が微笑み、手にした布を近付けて来る。その途中で、クロエの意識は遠ざかり閉ざされた。
ヒトゲノムとかは良く言うけど、他の動物の遺伝子は〇〇ゲノムであってるのだろうか疑問。
調べてもよく分からなかったので、一先ずネコゲノムにしています。違ったら直すかもしれません。




