第50話 氷時計が守りたかったもの
翌朝。
フロストベルの町には、久しぶりの青空が広がっていた。
気温は相変わらず低い。
吐く息は白い。
屋根には分厚い雪。
道の端には、修の身長より高い雪山ができている。
それでも。
町の空気は少し変わっていた。
「北区、異常なし!」
「南区も暖房動いてるぞ!」
「水道二番線、凍結なし!」
時計管理局では朝から報告が飛び交っている。
修は壁際の椅子に座り、お茶を飲んでいた。
「……」
隣にはリペ。
「……」
二人とも暇だった。
リペが尋ねる。
「ご主人様」
「なんだ?」
「仕事、ありませんね」
「ないな」
「修理屋なのに」
「いいことなんだよ」
「では」
リペは立ち上がる。
「雪だるまを作りましょう!」
「なんで暇になると雪だるまなんだよ」
「雪国ですから!」
理屈になっているようで、なっていない。
その時。
バン!
管理局の扉が開いた。
「修さん!」
農家の男が飛び込んできた。
修が立ち上がる。
「何か壊れました?」
「壊れてない!」
「じゃあ何です?」
男は満面の笑みだった。
「野菜が育った!」
倉庫。
以前は物置だった建物。
今では大量の木箱が並び、小さな畑になっている。
天井には照明用の魔石。
壁際には暖炉。
木箱には土。
そして。
「おお……」
修は思わず声を漏らした。
緑。
緑。
緑。
小さな葉が、あちこちから伸びている。
農家が胸を張る。
「全部芽が出た!」
「すごいじゃないですか!」
「それだけじゃないぞ」
奥へ案内される。
そこには。
少し大きく育った葉物野菜。
まだ収穫には早い。
でも。
確実に育っている。
リペが目を輝かせる。
「食べられますか?」
「まだ早い!」
農家が慌てて止める。
リペが手を引っ込める。
「危なかったです」
「何が?」
「私が食べるところでした」
「自分で言うな」
魔道具屋もやって来た。
「照明の調整もできたよ」
天井の魔石を見る。
「昼は明るく」
「夜は暗く」
「時間で魔力量を変えるようにした」
修が驚く。
「自動で?」
「簡単な仕組みだけどね」
農家が笑う。
「次はもっと広い倉庫でやる」
魔道具屋も頷く。
「照明も改良する」
二人は既に次の話を始めている。
修は何も言わず、それを見ていた。
もう。
自分の出番はなさそうだった。
その日の昼。
町長が住民を広場へ集めた。
「皆に相談がある」
人々が集まる。
修とリペも端に立っていた。
町長は言った。
「氷時計が止まって以来」
「我々は、この町で暮らし続けられるのか」
「そればかり考えてきた」
誰も話さない。
「だが」
町長は周囲を見る。
二重になった窓。
断熱された家。
保護された水道。
改善された暖房炉。
屋内農場。
「どうやら」
「まだやれることはあるらしい」
誰かが笑った。
「いっぱいあるぞ!」
別の誰か。
「むしろ今まで何もしてなさすぎた!」
笑い声が起こる。
町長も笑う。
「その通りじゃ」
そして。
一枚の大きな地図が広げられた。
フロストベル全体の地図。
「町を五つの区域に分ける」
「それぞれに暖房設備の管理担当を置く」
配管職人が手を挙げる。
「俺が北区を見る」
別の職人。
「南は俺たちでやる」
「西区も任せろ」
次々と手が挙がる。
「水道は?」
「うちの組合で見る!」
「薪の管理は?」
「商人組合でやる!」
「屋内農場は?」
農家たちが一斉に手を挙げた。
「任せろ!」
リペが小声で言う。
「ご主人様」
「なんだ?」
「本当に仕事なくなりました」
修は笑った。
「いいんだよ」
「でも」
リペは少し考える。
「ご主人様がいらなくなったみたいで、寂しいです」
修はリペを見る。
少しだけ考えてから。
「修理屋って」
「そういう仕事なのかもしれないな」
「どういう意味です?」
「直ったら」
「もう修理屋はいらない」
リペは目を丸くする。
「悲しい仕事ですね」
「そうでもないよ」
修は町を見る。
「また壊れたら呼ばれるから」
「なるほど!」
「そこ納得するんだ」
会議が終わった頃。
セラが修のところへ来た。
「修さん」
「はい?」
「氷時計を見に行きませんか?」
「何かありました?」
「いえ」
セラは少し笑った。
「なんとなく」
「今なら何か変わっている気がして」
三人で氷時計へ向かう。
巨大な塔。
止まった針。
十一時五十七分。
修が内部へ入る。
そして。
いつもの場所へ手を置いた。
【第四の遺産】
【氷時計の役目】
【代替率:38%】
数字が動く。
【38% → 63%】
「一気に……」
リペが飛び跳ねる。
「あと十七%です!」
修は次を見る。
【技術継承率:18%】
こちらも動く。
【18% → 41%】
「あと九%」
セラが尋ねる。
「何がです?」
修は説明する。
「この時計」
「町が自分で暮らせるようになったか」
「それを見てるみたいです」
セラは氷時計を見上げる。
「ずっと?」
「たぶん」
「止まってからも?」
「たぶん」
その時。
新しい表示が現れた。
【環境調律機能】
【最終記録を確認しますか?】
修は迷わず答える。
「確認する」
表示が変わった。
【永久氷晶式環境調律時計】
【稼働開始:217年前】
文字が流れていく。
【初年度人口:312人】
【平均外気温:-31度】
【居住可能温度維持開始】
そして。
数字が増えていく。
【人口:618人】
【人口:1,204人】
【人口:2,731人】
【人口:4,105人】
セラが息をのむ。
「こんな記録が……」
さらに。
【稼働102年】
【永久氷晶炉劣化開始】
修の表情が変わる。
「百年以上前から……」
氷時計は。
既に壊れ始めていた。
【稼働143年】
【推奨停止時期到達】
リペが呟く。
「でも」
「止まってません」
その通りだった。
【居住環境維持を優先】
【稼働継続】
修は拳を握る。
【稼働181年】
【安全稼働限界超過】
【居住環境維持を優先】
【稼働継続】
【稼働203年】
【緊急停止推奨】
【居住環境維持を優先】
【稼働継続】
セラの目に涙が浮かぶ。
「ずっと……」
「無理してたの?」
氷時計は。
とっくに役目を終えていた。
それでも止まらなかった。
なぜなら。
止まれば。
町の人々が寒さにさらされるから。
最後の記録。
【稼働217年】
【永久氷晶炉崩壊予測:47日】
【継続稼働――】
文字が一度止まる。
そして。
【拒否】
修は目を見開いた。
【理由】
【稼働継続による居住者被害予測が停止による被害予測を上回りました】
だから。
氷時計は止まった。
【最終処理】
【永久氷晶歯車排出】
【指定修理職人への修理要請】
そして。
【対象:修】
「……」
修は自分の名前を見る。
しかし。
まだ疑問が残る。
「どうして」
「俺なんだ?」
表示は答えない。
代わりに。
最後の記録が現れた。
【製作者アルドによる最終命令】
修は息をのむ。
【この時計が自ら停止を選択した時】
【それは故障ではない】
【決して再起動してはならない】
そして。
【次の職人へ】
【時計ではなく】
【この町を頼む】
静寂。
修はしばらく何も言えなかった。
セラは泣いていた。
リペも黙っている。
二百年以上前。
アルドは知っていた。
いつか。
自分の作ったものにも寿命が来る。
だから。
永遠に動く機械を作ろうとはしなかった。
その代わり。
機械がなくても。
人が生きていける未来を。
次の誰かへ託した。
修は氷時計へ手を置く。
「分かりました」
「ちゃんと」
「引き継ぎます」
カチッ。
音。
そして。
【技術継承率】
【41% → 50%】
条件達成。
【アルド修理手帳・第四巻】
【アクセス条件 一部達成】
しかし。
【代替率:63%】
【必要値:80%】
リペが言う。
「あと十七%です!」
修は頷く。
「もう少しだな」
その時。
セラが何かに気づいた。
「修さん」
「はい?」
「氷時計がしていた仕事で」
「まだ代わりがないものって何でしょう?」
修は考える。
暖房。
水道。
農業。
燃料管理。
住居。
ほとんど対策が始まっている。
「……何だ?」
セラが設計図を広げる。
氷時計の機能一覧。
【環境温度調整】
【地下水凍結防止】
【農地温度補助】
【建築物保温補助】
【積雪制御】
修の指が止まる。
「積雪制御?」
セラの顔色が変わった。
「まさか」
その瞬間。
ドドドドドド……。
遠くから。
低い音。
地面が震える。
「何ですか!?」
リペが叫ぶ。
三人は外へ飛び出した。
町の北。
巨大な山。
その斜面から。
白い煙のようなものが立ち上がっている。
セラの顔から血の気が引いた。
「雪崩……」
修が山を見る。
違う。
一か所ではない。
二か所。
三か所。
山の至るところで。
雪が動き始めている。
氷時計は二百十七年間。
町を暖めていただけではなかった。
雪崩が起きないよう。
山の雪まで管理していたのだ。
リペが修を見る。
「ご主人様!」
修は工具箱を掴んだ。
「みんなに知らせる!」
「はい!」
町を直す。
その意味を。
修はまだ。
半分しか理解していなかった。




