純白の冠、増殖する沈黙の花
その街の片隅、古い霧が石畳を濡らす場所に、その「オーガニック・デリ」は息を潜めていた。
今回、震える手でドアのノブを回したのは、SNSで絶大な人気を誇るインフルエンサーの女性、エリカだった。
エリカの毎日は、戦いだった。
画面越しの何十万という「視線」を繋ぎ止めるため、彼女は常に新しく、常に美しく、誰よりも「映える」存在でなければならなかった。高価なドレス、計算し尽くしたメイク、そして華やかなパーティー。
しかし、スマートフォンの画面を消した瞬間に訪れる、真っ暗な静寂が彼女を蝕んでいた。
「……足りない。もっと、私だけを見て。もっと、圧倒的な『華』が欲しいの」
鏡を見ても、そこにいるのは加工アプリで塗り固めた偽物の自分だけ。本物の、内側から溢れ出すような美しさが欲しくて、彼女は男の前に立った。
店主の男は、エリカの乾いた瞳をじっと見つめ、カウンターの上に「それ」を置いた。
「華やかさ、ですか。誰の手も届かないほど純白で、幾千もの可能性を秘めた……でしたら、これをお試しください。一目見れば、誰もがひざまずくような、究極の結晶体です」
店主が差し出したのは、雪のように白い、巨大なカリフラワーだった。
それは野菜というよりは、精巧なサンゴの彫刻、あるいは凝固した雲のようにも見えた。ひとつひとつの蕾が、計算された幾何学模様を描き、微かな燐光を放っている。
「『アルビノ・ブーケ』。これを、火を通さず、生のまま少しずつ削り取って食べてください。食べるたびに、あなたの身体は『花』として完成されていくでしょう」
エリカは、夢中でカリフラワーを持ち帰った。
自室のドレッサーの前。彼女はナイフで、その純白の塊をひと欠片削り取った。
コリッ。
冷たく、無機質な歯応え。しかし、飲み込んだ瞬間、脳の奥で花火が弾けるような衝撃が走った。全身の細胞が、一斉に拍手喝采を送っているような高揚感。
「あ……すごい。指先が、光ってる……?」
変化は劇的だった。
翌朝、彼女が自撮りした写真は、加工なしでも神々しいほどのオーラを纏っていた。肌は透き通るように白く、髪の一本一本が絹糸のような光沢を放っている。
投稿した途端、通知の嵐が止まらなくなった。
「女神」
「芸術品」
「人間を超えた美しさ」
賞賛の声が、彼女の空虚な心を満たしていく。
しかし、美しさは「増殖」を始めた。
三日目。
エリカの頭皮に、小さな違和感があった。
鏡を覗き込むと、髪の毛の隙間から、真っ白な、カリフラワーの蕾のような突起がポツポツと芽吹いていたのだ。
驚いて引き抜こうとしたが、それはすでに頭蓋骨と一体化しており、抜こうとすれば脳を直接揺さぶられるような鈍い痛みが走る。
五日目。
その「花」は、全身へと広がった。
耳の後ろ、鎖骨のライン、そして背骨に沿って。
真っ白で硬い蕾の塊が、皮膚を突き破ることなく、皮膚そのものを変質させながら盛り上がっていく。それはまるで、彼女の身体が内側から、巨大な「白い彫刻」へと作り変えられていくようだった。
「……きれい。私、本当に綺麗になってるわ……」
エリカの声は、次第に小さくなっていった。
喉の奥にも、あの白い蕾が密集し、声帯を優しく、しかし確実に押し潰していたからだ。
彼女は食事を摂ることも、水を飲むことも忘れた。ただ、鏡の前で自分の身体に増えていく「白い花弁」を眺め、悦びに浸るだけ。
そして、一週間が過ぎた。
エリカの家からは、一歩も外に出る音はしなくなった。
彼女の四肢は、もはや自由に動かすことはできなかった。
関節の隙間を埋め尽くすように、硬く、重いカリフラワーの塊が密集し、彼女を一つの「ポーズ」で固定してしまったのだ。
彼女の指先は、細かく分かれた純白の穂先へと変わり、瞳は、無数の蕾が集合した複眼のような、奇妙な模様へと変質した。
もはや彼女に「自分」という意識は希薄だった。
あるのは、「見られること」への極限の渇望と、それに応えるための「圧倒的な白」だけ。
最後の日。
エリカは、部屋の真ん中に立っていた。
いや、立っているのではない。彼女の足元からは、白い繊維質の根がカーペットを突き破り、床下にしっかりと固定されていた。
彼女の全身を覆ったカリフラワーは、今や一つの巨大な、完璧な球体を描こうとしていた。
顔の半分はすでに白い塊に飲み込まれ、残された片方の目だけが、三脚に固定されたスマートフォンのレンズを見つめている。
彼女は最後の力を振り絞り、シャッターのタイマーを起動させた。
フラッシュが焚かれた、その一瞬。
彼女の意識は、真っ白な光の中に溶けた。
それは、世界中の視線が自分一人に集まったかのような、残酷なまでに美しい絶頂だった。
数日後。
マネージャーが部屋を訪れたとき、そこには異様な「オブジェ」が置かれていた。
部屋の中央に、人間ほどの大きさがある、雪のように真っ白で、複雑な幾何学模様を描く巨大なカリフラワーの塊。
あまりの美しさに、マネージャーは恐怖を忘れ、吸い寄せられるようにその表面に触れた。
その瞬間。
カリフラワーの無数の蕾の隙間から、サラサラと、乾燥した白い粉がこぼれ落ちた。
それは、もはや肉体を持たず、ただ「見られるための形」だけを残して崩壊していった、エリカの成れの果てだった。
三脚に乗ったままのスマートフォンには、最後に撮られた写真が残っていた。
そこには、人間とも植物ともつかない、この世で最も「華やか」で、そして最も「命を感じさせない」白い化け物が、満面の笑みを浮かべて、あるいは、そう見える形の蕾を広げて写っていた。
店主は、今日もエプロンの皺を伸ばし、冷たい水で手を洗う。
「華やかさの果ては、常に沈黙です。さて、次は……自分の価値を、重さでしか測れない。もっと、もっと『重厚』になりたいという、欲深い方に。幾重にも葉を巻き、重く沈み込む『キャベツ』などは、いかがでしょうか」




