6-4
「サリナは私の子どもを身ごもって,」
バチィン!
派手な音を立てて,
「け,けがわらしい!」
イリーナは,金の髪の少年のほおをぶった.
そしてそのまま,現実世界から逃げるように気を失って倒れる.
倒れた姉を支え,少年は視線を祖父の方へと移した.
「すぐに出発しなさい,ライム.」
祖父に姉を預けて,少年はうなずく.
「今の話を陛下にすれば,陛下みずからがサリナを探し出してくれるだろう.」
今の話が少年の作り話であることは分かっている,だが実際にライムではなくサリナに幻獣はついているのだ.
そして戦争に勝つためには,なんとしてでも幻獣の力が必要なのである.
「はい.」
すると老人は,少年の体をぎゅっと抱きしめた.
「必ず,サリナとともに無事に帰ってくるのだよ…….」
王都で少女を取り戻し,そして少年は戦場へと行くのだ.
老人にとっては二度目の戦争である.
前回は戦士として戦場で戦ったのだが,今回はたった一人の孫を戦場に送らなくてはならないとは!
「私も王都へ行くわよ,ライゼリート.」
リーリアの言葉に,老人と少年は驚いた視線を下方に向けた.
「万が一,あの男が私を盾に取られたからといって,国を売り渡すなんてことあってはならないのよ.」
染めた黒髪の少女の瞳に映る,なんとも形容しがたい光.
「駄目だ! 母さん,何を言っているんだ!?」
少年は叫んだ,せっかく取り戻したものが手のひらからすり抜けようとしている.
「あの男は私にとらわれているの.私のためならばきっと何でもするわ.」
少年は助けを求めるように,祖父の顔を見上げた.
しかし祖父は,つらそうに視線をそらすのみだ.
「ライゼリート,私たちはみずから望んでなったわけじゃないけど王族なのよ.」
母は少年をさとすように,言葉をつむぐ.
六歳の幼女の姿をしているのに,せりふは少年を責めるように厳しい.
「この国を守らなくてはならないの.」
金の髪の少年は,嫌だと首を振る.
少年の願いは幼いころからただひとつだけ,母とともに王宮から抜け出ることだけ.
「王子としての自覚を持ちなさい,あなたはもう成人の儀式を済ませてしまったのよ.」
「殿下,行きましょう.」
今まで黙って控えていたスーズが,少年を促す.
「学院長様,馬を三頭お借りしてもよろしいですか.」
三頭,三人分である.
「必ず戻ってまいります.」
青年の言葉に,少年は自身の運命を知った…….
「ん……,」
まぶたを刺す光に,少女はふっと意識を取り戻した.
目を開くと,心配そうな顔をした金の髪の少年がのぞきこんでいる.
「ライム……,」
すると少年は少女を,サリナを優しく抱き寄せた.
「サリナ…….」
少年の声は,かすかに震えていた.
見知らぬベッドの上で,少年と抱擁を交わしながら,
「ここ,どこ?」
少女は当然の質問を発した.
どこかの部屋の中のようだが,あきらかに少女の部屋ではない.
それどころか,学院の中だとも思えない.
広々とした間取りは貴族の邸宅のようだが,まったく少女には見覚えがなかった.
「私,……そうだ! イリーナ様が学院にやって来られて,」
朝の光の中で,少年は少女のほおにそっとキスを落とす.
「……ライム?」
かすかな違和感を覚えながら,少女は少年の顔を見返した.
「サリナ,俺と結婚してくれないか?」
思いつめたような少年のまなざしに,少女はにこっとほほえむ.
「何を言っているの,ライム.」
二回目のプロポーズは,強引な一回目と比べものにならないくらいに遠慮がちな言い方だった.
「私,もうお母さんとお父さんに手紙を出しちゃったよ.……ライムが好きだから,村には帰らないって.」
「そう,……なんだ.」
少年は複雑な笑みを浮かべる.
「ねぇ,イリーナ様はどうされたの? ここはどこなの?」
奇妙に反応の鈍い少年に,
「……ライム王子?」
少女は探るような視線をよこした.
「イリ,姉上はすぐに帰られたよ,サリナ.」
少年はベッドの脇机の上から,一枚の書類を取る
「事情があって,すぐに結婚の形式を整えないといけないのだけどいいかな?」
差し出された書類は,婚姻の誓約文であった.
「どんな事情なの,ライム王子.」
夫の欄も妻の欄も,空欄になっている.
「王都の方で,今,」
少年が言いわけを考えつつ,しゃべろうとすると,
「ユーリ,」
少女が少年の正体を見やぶった.
「ユーリでしょ,何をやっているの!?」
少女の視界の中で,少年の金の髪は黒へと,深い緑の瞳は淡い青へと変化する.
「な,何を……,」
少女に責められて,黒髪の少年はうろたえた.
マイナーデ学院の,サリナとライムの同級生.
いや,元同級生といった方が正しい.
部屋に忍びこんでサリナを襲い,放校処分を言い渡された貴族の少年である.
念入りに幻術魔法をかけたというのに,もう解けてしまったのか.
少年は自分の落ち度を懸命に探した.
「ライムなら,王子と呼ぶなって言うはずだもん!」
少女はユーリを押しのけて,ベッドから降りる.
「キ,キスだって,すっごい下手なんだから!」
「待てよ!」
そのまま部屋から出ようとする少女を,少年はベッドへと押し戻した.
「離して!」
「イリーナ様の命令なんだ!」
自分に乗りかかってくる少年を,少女はぎっとにらみつける.
「出でよ,炎の牙!」
子どもでも知っているような初等魔法,だがいきなり眼前に現れた炎に少年はびっくりして少女を離す.
「サリナ!」
あっという間に少女はベッドから滑り降り,部屋の扉へとたどり着く.
しかし,
「かぎが……!」
がちゃがちゃとドアノブを回しても,開かない.
「この部屋からは出さない.」
すぐ後ろに迫ってきた少年に,少女はびくっと震えた.
暗い声に,走って逃げるべき足がすくむ.
「永遠に,……ライム王子には会わせない.」
後ろからはがいじめされて,口もとを押さえつけられる.
「聖なる糸で編み上げられたつるよ,」
少年の唱える呪文に,少女は必死に逃れようともがいた.
口をふさがれては,魔法の呪文を唱えることができない.
「人の身のうちに潜む魔を沈めたまえ,……そはあらざる力!」
それは魔力を封じこめるための呪文,少女はぐったりと意識を失った…….




