第38話 鐘の中に残された音
ベルマーレに来て、七日目。
朝。
修が宿の窓を開けると――
「いってらっしゃーい!」
港から大きな声が聞こえてきた。
見ると、子どもたちが出港する漁船へ手を振っている。
船の上からも、
「行ってくるぞー!」
声が返ってくる。
修は小さく笑った。
「変わってきたな。」
隣のベッドから、リペがむくりと起き上がる。
「朝ですか?」
「朝だよ。」
「あと五分……。」
「ゴーレムも二度寝するんだな。」
「王都で覚えました。」
「覚えなくていいこと覚えたな。」
⸻
朝食を終え、二人は灯台へ向かった。
入口では今日もルカが掃除をしている。
「修理屋さん!」
「おはよう!」
「おはよう。」
リペも元気よく手を振る。
「おはようございます!」
ルカは得意げに報告した。
「今日は二十段掃除した!」
「昨日より五段多い!」
修は親指を立てる。
「立派な灯台守だ。」
「へへっ!」
その横を通りながら、リペがほうきを手に取った。
「私も負けません!」
「リペ。」
「はい?」
「普通に掃けよ。」
「もちろんです!」
ブンッ!
大量の埃が舞った。
「うわっ!」
「げほっ!」
「リペ!」
「綺麗にしようとしたら、空気が汚れました!」
「掃除って奥が深いな……。」
⸻
灯台最上階。
帰港の鐘は今日も静かに海を見つめている。
修は鐘へ手を当てた。
「さて。」
「今日は中を見せてもらおうか。」
【対象:帰港の鐘】
【損傷率:46%】
【帰港の習慣:31%】
【修理条件:一部達成】
【部分修理が可能になりました】
修の表情が明るくなる。
「進んだ。」
リペが覗き込む。
「直せるんですか?」
「全部はまだ無理。」
「でも、中を調べられる。」
⸻
修は鐘の内部へ潜り込んだ。
鐘を鳴らすための舌。
吊り金具。
古い鎖。
どれも潮風で傷んでいる。
「なるほど……。」
修は工具を取り出す。
錆を落とし、金具を磨く。
緩んだ部分を締め直す。
リペは外から工具を渡す。
「ご主人様!」
「小さいレンチです!」
「ありがとう。」
「次は?」
「布。」
「はい!」
雑巾が飛んでくる。
「投げなくていい。」
「効率化です!」
「危ないから普通に渡して。」
「はい!」
⸻
しばらくして。
修は鐘の奥に、小さな違和感を見つけた。
「ん?」
鐘の内側。
普通なら何もない場所に、小さな金属板が取り付けられている。
潮と錆で文字は読めない。
修は丁寧に布で磨いた。
少しずつ文字が現れる。
「これは……。」
アルドの文字だった。
そこには、こう刻まれていた。
『この鐘は、帰る者のために鳴らすな。』
リペが首をかしげる。
「え?」
修も黙って続きを読む。
『待つ者のためにも鳴らすな。』
「じゃあ誰のために鳴らすんですか?」
さらに下。
最後の一文。
『再び出会えた、二人のために鳴らせ。』
修はしばらくその言葉を見つめていた。
そして、ふっと笑う。
「なるほど。」
「だから『帰港の鐘』なのか。」
帰ってくる人だけではない。
待っていた人だけでもない。
二人が再び会えた。
その瞬間を祝う鐘。
「ただいま。」
「おかえり。」
その二つが揃って、初めて帰るということになる。
リペは感心したように頷く。
「アルドさん。」
「良いこと言いますね。」
「うん。」
「でも、分かりにくいところに書く人だな。」
「職人ですから!」
「職人ってそういうものなの?」
⸻
修は再び鐘を調べる。
すると。
金属板の裏側に、小さな穴があることに気づいた。
「隠し場所?」
慎重に板を外す。
カチッ。
中から小さな金属製の筒が転がり出た。
リペが目を輝かせる。
「宝物!」
「まだ分からないよ。」
筒を開く。
中には、一枚の古びた紙。
修がゆっくり広げる。
描かれていたのは――
町の時計台の一部だった。
「……!」
時計台内部。
巨大な振り子。
そして、その中心に取り付けられた特殊な歯車。
修が第26話で見つけた、あの振り子だった。
紙の隅にはアルドの文字。
『鐘の音は、時を動かす。』
修の表情が変わる。
「時計台につながった。」
リペも興奮する。
「設計図ですか!?」
「たぶん一部分だけ。」
修は紙を大切にしまった。
「でも。」
「確実に前へ進んでる。」
⸻
その時だった。
下からルカの声が聞こえる。
「船が帰ってきたぞー!」
修とリペは灯台の外へ出る。
沖から一隻の漁船が近づいていた。
港には人が集まり始めている。
マリアもいる。
子どもたちもいる。
家族たちもいる。
船が岸へ着く。
一人の少女が走り出した。
「お父さーん!」
船から男が降りる。
「ただいま!」
「おかえり!」
二人が抱き合った。
その瞬間。
――コン。
修が振り返る。
誰も触っていない。
それなのに。
鐘が鳴った。
ほんの小さな音。
けれど確かに。
百年間沈黙していた鐘が、自分から音を出した。
ルカが叫ぶ。
「鳴った!」
港の人々が一斉に灯台を見上げる。
リペは飛び跳ねた。
「ご主人様!」
「聞きました!?」
「ああ。」
修は笑った。
「聞こえた。」
鐘へ手を添える。
【帰港の習慣】
31% → 43%
【共鳴開始】
【完全修復条件まで、あと27%】
修は海を見つめた。
「もう少しだな。」
⸻
その夜。
宿へ戻ったリペは、ベッドの上で何かを作っていた。
「何してる?」
「練習です。」
「何の?」
リペは鍋を逆さにして、スプーンを構えた。
「鐘です!」
カーン!
「うるさっ!」
カーン!
「リペ!」
カーン!
隣の部屋から壁を叩く音。
ドン!
「すみませーん!」
修は慌てて鍋を取り上げた。
「鐘は明日にしよう。」
「はい……。」
しょんぼりするリペ。
三秒後。
「では木魚にします。」
「何で持ってるんだよ。」
港町の夜に。
ポク。
ポク。
妙に落ち着く音が響き始める。
修は布団へ入りながら笑った。
「まあ……。」
「こっちならいいか。」
遠くの灯台では、帰港の鐘が月明かりを浴びていた。
百年間閉じ込めていた音を、
少しずつ思い出すように。
明日もまた、
誰かの「ただいま」と、
誰かの「おかえり」を待ちながら。




