第19話 百年、待ち続けた杖
王立魔道具研究所。
最奥の修復室。
修の前には、黒くひび割れた一本の杖が静かに横たわっていた。
部屋には誰も声を出さない。
エミリアも。
アルバート所長も。
研究員たちも。
全員が修を見つめている。
修は杖へゆっくり近付いた。
そして、いつものように優しく声を掛ける。
「こんにちは。」
研究員たちは顔を見合わせる。
「話しかけた?」
「杖に?」
アルバートは腕を組んだまま黙っている。
修は微笑んだ。
「初めまして。」
「今日はよろしく。」
そう言って、両手で杖を包み込む。
「さて。」
「どこが痛い?」
【対象:王国秘宝『星導の杖』】
【損傷率:97%】
【記憶閲覧を開始します】
その瞬間だった。
眩い光が修を包み込む。
⸻
そこは、今とはまったく違う王都だった。
まだ城壁も低く、人々は素朴な服を着ている。
一人の若い女性が杖を手にしていた。
銀色の長い髪。
優しい笑顔。
子どもたちに魔法を教えている。
『これは戦うための杖じゃない。』
『困っている人を助けるための杖よ。』
杖は嬉しそうに輝いていた。
景色が変わる。
干ばつ。
病気。
魔物。
女性は毎日、町を救うために魔法を使い続ける。
杖も必死に応える。
何年も。
何十年も。
そして最後の日。
女性は静かに杖を抱きしめた。
『ありがとう。』
『もう休んでいいよ。』
杖は最後の力で光り輝き――
砕けた。
景色はそこで終わった。
⸻
修はゆっくり目を開けた。
頬を、一筋の涙が伝っていた。
リペが心配そうに近寄る。
「ご主人様……。」
修は小さく笑う。
「大丈夫。」
「ちょっと泣いただけ。」
エミリアは息をのんだ。
「何が……見えたんですか?」
修は杖を優しく撫でる。
「百年間。」
「誰も修理できなかったんじゃない。」
「この子が。」
「ずっと休んでいただけなんだ。」
部屋が静まり返る。
アルバートが低い声で尋ねる。
「……どういう意味だ。」
修は杖を見つめたまま答える。
「働きすぎです。」
「百年じゃ足りないくらい。」
研究員たちは呆然としていた。
魔道具を。
「疲れた」と考えた者など、一人もいなかった。
修は微笑む。
「だから。」
「今日は修理しません。」
エミリアが驚く。
「え?」
「休ませます。」
アルバートも眉をひそめた。
「修理しないのか?」
「はい。」
「直すことだけが修理じゃありません。」
「休むことも、修理です。」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
⸻
その日の夕方。
修は杖を柔らかな布で包み、窓際へ置いた。
夕日が優しく差し込む。
「おやすみ。」
修がそう声を掛けると、
杖の魔石が、かすかに一度だけ光った。
ピクッ。
エミリアは目を見開く。
「光った……。」
アルバートも思わず一歩前へ出る。
「百年間。」
「一度も反応しなかったのに……。」
修は穏やかに笑った。
「安心したんですよ。」
「もう無理に働かなくていいって。」
その時だった。
部屋の外から、
ガシャーン!!
という盛大な音が響く。
修は苦笑する。
「……嫌な予感。」
廊下へ飛び出す。
そこには。
リペが鎧の展示台に引っ掛かり、
十体ほどの鎧が将棋倒しになっていた。
「ご主人様。」
「なんだ?」
「王都でも。」
「元気です!」
修は額を押さえた。
「それは知ってる。」
アルバートは数秒沈黙した後、
初めて大きな声で笑った。
「はっはっは!」
「百年ぶりだ。」
「研究所で、こんなに笑ったのは。」
エミリアも肩を震わせながら笑っている。
張り詰めていた研究所に、
少しだけ温かい空気が流れ始めていた。
その夜。
窓辺に置かれた星導の杖は、
誰にも気づかれないほど小さく、
もう一度だけ優しく光った。
まるで、
「ありがとう。」
そう呟いたかのように。




