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新浦島太郎  作者: ISM
第4章 海の底へ
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15/31

3 冬の入り口



 十一月も半ばを過ぎようとしていた。

 芽とは相変わらず、短いメッセージを交わす日々が続いていた。夜遅くに届くこともあれば、二日ほど返事のないこともあった。

 街路樹が少しずつ色づいていく間に、二人が最後に会ってから半月ほどが過ぎていた。

 日曜日の午後、新太郎は駅の改札を出たところで芽を見つけた。

 芽は柱のそばに立ち、通りを行き交う人たちを眺めていた。薄いベージュのコートに、紺色のマフラーを巻いている。

 新太郎が近づくと、芽はこちらに気づいて微笑んだ。

「こんにちは」

「こんにちは。待った?」

「いいえ。私も今来たところです」

「寒くない?」

「少し。でも、今日はいいお天気ですね」

 空は高く晴れていた。駅前の街路樹はところどころ黄色く色づき、歩道には乾いた落ち葉が散っていた。

「今日はどこへ行くんですか?」

「とりあえず、商店街の方を歩いてみようかと思って」

「いいですね」

「特に何かあるわけじゃないんだけど」

「何もなくても、いいじゃないですか」

 芽はそう言って笑った。

 新太郎も笑った。

 二人は並んで歩き始めた。

 駅から少し離れると、昔ながらの商店街があった。

 八百屋の店先には柿や蜜柑が並び、魚屋からは威勢のいい声が聞こえてきた。惣菜屋の前では、揚げたてのコロッケを買う人が列を作っていた。

「いい匂いですね」

 芽が言った。

「コロッケ?」

「はい。お昼、まだなんです」

「俺も。買って食べようか」

「いいんですか?」

「もちろん」

 二人は店先でコロッケを二つ買った。

 紙袋に入ったコロッケは熱く、持ち替えるたびに指先が温かくなった。

 少し先の小さな広場にベンチがあったので、そこに腰を下ろした。

「いただきます」

 芽は紙袋からコロッケを取り出し、小さくかじった。

「あつっ」

「大丈夫?」

「はい。思ったより熱くて」

 芽は笑いながら、少し息を吹きかけた。

 新太郎もひと口食べた。

 衣はさくさくしていて、中のじゃがいもはほくほくしていた。

「おいしいね」

「おいしいです。こういうの、久しぶりに食べました」

「コロッケ?」

「買い食いです」

「学生の頃はよくやった?」

「ええ。帰り道に友達と寄り道して。母には、夕飯が食べられなくなるって怒られましたけど」

「俺も似たようなもんだな」

「新太郎さんは、何を買ってたんですか?」

「肉まんとか、たこ焼きとか」

「ふふ。今とあまり変わらなそうですね」

「そうかもしれない」

 広場の端では、小さな子供が落ち葉を集めていた。

 両手いっぱいに抱えた葉を空に放り投げると、黄色い葉がひらひらと舞い落ちた。

 芽はその様子を見ていた。

「楽しそう」

「やってみる?」

「まさか」

 そう言いながらも、芽は少し笑っていた。

 新太郎は残りのコロッケを食べた。

 遠くで自転車のベルが鳴った。

 休日の商店街には、急ぐ人があまりいなかった。

 昼食は、商店街の外れにある小さな蕎麦屋で取った。

 新太郎は温かい天ぷら蕎麦を、芽はきつね蕎麦を注文した。

「最近、ちゃんと休めてる?」

 新太郎が尋ねた。

「少しずつですけど。先週よりは落ち着きました」

「よかった」

「ご心配をおかけしました」

「いや、心配っていうほどじゃないけど」

「でも、気にかけてくださってるのはわかります」

 芽は湯気の立つ丼を両手で包むように持った。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 新太郎は照れくさくなって、蕎麦をすすった。

 芽も箸を取った。

 しばらく二人は食事をした。

 窓の外を、買い物袋を下げた人たちが通り過ぎていった。

「そういえば」

 芽が顔を上げた。

「先日の写真、まだ持っていますか?」

「おじいちゃんの?」

「はい」

「持ってるよ。家に置いてあるけど」

「見てみたかったです」

「写真を撮っておけばよかったね」

「今度でいいですよ」

「うん。今度見せるよ」

 芽は嬉しそうに頷いた。

 食事を終えてから、二人は商店街の裏手にある公園へ向かった。

 大きな公園ではなかったが、中央に池があり、その周りを散歩道が囲んでいた。

 池には鴨が数羽浮かんでいた。

 水面には、周囲の木々が淡く映っていた。

「鴨って、寒くないのかな」

 新太郎が言った。

「どうなんでしょうね」

「水、冷たそうだけど」

「羽毛があるから、私たちよりは平気なのかもしれません」

「なるほど」

 二人は池の周りをゆっくり歩いた。

 時折、木の枝から葉が落ちてきた。

 芽は一枚の葉を拾い上げた。

 鮮やかな黄色の銀杏の葉だった。

「きれいですね」

「持って帰る?」

「どうしましょう」

 芽は葉を指先でくるりと回した。

「押し葉にしたら、色が残るでしょうか」

「残るんじゃない?」

「じゃあ、持って帰ろうかな」

 芽は葉を手帳の間に挟んだ。

「そういうの、昔よくやったな」

「私もです。押し花とか」

「ちゃんと残ってる?」

「どうでしょう。実家にあるかもしれません」

 芽は手帳を鞄にしまった。

「今度、探してみようかな」

「見つかったら見せてよ」

「はい」

 新太郎は何気なく言ったが、芽は少し嬉しそうに笑った。

 池の向こう側では、年配の夫婦が並んで歩いていた。

 夫の方が何かを話すと、妻が笑いながら肩を軽く叩いた。

 二人はそのまま、ゆっくりと歩いていった。

 公園を出る頃には、日が少し傾き始めていた。

「お茶でも飲もうか」

 新太郎が言うと、芽は頷いた。

 通りを一本入ったところに、古い喫茶店があった。

 木製の扉を開けると、小さなベルが鳴った。

 店内には低く音楽が流れていて、窓際の席に午後の光が差し込んでいた。

 二人は奥のテーブルに座った。

 新太郎はコーヒーを、芽は紅茶を注文した。

「こういうお店、好きです」

 芽が言った。

「落ち着くね」

「はい。時間がゆっくり流れているみたいで」

 窓の外では、通りを歩く人たちの影が長く伸びていた。

 芽はカップを両手で持ち、紅茶をひと口飲んだ。

「そういえば、新太郎さんのおじいさまって、どんな方だったんですか?」

「うーん。優しい人だったよ」

「よく遊んでもらったんですか?」

「遊んでもらったっていうより、一緒にいたって感じかな」

「一緒に?」

「うん。畑に行ったり、縁側でぼんやりしたり。何か特別なことをした記憶はあんまりないんだけど」

 芽は静かに聞いていた。

「でも、好きだったんだよね。あの家に行くのが」

「そうなんですね」

「今考えると、何がそんなに楽しかったのかわからないけど」

「きっと、居心地がよかったんでしょうね」

「そうかもしれない」

 新太郎はコーヒーを飲んだ。

「この前、母親と話してたら、風鈴があったかなかったかで意見が分かれてさ」

「メッセージでお話ししてくださったことですね」

「そう。あれから考えてみたんだけど、やっぱりあった気がするんだよな」

「ふふ」

「でも、だんだん本当にあったのか自信がなくなってきた」

「私も、子供の頃のことを姉と話すと、そんなことがあります」

「お姉さんとは仲いいの?」

「はい。最近はなかなか会えませんけど」

「そうなんだ」

「今度、久しぶりに連絡してみようかな」

 芽はそう言って、窓の外を見た。

 少し間があった。

「新太郎さん」

「ん?」

「今度、写真を見せてくださいね」

「もちろん」

「小さい頃の新太郎さん、どんな子だったんでしょう」

「今とあんまり変わらないと思うけど」

「そうですか?」

「たぶん」

「楽しみです」

 芽は微笑んだ。

 新太郎も笑った。

 窓から差し込む光が、テーブルの端を照らしていた。

 カップの中の紅茶は、琥珀色に透き通っていた。

 二人はしばらく、何も話さずに座っていた。

 新太郎は、その沈黙が心地よかった。

 芽も、急いで何かを話そうとはしなかった。

 店を出ると、街路樹の葉が足元を転がっていった。

 新太郎はコートのポケットに手を入れた。

「寒くなってきたね」

「そうですね」

 芽はマフラーを少し直した。

 二人は駅へ向かって歩き始めた。

 歩道には、夕方の長い影が伸びていた。

 信号待ちで立ち止まると、芽が小さく息を吐いた。

「今日は楽しかったです」

「俺も」

「久しぶりに、こんなふうにゆっくりできました」

「よかった」

 信号が青に変わった。

 二人は横断歩道を渡った。

 渡り終えたところで、芽の手が新太郎の手に軽く触れた。

 新太郎は少しだけ芽の方を見た。

 芽は前を向いたままだった。

 もう一度、指先が触れた。

 新太郎はそっと手を伸ばした。

 芽の手は冷たかった。

 けれど、握ると、すぐにその冷たさが気にならなくなった。

 芽は何も言わなかった。

 新太郎も何も言わなかった。

 二人はそのまま、駅までの道を歩いた。

 改札の前で立ち止まった。

「今日はありがとう」

 新太郎が言った。

「こちらこそ。ありがとうございました」

「また、どこか行こう」

「はい」

 芽は微笑んだ。

「今度は、もう少し早く予定が分かるといいんですけど」

「大丈夫。決まったら教えて」

「そうします」

 少し間があった。

 芽は新太郎の手をそっと離した。

「じゃあ、また」

「うん。またね」

 芽は改札を通り、何度か振り返りながらホームへ向かっていった。

 新太郎はその姿が見えなくなるまで立っていた。

 帰りの電車は、休日の夕方らしく、ほどよく混んでいた。

 新太郎は窓際に立ち、流れていく街の明かりを眺めていた。

 手のひらには、まだ芽の手の温かさが残っているような気がした。

 窓ガラスに、自分の顔が薄く映っていた。

 少し笑っているように見えた。

 新太郎は視線を外し、暗くなり始めた空を見た。

 遠くの建物の向こうに、夕暮れの色がわずかに残っていた。



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