第111話 逆流する魔力と六つの水路
翌朝、修が工房へ入ると、作業台の上に置かれた銀色の球体が、いつもより明るく輝いていた。
昨夜、北丘陵の地下施設から届いた保守記録。
そこには、百二十年前に発生した異常の原因として、外部魔力の逆流が記されていた。
地下施設の補助環は、その異常を検出し、安全保護機構によって自ら接続を遮断していたのだ。
「……外から魔力が流れ込んできた、か」
修は記録帳を開いた。
『第六系統・補助環接続部。外部から想定外の魔力流入を検出。安全保護機構により遮断。』
何度読んでも、気になるのは一つの言葉だった。
外部。
「……どこから流れてきたんだ?」
修は腕を組んだ。
古代魔力循環機構は、中央制御核一基と、補助環六基で構成されている。
中央制御核は魔力を生み出す装置ではなく、必要な場所へ必要な量を分配するためのものだ。
つまり、魔力はどこかから供給され、六つの経路を通って各施設へ送られていたはずだった。
「……水道みたいなものだな」
修は小さく呟いた。
「でも、水が逆流するなら、どこかで圧力の関係が変わったってことか」
その時、工房の扉が開いた。
「おはようございます、修さん!」
エルクが元気よく入ってきた。
「おはよう、エルク。ちょうどいいところに来たな」
「何か分かったんですか?」
「ああ。昨日の夜、地下施設から新しい記録が届いたんだ」
修は記録帳を見せた。
エルクは真剣な表情で読み始めた。
「……外部魔力の逆流?」
「ああ。どうやら、補助環が止まった原因はこれらしい」
エルクは少し考えた。
「つまり、地下施設が壊れたんじゃなくて、外から変な魔力が流れてきたんですね」
「そういうことだと思う」
修は頷いた。
「ただし、どこから流れてきたのかは分からない」
エルクは首をかしげた。
「それなら、魔力が流れる道を調べればいいんじゃないですか?」
修は笑った。
「まさに、今日はそれを考えていたところだ」
そこへ、リペが工房の奥から飛び出してきた。
「ご主人様! おはようございます!」
「おはよう、リペ」
「本日の予定は何でしょうか!」
「魔力の流れを調べるぞ」
リペは目を輝かせた。
「なるほど! 川遊びですね!」
「魔力の流れだよ」
「では、魔力遊びです!」
「遊びじゃないんだって」
エルクが笑った。
修も苦笑しながら、作業台へ大きな紙を広げた。
「よし。まずは、仕組みを整理しよう」
⸻
修は紙の中央に大きな円を描いた。
「これが中央制御核だ」
その周囲に、小さな円を六つ描く。
「そして、これが六つの補助環」
エルクは頷いた。
「北丘陵は、そのうちの一つですね」
「ああ。第六系統だ」
修は中央の円から、六つの円へ線を引いた。
「この線が、魔力の通り道だと考えよう」
エルクは図面を見つめた。
「……本当に水路みたいですね」
「そうだな」
修は笑った。
「じゃあ、ここで問題だ。水路の途中で水が逆流するのは、どんな時だと思う?」
エルクは少し考えた。
「……下流の水位が上がった時ですか?」
「正解」
修は頷いた。
「ほかにも、ポンプの故障や、別の水路からの流入が考えられる」
エルクは目を輝かせた。
「じゃあ、魔力も同じように考えられるんですね!」
「ああ。魔力の流れを、水の流れとして考えてみると分かりやすい」
修は北丘陵の円を指差した。
「ここへ外部から魔力が逆流した。ということは、北丘陵より先に、何か別の装置があった可能性がある」
エルクが驚いた。
「北丘陵が終点じゃないんですか?」
「分からない。でも、補助環という名前から考えると、そこからさらに別の施設へ魔力を送っていた可能性はある」
修は腕を組んだ。
「まずは、古代の記録をもう一度確認しよう」
⸻
修は銀色の球体を作業台へ置いた。
「第六系統の魔力流路について、分かる範囲で教えてくれ」
球体の青い宝石が淡く輝いた。
【第六系統・魔力流路情報】
【中央制御核からの供給経路:確認】
【補助環接続部:遮断中】
【補助環以遠の接続先:記録不完全】
修は頷いた。
「……やっぱり、先があるのか」
エルクが尋ねた。
「何か分かりましたか?」
「北丘陵の補助環より先にも、魔力の通り道があるらしい」
修は表示を見つめた。
「ただし、その接続先の記録は欠けている」
リペが手を挙げた。
「ご主人様! 私にも分かりました!」
「何だ?」
「道が途中で消えているんですね!」
「まあ、そういうことだな」
「では、地図を作りましょう!」
修は少し驚いた。
「……地図?」
「はい! 道が分からないなら、歩いて調べればいいんです!」
エルクが笑った。
「魔力の道は歩けないですよ、リペ先輩」
「ええっ!?」
リペは驚いた。
「では、どうやって調べるんですか?」
修は少し考えた。
「……いや、発想は悪くないぞ」
エルクが顔を上げた。
「えっ?」
「魔力の流路を、地図として調べるんだ」
修は古い測量図を広げた。
「地上の地形と、地下の構造を照らし合わせれば、何か見つかるかもしれない」
リペは得意げに胸を張った。
「やはり、私の知性が光りましたね!」
「そうだな」
修は笑った。
「今日はその知性を頼りにするぞ」
「お任せください!」
⸻
午前十時。
修たちは町の資料室を訪れた。
北丘陵周辺の古い地図を調べるためだ。
資料室には、町の建設記録や土地台帳、古い測量図などが保管されていた。
修は管理人へ事情を説明し、閲覧の許可を得た。
「北丘陵の古い地形図ですね。少しお待ちください」
管理人は棚から数冊の資料を取り出した。
「こちらが約百年前の測量図、その前のものが約二百年前の地図です」
「ありがとうございます」
修は資料を受け取り、机へ広げた。
エルクとリペも隣に座った。
「……さて、何か見つかるかな」
修は地図を見比べ始めた。
百年前の地図。
二百年前の地図。
そして、現在の地図。
北丘陵の形は大きく変わっていない。
しかし、ある部分だけが気になった。
「……ん?」
修は二百年前の地図を指差した。
「ここに、細い水路があるな」
エルクが覗き込んだ。
「本当ですね」
現在の地図では、その水路は消えていた。
代わりに、小さな道が通っている。
修は管理人へ尋ねた。
「この水路は、いつ頃なくなったんでしょうか?」
管理人は地図を確認した。
「確か、百五十年ほど前に埋め立てられたと記録されています」
「百五十年前……」
修は呟いた。
「地下施設の封鎖より少し前ですね」
エルクが尋ねた。
「何か関係があるんでしょうか?」
「まだ分からない。でも、気になるな」
修は水路の位置を記録した。
その水路は、北丘陵の東側を通り、町の外れへ続いていた。
そして、その先には小さな池が描かれていた。
「……池?」
修は地図を見つめた。
現在の地図には、その池も存在しない。
代わりに、広い草地が描かれている。
「……なるほど」
修は腕を組んだ。
「昔は、ここに池があったんだな」
⸻
昼過ぎ。
修たちは町の外れへ向かった。
古い地図に描かれていた池の跡地だ。
そこには、広い草地が広がっていた。
周囲には低い木々が生え、ところどころに石が転がっている。
「……ここが昔の池ですか」
エルクが呟いた。
「ああ。地形を見ると、少し窪んでいるだろ?」
修は地面を指差した。
「水が溜まりやすい場所だったんだろうな」
リペは草地を見渡した。
「ご主人様! 池がありません!」
「埋め立てられたからな」
「残念です! 水遊びができません!」
「今日は水遊びじゃないぞ」
修は苦笑した。
そして、測定器を取り出した。
「さて、魔力反応があるか調べてみよう」
修は草地をゆっくり歩きながら、測定器を確認した。
最初は、ほとんど反応がなかった。
しかし、中央付近へ近づくと、針がわずかに動いた。
「……ん?」
修は足を止めた。
エルクが尋ねた。
「何かありましたか?」
「微弱な魔力反応がある」
修は測定器を動かした。
反応は、草地の中央から北側へ向かって続いている。
「……これは」
修は古い地図を取り出した。
魔力反応が続く方向と、かつての水路の位置がほぼ一致していた。
「……やっぱりな」
エルクが驚いた。
「昔の水路と同じ場所ですね!」
「ああ。偶然かもしれないけど、調べる価値はありそうだ」
修は地面へしゃがみ込み、鑑定を発動した。
【旧水路跡・地下構造】
【地表:埋立土】
【地下:人工構造物の可能性】
【魔力反応:微弱】
【詳細:不明】
修は目を細めた。
「……人工構造物?」
エルクが顔を上げた。
「地下に何かあるんですか?」
「その可能性があるな」
修は周囲を見渡した。
草地には、古い石材がいくつか埋まっている。
そのうち一つは、周囲の石とは少し違っていた。
表面が平らで、角が正確に削られている。
「……これか?」
修は石材を観察した。
【古代石造構造物・外装材】
【製造年代:約四百八十年前】
【損傷率:18%】
【用途:地下設備保護】
【状態:埋設中】
修は息を呑んだ。
「……四百八十年前」
エルクが驚いた。
「北丘陵の地下施設と同じ時代ですね!」
「ああ」
修は頷いた。
「どうやら、ここにも古代の設備があるらしい」
⸻
修はすぐに石材を掘り出そうとはしなかった。
土地の管理者を確認する必要があるし、地下に空洞があれば危険だからだ。
まずは、見つけた位置を測量し、周囲の地形を記録した。
エルクは測定結果を書き込み、リペは目印の位置を確認した。
「ご主人様! 北側の目印、設置完了です!」
「ありがとう」
修は古い地図と現在の地形を見比べた。
「……これで、位置関係が分かるな」
北丘陵の地下施設。
古い水路。
埋め立てられた池。
そして、草地の下に眠る古代の石造構造物。
修は地図に線を引いた。
「……つながっている可能性がある」
エルクが尋ねた。
「魔力の通り道ですか?」
「ああ。少なくとも、同じ時代に作られた設備が、この方向へ続いている」
修は頷いた。
「ただし、魔力が実際に通っていたかどうかは、まだ確認できない」
エルクは真剣に頷いた。
「分かりました」
⸻
夕方。
工房へ戻った修は、銀色の球体を作業台へ置いた。
「今日見つけた場所について、何か分かるか?」
球体の青い宝石が輝いた。
修は地図を広げ、草地の位置を示した。
すると、球体の表面に文字が浮かび上がった。
【第六系統・関連施設照合】
【位置情報:確認】
【旧施設名:東部貯水調整区】
修は目を見開いた。
「……貯水調整区?」
エルクが驚いた。
「水を貯める施設だったんですか?」
「名前からすると、そうらしいな」
修は表示を読み進めた。
【施設用途】
【水量調整】
【魔力循環補助】
【緊急時の流路遮断】
修は静かに頷いた。
「……なるほど」
古代の魔力循環機構は、単に魔力を分配するだけではなかった。
水の流れを調整する施設とも、つながっていたのだ。
修は呟いた。
「……魔力と水を、一緒に管理していたのか」
球体の表示が変化した。
【東部貯水調整区】
【現在状態:不明】
【最終記録:約百二十年前】
修は表情を引き締めた。
「……また百二十年前か」
エルクも頷いた。
「北丘陵の施設が止まった時期ですね」
「ああ。偶然とは思えないな」
修は記録帳を開いた。
『北丘陵・第六系統の外部魔力逆流と、東部貯水調整区の停止には関連がある可能性が高い。』
そして、さらに書き加えた。
『原因究明には、東部貯水調整区の調査が必要。ただし、地下構造物の安全確認と土地管理者の許可を優先する。』
修はペンを置いた。
「……よし。次に調べる場所が決まったな」
リペが元気よく手を挙げた。
「ご主人様! 私も準備します!」
「何を?」
「水路調査用のしゃもじです!」
修は苦笑した。
「……今度は何に使うんだ?」
「水をすくいます!」
「しゃもじじゃ、あまりすくえないぞ」
「では、お玉にします!」
エルクが笑い出した。
修も笑った。
「まあ、今回はお玉の方が役に立つかもしれないな」
リペは嬉しそうに飛び跳ねた。
「やりました! 新しい道具の採用です!」
⸻
その夜。
修は工房の窓から、町の東側を眺めていた。
かつて、そこには水路と池があった。
今は草地になり、人々の記憶からも少しずつ消えかけている。
しかし、その地下には四百八十年前の設備が眠っていた。
水を調整し、魔力を循環させ、町の暮らしを支えていたかもしれない仕組み。
修は静かに呟いた。
「……昔の人たちは、どんな町を作ろうとしていたんだろうな」
銀色の球体が淡く輝いた。
【古代魔力循環機構】
【設計思想】
【過剰な力を生み出さず、必要な場所へ必要な量を届ける】
修はその文字を見つめた。
「……そうだったな」
必要な場所へ、必要な量を届ける。
それは魔力だけでなく、水にも当てはまる考え方だった。
修は小さく笑った。
「……ますます、作った人たちに会ってみたくなったよ」
四百八十年前の職人たちは、もうこの世にはいない。
しかし、彼らが残した技術は、今も地下で静かに働き続けている。
そして、その技術が守ろうとしたものが、少しずつ明らかになり始めていた。
修は記録帳を閉じた。
「さて、どこが痛い?」
その問いに答えるように、銀色の球体が一度だけ青く輝いた。
北丘陵から東へ。
古い水路の先に眠る施設には、百二十年前の異常を解き明かす、新たな手掛かりが待っていた。




