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その巨体で『黙り込むチャタレー』の中にある全てを吹っ飛ばしたのだろう。建材の破片に混じり、鎖に本棚、そして装丁がすっかり黒く腐った書物が、風を切りながら飛んで行く。
そのうちの一冊に、思わず手が伸びた。
バシっと掴んだ瞬間、手に吸い付くような嫌な感触。かなり気持ち悪ぃ。素早くドローンのコンテナに投げつける。
「戦利品か?」
ユエが疑念を含む声で言った。
「わからん。なんか必要な気がしたんだよな」
俺は吐息を多く混ぜながら答え、空っぽにした肺に深く息を吸い込む。換気完了、一気に足の回転を速めた。
――音には輪郭がある。
走りながら目を閉じて、耳に意識を集中させた。どうせだだっ広い平原と、目には見えねぇ敵なんだ。視覚情報なんてアテにならない。
背後から追ってくる気配。踏みしだかれて潰される草の面積。風を弾く音。大まかに直方体のブロックが動いていると仮定して、左右と高さにだけアタリをつける。
高さ4メートル、横幅12メートル。いや、高さ6、横18。待て、高さ8に横22?
音がどんどん重たくなっていく。薄く目を開いてちらりと振り返ると、怪物が通るに合わせて草原が絨毯のようにめくれあがっていた。緑を破壊して黒土の線が走る。
「なんかで見たことあるな……! 露天掘りの発破ってあんな感じだったよな!」
岩盤にずらーっとダイナマイトを並べて順番に起爆するヤツだ。大迫力でスッキリする。
「巻き込まれたら粉々にされるであろうな」
「おいおい、落ち着いてるじゃねえの。こういうの慣れてんのか?」
「最近、な」
ユエの皮肉な言い方に思わず口角が吊り上がった。嫌いじゃねえよ、こういうの。
「で、王こそ余裕があるな。巨大化しているせいで、当初の想定よりも速いぞ。およそ足で逃げ切れるものではあるまい。相手の持久力も未知数だ」
「どうにかなるさ。俺は運が良くて、あいつは運がねえんだわ」
「誰のことだ?」
俺はスマートウォッチをつけた左腕を軽く二度揺する。大きくハッキリとした声で呼びかけた。
「へい、マップ開いて山里の位置情報を強調表示してくれ」
『管理者の指示を受け付けました』
合成音声の返事。ぱっとホログラムが展開される。
立体的な地図の上層階を、下層に向けて赤い光点が高速で移動していた。ただし、俺の現在地から遠い階段を通るような進路をとっている。
やっぱりな。
どうせ山里のことだ。俺絡みの案件に巻き込まれる前に、別件でダンジョンに逃げ込むと思っていた。
「いやぁ、仕事があってな。ははは」
とか言うヤツだ。同窓会には必ず顔を出すが、絶対に二次会には来ないタイプ。知らねえけど。
「王よ、まさか……」
「この移動速度、バギーに乗ってるな。お邪魔してやろうぜ」
「なんと哀れな……」
山里の移動ルートを予測し、とっ捕まえられそうな地点を目指す。普通の人間なら絶対に間に合わないが、
「俺からの連絡を受けて、慌てて仕事とったんだろうな。わざわざ上層階で数キロ離れてから降り始めるのもあいつらしい」
くつくつと喉の奥が鳴った。こんな状況でも面白いものは面白い。
「借りるぜ、グレンデル」
『……』
体の内側に収まる力強い存在に語りかけると、呆れた気配が返ってきた。それでも律儀なオークの王権らしく、全身にしっかりと力が漲る。太ももの筋肉が膨れて倍くらいの太さになり、戦闘服をパツパツに押し上げた。
流れる風景が一気に加速する。肌に当たる草の穂が、痛いほどに勢いを増した。
◇
「よお」
「ぎゃあああああああああああああ、出たぁあああああああああ!?」
山里の絶叫が響いた。目は飛び出そうなほど見開かれ、口は奥歯の溝が見えるくらい開かれている。
ダンジョン階段の上によじ登って待ち構え、速度を落としたバギーが出てきた瞬間に飛び乗ってやったのだ。
するりと山里の隣に滑り込む。ユエは俺の膝の上だ。
「な、な、ななななな」
山里はハンドルを握りながら同じ音を繰り返す。お使いの端末は正常ですか?
「おいおい、焦りすぎだろ。俺を助けに来てくれたんだろ?」
「違う! 別件の仕事で」
「そうだな。聖剣の勇者様は計画的だ。俺と行動が被らないように仕事を入れるだろうし、ちゃんと出発前に俺の居場所を確認してから運転するもんな」
「ぐぅっ」
どうやらぐうの音は出るらしい。まだ元気そうだな。
「まぁ、バギーに俺らが乗ったところで減るモンもねえだろ。なんかで借りは返すから、深層まで送ってくれ。目に見えないくそでかい怪物に追われてるんだ。あと、なんか認識に作用する系の神格にマーキングされてるっぽい」
「俺の!! 寿命が!! 今まさに減っている気がするんだけどぉ!?」
山里は泣きそうな顔でアクセルを踏み込んだ。




