第53話 止まった時計への「おつかれさま」
翌朝。
フロストベルの町に。
ゴォォォン――。
鐘の音が響いた。
修は宿のベッドから飛び起きた。
「十二時!?」
窓を見る。
まだ朝だった。
「……?」
隣の部屋から。
ドタドタドタ。
バン!
リペが入ってくる。
「ご主人様!」
「どうした?」
「鐘が鳴りました!」
「聞こえた」
「朝です!」
「見れば分かる」
「十二時ではありません!」
「だから何で鳴ったんだよ」
二人は急いで広場へ向かった。
集会鐘の前。
町長。
セラ。
そして。
昨日の老人。
三人が鐘を見上げていた。
修が駆け寄る。
「何があったんです?」
町長が答える。
「わしらも分からん」
「誰か鳴らしたんじゃないんですか?」
「いや」
セラが綱を指差す。
「誰も触っていません」
「勝手に?」
「はい」
修は鐘へ触れる。
【対象:集会鐘】
【損傷率:0%】
【異常なし】
「壊れてない」
リペが言う。
「では」
「幽霊です!」
「すぐそっちに行くな」
その時。
カチッ。
遠くから。
音。
修が振り返る。
氷時計。
止まった針。
十一時五十七分。
しかし。
塔の表面が。
わずかに青く輝いていた。
「……呼んでる?」
修は氷時計へ向かった。
内部。
セラが扉を開ける。
冷気。
昨日までと変わらない。
巨大な歯車。
透明な軸。
止まった機械。
そして。
中央にある。
永久氷晶歯車の抜けた穴。
修はゆっくり近づく。
「来たよ」
手を置く。
表示。
【第四の遺産】
【代替率:80%】
【技術継承率:72%】
【継承条件:達成】
そして。
【アルド修理手帳・第四巻】
【アクセス可能】
ゴゴゴゴゴ……。
「動いた!」
リペが身構える。
「再起動ですか!?」
「違う!」
巨大な歯車は動いていない。
代わりに。
氷時計の中心部。
一枚の壁が。
ゆっくり開いていく。
その奥。
小さな空間。
そこには。
一冊の手帳が置かれていた。
凍っている。
しかし。
修が触れた瞬間。
パキパキ……。
氷が剥がれ落ちる。
革張りの手帳。
表紙。
『アルド修理手帳 第四巻』
「ありました!」
リペが飛び跳ねる。
ポロッ。
左手が落ちる。
「ありました!」
「まず自分の手を拾おうか」
「はい!」
修は第四巻を開いた。
最初のページ。
そこには。
一行だけ。
書かれていた。
『壊れないものなど、作れない。』
修は黙って読む。
次の行。
『だから私は、壊れた後のことまで考えて作る。』
セラが息をのむ。
修はページをめくる。
そこには。
氷時計の設計。
永久氷晶炉。
環境調律機構。
積雪制御。
すべてが詳細に記されていた。
しかし。
後半。
設計図ではなく。
日記のような文章が増えていく。
『フロストベルの人々は、この土地を愛している。』
『だから私は、この町を暖める時計を作った。』
『しかし、少し心配している。』
『この時計が便利すぎるからだ。』
修はページをめくる。
『人は便利なものに慣れる。』
『そして、便利になる前の暮らし方を忘れる。』
『それ自体は悪いことではない。』
『忘れていい苦労もある。』
修は少し笑った。
「アルドさんらしいな」
さらに。
『だが、私の作ったものが永遠に動くと信じられては困る。』
『私は神ではない。』
『ただの修理屋だ。』
『だから、この時計には寿命を与えた。』
セラが驚く。
「寿命を……」
「最初から?」
修もページを見る。
『いつか、この時計は止まる。』
『その時。』
『町の人々は、きっと困るだろう。』
『怒るかもしれない。』
『私を恨むかもしれない。』
『それでも。』
『時計を延命してはいけない。』
次のページ。
大きな文字。
『道具は、人を助けるためにある。』
『人が、道具を生かすために生きてはいけない。』
誰も話さなかった。
修は。
自分の工房を思い出した。
壊れた椅子。
鍋。
おもちゃ。
ぬいぐるみ。
船。
風車。
鐘。
直せるものは直してきた。
でも。
直すことだけが。
正解ではない。
ページをめくる。
最後。
アルドの文字。
『この時計が止まった時。』
『もし私以外の修理屋が、この手帳を読んでいるなら。』
『お願いがある。』
修は息をのむ。
『氷時計を修理しないでほしい。』
『代わりに。』
『この町の人たちが、自分たちで冬を越せるよう手伝ってほしい。』
そして。
最後の一行。
『それが、この時計にできる最後の修理だ。』
「……」
修は手帳を閉じた。
リペが小さな声で言う。
「ご主人様」
「はい」
「できましたね」
修は。
町を見る。
二重窓。
保温された水道。
屋内農場。
暖房炉。
雪落とし器。
集会鐘。
そして。
自分たちで動く人々。
「ああ」
「たぶん」
「直った」
その瞬間。
表示。
【第四の遺産】
【継承完了】
【氷時計】
【修復――】
文字が止まる。
修は見る。
そして。
表示が書き換わる。
【修復ではありません】
【役目終了】
さらに。
【第四の遺産】
【継承完了】
修は笑った。
「最後まで」
「直させてくれないんだな」
カチッ。
氷時計から。
小さな音。
まるで。
笑っているようだった。
その日の午後。
町の人々が。
氷時計の前へ集まった。
誰かが言った。
「壊すのか?」
町長が首を振る。
「いや」
「残す」
永久氷晶炉だけは。
専門家たちの手で。
時間をかけて安全に停止処理する。
時計塔は。
そのまま残すことになった。
動かない時計。
十一時五十七分。
それでも。
誰も針を動かそうとは言わなかった。
セラが尋ねる。
「この時間」
「どういう意味なんでしょうね」
修は時計を見る。
十一時五十七分。
十二時まで。
あと三分。
「分かりません」
リペが言う。
「お昼ご飯の三分前です!」
「まだ言ってたの?」
「重要です!」
町長が笑う。
「では」
「そういうことにしておこう」
「いいんですか!?」
笑い声が広がる。
そして。
町長が前へ出る。
止まった氷時計へ。
帽子を取る。
「二百十七年間」
「ありがとう」
誰かが続く。
「ありがとう」
また一人。
「ありがとう」
セラも。
「ありがとう」
子どもたちも。
「ありがとー!」
町中から。
声が集まる。
修は黙って見ていた。
すると。
リペが修の袖を引く。
「ご主人様」
「なんだ?」
「私たちも言いましょう」
修は頷く。
氷時計を見る。
二百十七年間。
休まず。
町を守り続けた。
大きな時計。
修は。
少しだけ笑って。
言った。
「おつかれさま」
その瞬間。
カチッ。
時計の針が。
動いた。
十一時五十七分。
から。
十一時五十八分。
「……!」
セラが息をのむ。
リペが叫ぶ。
「動きました!」
そして。
もう一度。
カチッ。
十一時五十九分。
町中が。
時計を見る。
誰も話さない。
そして。
最後。
カチッ。
十二時。
ゴォォォォン――。
氷時計の鐘が鳴った。
一度。
ゴォォォォン――。
二度。
町全体へ。
二百十七年間。
何度も響いた音。
最後の。
昼の鐘。
ゴォォォォン――。
十二回。
鳴り終わる。
そして。
氷時計の光が。
ゆっくり消えていく。
針は。
十二時で止まった。
今度こそ。
完全に。
「……」
セラは泣いていた。
町長も。
老人たちも。
誰も悲しそうではなかった。
修も。
時計を見上げる。
「ちゃんと」
「終われたんだな」
リペが頷く。
「はい」
その日の昼。
フロストベルでは。
町中の人が。
仕事を休んだ。
広場へ。
料理を持ち寄った。
スープ。
パン。
肉。
そして。
屋内農場で初めて収穫された。
小さな葉物野菜。
リペが一枚食べる。
「美味しいです!」
農家が怒る。
「まだ一枚しか採れてないんだぞ!」
「味見です!」
「半分返せ!」
「半分!?」
笑い声。
止まった氷時計の下で。
人々が食事をする。
修も。
その輪の中にいた。
氷時計は。
もう。
町を暖めない。
水道も守らない。
雪も管理しない。
時間すら。
知らせない。
それでも。
町の中央に立っている。
二百十七年間。
この町を守った。
一つの道具として。
そして。
これからは。
フロストベルの人々が。
自分たちで。
町を守っていく。
修はスープを飲みながら。
時計を見上げた。
十二時。
止まった針。
「いい時計だな」
隣でリペが頷く。
「はい!」
そして。
「ご主人様」
「なんだ?」
「私も二百十七年働いたら」
「休んでいいですか?」
修は笑った。
「もっと早く休んでいいよ」
「では今日!」
「お前は働こうか」
「話が違います!」
フロストベルに。
笑い声が響いた。
第四の遺産。
氷時計。
その修理は。
最後まで。
時計に工具を入れることなく。
終わった。




