第47話 横断中につき
榊原剛、43歳。
配送のトラックを運転していた。ルートは市街地を回る軽めの便。それでも、最近は厄介なことが増えていた。
その日も、朝から信号待ち。
配送の時間が迫っていて榊原は焦っていた。
横断歩道の手前に、園児たちの集団が見えた。保育士が手を上げ、誘導している。
「は〜い、みんなしっかり手を挙げて気を付けて渡ってね〜」
榊原は無理して笑みを浮かべ、園児たちを眺める。
(早く渡れよ!)
心のなかで叫ぶ。
園児たちが一列になって一同に手を挙げて横断歩道を渡る。カラフルな帽子、背負ったリュック、手を引かれる子どもたちの目は、まだ社会の重さを知らない。
ようやく園児たちが渡り終えたと思い、それを見送ってアクセルを踏もうとした。
そして、保育士が深々と頭を下げ、こちらに寄って来て榊原にこう言った。
「ありがとうございました。……すみません、次は“蟻さんたち”が渡りますので。」
「……は?」
横断歩道の脇。白線の隙間から、蟻の列が這い出してくる。
花壇から歩道を抜け、白線を渡って反対側へ。全長2〜3メートル。数百匹はいる。
助手席のナビAIが冷静に告げる。
「蟻の横断中です。安全のため、車両は一切の動作が禁じられています。
違反者には速やかに処罰が下されます。命令終了」
榊原は思わず天を仰いだ。
「……冗談じゃねえよ。さっき子ども通したばっかじゃねえか。なんで次が“蟻”なんだよ!こんなゆっくりじゃ渡るのに1時間以上かかるだろ!」
保育士が、小声で言う。
「すみません……」
園児たちは拍手していた。「がんばれ、ありさーん!」と口々に。
榊原は唇を噛む。
「くそっ、俺は時間がないんだよ!」
この国では、もう“蟻殺し”は死刑または“物件”としての収用だ。
その収用物件は、いまも不動産サイトに並び、誰かが入居している。
そして——
横断歩道を渡りきる寸前、1匹の蟻が立ち止まった。
やがて方向を変え、道を戻り始める。
「おいおい、なんで戻るんだよ……」
榊原は、泣きそうになった。
結局、彼は配達先に2時間も遅れてしまい、先方に散々怒られた。
「もう来なくていい」とまで言われ、頭を下げながらトラックに戻る。
誰も彼の事情など気にもしなかった。
くたくたで家に帰り、ソファに沈みこむ。
リモコンを手に取りテレビをつける。
ちょうどCMに切り替わったところだった。
画面には、明るい音楽とともに、笑顔の若い夫婦が映っている。
白く清潔な部屋、広々とした空間、そしてどこか奇妙に静かな雰囲気。
テロップが流れる。
「新生活は“巣”から始まる。あなたも“社会”の一部になりませんか?」
続けて、物件情報。
「即入居可! 人体物件・耐蟻構造、冷暖房完備。
——巣主:榊原 剛」
その瞬間、榊原の手がピタリと止まった。
「……は? 俺、ちゃんと止まっただろ……!? ふざけんなよ……!」
画面には、彼の免許証の顔写真が映っていた。
まるで彼がすでに“誰かの巣”として紹介されているかのように。
榊原は、黙ってリモコンを握りしめた。
(なんで…俺ちゃんと蟻渡らしたぞ…)
次の日、彼は翌朝の便のルートを変更した。
蟻の横断がない場所を、必死に探した。
けれど、その道に、もう“安全”は存在しなかった。




