第110話 四百八十年の呼吸
翌朝、修は工房の窓を開け、北丘陵の方角を眺めていた。
秋の冷たい風が入り込み、作業台の上に広げられた図面の端を揺らす。
そこには、昨日の調査で確認した地下施設の入口と換気口、そして周囲の地形が描かれていた。
「……四百八十年か」
修は小さく呟いた。
北丘陵の地下施設では、四百八十年前に作られた自律維持機構が、今も動き続けている。
銀色の球体によれば、その装置は施設の最低限の機能を維持するためのものらしい。
しかし、稼働効率は低下しており、残りどれほど動き続けられるのかは分からない。
「長い間、よく頑張ってきたな」
修は図面を見つめた。
「……でも、そろそろ点検が必要だよな」
その時、工房の扉が開いた。
「おはようございます、修さん!」
エルクが元気よく入ってきた。
「おはよう、エルク」
「今日は北丘陵の補強作業ですね!」
「ああ。ただし、まずはガルさんと計画を確認してからだ」
修は図面を指差した。
「入口と換気口の両方に、地盤が弱くなっている場所がある。無理に掘ったり、石材を動かしたりすると危険だからな」
エルクは頷いた。
「分かりました!」
工房の奥から、リペが小さな木箱を抱えてやってきた。
「ご主人様! 準備完了です!」
「おはよう、リペ。今日は何を持ってきた?」
「補強道具です!」
修が箱を覗き込むと、中には小さな木槌、測定用の糸、筆記具、そしてしゃもじが入っていた。
「……またしゃもじか」
「もちろんです!」
リペは胸を張った。
「しゃもじは万能道具です!」
「地盤の補強には使わないぞ」
「では、お昼ご飯の補強に使います!」
「それならいいけどな」
エルクが笑った。
修も苦笑しながら、道具箱を閉じた。
「よし。出発しよう」
⸻
午前九時。
修たちはガルの工房へ向かった。
ガルはすでに作業台へ大きな図面を広げていた。
「おう、来たか」
「おはようございます」
「昨日の地盤の状態を考えて、補強案をまとめておいたぞ」
ガルは図面を指差した。
北丘陵の入口周辺には、長年の雨水によって土が流れた場所があり、石板の上側に荷重が集中している可能性があった。
一方、換気口の周囲は、土砂の沈下によって石材が少し傾いている。
「まず、入口の上側にある土を安定させる。それから、石板の周囲に支えを設ける」
ガルは説明した。
「換気口は、周囲の土が崩れないように枠を作る。ただし、保護石材はまだ動かさん」
修は頷いた。
「それが良さそうですね」
エルクが尋ねた。
「支えは木材で作るんですか?」
「最初は木材だ。仮設の支えで状態を確認してから、必要なら石材で恒久的な補強をする」
ガルは笑った。
「いきなり大がかりな工事をする必要はない」
修も頷いた。
「まずは安全に調査できる状態を作ることが目的ですからね」
「そのとおりだ」
ガルは図面を丸めた。
「町長にも話は通してある。今日は地盤の確認と、仮設の支えを設置するところまで進めよう」
「お願いします」
⸻
午前十時半。
北丘陵へ到着した修たちは、まず入口周辺の状態を確認した。
ガルが測量棒を使い、地面の高さを測る。
エルクは記録帳に数値を書き込んだ。
修は鑑定で石材の損傷状態を確認する。
リペは小さな鏡を使い、石板の隙間を覗き込んでいた。
「ご主人様! こちらの隙間には土が詰まっています!」
「分かった。記録しておこう」
「はい!」
修は石板の周囲を確認した。
前回と比べて大きな変化はない。
しかし、上側の石組みには細かな亀裂がいくつか見つかった。
「……ここは注意が必要ですね」
ガルが頷いた。
「ああ。上からの荷重がかかっている」
ガルは木材を組み合わせ、仮設の支えを作り始めた。
修とエルクも手伝った。
木材を切り、接合部を調整し、石材へ無理な力がかからないように固定する。
作業は慎重に進められた。
「エルク、その木材を少し右へ」
「はい!」
「リペ、水平を確認してくれ」
「了解です!」
リペは測定器を覗き込んだ。
「右側が少し低いです!」
「よし。調整しよう」
修は薄い木片を挟み、支えの高さを揃えた。
ガルが確認する。
「……いいな。これなら荷重を分散できる」
修は頷いた。
「まずは一安心ですね」
「まだ仮設だからな。油断はするなよ」
「もちろんです」
⸻
昼過ぎ。
入口周辺の仮設補強が完成した。
続いて、換気口の周囲へ移動する。
そこには、昨日発見した四角い石材が、草の間から顔を覗かせていた。
ガルは周囲の土を慎重に調べた。
「……こっちは少し厄介だな」
修が尋ねた。
「どうしました?」
「土が柔らかい。下に空洞がある可能性もある」
修は鑑定を発動した。
【北丘陵・換気口周辺地盤】
【表層状態:一部沈下】
【地下構造:空洞の可能性】
【安定性:要確認】
修は頷いた。
「……確かに、空洞があるかもしれません」
エルクが不安そうに尋ねた。
「危険ですか?」
「すぐに崩れるとは限らないけど、無理に荷重をかけるのは避けた方がいいな」
ガルは腕を組んだ。
「まずは周囲に足場を作るか」
修は頷いた。
「そうですね。地面へ直接乗らずに作業できるようにしましょう」
ガルは持ってきた木材を使い、換気口の周囲に小さな作業台を組み立てた。
地面に荷重が集中しないよう、支えを広い範囲へ分散させる構造だ。
エルクはその様子を見ながら感心した。
「……すごいですね」
ガルが笑った。
「何がだ?」
「木材を組み合わせるだけで、地面にかかる力を減らせるんですね」
「ああ。大事なのは、力をどこへ逃がすかだ」
修も頷いた。
「時計の歯車と同じだな。力の流れを考えることが大切なんだ」
エルクは嬉しそうに頷いた。
「なるほど!」
⸻
午後二時。
作業台が完成したところで、修は換気口の周囲を詳しく調べ始めた。
石材の表面には、長年の風雨によってできた細かな傷がある。
しかし、内部の構造は比較的良好だった。
「……四百八十年前の石材とは思えないな」
修が呟くと、ガルも頷いた。
「いい石を使っている。それに、加工も丁寧だ」
修は石材の隙間へ小さな測定器を近づけた。
昨日と同じように、周期的な魔力反応が検出された。
「……今日も動いているな」
エルクが覗き込んだ。
「昨日と同じ間隔ですか?」
「ああ。ほぼ同じだ」
その時、リペが胸の宝石を押さえた。
「ご主人様……また、むずむずします」
修は振り返った。
「昨日と同じか?」
「はい。でも、今日は少し強いです」
修は測定器を確認した。
確かに、魔力反応が昨日よりもわずかに強くなっていた。
「……なるほど」
修は考え込んだ。
「もしかすると、昨日の調査で何かが変わったのかもしれないな」
エルクが尋ねた。
「どういうことですか?」
「外部端子へ接続したことで、施設の保守機構が何かを認識した可能性がある」
修は銀色の球体を取り出した。
「……少し確認してみよう」
球体の青い宝石が淡く輝いた。
【第六系統・北丘陵施設】
【外部保守接続:確認】
【自律維持機構:稼働中】
【保守信号:受信】
修は目を細めた。
「……保守信号?」
表示が続いた。
【自律維持機構は、外部からの保守接続を認識しました】
【現在、保守応答を準備中】
エルクが驚いた。
「……応答するんですか?」
修は頷いた。
「どうやら、そのようだな」
しかし、すぐに新しい表示が現れた。
【注意】
【保守応答には、一定量の魔力が必要】
【現在の稼働効率では、応答処理に時間を要します】
修は腕を組んだ。
「……なるほど。無理に急がせる必要はないな」
エルクも頷いた。
「待ちましょう」
リペが元気よく手を挙げた。
「私、待つのは得意です!」
修は笑った。
「そうなのか?」
「はい! ご飯が炊けるまで、いつも待っています!」
「それは確かに待ってるな」
⸻
午後三時。
修たちは換気口の周囲の補強を終え、作業を中断した。
外部保守応答は、まだ準備中のままだった。
修は球体を確認した。
【保守応答:準備中】
【推定完了時間:不明】
「……今日はここまでかな」
修は呟いた。
エルクが尋ねた。
「応答が来るまで、ずっと待つんですか?」
「いや。工房へ戻って、他の仕事をしながら待とう」
修は笑った。
「四百八十年も動いてきた装置だ。少しくらい待ってやろう」
ガルも頷いた。
「そうだな。補強の状態も、明日もう一度確認した方がいい」
「お願いします」
修たちは道具を片付け、北丘陵を後にした。
⸻
夕方。
工房へ戻った修は、今日の調査結果を記録帳へまとめていた。
入口周辺の仮設補強。
換気口周辺の作業台。
自律維持機構の保守信号。
そして、準備中の保守応答。
「……少しずつ進んでいるな」
修は小さく笑った。
エルクが頷いた。
「はい。最初は入口すら分からなかったのに、今は中の装置とやり取りできるようになりましたね」
「ああ。焦らず調べれば、ちゃんと道は見つかるものだな」
リペが手を挙げた。
「ご主人様! 私にも道が見えました!」
「何の道だ?」
「夕ご飯への道です!」
修は苦笑した。
「そろそろ休憩にするか」
「やったー!」
リペは嬉しそうに飛び跳ねた。
⸻
その夜。
修が工房の片付けを終えようとした時だった。
作業台の上に置かれた銀色の球体が、突然青く輝いた。
「……ん?」
修は振り返った。
球体の表面に、古代文字が浮かび上がる。
【第六系統・北丘陵施設】
【保守応答:受信】
【自律維持機構からの記録を取得】
修は目を見開いた。
「……来たか!」
表示が続いた。
【記録番号:第六系統・保守記録四八〇】
【記録内容:自律維持機構の稼働状況】
【稼働開始:約四百八十年前】
【通常保守周期:十年】
【最終保守実施:約百二十年前】
修は驚いた。
「……百二十年前?」
百二十年前といえば、オルフェンの祖父たちが北丘陵の地下施設を調査し、封鎖した時期だ。
修は記録帳を開いた。
「……まさか」
球体の表示が変化した。
【最終保守記録】
【保守担当者:未登録】
【保守作業:未完了】
【異常検出:補助環接続部】
【安全保護機構:作動】
修は息を呑んだ。
「……なるほど」
百二十年前、地下施設は何らかの異常を検出した。
そして、安全保護機構が作動し、補助環を遮断した。
その時、保守作業は完了しなかった。
修は静かに呟いた。
「……あの時、何かが起きたんだな」
しかし、表示はまだ続いていた。
【保守記録・補足】
【異常発生時、外部からの操作を検出】
【操作内容:補助環接続部の再起動要求】
【安全保護機構により拒否】
修は眉をひそめた。
「……再起動要求?」
誰かが、異常を検出した補助環を再び動かそうとした。
しかし、安全装置はそれを拒否したのだ。
修は腕を組んだ。
「……百二十年前の調査隊が操作したのか?」
それとも、別の誰かが関わっていたのか。
記録には、操作した人物の名前が残されていない。
修は球体を見つめた。
「……まだ、分からないことが多いな」
その時、さらに新しい表示が現れた。
【重要記録】
【補助環接続部の異常原因】
【推定:外部魔力の逆流】
修は目を見開いた。
「……逆流?」
表示が続いた。
【第六系統・補助環接続部】
【外部から想定外の魔力流入を検出】
【安全保護機構により遮断】
【遮断後、異常流入は停止】
修は静かに頷いた。
「……そういうことか」
地下施設の補助環は、壊れて止まったのではない。
外部から流れ込んできた異常な魔力を防ぐため、自ら接続を切り離したのだ。
修は記録帳へ書き込んだ。
『補助環接続部の遮断原因は、外部魔力の逆流である可能性が高い。安全保護機構は正常に作動したと考えられる。』
そして、最後に一文を付け加えた。
『修理すべきなのは、止まった装置ではなく、異常な魔力が流れ込んだ原因かもしれない。』
修はペンを置いた。
「……さて、どこが痛い?」
銀色の球体は、静かに青く輝いていた。
四百八十年もの間、地下施設を守り続けてきた装置。
その装置が百二十年前に防いだものは、いったい何だったのか。
修は窓の外を見つめた。
夜の町では、アルド大時計台が静かに時を刻んでいた。
古代の施設が守ろうとしたもの。
百二十年前に起きた異常。
そして、今も続く自律維持機構の働き。
その謎を解くための手掛かりが、ようやく見え始めていた。




