第62話 音のない森
翌朝。
渡り鳥亭。
「ご主人様!」
「起きてください!」
「起きてるよ」
「朝です!」
「見れば分かる」
「第五の遺産です!」
「まだ宿だよ」
リペは。
すでに旅支度を終えていた。
背中には荷物。
腰には。
なぜか。
木製しゃもじ。
修が見る。
「それ」
「持っていくの?」
「はい!」
「昨日、普通のしゃもじって分かったよね?」
「森で料理をするかもしれません!」
「まあ」
「それならいいか」
リペが胸を張る。
「第六の遺産です!」
「戻った」
宿の主人が。
パンと。
温かいスープを運んでくる。
「本当に行くのか?」
「はい」
修が答える。
「森の様子だけでも」
「見てきます」
主人は。
少し心配そうに。
西を見る。
「気をつけろよ」
「音が消えてから」
「猟師も近づかなくなった」
「魔物が増えたんですか?」
「いや」
主人は首を振る。
「逆だ」
「逆?」
「動物まで」
「森から出てきてる」
修が眉を寄せる。
「逃げてる?」
「そう見える」
主人が言う。
「鹿も」
「鳥も」
「昨日は」
「森ネズミまで村に来た」
リペが。
目を輝かせる。
「ネズミ!」
「食べないでね」
「食べません!」
「じゃあ何で嬉しそうなの」
「友達になれます!」
「そっちか」
主人は苦笑する。
「とにかく」
「何かあったら」
「すぐ戻れ」
修は頷く。
「分かりました」
朝食後。
荷車を。
宿へ預けることにした。
森の中では。
邪魔になる。
持っていくのは。
工具。
食料。
ノア修理記録。
古い鍵。
共鳴軸。
そして。
「しゃもじ」
「はい!」
「……まあいい」
修は。
工房から持ってきた。
小さな鞄を背負う。
宿の主人が。
二人を見送る。
「戻ったら」
「看板の傷」
「もう一本増やしていいぞ」
修が笑う。
「帰ってきた記念ですか?」
「ああ」
「じゃあ」
「増やしに戻ってきます」
リペも手を挙げる。
「私は十本!」
「一本にしろ!」
「存在感です!」
「昨日十分残しただろ!」
笑い声。
そして。
修とリペは。
西へ歩き始めた。
二時間ほど。
道を進む。
やがて。
見えてきた。
森。
大きい。
想像していたより。
ずっと。
深い森。
高い木々が。
山の裾野まで続いている。
そして。
風。
サァァァ……。
草が揺れる。
修の髪も揺れる。
でも。
「……」
リペが。
足を止める。
「静かですね」
「ああ」
確かに。
静か。
風は。
吹いている。
葉も。
揺れている。
枝も。
動いている。
なのに。
不思議なほど。
音が少ない。
普通なら。
ザワザワ。
カサカサ。
木々の音がする。
でも。
聞こえるのは。
森の外。
自分たちの足音。
そして。
風そのものの音だけ。
「変だな」
修が呟く。
リペが。
森の入口へ近づく。
一歩。
入る。
「……」
もう一歩。
「……」
修も入る。
その瞬間。
違和感。
「……?」
修が振り返る。
森の外。
風景は見える。
でも。
宿のある村の方から。
何も聞こえない。
鳥。
虫。
遠くの人。
全部。
消えた。
「ご主人様」
リペが。
少し小さな声になる。
「はい」
「声は聞こえる?」
「聞こえます!」
「よかった」
「もっと大きな声を出しましょうか!?」
「必要ない」
「分かりました!」
一瞬。
静かになる。
リペが。
口を開く。
「ラ――」
「歌わなくていい」
「まだ何も言ってません!」
「分かるよ」
森の中。
道らしい道はない。
ただ。
ノア修理記録の地図には。
一本。
古い道が描かれている。
修は。
周囲を見る。
「たぶん」
「こっち」
地面。
苔。
落ち葉。
よく見ると。
石が。
一定間隔で並んでいる。
昔の。
街道跡。
「ここだ」
二人は。
石を追って進む。
十数分。
リペが。
急に立ち止まった。
「ご主人様」
「どうした?」
「あれ」
指差す。
木の根元。
小さな。
白いもの。
「骨?」
修が近づく。
違う。
小さな。
木製の板。
土に半分埋まっている。
掘り出す。
文字。
『音の森へようこそ』
その下。
『耳を澄ませて歩いてください』
リペが。
耳の辺りへ手を当てる。
「澄ませました!」
「どう?」
「何も聞こえません!」
「そうだよな」
修は。
看板に触れる。
【対象:案内板】
【損傷率:71%】
【経年劣化】
【修理可能】
「……」
リペが言う。
「直しますか?」
修は。
少し考える。
「今は」
「場所だけ覚えておこう」
「帰りに?」
「ああ」
「目的を見失わないようにしないとな」
「成長です!」
「また言う」
「ご主人様は最近よく成長します!」
「俺、何歳だと思われてるんだ」
さらに。
森の奥へ。
進む。
不思議なことに。
魔物どころか。
動物がいない。
鳥も。
いない。
虫すら。
ほとんど見ない。
「本当に」
「逃げたみたいだな」
修が呟く。
リペが。
木を見る。
「木も逃げますか?」
「木は無理だろ」
「かわいそうです」
「……」
修も。
木々を見る。
確かに。
そう考えると。
妙な気分になる。
動ける生き物は。
森を出た。
動けない木だけが。
残っている。
修は。
近くの木へ触れた。
「鑑定」
【対象:音響樹】
「音響樹?」
初めて見る名前。
【樹齢:約143年】
【損傷率:4%】
【健康状態:良好】
「壊れてない」
さらに。
【音響機能:停止中】
「……」
リペが覗く。
「音響機能?」
「この木」
「音を出すみたいだ」
「木が歌うんですか!?」
「たぶん」
修は。
詳細を見る。
【音響機能停止理由】
【外部同期信号なし】
「外部?」
修が。
周囲を見る。
木そのものは。
壊れていない。
音を鳴らすための。
何かが。
止まっている。
「記憶樹のオルゴールか」
「それが」
「森全部に合図を出してる?」
「可能性はある」
リペが。
木を撫でる。
「じゃあ」
「オルゴールを直せば」
「森がまた歌います!」
「……」
修は答えなかった。
ノアの言葉。
『この森では』
『音を聞け。』
『ただし』
『鳴っている音だけを聞くな。』
『鳴らなくなった音にも』
『理由がある。』
氷時計。
あの時も。
直せば動いた。
でも。
直してはいけなかった。
「まず」
「理由を調べよう」
「はい!」
リペが。
少し考える。
「ご主人様」
「なんだ?」
「最近」
「直さない修理が増えましたね」
修は。
少し笑った。
「そうだな」
「修理屋なのに?」
「ああ」
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「仕事なくなりません?」
「そこ心配してたの?」
「経営です!」
「ジークに毒されてるな……」
さらに。
一時間。
森は。
深くなる。
木々も。
大きくなる。
そして。
古い街道沿いに。
妙な物が増えてきた。
木に吊るされた。
小さな金属筒。
穴の空いた石。
風車のような木片。
鐘。
笛。
全部。
森の風を使って。
音を鳴らすための装置に見える。
でも。
どれも。
鳴っていない。
修が。
一つ調べる。
【対象:風鈴管】
【損傷率:7%】
【動作可能】
次。
【対象:共鳴石】
【損傷率:0%】
【動作可能】
次。
【対象:枝笛】
【損傷率:11%】
【動作可能】
「全部」
「ほとんど壊れてない」
リペが。
腕を組む。
「なのに」
「鳴りません」
「ああ」
「不思議です」
「不思議だな」
リペが。
突然。
風鈴管を掴む。
「では!」
「手動で!」
「待て」
カラン!
音。
森の中に。
響いた。
その瞬間。
ブワッ。
「うわっ!」
強い風。
木々が。
一斉に揺れる。
そして。
カラン。
カラン。
カラン。
遠く。
別の場所から。
同じ音。
「……」
修とリペが。
固まる。
リペが。
小さな声で言う。
「返事しました」
「ああ」
カラン。
さらに。
遠く。
カラン。
別方向。
カラン。
カラン。
森の奥へ。
音が。
つながっていく。
まるで。
誰かが。
道を教えるように。
「追うぞ」
「はい!」
二人は。
音の方向へ進む。
森の奥。
少しずつ。
木々が変わる。
幹が太い。
枝が高い。
そして。
地面には。
古い。
石畳。
「集落……?」
修が呟く。
苔に覆われた。
家の跡。
石の壁。
井戸。
壊れた柵。
昔。
ここには。
確かに。
人が住んでいた。
でも。
今は。
誰もいない。
リペが。
小さな家の跡を見る。
「みんな」
「どこへ行ったんでしょう?」
「分からない」
修は。
ノア修理記録を開く。
地図。
この場所。
小さく。
丸印。
その横。
『ミュゼ村』
「村の名前がある」
「ミュゼ村?」
「ああ」
リペが。
周囲を見る。
「誰もいません」
「かなり前に」
「なくなった村なのかもな」
その時。
カラン。
音。
集落の奥。
修が顔を上げる。
一本。
道。
その先。
巨大な。
影。
「……」
リペも見る。
「ご主人様」
「ああ」
二人は。
ゆっくり歩く。
そして。
森が。
開けた。
そこに。
一本の木。
大きい。
巨大。
今まで見た。
どんな木より。
幹だけで。
家が何軒も入りそうな太さ。
枝は。
空を覆い。
葉は。
銀色に近い。
そして。
幹の中心。
人工物。
大きな。
木製の扉。
歯車。
金属管。
無数の。
細い弦。
木と。
機械が。
一つになっている。
修は。
息を呑む。
「これが……」
リペが。
呟く。
「記憶樹……」
修は。
近づく。
手を。
幹へ置く。
【対象:記憶樹】
【樹齢:測定不能】
【生体状態:正常】
次。
【対象:記憶樹のオルゴール】
【第五の遺産】
「……見つけた」
ついに。
表示された。
第五の遺産。
だが。
続く表示を見て。
修の表情が。
変わる。
【損傷率:0%】
「また……」
リペが言う。
「壊れてません」
「ああ」
そして。
【演奏機能:正常】
【記憶保存機能:正常】
【森内音響同期機能:正常】
全部。
正常。
「じゃあ」
リペが尋ねる。
「どうして」
「鳴らないんです?」
修は。
次の表示を見る。
【現在状態】
【演奏停止】
【停止理由】
一瞬。
文字が。
揺れる。
【再生すべき記憶が存在しません】
「……え?」
修が。
思わず声を漏らす。
壊れていない。
でも。
鳴らすものがない。
さらに。
表示。
【保存記憶数:0】
「ゼロ……?」
修は。
記憶樹を見上げる。
何百年。
もしかすると。
それ以上。
この森で。
音を鳴らしてきた。
巨大なオルゴール。
なのに。
記憶が。
一つもない。
リペが。
小さな声で言う。
「全部」
「忘れちゃったんですか?」
その言葉に。
修は。
ノア修理記録を開く。
ページ。
地図。
そして。
今まで。
読めなかった。
薄い文字。
記憶樹の近くへ来たことで。
淡く。
浮かび上がる。
『第五の遺産を見つけた職人へ。』
修が読む。
『もし』
『この森から音が消えているなら。』
次。
『オルゴールを直すな。』
やっぱり。
その言葉。
修は。
苦笑する。
「アルドもノアも」
「本当に」
「簡単に直させてくれないな」
リペが。
続きを指差す。
「ご主人様」
「まだあります」
修が読む。
『壊れたのは』
『オルゴールではない。』
次の一文。
『この森を知る人が』
『いなくなったのだ。』
「……」
風。
銀色の葉が。
揺れる。
でも。
音はしない。
かつて。
ここに。
村があった。
人がいた。
笑った。
働いた。
暮らした。
その音を。
この木は。
覚えていた。
でも。
今は。
誰もいない。
そして。
記憶も。
消えた。
修は。
巨大な木へ。
そっと触れる。
「どこが痛い?」
表示は。
変わらない。
【損傷率:0%】
壊れていない。
なのに。
こんなにも。
寂しく見える。
その時。
背後。
「誰だ」
声。
修とリペが。
振り返る。
集落跡。
一本の杖を持った。
老人が。
立っていた。
白い髪。
長い外套。
そして。
胸には。
古い。
木製の笛。
老人は。
修たちを見る。
そして。
記憶樹を見る。
「……まさか」
老人の顔が。
震える。
「また」
「鳴らそうというのか」
修が尋ねる。
「あなたは?」
老人は。
しばらく。
答えなかった。
やがて。
静かに。
言った。
「ミュゼ村の」
「最後の住人だ」
修の目が。
大きくなる。
老人は。
記憶樹を見上げる。
その目には。
懐かしさではなく。
悲しみがあった。
「頼む」
老人は言った。
「そのオルゴールを」
「直さないでくれ」
第五の遺産。
記憶樹のオルゴール。
壊れていない遺産を前に。
修は。
また。
「直さないでほしい」と。
頼まれた。




