第41話 ただいまと、おかえり
翌朝。
ベルマーレの港には、いつもと同じ朝が来た。
漁師たちが船へ荷物を積む。
市場では魚が並び始める。
カモメが空を飛び、潮風が町を抜けていく。
けれど。
一つだけ、以前とは違うものがあった。
「いってらっしゃーい!」
岸壁から子どもたちが手を振る。
「今日も大漁でね!」
「気をつけて!」
船の上から漁師たちが笑顔で手を振り返す。
「行ってくるぞー!」
特別な祭りではない。
誰かに命令されたわけでもない。
ただ。
船が出るから見送る。
帰ってきたら迎える。
そんな小さな習慣が、ベルマーレへ戻り始めていた。
⸻
灯台。
修とリペは長い階段を登っていた。
もちろん今日もルカが先頭だ。
「早く!」
「修理屋さん遅い!」
修は息を切らしながら答える。
「元気だな……。」
「灯台守だから!」
その後ろをリペが猛然と追いかける。
「私も負けません!」
「競争じゃないぞ。」
「勝負です!」
「聞いてないな。」
リペが修を追い越す。
その直後。
ガンッ!
「痛いです!」
階段の天井に頭をぶつけた。
ルカが振り返る。
「大丈夫?」
「大丈夫です!」
一歩進む。
ポロッ。
リペの頭が外れた。
コトン。
コトン。
コトン。
頭だけが階段を転がっていく。
修は無言で見送った。
ルカも無言で見送った。
ずっと下から声が聞こえる。
「先に行っててくださーい!」
修は笑った。
「あとで迎えに行くよ。」
⸻
最上階。
朝日に照らされた帰港の鐘が、静かに海を見つめていた。
昨日までとは違う。
鐘そのものが、少し明るく見える。
修は手を添えた。
「おはよう。」
【対象:帰港の鐘】
【損傷率:46%】
【帰港の習慣:74%】
【完全修復条件:達成】
【修理可能】
修は工具箱を開いた。
「待たせたね。」
⸻
まず、鐘を支える金具。
潮風で腐食した部分を削る。
新しい金属を足す。
ただし全部は交換しない。
百年以上、この鐘を支えてきた金具だ。
使える部分は残す。
次に鐘を鳴らす舌。
形を整え、表面を磨く。
最後に綱。
新しい繊維を古い綱へ編み込み、補強していく。
ルカは真剣な顔で作業を見ていた。
「全部、新しくしないの?」
修は手を止めずに答える。
「新しいものに交換する方が簡単な時もある。」
「でもね。」
「古いから駄目ってわけじゃない。」
「頑張ってきた時間まで捨てる必要はないんだ。」
ルカは鐘を見る。
「じゃあ、この鐘。」
「百歳以上?」
「そうだね。」
ルカは目を輝かせる。
「すげー!」
修は笑った。
「だろ?」
⸻
数時間後。
最後の部品を取り付ける。
カチッ。
修は鐘へ両手を添えた。
「修理。」
淡い光が広がる。
鐘。
金具。
綱。
灯台そのものへ光が走る。
そして――
【対象:帰港の鐘】
【損傷率:46% → 0%】
【第三の遺産】
【修復完了】
修はゆっくり手を離した。
「終わった。」
リペが拍手する。
「やりました!」
ルカも飛び跳ねる。
「鳴らそう!」
「待って。」
修は止めた。
ルカが首をかしげる。
「なんで?」
修は海を見る。
「まだ帰ってきてないから。」
⸻
夕方。
港には人々が集まっていた。
マリアはランタンを持っている。
エリオット。
シーラの老人と息子。
市場の人々。
子どもたち。
みんなが海を見ている。
やがて。
水平線から船影が現れた。
一隻。
二隻。
三隻。
漁船が帰ってくる。
ルカが修を見る。
修は頷いた。
「今だ。」
ルカは鐘の綱を握る。
小さな手で、思い切り引いた。
ゴォォォォン――。
大きな音が海へ響いた。
船の上から漁師たちが顔を上げる。
ゴォォォォン――。
港から声が上がる。
「おかえり!」
「おかえりー!」
船からも返ってくる。
「ただいま!」
「帰ったぞ!」
マリアのランタンが揺れる。
シーラの老人が帽子を振る。
子どもたちは飛び跳ねる。
百年ぶりに。
ベルマーレの日常へ、
鐘の音が帰ってきた。
⸻
その時。
鐘の内部から。
カチッ。
小さな音がした。
修が振り返る。
以前見つけた金属板のさらに奥。
隠されていた小さな箱が開いていた。
「ご主人様。」
「また何かあります!」
修が箱を取り出す。
中には、一冊の革張りの手帳。
表紙には――
『アルド修理手帳 第三巻』
リペが嬉しそうに声を上げる。
「見つけました!」
修はゆっくり手帳を開いた。
最初のページ。
そこには、アルドの文字でこう書かれていた。
『旅に出れば、いつか帰る。』
次の行。
『だから私は、帰る場所を直す職人でありたい。』
修はしばらく、その文章を見つめていた。
「帰る場所を直す……。」
時計台。
風車村。
ベルマーレ。
アルドが直していたのは、機械だけではない。
人が集まる場所。
人が笑う場所。
人が帰ってくる場所。
「少しずつ。」
「アルドさんのことが分かってきた。」
⸻
ページをめくる。
時計台の設計図。
第38話で見つけた紙より、さらに詳しい。
鐘と振り子をつなぐ特殊な機構。
その横には、アルドの書き込み。
『時計は、一人では時を刻めない。』
そして。
最後のページには地図が描かれていた。
ベルマーレから北へ。
山を越え。
さらにその先。
雪に覆われた土地。
リペが覗き込む。
「次の場所ですか?」
修は頷いた。
地図の横には、一つの名前。
『白銀の町フロストベル』
その下には――
『第四の遺産 氷時計』
リペの目が輝く。
「雪です!」
「寒そうだな。」
「雪だるま作りましょう!」
「目的変わってるぞ。」
「かまくらも!」
「遺産は?」
「その後で!」
修は笑った。
「アルドさんも言ってたな。」
『寄り道こそ、旅の宝物。』
「じゃあ雪だるまくらいは作るか。」
「やったー!」
⸻
翌朝。
ベルマーレの町外れ。
修とリペは帰り支度を終えていた。
エリオットたちが見送りに来ている。
ルカは少し寂しそうだった。
「もう行っちゃうの?」
修はしゃがんで答える。
「一度、工房へ帰るよ。」
「また来る?」
「もちろん。」
ルカは小さな手を差し出す。
修も握り返した。
「それまで灯台を頼む。」
ルカは胸を張った。
「任せて!」
「ぼく、灯台守だから!」
リペも手を振る。
「また遊びましょう!」
「うん!」
⸻
二人が歩き始める。
その背中へ。
ゴォォォォン――。
鐘が鳴った。
修とリペが振り返る。
港の人々が手を振っている。
「いってらっしゃい!」
修は笑って手を振り返した。
「行ってきます!」
リペも両手を振る。
「行ってきまーす!」
ベルマーレの鐘は、もう寂しくない。
今日も誰かを送り出し。
今日も誰かを迎える。
そして。
いつか修とリペが帰ってきた時にも――
きっと同じ音で、
二人を迎えてくれるだろう。
ゴォォォォン――。
その音を背中に受けながら。
修とリペは、
自分たちの帰る場所――
異世界リペア工房へ向かって歩き始めた。




