第44話 絶対に開けてはいけない樽
ドンドンドン!
工房の床で、巨大な木の樽が跳ねていた。
「……。」
修は樽を見る。
リペも樽を見る。
農夫も樽を見る。
ドン!
樽が十センチほど浮いた。
リペが修の後ろへ隠れる。
「ご主人様。」
「なんだ?」
「帰ってもいいですか?」
「ここがお前の家だ。」
「あっ。」
ドンドンドン!
樽がさらに激しく跳ねる。
「では引っ越します!」
「早いな!」
⸻
農夫の名前はボルク。
町外れで畑を営んでいるらしい。
修はとりあえず樽から三メートル離れて話を聞くことにした。
「それで。」
「これは何ですか?」
ボルクは困った顔をする。
「漬物樽です。」
「……漬物?」
「はい。」
修は樽を見る。
ドン!
「本当に?」
「昨日までは。」
「今日から何になったんです?」
「分かりません。」
「でしょうね。」
⸻
話によると。
ボルクは毎年この季節になると、畑で採れた野菜を塩漬けにする。
この樽も祖父の代から使っている、ごく普通の漬物樽。
昨日の夜。
いつものように野菜を入れ。
塩を入れ。
蓋を閉めた。
そして今朝。
ドン!
「こうなってました。」
修は腕を組む。
「何か変わったもの入れませんでした?」
「入れてません。」
「本当に?」
「たぶん。」
「たぶん?」
ボルクは視線を逸らした。
修の目が細くなる。
「何を入れました?」
「いや……。」
「怒らないので。」
「紫色のキノコを少々。」
「それだろ!」
⸻
リペが樽へ近づく。
「中を見れば分かります!」
「待て。」
修が止める。
「でも。」
「開ければ原因が――」
樽に手を掛ける。
その瞬間。
【警告】
【開封非推奨】
修の目の前に表示が出た。
「リペ。」
「はい?」
「絶対に開けるな。」
「分かりました!」
素直に手を離す。
修は少し安心した。
リペも成長したものだ。
三秒後。
「ちょっとだけなら。」
「なんでだよ!」
⸻
修は樽へ手を触れる。
「さて。」
「どこが痛い?」
【対象:発酵樽】
【損傷率:3%】
「ほぼ壊れてない。」
さらに表示が続く。
【内部圧力:危険】
【原因:異常発酵】
【推奨:刺激しない】
ドン!
樽が跳ねた。
修は手を離す。
「なるほど。」
「何が分かったんですか?」
「修理する必要がない。」
ボルクが驚く。
「では、どうすれば?」
修は樽を見る。
「安全にガスを抜けばいい。」
リペが手を挙げる。
「私に任せてください!」
「何する気?」
「蓋を開けます!」
「話聞いてた?」
⸻
工房の外へ移動した。
万が一に備えて、広場の端。
町長。
ガイン。
ルナ。
なぜか町の子どもたちまで集まってきた。
「何するの?」
「樽が爆発するらしいぞ!」
「爆発はさせない!」
修が訂正する。
町長が尋ねる。
「危なくないのか?」
「少しずつ圧力を抜けば大丈夫です。」
修は樽に細い器具を取り付ける。
小さな穴を開ける。
プシュ――。
ガスが抜け始めた。
「よし。」
リペが感心する。
「さすがご主人様!」
プシュ――。
順調。
プシュ――。
「これなら――」
ポン。
器具が飛んだ。
修の頬をかすめる。
「……。」
全員が黙った。
樽から。
プシュウウウウウウウ!
猛烈な勢いでガスが噴き出した。
「逃げろ!」
広場が大混乱になる。
⸻
樽が動き始めた。
ガスの勢いで。
ズズズズズ。
「動いてます!」
「見れば分かる!」
ズズズズ。
ゴロゴロゴロ!
樽が転がり始める。
「待て!」
修とリペが追いかける。
町長も走る。
ガインも走る。
なぜか子どもたちは大喜び。
「樽レースだ!」
「頑張れー!」
「応援するな!」
⸻
ゴロゴロゴロ!
樽は広場を一周。
パン屋の前を通過。
「何!?」
八百屋の前を通過。
「うちの野菜!」
教会の前を通過。
神父が静かに見送る。
「……神よ。」
そして。
時計台へ一直線。
修の顔色が変わる。
「まずい!」
せっかく59%まで直した時計台へ――
ドン!
……とはならなかった。
直前でリペが飛び込んだ。
「止まりなさーい!」
樽を正面から受け止める。
「リペ!」
ズザザザザザ!
リペの足が地面を削る。
しかし。
止まった。
「おお!」
町の人々から拍手。
リペは得意げに笑う。
「どうです!」
修も笑顔になる。
「よくやった!」
「はい!」
ポロッ。
両腕が外れた。
「腕ーーー!」
樽が再び転がり始める。
「止めろーーー!」
⸻
最終的に。
ガインが巨大な網を投げ。
町長が縄を引き。
修が樽を押さえ。
ルナがなぜか鍋を持って参戦し。
町の人総出で樽を止めた。
そして。
十分後。
プシュ……。
最後のガスが抜ける。
静寂。
修は地面に大の字になった。
「疲れた……。」
リペも隣に転がっている。
腕はまだ外れたまま。
「大仕事でしたね。」
「修理してないけどな。」
⸻
ようやく樽を開ける。
中には。
紫色に染まった野菜。
全員が覗き込む。
「……。」
ボルクが一本取り出した。
「食べられますかね?」
修は即答した。
「やめましょう。」
「ですよね。」
町長も頷いた。
「畑に埋めるか。」
修が止める。
「それも何が起こるか分からないのでやめましょう。」
「ではどうする?」
「専門家に聞きましょう。」
全員が深く頷いた。
異世界でも。
分からないものは専門家へ。
大事なことである。
⸻
翌日。
ボルクが工房へやって来た。
「昨日はありがとうございました。」
「樽は?」
「普通の漬物に戻しました。」
「キノコは?」
「もう入れません。」
「それがいいです。」
ボルクは修理代を置く。
そして。
小さな壺を差し出した。
「お礼です。」
「何です?」
「漬物です。」
修とリペが固まる。
ボルクが慌てる。
「普通のです!」
「本当に?」
「キノコ入ってません!」
修は恐る恐る受け取った。
「ありがとうございます。」
⸻
昼。
二人で漬物を食べる。
ポリッ。
修の目が少し開く。
「……うまい。」
リペも食べる。
「美味しいです!」
ポリポリ。
「これなら普通に売れるのに。」
ポリポリ。
「なんでキノコ入れたんだろうな。」
ポリポリ。
「挑戦する心は大切です!」
「昨日の惨事を綺麗にまとめるな。」
⸻
その日の夕方。
修は工房の壁に、新しい紙を貼った。
『異世界リペア工房からのお願い』
一、壊れた物は歓迎します。
二、大切な物は丁寧に直します。
三、正体不明の魔物はお断りします。
四、異常発酵した物もお断りします。
五、紫色のキノコを入れた場合は、最初に申告してください。
リペが読む。
「完璧ですね。」
修も頷く。
「これで安心だ。」
コンコン。
扉が鳴った。
「どうぞ。」
入ってきたのは一人の老婆。
手には――
紫色のキノコ。
「これを使った魔道具が壊れてしまってねぇ。」
修とリペは顔を見合わせる。
「……。」
「……。」
修は壁の張り紙を見る。
リペも見る。
そして。
修は静かに一行を書き足した。
六、紫色のキノコそのものも、できればご遠慮ください。
老婆が首をかしげる。
「駄目かい?」
修は工具箱を開いた。
「……とりあえず、話だけ聞きます。」
結局。
断れないのである。
異世界リペア工房は今日も、
平和に営業中だった。




