15-3
ひさしぶりに戻ったマイナーデ学院は,静寂の中にあった.
西ハンザ王国の使者たちが来たと同時に,コウスイが秘密裏に生徒たちを皆,故郷へと返してしまったのだ.
今,残っているのは学院長コウスイの信用の厚いじゃっかんの教師のみである.
しかし校舎の外から見ると,教室では授業が行われており,生徒たちが廊下で歓談していたりする.
使者たちをあざむく,コウスイらの高度な幻術魔法である.
魔法の下手なサリナなどは,感嘆を禁じえない.
魔法というものは,本当に万能なのだ.
子どもたちの笑い声やしゃべり声の絶えない寄宿舎にも,実際には誰もいない.
しぃんと刺すような,沈黙が支配している.
サリナが女子寄宿舎の自分の部屋へルッカととも戻ろうとすると,ライムに呼びとめられた.
「俺の部屋へ来いよ,サリナ.」
「え?」
少年の少し乱暴なもの言いに,振り返った少女のほおが朱に染まる.
「誰もいない女子寄宿舎に,ルッカと二人だけだと危ないだろ?」
自分の勘違いに気づいて,少女はあいまいに同意した.
「う,うん,そだね…….」
妙な期待をしてしまった.
あまりにも,少年が真剣な顔をしているせいで.
「客室に簡易ベッドを運びこんで……,」
ふと横を見ると,少女の思いちがいを分かって,ルッカがおもしろそうな顔をしている.
少年の後ろに立っているスーズも,笑いをかみ殺している.
「……どうしたんだ?」
一人何も分かっていない少年が,聞き返してくる.
「なっ,なんでもない!」
ぼっと赤くなって,少女は手を振った.
「部屋から荷物を取ってくるね!」
くるりと反転して,廊下を駆け出す.
「馬鹿! 走るな!」
恥ずかしくて,さっさとこの場から逃げ出したいのに,
「危ないだろ,こけたらどうするんだ?」
すぐに首根っこを,少年につかまえられた.
「……何もないのに,こけないよ.」
少女は,つかまれたえり首を払おうとする.
近ごろ,少年は少女に対して過保護すぎる.
ふと振り返ると,スーズとルッカの二人はすでに男子寄宿舎の方へと向かって歩いていた.
後ろ姿が,廊下の角に消える.
「あ,あのね,ライム.」
少女はちょうどいい機会だから,言おうと決めた.
少年が妙に過保護である理由を,少女はよく分かっているのだから.
マイナーデ学院への旅の間,少女はルッカからの忠告をすぐに少年に告げていた.
しかし少年の反応は,あまりにも少女の予想外のものだった.
「お,俺は男の子でも女の子でもうれしいからなっ……,」というなぞの第一声の後で,少年はみずからの上着を脱ぎ,少女に強引に着せる.
「体,冷やすなよ! あ,水辺には近づくな!」
「は?」
とまどう少女にはかまわずに,少年は勝手に話を進める.
「名前は,……じいさんに頼んだ方がいいかな? いや,サリナ,自分でつけたいか?」
「ちょ,ちょっと待ってよ,ライム!」
勝手に少女が妊娠していると決めてかかっている少年に,少女は待ったをかける.
「名前なんて大事なこと,……って,その前に,まだできてるって決まったわけじゃないし!」
「それに私たちは,姉弟のふりを,」
しかし空想,というより妄想を暴走させている少年の耳には届かない.
「ま,まさか,俺が考えるのか……!?」
不確定の未来に,なぜか少年は真っ赤な顔になって照れまくる.
そしてそれ以降,少年はあからさまに不自然に少女の世話を焼いているのだ.
「こ,子どもが,……できているかもって話,」
ある意味,喜んでくれている少年に真実を告げるのは心苦しいが,告げないわけにはいかない.
「その,……できてないから,」
少女は耳たぶまで赤くして,うつむいた.
「昨日の夜,あの,……妊娠してないって分かったの.」
痛みとともに訪れたしるし,少女の周期はめったに乱れることはない.
そぉっと少年の顔を見上げると,少年はいまだに意味を分かっていないようでふしぎそうな顔をしている.
まさか月のものが来たと言わなくてはならないのだろうかと,少女がちゅうちょしていると,少年はいきなり顔を赤くしてそむけた.
「へ,部屋に戻るんだったよな!?」
「う,うん.」
少年は背中を向けたままで,ぎくしゃくと歩き出す.
「行こう,」
先に行く少年の手をきゅっと握れば,強く握り返される.
その手が,けっして離しはしないと少女に伝えていた.
「ごめんね,がっかりした?」
遠慮がちにたずねると,少年は上ずった声で「してない.」と答える.
がっかりした,というより少年は夢から覚めた心地だ.
気の早すぎる少年の頭の中ではすでに,今よりも少しだけ大人になった少女が自分に似た赤ん坊を抱いていたのだから.
「結婚したら,子どもをいっぱい作ろうね.」
これはさすがにうなずきづらい……,少年は平静とはほど遠い調子で「三人以上はほしいな.」と言った…….
スーズとルッカが客室を整えていると,コウスイの使いの者がやってきた.
「スーズ,ライム殿下に恋文が来たぞ.」
スーズはもともとイースト家の使用人である,使いの男は気軽に青年に手紙を手渡す.
「西ハンザ王国の王女様からだ.」
薄水色の髪の青年は苦笑して,それを受け取った.
かれんな小さな花の添えられた,薄紅色の手紙.
「一目ぼれ,でしょうかね.」
たとえそうだとしても,行動が早すぎる.
この上なく,ワナの香りがする手紙だ.
「いけすかない長髪王子様からの挑戦状だろ?」
使いの男は,皮肉気に口の端を上げて笑う.
身分差別のはなはだしい西ハンザ王国の王子と王女は,すっかりとイースト家の使用人たちの嫌われ者であった.
「受けてたちますよ,こちらの金髪王弟殿下が.」
彼らを邸に滞在させなければならないイースト家の人々の苦労を思いやって,スーズは淡くほほえんだ.
「さっさとお帰り願いたいものですからね.」




