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『異世界リペア工房 ~ハズレスキル「鑑定・修理」でガラクタも人生も直します~』  作者: 森


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第72話 壊れ続ける橋


村を出て、三日目。


道は少しずつ険しくなっていた。木々は減り、代わりに岩肌が増えていく。吹きつける風も、昨日までより明らかに強い。


そして遠く、山と山の間に深い谷が見えた。


その上を、一本の細い線が横切っている。


リペが目を細めた。


「ご主人様。あれ、橋ですか?」


修も足を止める。


「……たぶんな」


「長いです!」


「長いな」


「落ちたら?」


「死ぬ」


「嫌です!」


「俺も嫌だよ」


リペは腰の木製しゃもじを握り締めた。


「これで飛べませんか?」


「どうやって?」


「風を受けて!」


「羽じゃないんだよ」


そこが、星渡り峡谷だった。


地図ではただの細い線でしかなかった場所だが、実物は圧倒的だった。


両側には高い岩山。中央には底の見えない谷。谷底には白い霧が雲のように溜まり、その上を巨大な橋が渡っている。


吊り橋――と呼ぶには大きすぎる。


石、木、金属。いくつもの素材を組み合わせた巨大構造物だった。谷の両側だけでなく、途中にも何本か塔のような橋脚が立っている。


全長は、おそらく一キロ以上。


そして橋の中央付近が、大きく傾いていた。


修は遠くから鑑定する。


【対象:星渡り大橋】


【全長:1,284メートル】


【建造年:約231年前】


【設計者:アルド】


【損傷率:47%】


【現在状態:部分通行可能】


【崩落進行中】


【推定完全崩落まで:不明】


さらに表示が続く。


【損傷開始:約102年前】


「百年……」


リペが設計図に書かれていた言葉を思い出したように呟く。


「本当に、百年ずっと壊れてるんですね」


「ああ」


修は橋を見つめた。


百年。


普通なら、とっくに崩れていてもおかしくない。


なのに、損傷率四十七パーセントの橋が、今も通行可能な状態で残っている。


「変だな」


「何がです?」


「こんなに壊れてるのに、まだ通れる」


リペが首を傾げる。


「頑丈なんです!」


「それだけかな……」


峡谷の手前側には町があった。


石造りの低い建物が並び、風除けのためか屋根も低い。町の入口には一枚の看板。


『東星町』


その下に大きく、


『旅人歓迎』


さらに、後から書き加えたらしい文字で、


『橋を渡る方は役場へ』


修とリペは顔を見合わせた。


「嫌な感じしますね」


「そうだな」


東星町には多くの人がいた。


荷車、商人、宿、倉庫。峡谷越しの交易はまだ完全には途絶えていないらしい。


だが、橋へ続く大通りの人の流れが妙だった。


橋へ向かう人より、戻ってくる人の方が多い。


リペが小声で数える。


「一、二、三、四……みんな帰ってきます」


「今日は渡れないのか?」


近くで荷車の荷紐を結び直していた男に、修が声をかけた。


「すみません。橋、今は渡れないんですか?」


男は橋を見ながら答えた。


「今日は無理だ。東風の日は渡れない」


「風でですか?」


「ああ。橋の中央が少しずつ動くんだ。西へ傾く日もあれば、東へ傾く日もある。橋の機嫌を見ながら渡るのさ」


リペが目を丸くした。


「生きてます!」


「生きてはないと思うけどな」


男は苦笑する。


「似たようなもんだ。この辺じゃ昔からそうだ」


修はさらに尋ねた。


「直そうとはしなかったんですか?」


その瞬間、男の表情が少し固くなった。


「その話は役場でした方がいい」


それだけ言うと、男は荷車を押して去っていった。


役場で王国公認修理師章を見せると、すぐに奥から一人の男が呼ばれた。


六十代ほどの大柄な男性。短い白髪に、分厚い上着。


「私は東星町長のバルドだ」


「修です。こっちは助手のリペ」


「助手です!」


リペが元気よく木製しゃもじを掲げる。


バルドは一瞬、それを見た。


「……料理人でも?」


「違います」


「第六の遺産候補です!」


「もっと違います」


応接室の机には、大きな橋の模型が置かれていた。


バルドは修の修理師章を見ながら尋ねる。


「誰から橋の話を聞いた?」


修は少し考えた。


「アルドの記録からです」


バルドの動きが止まった。


「……アルド」


「知ってるんですか?」


「知っている。この橋を造った男だ」


修は頷く。


「第六の遺産、星渡りの天秤が橋の中央にあることも分かっています」


バルドは深く息を吐いた。


「そこまで知っているのか」


リペが小声で言う。


「知ってる人です」


「そうみたいだな」


バルドは壁に掛けられた地図を広げた。


星渡り峡谷。


東星町。


そして、橋の反対側にはもう一つの町がある。


『西星町』


「この峡谷には二つ町がある。昔は一つの町だった」


「一つ?」


「ああ。星渡り村という小さな村だった。アルドが橋を造ってから交易が増え、人も増え、やがて東西に町が広がった」


リペが橋の模型を見る。


「大切な橋ですね」


バルドは苦い顔をした。


「昔はな」


修が反応する。


「昔は?」


「今の東星町は王国街道につながっている。鉄道馬車も来る。商人も来る。食料も水も、今では東側だけで何とかなる」


バルドは今度は西側を指した。


「だが西星町は違う。山に囲まれて大きな街道がない。今も物資の六割以上を、この橋に頼っている」


「なら橋を直せば、西星町が助かる」


修が言うと、バルドはすぐには答えなかった。


「そうだ。だが、それだけなら百年も揉めていない」


地図を見ると、峡谷の下から細い青線が東星町へ延びている。


修が指差す。


「これは?」


「水路だ。昔、峡谷の地下水は東西の町へ半分ずつ流れていた。橋の基礎が、その水路の調整装置も兼ねていたんだ」


「橋が水路まで?」


「ああ。そして橋が壊れ始めたことで、水の流れも変わった」


バルドは東側を指した。


「今では水の七割が東へ流れている」


リペが聞く。


「西は三割?」


「そうだ。ぎりぎり生活できる程度にな」


修は嫌な予感を覚えた。


「橋を完全に直すと?」


バルドが修を見る。


「水路も元へ戻る。東西半分ずつだ」


「それなら公平じゃないですか?」


「昔ならな」


バルドは窓の外に広がる東星町を見る。


「今の東星町は、昔の三倍の人口がいる。水を半分に戻せば足りなくなる。農地も、工房も、宿も、今の水量を前提に百年かけて増えてきた」


リペが静かに整理する。


「橋を直すと、西は物が来るようになる。でも東は水が足りなくなる」


「そうだ」


「直さないと?」


「東は今の暮らしを続けられる。だが西は少しずつ衰える」


修の頭に、完全設計図の言葉が蘇った。


『直せば、片側の町が救われる。』


『直さなければ、反対側の町が救われる。』


ようやく、その意味が見え始めた。


リペが言った。


「水路だけ直さないとか、橋だけ直すとかはできないんですか?」


バルドは首を横に振る。


「百年間、皆が考えた。だが分離できない。橋の中央基礎そのものが水路調整機構なんだ」


「新しい水路を作る!」


「それも試した。峡谷の岩盤が硬すぎる。莫大な費用がかかる」


修も続けて考える。


「井戸は?」


「東は出る。西はほとんど出ない」


「雨水は?」


「乾季が長い」


「水を運ぶ?」


「毎日必要な量を運ぶとなれば、現実的ではない」


簡単な答えは、すでに百年の間に試され尽くしているらしい。


バルドは机の引き出しから、古い帳面を取り出した。


「これは橋守の記録だ」


修が開く。


『東側主索補強』


『西側床板交換』


『中央支柱は触らず』


『基礎調整機構は修理禁止』


『橋面傾斜九度を維持』


『水量比 東七・西三を確認』


同じような記録が、何十年にも渡って続いている。


修はゆっくりと帳面を閉じた。


「完全に直さないように、修理し続けたんですね」


「ああ」


「百年間?」


「そうだ」


リペが驚く。


「壊れた状態を維持するための修理……」


修は小さく頷いた。


「そういう修理もある」


完全に戻してしまえば、水路も昔の状態へ戻る。


だから必要な部分だけを直し、橋をあえて不完全なまま使い続ける。


百年。


それもまた、この二つの町が選んだ答えだった。


だが、バルドの表情は暗い。


「そのやり方が、もう限界なんだ」


「なぜ?」


「今年、中央塔の主支柱に新しい亀裂が入った。今までとは違う。応急修理では止められない」


修はすぐに立ち上がった。


「見せてください」


バルドも頷く。


「そのために、君をここまで通した」


午後。


星渡り大橋の入口には、


『本日通行禁止』


と書かれた立札が置かれていた。


橋守が二人。


バルド。


修。


リペ。


四人で橋へ入る。


ギィィ……。


足元の板が揺れる。


リペが修の服を掴んだ。


「怖いです」


「俺も」


「しゃもじ落としたらどうしましょう」


「命の心配を先にして」


「命も大事です!」


「同率にするな」


一歩ずつ進む。


谷底は霧で見えない。


ゴォォォ……。


風が吹くたび、巨大な橋がわずかに揺れる。


リペがしゃがみ込んだ。


「ご主人様。飛ばされたら助けてください」


「できるだけな」


「絶対です!」


「お前、俺より重いだろ」


「心は軽いです!」


「今いらない情報だな」


中央へ近づくにつれ、橋の傾きがはっきり分かる。


金属が軋む。


ギィ……。


カン。


キィ。


あちこちから小さな音が聞こえる。


第一の音。


傷みの音。


修は一つ一つを聞き分けながら歩いた。


そして中央塔へ近づいた瞬間、足を止める。


ゴ……。


……ゴ。


低い、不規則な音。


リペも気づいた。


「これ、何です?」


修が塔に手を当てる。


【対象:星渡り大橋・中央塔】


【損傷率:68%】


【主支柱:重大亀裂】


【中央基礎:変位進行】


【水路調整機構:連動】


【応急修理限界超過】


さらに表示。


【現状維持可能期間:推定22日】


「……二十二日」


バルドの顔が強張った。


「そんなに短いのか」


修は続きを読む。


【二十二日以内に以下のいずれかを選択してください】


【一:完全修理】


【橋梁機能:回復】


【水路:東西均等化】


【予測影響:東星町 水不足】


【二:修理放棄】


【中央部崩落】


【橋梁機能:喪失】


【水路:東側固定】


【予測影響:西星町 物流断絶】


【三:現状維持】


【不可能】


リペが小さく呟く。


「三つ目が……ない」


「ああ」


百年間、誰かが選び続けてきた第三の道。


直し切らず。


壊し切らず。


両方をぎりぎり生かす。


その選択肢が、ついに消えた。


その時、中央塔の内部が淡く光った。


アルドの紋章。


塔の側面に、古い扉が浮かび上がる。


【対象:第六遺産保管室】


【状態:封鎖】


【解錠条件】


【東西双方の代表者】


【修理判断者】


【三者の同意】


リペが読んだ。


「東と西と、ご主人様。三人?」


「ああ」


バルドが苦い顔をする。


「東だけでは開かないということか」


「西へ行く必要がありますね」


だが今日は橋が通行禁止だ。


バルドが空を見た。


「夕方には風向きが変わる。運が良ければ一時間ほど通れる」


修は中央塔から手を離した。


「西星町は、完全修理に賛成なんですか?」


「ほぼ全員がな」


「東は?」


「ほぼ全員が反対だ」


リペが呟く。


「真逆です」


「ああ」


修は遠く、橋の向こう側に見える西星町を見た。


「なら、西でも話を聞きます」


バルドが修を見る。


「東の話を聞いた後で行けば、向こうは君を東側の人間だと思うかもしれんぞ」


「それでも行きます」


修は即答した。


「両方の話を聞かなきゃ、修理できません」


夕方まで、東星町の宿で風向きが変わるのを待った。


リペは食堂でスープを飲んでいる。


もちろん、しゃもじで。


修はしばらくそれを見ていた。


「……」


「何です?」


「もう何も言わない」


「便利ですよ!」


「匙あるだろ」


「第六の遺産候補を日常使いしてるんです!」


「普通のしゃもじだからな」


リペはスープを飲みながら、少し真面目な声で聞いた。


「ご主人様。東と西、どっちが悪いんです?」


修は少し考えた。


東には今、たくさんの人が暮らしている。


水が減れば、今の生活が崩れる。


西は橋がなくなれば物資が途絶え、町そのものが続かない。


「どっちも悪くない」


「じゃあ、どっちが正しいです?」


修は首を横に振った。


「それも分からない」


「困りました」


「ああ」


「殴って解決できません」


「いつも殴ってないだろ」


「橋は殴れます!」


「壊れるからやめて」


窓の外。


風見が回った。


東から南。


そして西へ。


宿の主人が声を上げる。


「橋が開くぞ!」


修は立ち上がった。


「行こう」


「はい!」


リペはスープを飲み干し、しゃもじを腰に差した。


夕暮れ。


風が弱まった橋を数人の旅人が急いで渡っていく。


修とリペも橋へ入った。


中央塔。


第六遺産の扉。


まだ開かない。


東の代表。


西の代表。


そして修理判断者。


三者が必要。


リペが扉に小さく言った。


「待っててください」


修が見る。


「誰に言ってる?」


「天秤です!」


「聞こえるの?」


「気持ちです!」


「便利だな、それ」


橋の中央を越える。


西側へ近づくにつれ、景色が変わった。


夕日に照らされた西星町。


東とは違い、静かだった。


建物は少ない。


閉まった店。


空き家。


人通りも少なく、子どもの姿もほとんど見えない。


それでも橋の出口には、多くの人が集まっていた。


修たちを見つけた誰かが叫ぶ。


「来たぞ!」


「東からだ!」


「修理屋だ!」


「王国公認の修理師だ!」


修は思わず足を止める。


「なんで知ってるんだ?」


リペが胸を張る。


「有名人です!」


「そういう問題かな」


人々の間から、一人の女性が出てきた。


三十代ほど。


短い黒髪。


作業着。


腰には工具。


腕には細かな傷と油汚れ。


明らかに職人の手だった。


女性は修を真っ直ぐ見る。


「あなたが修?」


「はい」


「私は西星町の橋守、ミレア」


ミレアは自分の傷だらけの手を握り締めた。


「百年、この町は橋を直してくれる人を待ってた」


周囲の人々の視線が、一斉に修へ集まる。


期待。


強い。


そして重い。


「お願い」


ミレアが頭を下げた。


「橋を完全に直して」


修は、すぐには答えなかった。


東では、


直さないでくれ。


西では、


直してくれ。


同じ橋。


同じ修理。


なのに願いは正反対だった。


その時、鞄の中の完全設計図が淡く光った。


第六の遺産。


星渡りの天秤。


新しい文字が浮かぶ。


『天秤は』


『二つの正しさを量るためにある。』


そして、


『悪と善なら、選ぶのは簡単だ。』


最後に。


『正しいものと、正しいものの間で』


『それでも職人は』


『手を動かさなければならない。』


修は橋を振り返った。


夕日の中。


百年間、壊れ続けている橋。


完全に直せば、一つの町が困る。


直さなければ、もう一つの町が終わる。


そして残された時間は、二十二日。


隣でリペが小さく聞いた。


「ご主人様」


「ん?」


リペは橋を見ながら言った。


「どこが痛い?」


修は少し驚いて、リペを見る。


いつも自分が、壊れた物へ問いかける言葉。


今度はリペが、それを橋へ向けた。


修は東星町を見る。


西星町を見る。


橋を見る。


そして谷の底にある、目に見えない水の流れを思う。


「……分からない」


今はまだ。


どこが一番痛いのか、分からない。


だから、まず聞く。


西星町の話を。


この橋が百年間抱えてきた、もう半分の傷みを。


第六の遺産。


星渡りの天秤。


その修理は、まだ始まったばかりだった。

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