表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/279

第49話 弊社では蟻の駆除は取り扱っておりません

山崎正志(42)は、都内の害虫駆除会社「サニーテック」で働くベテラン技術員だった。


シロアリ、ゴキブリ、ハチ、ダニ——退治してきた虫の種類は数知れない。だが、今はもう、“退治”という言葉すら、慎重に選ばなければならない時代だ。


「山崎さん、午後の現場、杉並区の一戸建てです。ウッドデッキの下、蟻だそうです」

事務の若い女性職員がそう言ったとき、彼は思わず顔をしかめた。


「……蟻っ!?」

「ええ。ただ、クロオオアリらしいので、通報処理でお願いします」


確認するまでもない。会社のマニュアルには、こう書かれている。


【都市型共生法施行に伴い、2025年以降、蟻類の直接駆除は禁止となりました。

駆除依頼があった場合、現場確認後、共生保全局への通報を行ってください】



つまり、殺すな、触るな、報告だけしろ。


 

依頼主の家は、整った新興住宅地にあった。若い夫婦と小さな子ども。ウッドデッキの下には、確かに大量の蟻が行き交っている。


「このへん、毎日子供が遊ぶんです。なんか……最近、数が増えてる気がして」

夫が言う。

「今ホームセンターでも薬剤売ってなくて…駆除っていうか、薬でも撒いてもらえたら」


山崎は無言で地面を覗き込む。目の前にあるのは、ただの土の隙間ではない。

幾筋もの蟻の列が、規則正しく動き回り、中央には巣穴と思しき開口部。数百匹、いや、数千か。


「申し訳ありませんが……当社では蟻の駆除は取り扱っておりません」

山崎はそう告げ、丁寧に一礼した。


「は? え、でも、ここ虫駆除の会社ですよね? ほら、書いてあるじゃないですか、“家庭の害虫、なんでもお任せ”って」


「ええ。ただ……蟻類は2026年以降“保護生物”に分類されております。都市型共生法、第四条の規定により、住環境との接触が確認された場合、まず通報義務が発生します」


夫婦は呆気に取られたような顔をしていた。

妻が小声で「じゃあ、どうすればいいんですか……このまま子供が噛まれたりしたら」とつぶやいた。


「対応は“蟻生態保全管理センター”が行います。こちらが窓口です」

山崎は、準備していた名刺サイズの紙を差し出す。

そこには、QRコードと共に、こう書かれていた。


「この土地は、蟻の生活圏かもしれません。

あなたの暮らしを、もう一度見つめ直しましょう。」



帰社後、山崎は「蟻類接触報告書」を作成し、政府のシステムに送信した。

コロニーの種類、規模、人間との接触リスク。全部、標準化された報告フォーマットに沿って記入する。


送信ボタンを押した瞬間、モニターに表示された。


「報告完了:本件は“占有申請対象”として審議されます」




それから三日後。

件の住宅が「共生生物占有指定区域」に登録されたという通知が届いた。


“人間の生活による干渉が確認されたため、居住制限措置を実施”とのこと。

依頼主の家は引っ越しを余儀なくされた。


SNSにはすでに現地の写真が上がっていた。家の前には黄色いテープとバリケード。


「また出た。“蟻土地”指定。人間どんだけ邪魔なんだよ」 「ガキが遊んで蟻の巣壊したらどうすんだよ。殺蟻未遂だぞ」 「ちゃんと共生考えない親が悪いよね」 「蟻様の家の上に家建てといて何言ってんの?」



ニュースでも取り上げられ、コメンテーターが言う。


「人間の方が新参者ですからね。共生というのは、まず“敬意”から始まるべきなんですよ」




山崎は、自宅のソファでそのニュースを見ながら、無言でコーヒーを啜った。

虫に殺虫剤をかけていた頃の感覚は、もう遠い昔の話だ。


かつての「害虫」は、いまや“市民”として扱われる。

権利があり、法律に守られ、踏めば「未遂」、殺せば「重罪」。


それでも、まだ依頼は後を絶たない。


人間は、やっぱり虫を恐れる。

だが今は、それを口に出すことすらタブーなのだ。


 


スマホに新しい現場指示が届いた。


「明日 9:00〜 蟻類通報対応(港区タワマン内)」

「備考:依頼者 情緒不安定につき慎重対応を」




山崎は、工具箱から殺虫剤をそっと抜き取って棚に戻した。

もう、あれは使えない。二度と。


代わりに、通報書式が入った端末を丁寧にケースへ入れ、制服を整える。


まるで自分が、蟻の監視員にでもなったかのように思いながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ