第57話 開かない工具箱
マーサの家。
物置の一番奥。
埃をかぶった古い工具箱。
修は。
その前にしゃがみ込んでいた。
【対象:職人工具箱】
【損傷率:12%】
【所有者:ノア】
【所属:アルド工房】
【内部に未登録遺産反応あり】
「……」
修は表示を見つめる。
リペが横から覗き込む。
「ご主人様」
「なんだ?」
「開けましょう!」
「待って」
「なぜです!?」
「人の物だから」
修はマーサを見る。
「開けても大丈夫ですか?」
「ええ」
マーサは頷く。
「むしろ」
「お願いしたいくらいです」
「母も私も」
「何度も開けようとしたんですけど」
ジークが工具箱を見る。
「鍵が壊れてるのか?」
「たぶん」
修は鍵部分に触れる。
【施錠機構】
【損傷率:0%】
「……壊れてない」
「え?」
マーサが驚く。
修はもう一度確認する。
【施錠機構:正常】
【開錠条件未達成】
「鍵じゃない」
ジークが首をかしげる。
「じゃあ何だ?」
「開ける条件があるみたいです」
リペが手を挙げる。
「合言葉です!」
「可能性はある」
「開けゴマ!」
「……」
全員が工具箱を見る。
何も起きない。
リペが首をかしげる。
「違いました」
「だろうね」
「では」
リペが工具箱へ顔を近づける。
「開け工具箱!」
「そのままだな」
何も起きない。
「開けアルド!」
「人になった」
何も起きない。
「開けノア!」
カチッ。
「……え?」
全員が固まった。
リペが目を見開く。
「開きました!」
修も工具箱を見る。
確かに。
内部で何かが動いた。
だが。
蓋は開かない。
【開錠条件:一部達成】
「……名前?」
修が呟く。
ジークが言う。
「ノアって言ったから反応したのか?」
「たぶん」
リペが胸を張る。
「私の功績です!」
「珍しくな」
「珍しく!?」
修は工具箱を調べる。
木製。
四隅に鉄の補強。
取っ手。
鍵。
一見。
普通の工具箱。
しかし。
蓋には歯車の紋章。
その周囲に。
小さな文字が刻まれていた。
長い間。
汚れで見えなくなっていたらしい。
修は布を取り出す。
ゆっくり拭く。
文字が現れる。
『職人とは――』
そこから先。
傷で読めない。
「ここが壊れてるのか」
【損傷箇所:蓋部刻印】
【欠損率:18%】
「箱そのものの損傷率十二パーセントは」
「この刻印かもしれない」
マーサが尋ねる。
「直せますか?」
「やってみます」
修は工具箱を持ち上げる。
「工房へ運んでも?」
「もちろん」
リペが手を挙げる。
「私が持ちます!」
「頼む」
「はい!」
リペが工具箱を抱える。
「軽いです!」
一歩。
ズボッ。
床板を踏み抜いた。
「……」
リペの片足が。
床下へ消えた。
「ご主人様」
「なんだ?」
「床が壊れました」
「見れば分かる」
マーサが笑う。
「古い家だからねぇ」
修はため息をつく。
「箱の前に」
「床の修理が増えたな」
「仕事です!」
「お前が作った仕事だけどね」
一時間後。
床板修理完了。
そして。
異世界リペア工房。
作業台の中央に。
ノアの工具箱が置かれた。
ジークも残っている。
「商売は?」
修が尋ねる。
「今日は休みだ」
「いいんですか?」
「伝説の職人の工具箱だぞ」
ジークは椅子へ座る。
「商人として」
「こっちの方が面白い」
リペも椅子へ座る。
「私もです!」
「助手は仕事して」
「はい!」
修は蓋の刻印を見る。
『職人とは――』
欠けた文字。
完全に消えている。
普通なら。
復元は難しい。
だが。
修には。
四冊のアルド修理手帳がある。
第一巻。
第二巻。
第三巻。
第四巻。
作業台へ並べる。
ジークが驚く。
「それ全部」
「アルドの?」
「はい」
「本物?」
「たぶん」
「たぶんで伝説級の物を机に並べるなよ」
修は苦笑する。
「もう慣れました」
ページをめくる。
アルドの言葉。
修理について。
職人について。
人について。
道具について。
『壊れないものなど、作れない。』
『だから私は、壊れた後のことまで考えて作る。』
『時計は、一人では時を刻めない。』
『旅に出れば、いつか帰る。』
そして。
第二巻。
風車村で見つけた。
あの言葉。
『急がなくていい。寄り道こそ、旅の宝物だから。』
修はページをめくる。
「……ないな」
リペが尋ねる。
「何を探しているんです?」
「職人とは、から始まる文章」
「同じ言葉があれば」
「刻印を復元できるかもしれない」
「なるほど!」
リペも手帳を手に取る。
「探します!」
「丁寧に扱ってね」
「はい!」
ペラッ。
ペラッ。
ペラッ。
「ご主人様!」
「見つけた?」
「アルドさん」
「字が汚いです!」
「本人に言って」
「もういません!」
「じゃあ我慢して読んで」
「はい!」
しばらく。
三人で手帳を調べる。
ジークまで参加している。
「これじゃないか?」
「どれです?」
「『職人とは飯を食うために働く』」
「そんなこと書いてあります?」
「いや」
「俺の考えだ」
「紛らわしい!」
夕方。
結局。
同じ文章は見つからなかった。
修は椅子へ深く座る。
「駄目か……」
リペも机に突っ伏す。
「お腹が空きました」
「そっち?」
ジークが言う。
「一回休んだらどうだ?」
「そうですね」
修は工具箱を見る。
「急いで開ける必要もないし」
その言葉で。
修は止まった。
急ぐ必要はない。
アルドなら。
そう言う。
でも。
これはアルドの工具箱ではない。
ノアの工具箱だ。
「……」
修は考える。
「そもそも」
「俺たち」
「間違ってないか?」
「何がです?」
リペが顔を上げる。
修は四冊の手帳を見る。
「アルドの言葉を探してる」
「はい」
「でも」
工具箱を見る。
「これを使ってたのは」
「ノアだ」
ジークが腕を組む。
「アルドの弟子」
「ああ」
修はマーサから聞いた話を思い出す。
ノア。
行商人。
エレナ。
また春に。
そして。
アルド工房で作った髪飾り。
「ノアは」
「どういう職人だったんだろう」
リペが首をかしげる。
「アルドさんと同じでは?」
「弟子だからって」
「同じとは限らない」
修は工具箱へ触れる。
「むしろ」
「違ったから」
「職人を辞めて」
「行商人になったのかもしれない」
ジークが言う。
「それを調べるなら」
「本人の物を見るしかないな」
「本人の物?」
「髪飾りだよ」
ジークが言う。
「ノアが作ったんだろ?」
修は立ち上がる。
翌朝。
マーサが再び工房へやってきた。
髪飾りを持って。
「これで分かるの?」
「分かりません」
修は正直に答える。
「でも」
「もう一度見たいんです」
マーサが髪飾りを渡す。
修は作業台へ置く。
銀。
青い石。
花。
職人として見る。
昨日までは。
持ち主の思い出として見ていた。
今日は。
作った人を見る。
細工。
接合。
石の固定。
磨き方。
「……」
修は気づく。
「下手だ」
マーサが目を丸くする。
「え?」
「すみません」
「いや」
修は慌てる。
「悪い意味じゃなくて」
ジークが笑う。
「下手は悪い意味だろ」
「そうなんですけど!」
修は髪飾りを指す。
「ここ」
花びら。
左右で。
少し大きさが違う。
石も。
中心からほんの少しずれている。
銀細工も。
完璧ではない。
伝説のアルド工房製。
そう聞いて。
勝手に。
最高級の技術だと思っていた。
でも。
これは。
明らかに。
未熟な職人の仕事。
「弟子だから……」
リペが言う。
「そうだな」
修は髪飾りを見る。
でも。
不思議だった。
下手なのに。
雑ではない。
何度も削った跡。
失敗して。
直した跡。
花びらの裏。
見えない場所まで。
丁寧に磨いてある。
時間をかけた。
それだけは分かる。
修は。
髪飾りへ触れる。
【製作者:ノア】
【製作当時:アルド工房見習い】
【製作期間:23日】
「二十三日?」
ジークが驚く。
「髪飾り一個に?」
「かけすぎですね」
さらに。
表示。
【製作者評価】
【技術:未熟】
【完成度:低】
【製作意図――】
文字が揺れる。
【大切な人を喜ばせるため】
修は。
黙った。
マーサも。
髪飾りを見る。
「父が……」
修は。
工具箱を見る。
『職人とは――』
もしかして。
技術じゃない。
アルドの答えでもない。
ノアが。
自分で見つけた答え。
修は工具箱の前へ座る。
そして。
口にする。
「職人とは」
全員が見る。
「上手な物を作る人じゃない」
反応なし。
「違うか」
考える。
ノアは。
二十三日かけた。
未熟だった。
失敗した。
それでも。
大切な人のために。
髪飾りを完成させた。
そして。
その髪飾りは。
六十八年後。
娘の手に戻った。
修は。
もう一度言う。
「職人とは」
「誰かのために」
「最後まで手を動かす人」
カチッ。
「……!」
工具箱が反応した。
【開錠条件:一部達成】
リペが立ち上がる。
「近いです!」
「たぶん」
修は考える。
ノア。
職人。
行商人。
なぜ。
辞めた?
マーサが。
小さく言った。
「父は」
「よく物を直していました」
修が振り返る。
「え?」
「行商の途中で」
「壊れた物を見つけると」
「直していたそうです」
「母から聞きました」
「でも」
「お金は取らなかった」
ジークが苦笑する。
「商人としては失格だな」
「ええ」
マーサも笑う。
「母もそう言っていました」
「父は」
「こう答えたそうです」
マーサは。
昔を思い出すように。
ゆっくり言った。
「売る物がなくても」
「困ってる人がいたら」
「手はあるだろ」
カチッ。
工具箱。
二度目の音。
修が目を見開く。
【開錠条件:達成】
「……!」
カチャ。
錆びているはずの鍵が。
ひとりでに回った。
蓋が。
ほんの少し。
浮く。
リペが叫ぶ。
「開きました!」
修は。
ゆっくり。
蓋へ手をかける。
開く。
中には。
古い工具。
小さな金槌。
ヤスリ。
ペンチ。
ドライバー。
どれも。
使い込まれている。
そして。
一番奥。
布に包まれた。
一冊の薄い手帳。
修が取り出す。
表紙。
『ノア修理記録』
アルドではない。
ノアの手帳。
修は。
最初のページを開く。
そこには。
少し歪んだ文字。
『師匠へ』
『俺は、時計職人にはなれなかった。』
修は息を止める。
次の行。
『でも』
『修理屋には、なれたと思う。』
さらに。
『第五の遺産は、俺が預かる。』
リペが。
修を見る。
「第五の……」
「ああ」
ページの最後。
地図。
王国の西。
大きな森。
その中心。
小さな印。
そして。
文字。
『第五の遺産』
『音の森』
『記憶樹のオルゴール』
修は。
その名前を読む。
「記憶樹のオルゴール……」
その下。
ノアの追記。
『ただし』
『壊れているのは、オルゴールじゃない。』
「……」
リペが言う。
「またですか?」
修は苦笑する。
「最近」
「素直に壊れてくれないな」
ジークが笑う。
「修理屋泣かせだな」
修は。
手帳を閉じる。
第五の遺産。
記憶樹のオルゴール。
そして。
アルドの弟子。
ノア。
新しい道が。
つながった。
だが。
修はすぐには立ち上がらなかった。
マーサを見る。
「マーサさん」
「はい?」
「この手帳」
「お父様の物です」
マーサは。
少し考える。
そして。
首を振った。
「あなたが持っていって」
「いいんですか?」
「ええ」
マーサは髪飾りを握る。
「私は」
「父が何をしていた人なのか」
「今日」
「初めて知れました」
「それで十分」
そして。
微笑む。
「父が残した仕事なら」
「修理屋さんに」
「最後までやってもらわないとね」
修は。
手帳を見る。
「分かりました」
「必ず」
「返しに来ます」
マーサが笑う。
「急がなくていいわ」
「え?」
「父なら」
「きっとそう言うから」
修も笑った。
「そうですね」
その日の夜。
工房。
作業台には。
アルド修理手帳。
第一巻。
第二巻。
第三巻。
第四巻。
そして。
その横に。
ノア修理記録。
五冊目ではない。
これは。
別の職人の物語。
アルドの弟子であり。
時計職人になれず。
行商人になり。
それでも。
壊れた物を直し続けた男。
修は。
最初のページをもう一度読む。
『俺は、時計職人にはなれなかった。』
『でも』
『修理屋には、なれたと思う。』
修は。
少し笑った。
「会ってみたかったな」
隣で。
リペが頷く。
「はい」
そして。
地図を見る。
「ご主人様」
「なんだ?」
「次は森ですね!」
「ああ」
「雪はありません!」
「たぶんな」
「では薄着で行きます!」
「極端なんだよ」
「何枚が正解ですか!?」
「普通でいい」
「普通が分かりません!」
修は笑った。
第四の遺産を終え。
帰ってきたばかり。
だから。
今すぐ出発する必要はない。
工房には。
まだ。
直す物がある。
村にも。
待っている人がいる。
修は。
地図を畳んだ。
「出発は」
「少し先だ」
リペが驚く。
「行かないんですか?」
「行くよ」
「でも」
修は工房を見る。
「せっかく帰ってきたんだ」
「しばらく」
「修理屋をやろう」
リペが。
笑う。
「はい!」
その瞬間。
コンコン。
夜なのに。
扉が鳴った。
修とリペが顔を見合わせる。
「こんな時間に?」
扉を開く。
そこには。
村の少年が立っていた。
両手に。
真っ二つになった。
木剣。
「修兄ちゃん……」
「これ」
「直る?」
修は。
木剣を見る。
第五の遺産。
伝説の職人。
記憶樹のオルゴール。
全部。
一度。
頭の隅へ置く。
少年から。
木剣を受け取る。
そして。
いつものように。
笑った。
「見せて」
手を添える。
「さて」
「どこが痛い?」
【対象:木剣】
【損傷率:52%】
【修理可能】
伝説を追う旅は。
もう少しだけ。
先でいい。
今は。
目の前の。
一本の木剣を。
直そう。




