第43話 片耳のぬいぐるみ
少女が差し出したのは、小さなウサギのぬいぐるみだった。
白かったであろう布は、長い年月で少しくすんでいる。
右耳はしっかり付いている。
しかし左耳は根元から取れ、少女のもう片方の手に握られていた。
修はぬいぐるみを受け取った。
「名前は?」
少女は小さな声で答える。
「ミミ。」
修は一瞬、ぬいぐるみを見る。
「……耳が取れたのに?」
「ミミ。」
「なるほど。」
リペが横から覗き込む。
「運命を感じます。」
「感じなくていい。」
⸻
少女の名前はエナ。
まだ七歳だった。
修はミミを作業台へ置き、状態を確認する。
【対象:ウサギのぬいぐるみ『ミミ』】
【損傷率:23%】
【修理可能】
【経年劣化あり】
【所有者から強い愛着を確認】
修は優しく尋ねる。
「ずっと一緒なの?」
エナは頷いた。
「お母さんが作ってくれたの。」
「私が生まれた時に。」
修の手が止まる。
「そうなんだ。」
「でも昨日……。」
エナは申し訳なさそうに俯いた。
「遊んでたら、引っかけちゃって……。」
手の中にある左耳をぎゅっと握る。
「お母さんに怒られると思って。」
「内緒で持ってきたの。」
修は少し考えた。
そして笑った。
「じゃあ、一緒に直そうか。」
エナが顔を上げる。
「私も?」
「ミミは君の友達なんだろ?」
「うん!」
「だったら君にも手伝ってもらおう。」
⸻
修は裁縫箱を取り出した。
するとリペが首をかしげる。
「ご主人様。」
「何?」
「魔法で直さないんですか?」
「今回は使わない。」
「どうしてですか?」
修は針へ糸を通しながら答える。
「これくらいなら、手で直せるから。」
リペは感心したように頷く。
「なるほど。」
そして。
「私もやります!」
「リペは見てて。」
「できます!」
「針は危ない。」
「大丈夫です!」
リペが針を持つ。
三秒後。
プスッ。
「痛いです!」
修はため息をつく。
「だから言っただろ。」
リペは自分の指を見る。
「……。」
「血が出ません。」
「ゴーレムだからな。」
「じゃあ痛くありませんでした!」
「今、痛いって言ったよね?」
エナがクスクス笑った。
⸻
修はミミの左耳を元の位置へ合わせる。
「エナ。」
「ここを押さえてくれる?」
「うん。」
小さな手が、耳を優しく支える。
修は一針ずつ縫っていく。
急がない。
丁寧に。
何度も遊んで。
何度も抱きしめて。
きっとこれからも一緒にいるぬいぐるみだから。
最後に糸を結ぶ。
「よし。」
修はミミをエナへ渡した。
左右の耳が、ちゃんと揃っている。
エナの顔が輝いた。
「ミミ!」
ぎゅっ。
思い切り抱きしめる。
「直った!」
修は笑った。
「ちょっと縫い目は残ったけどね。」
耳の根元には、小さな修理跡。
エナはそこを指で触った。
「これでいい。」
「え?」
「だって。」
「ここを見たら、今日のこと思い出せるから。」
修は少し驚いた。
そして、ゆっくり笑った。
「……そうだね。」
⸻
その時。
工房の扉が勢いよく開いた。
「エナ!」
女性が飛び込んできた。
「お母さん!」
どうやら娘を探していたらしい。
「どこに行ったかと思ったら……!」
母親はエナの腕の中にあるミミを見る。
そして。
「あ……。」
耳の修理跡に気づいた。
エナはしょんぼりする。
「ごめんなさい。」
「ミミの耳、取れちゃったの。」
「怒られると思って……。」
母親は何も言わなかった。
しゃがみ込む。
そして、エナとミミをまとめて抱きしめた。
「怒らないわよ。」
「でも。」
「今度はちゃんと教えてね。」
エナは母親の胸の中で頷く。
「うん。」
⸻
母親は修へ頭を下げた。
「ありがとうございました。」
「いくらでしょう?」
修は少し考える。
糸。
針。
作業時間。
「銅貨一枚で。」
「そんなに安くていいんですか?」
「簡単な修理でしたから。」
するとエナがポケットを探る。
「私が払う!」
取り出したのは、小さな銅貨。
どうやら自分のお小遣いらしい。
修は受け取った。
「確かに。」
エナは胸を張る。
「私がミミを直した!」
修は笑う。
「半分はね。」
「半分?」
「耳を押さえてくれただろ?」
エナは嬉しそうに笑った。
「うん!」
⸻
二人が帰ったあと。
リペは作業台に置かれた銅貨を見つめていた。
「ご主人様。」
「何?」
「時計台を直す人なのに。」
「ぬいぐるみも直すんですね。」
修は工具を片付けながら答える。
「時計台だから大切とか。」
「ぬいぐるみだから大したことないとか。」
「そういうのはないよ。」
リペは首をかしげる。
修は続ける。
「エナにとっては。」
「あのぬいぐるみが、この世界で一番大切だったかもしれない。」
リペはしばらく考えた。
そして、自分の胸へ手を当てる。
そこには昨日交換したばかりのネジ。
「では。」
「私も大切ですか?」
修は即答した。
「もちろん。」
リペの顔がぱっと明るくなる。
「どのくらいですか?」
「時計台より。」
「おお!」
「アルドの手帳より。」
「おおお!」
「この工房より。」
「おおおお!」
リペは両手を広げた。
「では世界で一番――」
ポロッ。
腕が落ちた。
「……。」
修は床の腕を見る。
リペも見る。
「修理お願いします。」
「はいはい。」
修は笑いながら腕を拾った。
⸻
翌朝。
工房の扉の前に何かが置かれていた。
小さな包み。
修が開ける。
中には二つの焼き菓子。
そして、子どもの字で書かれた紙。
『ミミをなおしてくれてありがとう』
その下には絵が描かれている。
エナ。
ミミ。
修。
そしてリペ。
ただし。
リペだけ、なぜか腕と頭が外れていた。
「……。」
リペが絵を見る。
「特徴をよく捉えています。」
「そこ評価するんだ。」
二人は笑った。
修はその絵を工房の壁へ貼る。
時計台の設計図。
アルドの地図。
修理ノート。
その隣に。
子どもが描いた、一枚の絵。
修は少し離れて眺めた。
「よし。」
リペが尋ねる。
「何がですか?」
「工房らしくなった。」
⸻
コンコン。
また扉が鳴る。
「はーい!」
リペが元気よく開ける。
そこには町の農夫が立っていた。
そして。
なぜか巨大な木の樽を抱えている。
「修さん。」
「ちょっと困ったことになりまして……。」
修は樽を見る。
リペも見る。
樽が――
ブルブル震えている。
「……。」
「……。」
ドン!
中から何かが樽を叩いた。
リペが一歩下がる。
「ご主人様。」
「はい。」
「これ。」
ドン!
「修理依頼でしょうか?」
修も一歩下がった。
「……まず話を聞こう。」
ドンドンドン!
樽が激しく跳ね始める。
「できれば離れて。」
異世界リペア工房。
本日二件目の依頼は――
どうやら、
かなり面倒くさそうだった。




