第109話 百二十年前の封鎖記録
翌朝、修は工房の作業台に二冊の記録帳を並べていた。
一冊は、北丘陵の地下施設で行った調査の記録。もう一冊は、古代式魔力導通板の製作記録だった。
その隣には、五層の導通板が収められた木箱と、銀色の球体が置かれている。
「……さて、問題はここだな」
修は昨日の調査結果を読み返した。
【第六系統・補助環接続部】
【接続状態:遮断】
【遮断理由:安全保護】
【異常発生原因:記録欠落】
地下施設の補助環は、単に壊れて動かなくなったわけではない。何らかの異常を検出し、自ら魔力の流れを止めていたのだ。
しかも、銀色の球体は再起動を推奨していない。
修は腕を組んだ。
「原因が分からないものを、無理に動かすわけにはいかないよな」
「おはようございます、修さん!」
工房の扉が開き、エルクが入ってきた。
「おはよう、エルク」
「今日は地下施設の入口を補強するんですか?」
「その前に、調べたいことがあるんだ」
修は一枚の古い地図を広げた。
オルフェンの家で写し取った、百二十年前の北丘陵の測量図だ。
「この地下施設が発見された時、どうして封鎖されたのか。もう少し詳しく知りたい」
エルクは首をかしげた。
「崩落の危険があったからじゃないんですか?」
「町の記録にはそう書いてある。でも、具体的にどこが危険だったのかは分からない」
修は地図の端を指差した。
「それに、少し気になることがある」
「何ですか?」
「入口が発見された場所と、封鎖された場所が微妙に違うんだ」
エルクは地図を覗き込んだ。
確かに、測量図には二つの印が描かれていた。
一つは、地下施設の入口。
もう一つは、その少し東側にある小さな四角い印だった。
「……本当ですね」
「ああ。もしかすると、当時の調査では、入口以外にも何か見つけていたのかもしれない」
その時、工房の奥からリペが飛び出してきた。
「ご主人様! おはようございます!」
「おはよう、リペ」
「本日の予定は何でしょうか!」
「昔の記録を調べに行くぞ」
リペは目を輝かせた。
「なるほど! 宝探しですね!」
「記録探しだな」
「古い記録は宝物です!」
修は少し考えてから笑った。
「……それは確かにそうだな」
リペは得意げに胸を張った。
「では、宝探し隊、出発です!」
⸻
午前十時。
修たちはオルフェンの家を訪ねた。
玄関の扉を開けたオルフェンは、三人の姿を見ると嬉しそうに笑った。
「おお、修君。また来てくれたのか」
「おはようございます。少しお聞きしたいことがありまして」
「構わんよ。さあ、入りなさい」
三人は二階の書斎へ案内された。
部屋には古い測量器具や地図が並び、窓際の机には、以前修が修理した角度測定器が大切そうに置かれていた。
「測定器の調子はいかがですか?」
修が尋ねると、オルフェンは嬉しそうに頷いた。
「実にいい。孫にも見せたら、たいそう喜んでおったよ」
「それは良かったです」
「修君のおかげで、祖父の道具を次の世代へ渡せる」
オルフェンはそう言ってから、修の持っている地図へ目を向けた。
「今日は北丘陵の件かね?」
「はい。実は、地下施設の入口を見つけまして」
「ほう!」
オルフェンは驚いた。
修はこれまでの調査結果を説明した。
地下施設の入口に、安全制御装置があったこと。
古代式魔力導通板の試作品を製作したこと。
そして、施設内部の補助環が、安全保護のために自動停止していること。
オルフェンは真剣な表情で話を聞いていた。
「……なるほど。あの地下施設に、そんな仕組みがあったとはな」
「それで、百二十年前の調査記録をもう一度確認したいんです」
修は地図を広げた。
「この四角い印が気になりまして」
オルフェンは眼鏡をかけ直し、地図を覗き込んだ。
「……ああ、これか」
「何かご存じですか?」
オルフェンは少し考えた。
「確か、祖父の日記に書かれていたはずだ」
そう言って、棚から古い革表紙の手帳を取り出した。
「少し待ってくれ」
オルフェンは慎重にページをめくった。
やがて、ある場所で手を止めた。
「……あったぞ」
修とエルクが顔を近づけた。
オルフェンは日記を読み上げた。
「『北丘陵東側に、人工的な石造構造物を発見。入口と思われる石板のほか、東方約二十歩の位置に小規模な換気口らしき構造あり』」
エルクが驚いた。
「換気口ですか?」
「ああ。どうやら、地下施設には空気を通すための穴があったらしい」
修は頷いた。
「なるほど……」
オルフェンは続きを読む。
「『換気口付近にて、微弱な魔力反応を確認。内部から周期的な振動音が聞こえるとの報告あり』」
修は顔を上げた。
「……振動音?」
「ああ。どうやら、何かが動いていたようだ」
「百二十年前には、まだ施設が動いていたんでしょうか?」
エルクが尋ねた。
オルフェンは首を横に振った。
「そこまでは分からん。しかし、祖父はその音を不思議に思っていたようだ」
さらにページをめくる。
「……おや?」
オルフェンの表情が変わった。
「どうしました?」
修が尋ねた。
「封鎖の理由について、詳しい記録がある」
修は身を乗り出した。
「ぜひ、読ませてください」
オルフェンは頷き、日記を机へ置いた。
そこには、少し乱れた文字で、次のように記されていた。
『調査三日目。換気口より断続的な振動音を確認。入口石板の一部に赤色の警告表示が現れたため、作業を中断。同行した技師は、内部装置が何らかの異常を検知している可能性を指摘した。』
修は息を呑んだ。
「……赤色の警告表示」
エルクも驚いた。
「今の安全制御装置と同じですね!」
「ああ」
修は頷いた。
「百二十年前にも、異常が検出されていたんだ」
オルフェンはさらに読み進めた。
『調査四日目。入口周辺の地盤に小規模な沈下を確認。地下施設の安全性を判断できず、町へ封鎖を進言。換気口も土砂流入を防ぐため、保護石材で覆うこととした。』
修は静かに頷いた。
「……なるほど」
エルクが尋ねた。
「つまり、崩落の危険だけじゃなかったんですね」
「ああ。地下施設の内部でも、何か異常が起きていた可能性がある」
修は日記を見つめた。
百二十年前の調査隊は、危険を察知して作業を中断した。
そして、入口を封鎖した。
その判断があったからこそ、地下施設は今日まで大きく荒らされずに残っていたのかもしれない。
「……慎重な人たちだったんですね」
修が呟くと、オルフェンは嬉しそうに笑った。
「祖父も、無理をするのが嫌いな人だったらしい」
「いい職人だったんでしょうね」
「測量士だったがな」
オルフェンは笑った。
修も笑った。
「測量士も、立派な職人ですよ」
⸻
昼前。
修は日記の該当部分を写し取り、オルフェンへ礼を言った。
「ありがとうございました。大変参考になりました」
「いやいや。祖父の記録が役に立つなら、こんなに嬉しいことはない」
オルフェンは少し考えた後、修へ声をかけた。
「修君。一つ頼みがある」
「何でしょうか?」
「もし地下施設を調べることになったら、私にも結果を教えてくれないか」
修は頷いた。
「もちろんです」
オルフェンは嬉しそうに笑った。
「祖父が見つけたものが、何だったのか。私も知りたいからな」
修は微笑んだ。
「分かりました。きちんと記録して、お伝えします」
⸻
午後一時。
修たちはガルの工房を訪ねた。
ガルは石材を加工しているところだった。
「おう、修。どうした?」
「北丘陵の件で、新しい情報が見つかりました」
修はオルフェンの日記の写しを見せた。
ガルは内容を確認し、眉を上げた。
「……換気口か」
「はい。入口の東側にあるらしいんです」
ガルは腕を組んだ。
「なるほど。地下施設なら、換気口があっても不思議じゃないな」
「ただ、百二十年前に保護石材で覆われているそうです」
「ふむ……」
ガルは少し考えた。
「換気口なら、入口とは別の場所から内部の状態を調べられるかもしれんな」
修は頷いた。
「そう思っています。ただし、石材を動かす前に、周囲の状態を確認したいんです」
ガルは笑った。
「いい判断だ」
そして、壁に立てかけてあった測量棒を手に取った。
「よし。今から見に行くか」
修は驚いた。
「今からですか?」
「ああ。天気もいいし、明日に延ばす理由もないだろう」
ガルは笑った。
「もちろん、危険なら何もしないぞ」
修は頷いた。
「ありがとうございます」
⸻
午後二時。
修たちは再び北丘陵へ向かった。
前回調査した入口石板から、東へ約二十歩。
そこには、草に覆われた小さな石組みがあった。
「……これか?」
修はしゃがみ込み、草をかき分けた。
すると、地面に四角い石材が埋まっているのが見えた。
ガルが近づいて確認した。
「……なるほど。確かに人工物だな」
修は鑑定を発動した。
【古代施設・外部換気口】
【製造年代:約四百八十年前】
【損傷率:29%】
【用途:施設内部の空気循環】
【状態:保護封鎖中】
【注意:内部気流の状態不明】
修は頷いた。
「……間違いないですね」
エルクが嬉しそうに声を上げた。
「見つかりましたね!」
「ああ。でも、今日は開けないぞ」
リペが少し残念そうに肩を落とした。
「また開けないんですか?」
「まずは状態を調べるんだよ」
ガルも頷いた。
「それに、この石材は百二十年前に置かれたものらしい。周囲の土が締まっているから、無理に動かすと崩れる可能性がある」
修は石材の周囲を確認した。
確かに、地面には細かな亀裂があり、土砂が少し沈んでいる。
「……補強が必要ですね」
「ああ。入口と同じだな」
修は記録帳に書き込んだ。
『外部換気口を確認。保護石材は現状維持。周囲の地盤に沈下の痕跡あり。開放前に補強が必要。』
エルクはその様子を見ながら尋ねた。
「修さん、換気口を開けなくても、中の状態を調べる方法はありませんか?」
修は少し考えた。
「……あるかもしれないな」
「本当ですか?」
「ああ。石材を動かさずに、隙間から空気の流れや温度を調べる方法なら考えられる」
修は小さな測定器を取り出した。
しかし、石材の隙間は非常に狭かった。
「……これじゃ入らないな」
エルクが覗き込んだ。
「細い管なら入りそうですけど」
「そうだな」
修は少し考えた。
「細い管を使って、空気を採取できれば……」
その時、リペが手を挙げた。
「ご主人様! 私にいい考えがあります!」
「何だ?」
「しゃもじを細く削ります!」
「それは管じゃないだろ」
「……確かに!」
エルクが笑った。
修も苦笑した。
「でも、細い道具を使うという発想は悪くないな」
⸻
修は工房から持ってきた細い金属管を取り出した。
時計台の修復で使った、油を差すための道具だった。
先端が細く、曲げることもできる。
「これなら入るかもしれない」
修は慎重に管を隙間へ差し込んだ。
無理に押し込まず、抵抗を感じたところで止める。
やがて、管の先端が石材の内側へ届いた。
「……よし」
修は小さな空気採取器を接続した。
そして、ゆっくりと内部の空気を吸い上げる。
採取器の中に、わずかな空気が溜まった。
修は測定器で確認した。
【採取空気】
【温度:外気より低い】
【湿度:高】
【有害成分:検出なし】
【魔力反応:微弱】
修は頷いた。
「……なるほど」
エルクが尋ねた。
「どうですか?」
「少なくとも、採取した範囲では異常な成分は検出されなかった」
「じゃあ、安全なんですか?」
修は首を横に振った。
「いや。これだけじゃ分からない」
エルクは頷いた。
「そうですよね」
「空気が一部だけ入れ替わっている可能性もあるし、奥の状態は別かもしれない」
修は記録帳に結果を書き込んだ。
「ただ、内部の空気が完全に止まっているわけではなさそうだ」
ガルが腕を組んだ。
「つまり、どこかに空気の通り道が残っているということか」
「その可能性があります」
修は換気口を見つめた。
「……施設は、まだ完全には死んでいないのかもしれません」
⸻
調査を終えようとした時だった。
リペが突然、胸の宝石を押さえた。
「……あれ?」
修が振り返った。
「どうした、リペ?」
「ご主人様。何だか、胸がむずむずします」
「むずむず?」
「はい。くすぐったいような、不思議な感じです」
修はすぐにリペの胸の宝石を確認した。
淡い青色の光が、ゆっくりと明滅している。
「……魔力が反応しているのか?」
修は測定器を取り出した。
すると、換気口の周囲から、ごく弱い魔力の変化が検出された。
「……ん?」
エルクが驚いた。
「何かあるんですか?」
修は慎重に測定器を動かした。
換気口の中央ではなく、その少し右側。
石材の下にある細い隙間から、周期的な魔力反応が発生していた。
「……ここだ」
修はしゃがみ込んだ。
ガルも近づいた。
「何か見つけたのか?」
「この隙間から、一定の間隔で魔力が流れています」
「ほう……」
修は測定器を見つめた。
魔力の反応は、強くなったり弱くなったりを繰り返している。
その間隔は、ほぼ一定だった。
「……まるで、呼吸しているみたいだな」
エルクが呟いた。
修は頷いた。
「そうだな」
その時、リペが小さく声を上げた。
「ご主人様!」
「どうした?」
「これ、私の胸の宝石と同じ間隔です!」
修は驚いた。
「……本当か?」
リペは頷いた。
「はい! さっきから、同じように光っています!」
修は測定器を確認した。
確かに、換気口から発生する魔力反応と、リペの胸の宝石の明滅が同期していた。
「……なるほど」
修は小さく呟いた。
「この施設のどこかに、リペと共鳴する装置があるのかもしれない」
エルクが目を輝かせた。
「銀色の球体と同じですね!」
「ああ。可能性は高いな」
修は換気口を見つめた。
しかし、内部を確認することはできない。
石材を動かせば、周囲の地盤が崩れる危険がある。
修は静かに立ち上がった。
「……今日はここまでにしよう」
リペが驚いた。
「えっ!? もうですか?」
「ああ。新しい情報は得られたし、無理に進む必要はない」
ガルも頷いた。
「賛成だ。次は補強の準備をしてからだな」
修は頷いた。
「お願いします」
⸻
夕方。
工房へ戻った修は、今日の調査結果を整理していた。
百二十年前の封鎖記録。
地下施設の換気口。
内部から発生する周期的な魔力反応。
そして、リペとの共鳴。
修は記録帳を見つめた。
「……少しずつ分かってきたな」
エルクが頷いた。
「はい。でも、まだ謎が多いですね」
「ああ。特に、補助環が何を守ろうとして止まったのか。それが分からない」
修は銀色の球体を作業台へ置いた。
「……お前は、何を知っているんだ?」
球体は静かに青く輝いた。
すると、表面に古代文字が浮かび上がった。
【第六系統・北丘陵施設】
【外部換気口:確認】
【補助環接続部:遮断中】
【内部魔力反応:検出】
修は目を細めた。
「……やっぱり、何かあるのか」
表示が続いた。
【内部魔力反応の発生源】
【推定位置:地下施設・第二保守区画】
【反応種別:自律維持機構】
エルクが驚いた。
「自律維持機構?」
修は首をかしげた。
「……自分で動き続ける仕組み、ということかな」
さらに表示が変わった。
【自律維持機構】
【用途:施設の最低限の機能維持】
【状態:稼働中】
【稼働期間:約四百八十年】
修は息を呑んだ。
「……四百八十年?」
エルクも驚いた。
「そんなに長い間、動き続けているんですか!?」
リペは胸の宝石を見つめた。
「……すごいですね」
修は静かに頷いた。
「……ああ」
四百八十年前に作られた施設。
その大部分は停止している。
しかし、地下のどこかでは、今も最低限の機能を維持するための装置が動き続けているのだ。
修は小さく笑った。
「……古代の職人たちは、本当にすごいものを作ったんだな」
しかし、球体の表示はまだ終わっていなかった。
【注意】
【自律維持機構の稼働効率:低下】
【推定残存稼働期間:不明】
【推奨事項:保守点検】
修は表情を引き締めた。
「……なるほど」
エルクが尋ねた。
「どうするんですか?」
修は記録帳を閉じた。
「まずは、入口と換気口の補強を進めよう。それから、安全に内部を調べる方法を考える」
「はい!」
修は銀色の球体を見つめた。
「四百八十年も頑張ってきた装置なら、できるだけ長く動けるようにしてやりたいな」
リペが元気よく頷いた。
「私もお手伝いします!」
修は笑った。
「ああ。頼りにしてるぞ」
窓の外では、アルド大時計台が夕暮れの町に鐘の音を響かせていた。
四百八十年前の技術。
百二十年前の記録。
そして、今を生きる職人たち。
長い年月を隔てた三つの時代が、少しずつつながり始めていた。
修は静かに呟いた。
「……さて、次は地下の番だな」
銀色の球体は、その言葉に応えるように、一度だけ青く輝いた。




