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42.船上にて

9月の風をはらんで船は進む。


つばの広い帽子が飛ばされないよう左手で押さえながら、サラフィナは甲板で口ずさんでいた。80年代アイドルの大ヒットソング、サンゴ礁の歌だ。

乗組員たちは聞いたことのない旋律に耳を傾けていた。


「それはアズマ国語の歌ですな。アズマ国にはない音楽ですが」

「私、アズマ国語で歌っていました?時々自分でもわからなくなるんです。今どの国の言葉を話しているのか」

ギザブロー先生に話しかけられ、サラフィナは振り向きながら答えた。

「それはまた、何とも贅沢なお話ですな」


「贅沢……なのでしょうか?贅沢って何なんでしょう」

「何とも哲学的なお話で。贅沢とは……、サラフィナ様はどうお考えですか?」


「そうですね……、今日の食べ物にも事欠く人にとってはおなかいっぱいおいしいものを食べることが贅沢でしょう。食べることに事欠かない人でも寂しく過ごしている人にとっては大好きな人と一日一緒に過ごせることが贅沢でしょう。そして何不自由なく暮らしているけれど自由に出歩けない人には、こうして甲板で海風にあたっていられることが最高の贅沢ではないかしら」


「ほっほっほっ。帝国の方々は本当の幸せをよくご存じだ」

楽しそうに笑うギザブロー先生にサラフィナは首を傾げた。

「本当の幸せ、ですか?」


「情けないことですがわが国では本当の幸せを知らない権力者が多くおります。誰もが自分に跪き、自分の言うことを聞くことこそ幸せだと勘違いしている残念な人たちが」

うわぁ、それって本当はちっとも楽しくないわよね、とサラフィナはドン引きする。


「そうなのですよ。おいしいものは分け合って食べるほうがおいしい。時には仲の良いものと取り合いになるほどの勢いで食べるとなおおいしい。そんなことも知らないものがわが国にはたくさんおります」

うーん、話を聞けば聞くほど、残念な人の多い国なのねー。


逆に言えば今のグランヴィル帝国のほうが稀有なケースなのかもしれない。貴族社会なのにふんぞり返っている人のほうが少ないのだから。ああ、この国に転生できてよかった。神様、ありがとう!



「サラのご機嫌な歌声が船内まで響いていたよ。相変わらず懐かしい曲知ってるね」

船室で打ち合わせをしていたレンリッヒが顔を出した。


ギザブロー先生は孫を見るような目で二人を見ながら、そっとその場を離れた。


「どう?初めての船旅は」

「楽しい!」

「どこが?」

「もう!こういうのは理屈じゃないの。全身で感じるの、楽しい!って」

自分の初めての船旅では、ただただサラフィナの料理を恋しく思っていただけのレンリッヒには理解ができない。「何がそんなに楽しいんだろ……」


そうして二人は並んで甲板に立った。


「…………」

「どうしたの?」

無言で水面を見つめているサラフィナに、レンリッヒが尋ねる。


「出ないなーと思って」

「何が?」

「クラーケン」

いや、そう毎回毎回出たら大変だよね??サラフィナのことを理解したつもりでいて、全然理解できていないことを痛感するレンリッヒだった。


やがて船はアズマ国へと到着する。


船上というロマンチック空間を最大活用することもなく、タイタニックごっこをすることもなく、何の進展もない恋人たちを乗せて。

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