第33話 潮風を待つ羅針盤
翌朝。
異世界リペア工房。
窓から差し込む朝日を浴びながら、修は真鍮製の羅針盤を静かに見つめていた。
机の上には、エリオットから預かった古びた羅針盤。
磨かれた跡はある。
何度も修理された跡もある。
それでも針だけは北を指さず、静かに眠っていた。
リペはお茶を運んできた。
「ご主人様。」
「朝ごはんですよ。」
「ありがとう。」
修は羅針盤から目を離さず、小さく頷いた。
「まだ話を聞いてるんですか?」
「うん。」
「この子、何か伝えたそうなんだ。」
⸻
修は羅針盤へ、そっと手を添えた。
「さて。」
「どこが痛い?」
【対象:潮風の羅針盤】
【損傷率:58%】
【記憶を読み取ります】
ゆっくりと景色が流れ始める。
青い海。
白い灯台。
港には何十隻もの船が並び、人々が笑顔で荷物を運んでいる。
そこへ、一人の旅の職人が現れた。
工具箱を肩に担いだ男。
穏やかな笑顔。
アルドだった。
『海はいいですね。』
『同じ波は、一つもありません。』
港町の人々が笑う。
『だから毎日飽きないんだよ。』
アルドも笑顔で頷いた。
『時計も同じです。』
『同じ一秒は、一度しか来ません。』
景色が変わる。
嵐の夜。
船が港へ戻れない。
灯台の鐘だけが、力強く鳴り響く。
その音を頼りに、船が無事に帰ってくる。
最後に映ったのは、灯台の最上階。
鐘へ優しく触れるアルドの姿。
景色はそこで終わった。
⸻
修は静かに目を開ける。
「やっぱり。」
リペが覗き込む。
「何が見えました?」
修は羅針盤を撫でながら答えた。
「この子は。」
「灯台へ帰りたいんだ。」
その時。
コンッ。
羅針盤の針が、ほんの少しだけ動いた。
リペは目を丸くする。
「動きました!」
「まだ完全じゃない。」
修は微笑んだ。
「でも。」
「帰る場所が見えたんだ。」
⸻
そこへ、工房の扉が開く。
「修さん!」
ルナが息を切らして入ってきた。
「町長が呼んでます!」
「急ぎです!」
修とリペは顔を見合わせる。
⸻
時計台の広場。
町長の前には、一台の荷馬車が止まっていた。
御者は困った顔をしている。
「橋が壊れてしまってな。」
「港町へ向かう街道が通れないんじゃ。」
御者が頭を下げる。
「荷物を届けられません。」
修は地図を見る。
橋はベルマーレへ向かう唯一の近道だった。
「修理できますか?」
町長が尋ねる。
修は静かに頷いた。
「もちろん。」
「でも。」
「橋はみんなで直しましょう。」
⸻
町の大工。
ガイン。
村の若者たち。
子どもたちは釘を運び、リペは木材を抱えて走り回る。
「重いです!」
「でも頑張ります!」
途中でバランスを崩し、木材ごと尻もちをつく。
「いてて……。」
ガインは笑いながら手を貸した。
「力だけじゃない。」
「周りを頼るのも仕事だ。」
リペは照れ笑いを浮かべる。
「はい!」
⸻
修は橋の中央へ立ち、傷んだ梁へ手を当てる。
「修理。」
淡い光が木材を包む。
傷んだ部分だけが美しく修復され、古い木の風合いはそのまま残る。
ガインたちは新しい補強材を取り付けていく。
夕方――
最後の杭が打ち込まれた。
「できた!」
橋の上を荷馬車がゆっくり渡る。
ギシリとも鳴らない。
御者は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「これで港町へ行けます!」
修は笑顔で頷いた。
「私たちも、近いうちに向かいます。」
⸻
その夜。
工房へ戻ると、羅針盤の針が静かに北西を指していた。
エリオットが驚いた声を上げる。
「ベルマーレの方向です。」
修は工具箱を閉じる。
「準備は整った。」
リペは嬉しそうに旅の鞄を抱える。
「次は海ですね!」
修は窓から見える時計台へ視線を向ける。
時計台は静かに町を見守っていた。
「行ってきます。」
小さく呟くと、夜風が鐘楼を優しく吹き抜けた。
まるで時計台が、二人の旅立ちを応援しているようだった。
港町ベルマーレ編、開幕。




