第46話 白銀の町フロストベル
北へ向かって、五日目。
「寒いです」
リペが言った。
「寒いな」
修も答えた。
「すごく寒いです」
「うん」
「とてもすごく寒いです」
「語彙まで凍ってきたな」
二人は雪の積もった街道を歩いていた。
辺り一面、真っ白。
木々には雪が積もり、吐く息は白い。
空からは、粉のような雪が静かに降り続けている。
修は厚手のコート。
毛皮の帽子。
手袋。
防寒靴。
完全装備だった。
そしてリペは――
「ご主人様」
「なんだ?」
「動けません」
防寒着を着込みすぎて、ほぼ球体になっていた。
「着すぎだよ」
「寒いと言ったら、町長さんが全部持たせてくれました」
「全部着る必要はないんだよ」
「なるほど!」
リペはその場で一枚脱ごうとする。
ゴロン。
転んだ。
そのまま雪の坂を転がり始める。
「リペ!」
「止まりませーん!」
ゴロゴロゴロゴロ。
巨大な雪玉になっていく。
修は走った。
「待てー!」
「待てと言われてもー!」
五分後。
街道脇の雪山から、リペの頭だけが出ていた。
「雪国、恐ろしいです」
「まだ町にも着いてないぞ」
昼過ぎ。
山道を越えた瞬間。
二人の前に巨大な盆地が広がった。
「……おお」
修は思わず足を止める。
雪に覆われた町。
石造りの建物。
煙突から立ち上る白い煙。
屋根には分厚い雪。
そして町の中央には――
巨大な塔が立っていた。
透明。
いや。
半透明。
まるで巨大な氷柱を削り出して作ったような時計塔。
太陽の光を受け、青白く輝いている。
リペが目を輝かせた。
「あれですか!?」
修は頷く。
「たぶん」
第四の遺産。
『氷時計』
しかし。
時計の針は――
止まっていた。
十一時五十七分。
「あと三分ですね」
リペが言う。
「何が?」
「十二時まで」
「止まってるから来ないよ」
「では永遠にお昼ご飯の三分前です!」
「嫌な町だな」
町へ入る。
そこで修は違和感に気づいた。
「……静かだ」
人はいる。
店も開いている。
馬車も走っている。
けれど。
誰も時計塔を見ない。
誰も時計の話をしない。
まるで――
そこに存在していないかのように。
「修様ですね」
声を掛けてきたのは、眼鏡をかけた若い女性だった。
白いコート。
胸には歯車の紋章。
「フロストベル時計管理局のセラと申します」
深く頭を下げる。
「遠いところをありがとうございます」
修も頭を下げる。
「異世界リペア工房の修です」
リペも続く。
「助手のリペです!」
セラは微笑んだ。
「お噂は聞いています」
「えっ!」
リペが嬉しそうにする。
「私、有名なんですか?」
「腕がよく外れるゴーレムがいると」
「そこですか!?」
修は笑いをこらえた。
「評判になってるな」
「不本意です!」
三人は管理局へ向かう。
途中。
修は町の人々を観察していた。
厚着をした人々。
雪かきをする店主。
薪を運ぶ子どもたち。
普通の雪国の日常。
しかし。
「セラさん」
「はい」
「寒くなったって聞きました」
セラの表情が曇る。
「はい」
「氷時計が止まってから、毎日少しずつ」
「今は?」
「例年より十二度ほど低いです」
修は足を止めた。
「十二度?」
「はい」
「このまま下がり続ければ……」
セラは遠くを見る。
「一か月以内に、この町では暮らせなくなるでしょう」
リペの表情から笑顔が消える。
時計管理局。
暖炉のある会議室。
机の上には大量の設計図が広げられていた。
セラは一枚を修へ渡す。
「これが氷時計です」
「正式名称は――」
『永久氷晶式環境調律時計』
修は黙る。
リペも黙る。
「……」
「……」
修が尋ねる。
「氷時計でいいですか?」
セラは頷いた。
「私たちもそう呼んでいます」
「ですよね」
設計図を見る。
時計塔の地下深く。
巨大な魔力装置が描かれている。
セラが説明する。
「氷時計は、時刻を知らせるだけの時計ではありません」
「町全体の気温を一定に保っています」
修は驚く。
「暖房?」
「それに近いです」
極寒の土地。
本来なら人が暮らすことなど難しい。
しかし氷時計が周囲の冷気を吸収し、町の温度を調整していた。
「二百年以上」
「一度も止まらなかった?」
「はい」
「三日前までは」
修は例の箱を机へ置いた。
永久氷晶歯車。
セラの表情が変わる。
「それです」
「時計が止まった直後」
「内部から、この歯車だけが外へ落ちてきました」
修は歯車を取り出す。
「そして俺の名前が出た」
「はい」
セラは修を見る。
「どうしてなのでしょう?」
「分かりません」
修は正直に答えた。
そして。
「もう一つ」
歯車へ触れる。
あの文字を思い出す。
『氷時計を直してはいけない』
セラの顔から血の気が引いた。
「直してはいけない?」
「アルドさんの伝言です」
「そんな……」
「直さなければ町は……」
「分かっています」
修は歯車を見つめた。
「だからまず」
「時計を見せてください」
氷時計内部。
巨大な扉が開く。
ゴォォォ……。
冷気が流れ出した。
「寒っ!」
修が身を縮める。
リペは震えている。
ガタガタガタガタ。
「大丈夫?」
「震える機能があったことに驚いています!」
「俺もだよ」
内部へ進む。
巨大な歯車。
透明な軸。
氷のような魔力結晶。
すべてが完全に停止している。
修はゆっくり中心部へ近づいた。
そこには――
一か所だけ。
歯車が抜けた穴。
例の永久氷晶歯車が、ぴったり収まりそうだった。
セラが言う。
「ここへ戻せば」
「おそらく時計は再び動きます」
簡単だった。
歯車を入れる。
それだけ。
それだけで町を救えるかもしれない。
でも。
アルドは言った。
『直してはいけない』
修は穴を見つめる。
そして。
機械へ手を添えた。
「さて」
「君は……」
少し迷ってから。
いつもの言葉。
「どこが痛い?」
【対象:氷時計】
【第四の遺産】
【稼働年数:217年】
【損傷率――】
表示が止まった。
「……?」
数字が出ない。
代わりに。
新しい文字。
【損傷なし】
修は目を見開いた。
「壊れてない?」
セラも驚く。
「そんなはずは!」
【対象は正常です】
【停止理由――】
文字がゆっくり現れる。
【役目を終えたため】
誰も言葉を発さなかった。
「役目を……」
修は氷時計を見る。
「終えた?」
さらに。
【警告】
赤い文字。
【永久氷晶歯車を戻した場合】
【氷時計は再起動します】
セラの表情が明るくなる。
しかし次の表示。
【推定稼働時間:47日】
【その後――】
修の顔が強張った。
【永久氷晶炉、崩壊】
【推定被害範囲:フロストベル全域】
「……」
静寂。
セラが震える声で尋ねる。
「つまり……」
修は答えた。
「動かせる」
「でも」
「動かしたら」
氷時計を見上げる。
「四十七日後」
「この町は消える」
リペも言葉を失っていた。
修はようやく理解した。
アルドの言葉。
『氷時計を直してはいけない』
これは謎かけではなかった。
警告だった。
氷時計は壊れたのではない。
自分で止まった。
町を守るために。
二百十七年間。
働き続け。
最後の最後まで。
人々を守るために。
「……そういうことか」
修は氷時計へ手を置いた。
冷たい。
でも。
なぜか修には、その冷たさが優しく感じられた。
「君は」
「壊れたんじゃない」
「ちゃんと最後まで働いたんだな」
その瞬間。
カチッ。
止まっているはずの時計の奥から。
小さな音がした。
まるで――
『そうだ』
と答えるように。
外へ出る。
雪はまだ降っていた。
リペが尋ねる。
「ご主人様」
「はい」
「時計を直せないなら」
修は時計塔を振り返った。
「別のものを直す」
「別のもの?」
「ああ」
町は氷時計に二百年以上守られてきた。
だから。
氷時計なしでは生きられない町になった。
修は雪の中に立つ家々を見る。
「今回直すのは」
「時計じゃない」
そして静かに言った。
「この町の暮らしそのものだ」
リペは少し考える。
やがて笑顔で頷いた。
「大修理ですね」
修も笑った。
「ああ」
「今までで一番大きいかもしれない」
その時。
リペが空を見上げる。
「ところで、ご主人様」
「なんだ?」
「雪だるまはいつ作りますか?」
「……明日にするか」
「はい!」
どんな状況でも。
雪だるまは作るらしい。
修は少し笑った。
白銀の町フロストベル。
第四の遺産を巡る修理は――
壊れていない時計を、直さないところから始まった。




