12-5
「リーリア様,起きていらっしゃいますか?」
突然のノックに,リーリアはびくっと震えた.
まさかこんな真夜中に自室を訪ねてくる者がいるとは思わなかったからだ.
「今,開けるわ.」
書きつづっていた手紙を隠し,少し上ずった声でリーリアは答える.
彼女の動揺を表したように,いすから立ち上がるときに,ガタンと派手な音が鳴った.
扉の向こうの声は,リーリアにとってはなじみのある青年のものだ.
幼女の姿のときには,二人きりで旅を続けたこともある.
「スーズ,どうしたの?」
案の定,薄水色の髪の青年が淡い微笑を浮かべながら立っていた.
「ライム殿下の代わりに,あなたをとめにまいりました.」
「とめに……?」
首をかしげると,美しい金の髪がさらさらと流れる.
ライムは本当に母親似なのだ,いや,スーズにとってはリーリアがライムに似ているという感覚である.
「えぇ,それが私の役目ですから.」
ふしぎそうな顔をするリーリアの横を通り過ぎて,スーズは部屋の中に入った.
「ライム殿下はまだ子どもなので,いろいろと考えが及ばないところがあるのです.」
青年は,テーブルの上に置かれた小刀を取る.
「それを補い,助けるのが私の仕事です.……こんなことをしても,ライム殿下は喜ばないですよ.」
差し出された小刀に,リーリアはかすかに顔をこわばらせた.
「私がリフィ,……あの男の後を追うとでも?」
にっこりとほほえんでみせる,その瞳は赤くはれあがっていたとしても.
「テーブルの上にナイフが置いてあっただけで,そんな勘違いをするなんて,」
「あなたが陛下の後を追うとは思っていません.」
青年は,静かに小刀をテーブルの上に戻した.
「けれどライム殿下のためならば,あなたは自分の命を惜しまないでしょう.」
柔らかく笑みながら問いかけると,リーリアはさっと視線をそらす.
「……あの子に罪はないわ,私が悪いのよ.」
リーリアは震える声で,言葉を漏らした.
青年はテーブルの上に隠された手紙を見つけて,さっと目を通す.
「私は罰せられるべき罪人,ずっとこの罪を隠していた.」
文面は,青年が想像していたとおりの内容である.
王子ライゼリートが王弟タウリの子であること,姦通の罪は自分ひとりのものであり,ライゼリートの罪は問わないでほしいとのこと,自分の命をもって罪を償うと…….
青年は紙をびりびりにやぶいた.
「タウリは明日,新国王就任の後で処刑されます.」
王族でありながら国を売った男,彼が何を求めていたのかは分からない.
ただ,それが得られなかったことだけは,スーズにも分かる.
「もしも彼がライム殿下の父親であることを主張しても,誰も信じませんよ.」
まわりを動揺させ,罪を逃れるためのうそだと思われるだろう.
そしてもはや,幻獣の有無によってライムの出生を確かめることはできないのだ.
「でも,ライゼリートとサリナちゃんは姉弟なんかじゃないのよ.」
リーリアはつらそうに,床に舞い落ちてゆく紙片を深緑の瞳で追いかけた.
息子と同じ色の瞳,いや,リーリアの方が重い色をしている.
その色のちがいが,スーズを苦しくさせる.
「ライゼリートは王子じゃない,サリナちゃんと血のつながりは,」
「心配ご無用です,リーリア様.」
少し怒った調子で,青年はリーリアの言葉をさえぎる.
「ライム殿下を見くびらないでください.」
金の髪の少年の成長を,誰よりも近くで見守ってきた.
「こんな問題すらも解決できない男だと思っているのですか?」
そして少年には,イスカ,コウスイという強力な味方がついている.
誰よりも何よりも力になりたいと思っているスーズもついている.
「あなたが犠牲になる必要などありませんよ.」
優しくほほえんで,スーズはリーリアの部屋を訪ねて本当によかったと思った.
今夜,この城の中で眠れない夜を過ごした者は,いったい何人いるのだろうか.
徐々に明るくなってゆく部屋のカーテンを,金の髪の少年はベッドの中でぼんやりと眺めた.
腕の中の少女は,少年に身を預けて安らかに眠っている.
「今の女の子は,平民の子だよ.」
祖父のコウスイによって初めて少女と引き合わされた後で,教えられた.
「驚いたかい? マイナーデ学院初の平民生徒だ.」
祖父はにっこりとほほえんだ.
「いろいろと大変な目にあってしまうだろう,君が助けになってあげなさい.」
幼い少年はとまどう.
助ける? ……自分が? あの自分よりも強そうで幸福そうな少女を?
老人は視線を,小さな孫の高さまで降ろした.
「君が,守ってあげるのだよ.」
その当時の少年には分からなかったが,最初からコウスイは少年と少女をくっつけようとしていたのだ.
いつから少女の幻獣に気づいていたのか.
入学したときからなのか,それとも最初からそのことを知って入学させたのかは分からない.
けれど少年は祖父の思惑どおりに恋に落ちてしまった.
そして今では好きになったきっかけなど,どうでもよいと思っている.
もうけっして離さない.
少女が王女ではありえないという証拠をでっち上げてでも,自分のものにする.
自分が王子ではないということはばらせない.
母が罪に問われてしまう.
ふしぎだ…….
少女の薄茶色の髪をすきながら,少年は思う.
陛下はなくなられたのに,俺は母さんを取られたような気分だ.
ライムが少女の部屋から自室へと戻ると,スーズがテーブルにつっぷして眠っていた.
少年の帰りを待っていたのだろう,ライムは青年の肩に毛布をかけようと寝室へと向かう.
「……殿下?」
とたんに背に呼びかけられる,少年は照れ隠しにむすっとした顔で振り返った.
「かぜ,ひくぞ.」
青年はまだ少し寝ぼけた顔で少年の顔を見つめ,おもむろに立ち上がる.
少しずつ頭を覚醒させながら,少年のもとへ行き,
「このパターンは想定していませんでしたよ.」
いきなり少年の頭をげんこつでなぐった.
「え?」
唐突な暴力に,金の髪の少年はとまどう.
深緑の瞳をぱちぱちとまたたきさせて,邪気のない子どものようだ.
「今のは,サリナの両親の代わりです.」
青年の言葉に,少年は顔を真っ赤にした.
「くれぐれも,娘をよろしくと頼まれたので.」
情けないほどに顔を赤くさせる少年に,青年のため息は長くなる.
まさか朝帰りされるとは,夢にも思わなかった.
「どうなさるおつもりですか?」
なんとか赤い顔をしずめようと無駄な努力をする少年に問いかける.
「イスカ兄貴には国王になってもらう,」
なぐられた頭をさすりつつ,少年は答えた.
「そしてサリナは王女ではないという証拠をそろえ,国王から正式にサリナを王室から外してもらう.」
金の髪の少年は懐から,銀の腕輪を取り出す.
「まずは,これからだ.」
深緑の瞳が,まっすぐに青年を見上げた…….




