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『異世界リペア工房 ~ハズレスキル「鑑定・修理」でガラクタも人生も直します~』  作者: 森


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第75話 失いたくないもの


「東西大話し合い大会です!」


星渡り大橋の中央塔で、リペがしゃもじを高々と掲げた。


「名前が軽い」


修が即座に却下する。


「では、第一回星渡り峡谷未来会議!」


「急に堅くなったな」


「中間が難しいです!」


バルドが吹き出した。西星町の橋守であるミレアも、思わず口元を緩める。


百年にわたって橋の完全修理を巡り対立してきた二つの町。その代表が、同じ場所で笑った。


ほんの一瞬。それだけのことだったが、修には悪い始まりには思えなかった。


星渡りの天秤には、二つの登録場所がある。


【東側登録媒体】


【その町が失いたくないものを一つ】


【西側登録媒体】


【その町が失いたくないものを一つ】


修は二人へ向き直った。


「これは俺が決めることじゃありません」


「町で決めろということか」


「はい。できれば町長や橋守だけじゃなくて、そこで暮らしている人たちで」


バルドは腕を組んだ。


「面倒だな」


「だと思います」


その横で、ミレアが天秤を見つめる。


「西は簡単よ。橋」


しかし、天秤は何の反応も示さなかった。


ミレアが眉を寄せる。


「……違う?」


「たぶん、橋そのものじゃないんだと思います」


「橋を失ったら、西星町は終わるのよ?」


「でも、それは『必要なもの』ですよね」


「同じじゃないの?」


「少し違う気がします」


修は自分でも考えながら答えた。


「橋は、何かを残すために必要なんじゃないでしょうか。だったら天秤が知りたいのは、その先にあるものなのかもしれません」


ミレアは黙った。


橋を残したい。


では、何のために橋を残したいのか。


町のためか。


暮らしのためか。


人のためか。


それとも、もっと別の何かなのか。


バルドが尋ねた。


「いつまでに決めればいい?」


修は中央塔に触れる。


【現状維持可能期間:推定16日】


「できるだけ早く。ただ、今日中に無理やり決める必要はないと思います」


「十六日しかないのにか?」


「急いではいます。でも、二百年以上残るかもしれない橋の答えを、一時間で決める方が怖いです」


バルドは少し考え、頷いた。


「確かにな。東へ戻って町の意見を集めよう」


「私も西へ戻る」


ミレアも続く。


「俺も手伝います」


そう言った修を、二人が同時に見た。


「どっちを?」


「両方です」


「無理だろ」


「橋を渡ればいいので」


バルドは呆れたように橋を見る。


「お前、あの橋を一日に何往復する気だ?」


ギィィ……。


ちょうど風に揺られた橋が、不気味な音を立てた。


修も橋を見る。


「……二往復くらいで」


リペが元気よく手を挙げた。


「私は一往復がいいです!」


「珍しくまともな意見だな」


「怖いので!」


「理由までまともだった」


まずは東星町へ戻った。


役場前の広場には、バルドの呼びかけで多くの住民が集まった。


商人、農家、工房の職人、宿屋、老人、若者、そして子どもたち。町の全員ではないが、それでも百人を超えている。


バルドは、これまでに分かったことを説明した。


水の再利用設備と雨水利用を進めれば、橋を完全修理して東への水量が五割に戻っても、今の暮らしをほぼ維持できる可能性がある。


西星町でも導水路の修理が始まっている。


そして最後に、星渡りの天秤が求めた問いを伝えた。


『東星町が失いたくないものを一つ』


広場がざわめく。


「水だろ!」


「仕事じゃないか?」


「工房だ!」


「家だろ!」


「町そのものじゃないのか!」


リペが修の袖を引いた。


「いっぱいあります」


「そりゃそうだ」


「一つって難しいですね」


「だから天秤なんだろうな」


一人の工房主が声を上げた。


「水だ。水がなきゃ何もできん」


すると農家が反論する。


「水は俺たちだって使う。だったら畑だろう」


「旅人が来なくなれば宿も商売にならん。街道とのつながりだって必要だ」


「それなら市場だって必要だ!」


どれも間違っていない。


だからこそ、まとまらない。


修は口を挟まず、しばらく住民たちの話を聞いていた。


やがて、一人の少年がおそるおそる手を挙げる。


「町長!」


「何だ?」


「失いたくないものって、物じゃないと駄目なの?」


広場が静かになった。


バルドが修を見る。


修も少し考える。


「天秤には『もの』としか書かれていません。形がある物じゃないと駄目とは書いてないですね」


「じゃあ俺、友達」


母親らしい女性が驚いた。


「友達?」


「だって、水がなくなったら町を出ていく人がいるんだろ?」


少年は当たり前のように言った。


「そしたら、みんなバラバラになるじゃん」


修は少年を見る。


水を失いたくない。


仕事を失いたくない。


家を失いたくない。


でも、その先には人がいる。


「ここで一緒に暮らしている人たち、か」


修が呟いた。


それをきっかけに、話の流れが少しずつ変わった。


「俺は工房そのものを残したいんじゃない。息子に継いでもらいたいんだ」


「私は宿を残したいけど、旅人が誰も来ない宿なら意味がないねえ」


「畑だって、食べる人がいるから作ってるんだ」


「俺はこの町の祭りが好きだな」


「市場の朝の騒がしさがなくなるのは嫌だ」


水や建物の話から、それを何のために残したいのかという話へ。


議論は少しずつ奥へ進んでいった。


一時間。


二時間。


それでも結論は出ない。


広場の隅を見ると、リペがしゃもじを持ったまま、うとうとしていた。


修が肩を叩く。


「寝てる?」


「考えてます」


「目閉じてたよ」


「心の目で考えていました!」


「便利だな、それ」


夕方近くになった頃、一人の老婆がぽつりと言った。


「昔、西に姉がいたんだけどね」


広場が静かになる。


「もう三十年も前に死んだけど」


老婆は遠くに見える橋へ目を向けた。


「子どもの頃は、橋なんて毎日渡ったもんさ。東も西も関係なかった。祭りも一緒だったし、向こうとこっちで結婚するのも普通だった」


修が尋ねる。


「いつから分かれていったんです?」


「さあねえ。橋が壊れてからだろうけど、ある日突然じゃないよ」


老婆は寂しそうに笑った。


少しずつ橋を渡らなくなった。


少しずつ商売が分かれた。


少しずつ相手を「向こう側」と呼ぶようになった。


「姉が死んだ時も、橋が渡れなくてね。葬式に間に合わなかった」


誰も何も言えなかった。


「だから私が失いたくないのは……道、かねえ」


「道?」


「行きたい時に、誰かのところへ行けることさ」


その言葉に、修は第三の遺産――帰港の鐘を思い出した。


道は、ただ移動するためにあるのではない。


誰かのところへ行くためにある。


そして、帰ってくるためにある。


その日は結論を出さず、東星町の話し合いは終わった。


だが最初とは明らかに違っていた。


水。


工房。


畑。


家。


そうした形のあるものだけではなく、その向こうにあるものを皆が考え始めていた。


夜。


修とリペは再び橋を渡り、西星町へ向かった。


「ご主人様。東の答え、何だと思います?」


「まだ分からない」


「またですか?」


「ああ。でも最初よりは近づいた気がする」


リペは指を折りながら考える。


「道? 友達? 工房? 水?」


「全部大事だな」


「全部じゃ駄目なんですか?」


「一つ選べって書いてあるからな」


リペはしばらく悩んだ後、腰のしゃもじを抜いた。


「私はこれです!」


「聞いてない」


「失いたくないものです!」


「もう少し悩んでくれ」


西星町でも、すでに多くの住民が集まっていた。


東より人数は少ない。


それでも、この町に残った多くの人が広場に集まり、ミレアの言葉を聞いている。


『西星町が失いたくないものを一つ』


やはり最初は「橋」という声が多かった。


「物流だ」


「仕事だろう」


「町そのものだ」


「家を失いたくない」


東とよく似ている。


だが、一人の若い女性が小さく手を挙げた。


「私……子どもが欲しい」


周囲が少し静かになる。


女性は恥ずかしそうに俯いたが、そのまま続けた。


「でも、この町で育てるのは怖い」


「どうしてです?」


修が尋ねる。


「何かあった時、お医者さんが来られないことがあるから」


修はミレアを見る。


「西には医者がいないんですか?」


「常駐はいない。東から週に二回来てもらってる」


「橋が渡れなければ?」


「来ない」


「急病は?」


「橋が通れるなら東へ運ぶ」


「通れなかったら?」


ミレアは答えなかった。


それが答えだった。


老人の一人が言った。


「だから若いのは出ていくんだ」


別の男も続ける。


「学校も小さい。教師も二人しかいない」


「商売だけの問題じゃない。この町じゃ、子どもを育てるのが不安なんだよ」


修は、西星町から人が減り続ける理由をまた一つ知った。


物資。


水。


仕事。


それだけではない。


この町では、少しずつ未来の選択肢そのものが減っている。


その時、杖をついた老人が立ち上がった。


「わしは、この町がなくなっても構わん」


ミレアが驚く。


「何言ってるの」


「最後まで聞け」


老人はゆっくりと周囲を見る。


「町なんぞ、人が住むためにある。町を残すために、人が苦労して住むもんじゃない」


修の頭に、第四の遺産で読んだアルドの言葉が蘇った。


『道具は、人を助けるためにある。』


『人が、道具を生かすために生きてはいけない。』


町も、同じなのかもしれない。


「若いのが東へ行って幸せに暮らせるなら、それでもいい。でもな」


老人は橋を見る。


「出ていくしかない町には、したくない」


修が顔を上げる。


「出ていくしかない町……」


「ああ。残るのも、出ていくのも選べる町ならいい。わしは残るけどな」


何人かが笑った。


ミレアは、その言葉を聞きながら黙っていた。


修が尋ねる。


「ミレアさんは?」


「私?」


「失いたくないものです」


以前、彼女は言った。


直った橋を見たい、と。


四代続く橋守の家系。


曾祖父も、祖父も、父も、完全に直った橋を見ることはできなかった。


「私は……選べること、かもしれない」


「選べること?」


「ここに残る。東へ行く。商売する。子どもを育てる。向こうの人と結婚する」


ミレアは橋を見た。


「橋が壊れてから、西は選べるものが少しずつ減った」


修は黙って聞く。


「だから私は、橋そのものが欲しいんじゃない」


ミレアは静かに笑った。


「橋の向こうへ行けることが欲しいんだ」


翌朝。


修は西星町の工房で、預かっていたミレアの金槌を修理していた。


【対象:橋守の金槌】


【損傷率:31%】


柄は交換しない。


亀裂を補強し、必要な部分だけ金具を入れる。


頭の錆も、使用に問題がある分だけ落とす。


何十年もの打痕は残した。


カン。


カン。


最後の補強金具を打ち込む。


【損傷率:0%】


修は金槌をミレアへ返した。


彼女は握り心地を確かめる。


「軽くなった」


「重さは変わってませんよ」


「そういう意味じゃない」


「分かってます」


二人は少し笑った。


その時、修の鞄の中でノア修理記録が淡く光った。


修が取り出すと、星渡り峡谷について記されたページに新しい文字が浮かんでいる。


『師匠。』


『俺は、この町で一つ間違えた。』


修とミレアが顔を近づける。


『橋を直す方法ばかり考えていた。』


そして次の文字。


『でも、橋は渡るためにある。』


修は息を止めた。


『直った橋を残すことと、渡れる道を残すことは同じじゃない。』


『人が行きたい場所へ行けること。』


『帰りたい場所へ帰れること。』


そして最後に。


『俺が直したかったのは、たぶん橋じゃなく、それだった。』


ミレアが小さく笑った。


「ノアって人、橋守だったの?」


「旅商人です」


「本当に?」


「一応」


横からリペが口を挟む。


「修理屋です!」


修は頷いた。


「そっちの方が正しいかもな」


その日の午後。


東星町から使者が来た。


バルドからの手紙は短かった。


『東星町の答えが決まった。』


修は顔を上げ、ミレアを見る。


「西は?」


ミレアも、後ろに集まった住民たちを見る。


そして頷いた。


「決まった」


夕方。


星渡り大橋の中央塔に、三人が再び集まった。


東星町代表、バルド。


西星町代表、ミレア。


そして修。


少し後ろにはリペがいる。


バルドは、小さな木製の札を取り出した。


「東星町の答えだ」


そこには一つの言葉が刻まれていた。


『往来』


「東が残したいのは、今の水量でも工房の数でもない」


バルドは橋の向こうにある町を見る。


「人が来て、人が出て、そしてまた帰ってこられる町であることだ」


東星町は街道と共に育った。


商人が来る。


旅人が泊まる。


町の者が外へ出る。


そして帰ってくる。


外とつながることで大きくなった町だった。


次に、ミレアも木製の札を取り出す。


『選択』


「西が残したいのは、全員がここに住み続けることじゃない」


ミレアは言った。


「ここに住むか、出るか、戻ってくるか。それを自分で選べること」


修は二つの札を見る。


往来。


選択。


違う言葉なのに、よく似ていた。


どちらも、人を一つの場所へ縛らないためのものだった。


バルドが東側の皿へ『往来』の札を置く。


カチッ。


続いて、ミレアが西側の皿へ『選択』の札を置いた。


カチッ。


星渡りの天秤が淡く光る。


大きく傾いていた二つの皿が、ゆっくりと動き始めた。


リペが息を呑む。


「戻ってます……」


少しずつ。


ゆっくりと。


そして。


カチン。


天秤は水平になった。


【東星町】


【失いたくないもの:往来】


【西星町】


【失いたくないもの:選択】


【現在計画:星渡り大橋完全修理】


【東星町水利用改善:確認】


【西星町導水路改善:確認】


【双方の喪失予測:許容範囲】


バルドが大きく息を吐いた。


ミレアも目を閉じる。


だが修だけは、まだ天秤を見つめていた。


「これで終わりじゃない」


リペが尋ねる。


「どうしてです?」


「天秤は正解を教える道具じゃないから」


アルドは、そう書いていた。


天秤が見せるのは、選んだ時に失うもの。


最後に選ぶのは人間だ。


それでも、ここまで調べた。


東星町は五割の水で暮らせる可能性を作った。


西星町も導水路を直し始めた。


橋が完全に直れば、人も物も再び行き来できる。


ようやく、二つの町が同じ未来を考えられるところまで来た。


その時だった。


ゴンッ!


中央塔が大きく揺れた。


「きゃっ!」


リペが反射的にしゃもじを握る。


「それで何する気だ!」


「分かりません!」


修はすぐ中央塔へ手を当てた。


【警告】


【主支柱亀裂進行】


【完全修理開始可能期限:残り7日】


「七日?」


修の表情が変わる。


バルドも表示を覗き込んだ。


「崩落までは十六日じゃなかったのか?」


「これは崩落までじゃない」


修は続きを見る。


【完全修理必要期間:推定12日】


全員が黙った。


完全に崩れるまでには、まだ時間がある。


だが修理を始められる期限は七日。


そして修理には十二日かかる。


バルドの顔から血の気が引く。


「間に合わないじゃないか」


ミレアも何も言えない。


修は橋の音に耳を澄ませた。


ギィ……。


ゴ……。


カン……。


傷みの音。


昨日よりも大きくなっている。


「ご主人様……」


リペが修を見る。


修は工具箱を下ろさなかった。


「十二日かかるなら、十二日を七日にする方法を探す」


バルドが修を見る。


「できるのか?」


「分かりません」


修はいつものように答えた。


だが、そこで東星町を見る。


次に西星町を見る。


そして橋を見る。


「でも、俺一人で直すとは、どこにも書いてないですよね」


ミレアが目を見開いた。


東には、大工がいる。


鍛冶屋がいる。


配管職人がいる。


工房の職人たちがいる。


西には、代々この橋を守ってきた橋守がいる。


石工がいる。


水路を直せる人間がいる。


百年間。


東と西はそれぞれ別々に、この橋を修理してきた。


なら。


今度は一緒に直せばいい。


修はフロストベルで学んだことを思い出した。


一人のすごい職人だけが直せるものを残しても、それはいつかまた壊れる。


人に伝える。


皆で直せるようにする。


それも修理だった。


修は天秤から手を離した。


「百年ぶりに、東と西で一緒に直しましょう」


リペが勢いよくしゃもじを掲げる。


「星渡り大橋、大修理大会です!」


修は一瞬だけ考えた。


「……今回は、その名前でいいか」


「採用されました!」


「たぶん最初で最後だけどな」


バルドが笑った。


ミレアも笑った。


百年間。


直すか。


直さないか。


その二つの答えによって分かれていた町。


けれど今。


東と西は初めて、同じ橋を同じ目的で直そうとしている。


完全修理開始まで、残り七日。


必要な修理期間、十二日。


足りないのは五日。


なら。


次に直すべきものは、時間だった。

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