重圧の深層、幾重にも巻く業
その街の片隅、古い霧が石畳を濡らす場所に、その「オーガニック・デリ」は息を潜めていた。
今回、重苦しい足取りでドアを押し開けたのは、投資家として巨万の富を築き上げた初老の男、金森だった。
金森の人生は、常に「積み上げること」に費やされてきた。銀行の預金残高、所有する不動産、クローゼットに並ぶ高級時計。彼は自分の周囲を重厚な価値あるもので埋め尽くすことで、ようやく自分の存在を実感することができた。
しかし、最近の彼は奇妙な虚脱感に襲われていた。
「……足りない。もっと、私自身に『重み』が欲しい。どれだけ蓄えても、私の心は紙切れのように軽いんだ。誰にも動かされない、圧倒的な密度が欲しい」
金森は自分の細い腕を忌々しげに見つめた。富を築けば築くほど、皮肉にも彼の肉体は枯れ木のように痩せさらばえ、風が吹けば飛ばされそうなほどに軽くなっていたのだ。
店主の男は、金森の強欲な、それでいて怯えた瞳をじっと見つめ、カウンターの上に「それ」を置いた。
「重厚さ、ですね。外側に飾るのではなく、内側へ、内側へと価値を巻き込み、一寸の隙間もなく凝縮させる……でしたら、これをお試しください。大地の重力をすべてその身に宿した、究極の塊です」
店主が差し出したのは、不気味なほどに青々とした、巨大なキャベツだった。
それは通常の三倍ほどの大きさがあり、表面の葉には網目状の太い脈が、まるで浮き出た血管のように走っている。手に取ろうとした金森は、その予想を裏切る重さに思わずよろめいた。
それは、野菜というよりは、鉛を詰め込んだ球体のような、異常な質量を持っていた。
「『グラビティ・コア』。これを、一枚ずつ剥がして食べるのではありません。丸ごと、芯からじっくりと蒸し上げ、その『重み』をすべてあなたの核へと流し込んでください。あなたは、何者にも揺るがされない存在となるでしょう」
金森は、這うような思いでそのキャベツを自宅の厨房へ持ち帰った。
彼は大きな鍋を用意し、言われた通りにその塊を蒸し始めた。
蒸気が上がると、部屋中に、湿った土と、何かが腐敗する直前の濃厚な青臭さが混ざり合った、重苦しい匂いが立ち込めた。
蒸し上がったキャベツを、彼はナイフを使わずに、手で引き裂くようにして口へ運んだ。
……重い。
一口噛むたびに、顎に凄まじい負荷がかかる。葉は幾重にも重なり、噛み切ろうとするたびに、内側から新しい層が溢れ出してくるようだった。
しかし、飲み込んだ瞬間、金森は歓喜した。
胃に落ちた感覚が、これまでのどんな食事とも違っていた。鉛の塊を飲み込んだかのような、確かな「重み」。それが血流に乗り、全身の骨の随まで沈み込んでいくのがわかった。
「これだ……。私が求めていたのは、この充足感だ……!」
変化は、まず彼の「歩き方」に現れた。
翌朝、金森がベッドから立ち上がろうとしたとき、床がミシリと悲鳴を上げた。
彼の体重は変わっていないはずなのに、一歩踏み出すたびに、厚い絨毯に深い足跡が刻まれる。
鏡を見ると、彼の皮膚は瑞々しい青緑色を帯び、その質感は、驚くほど硬く、そして厚くなっていた。
三日目。
金森の身体は、内側から「巻き」始めていた。
彼の内臓は、胃を中心に、渦を巻くようにして凝縮され始めた。肋骨は内側へとしなり、肺を、心臓を、逃げ場のない中央へと押し込めていく。
彼は服を着るのをやめた。というより、着られる服がなくなったのだ。
彼の背中から、胸から、太ももから。
巨大な、厚みのある「葉」のような皮膚が、幾枚も、幾枚も重なり合って生えてきた。その葉は、彼の意志とは無関係に、彼の身体を包み込むようにして内側へ、内側へと巻き付いていく。
「……もっと……もっと……巻かなければ……」
金森の声は、もはや地鳴りのような低い振動にしか聞こえなかった。
五日目。彼は自室の書斎の床に座り込んだまま、動けなくなった。
彼の身体は、もはや人型を留めていなかった。
四肢は胴体に引き込まれ、幾百枚もの硬い緑の葉によって完全に密閉された。
彼は、自分自身の肉体という「芯」を、自らが生み出した「価値(葉)」で塗りつぶし、守り、そして押し潰していた。
彼の意識は、暗い暗い、層の重なりの中にあった。
一、二、三……
自分が何枚の葉で包まれているかを数える。
一枚増えるたびに、彼は重くなる。一枚増えるたびに、彼は孤独になる。
しかし、その孤独こそが、彼が求めた「圧倒的な密度」の証明だった。
一週間が過ぎた頃。
金森の書斎の床は、ついにその重さに耐えきれず、底が抜けた。
階下の住人が驚いて駆けつけると、そこには異様な光景が広がっていた。
瓦礫の中に、直径一メートルはあろうかという、深緑色の巨大な「塊」が鎮座していた。
それは、野菜のようでもあり、あるいは巨大な隕石のようでもあった。
あまりの存在感に圧倒されながらも、野次馬の一人が、そのキャベツのような塊の表面に触れようとした。
その瞬間。
塊の内側から、ギュ……ギュウ……という、繊維が極限まで圧迫される不気味な音が響いた。
それは、もはや肺の形を失い、幾重にも巻かれた葉の隙間で、最後の一息を吐き出そうとする金森の断末魔だった。
彼は手に入れたのだ。誰にも動かされず、誰の言葉も届かない、究極の「重み」を。
しかしその「重み」を支えられる場所は、この世界のどこにもなかった。
数日後。
クレーンで吊り上げられ、搬出されるその「キャベツ」からは、一滴の水分も漏れ出さなかった。
ただ、その断面を切り開こうとした業者のノギスは、あまりの硬さと密度に、火花を散らして折れ曲がったという。
中心に何があるのか。それを知る者は誰もいない。
店主は、今日もエプロンの上に落ちた小さな葉の破片を、静かに指で弾く。
「重すぎる価値は、自らを圧殺します。さて、次は……どれほど美しくても、自分を隠しきれない。内側から溢れ出す『鋭さ』を持て余している……そんな苛立ちを抱えた方に。無数の針を隠し持ち、触れる者を拒む『アーティチョーク』などは、いかがでしょうか」




