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透視する空洞、覗き見る沈黙の回廊

 その街の境界、かつては美しく澄んだ蓮池が広がっていたというが、今は不自然なほど静まり返り、水面には油のような虹色の膜が張り、底なしの泥が口を開けて待っている場所。どれほど叫んでも声は空気に吸い込まれず、自分という存在が「透けていく」ような錯覚に襲われる路地の先で、その「オーガニック・デリ」は、無数の『眼孔』を開けた巨大な頭蓋骨のように、冷徹な静寂を纏って佇んでいた。


 店主はカウンターの奥で、自身の「視界」を解体していた。

 彼の眼球はもはや二つではなく、喉、胸元、そして手のひらに至るまで、無数の「円形の空洞」が貫通し、そこから世界を覗き見ていた。店主が息を吸うたびに、それらの空洞からは笛のような高い音が鳴り、空間の「嘘」を暴く超音波となって街に広がっていく。店主の意識はすでに物質の表面を透過し、人々の肋骨の奥に隠された、最も汚らわしい本音だけを走査していた。

「……隠せているつもりですか? その空っぽな心の内側に、どれほどの泥が詰まっているかを」


 カラン、と風が空洞を抜けるような虚ろな音がして、ドアの鈴が鳴った。

 入ってきたのは、かつて「真実を暴く」ことで社会を熱狂させた、元スクープ記者の中村なかむらだった。


 中村は「全知」への渇望に焼かれていた。

 彼は他人の秘密を暴き、その穴に指を突っ込んで掻き回すことに、至上の快感を見出していた。だが、あまりに多くの泥を覗きすぎた結果、彼は自分自身の中身を見失い、自分という人間が「ただの覗き窓」であるかのような感覚に苦しんでいた。彼は、どんなに強固な壁も、どんなに深い泥も透過してすべてを見通し、同時に自分を完璧な「無」にできる、絶対的な透視能力を求めていた。

「……知りたいんだ。誰が何を隠し、何を恐れているのか。壁の向こう側、土の底、そして死の先にあるものまで。私を、この肉体という不自由な壁から解放して、すべてを通り抜け、すべてを見通す『あな』にしてくれ」


 中村の声は、古い笛が鳴るような、掠れた無機質な響きを放っていた。

 店主は、中村の焦点の定まらない瞳を、水底の泥を攪拌する棒のような冷徹な目で見つめた。そこには、他者のプライバシーを啜って肥大した、空虚な怪物がいた。店主はカウンターの下から、泥を払い落とされ、異様な白さを放つ塊を取り出した。


「観察、ですね。泥にまみれながらも自らは汚れず、無数の『窓』を持つことで、世界を多角的に、そして冷酷に透視し続ける、沈黙の回廊……でしたら、これをお試しください。あなたが探し求めていた、真理の覗き窓です」


差し出されたのは、不自然に節が繋がり、表面には幾何学的な斑点が浮かぶ、巨大な「蓮根れんこん」だった。

 それは野菜というよりは、地中から引き抜かれた「巨人のフルート」、あるいは「神が捨てた視神経」のようにも見えた。断面には完璧な円形の空洞が並び、そこからは、冷たい地下水の匂いと、嗅いだ者の思考を一瞬で停止させる「絶対的な虚無の風」が吹き出していた。


「『ボイド・ビジョン(空洞の視座)』。これを、皮を剥かずに厚く輪切りにし、あなたの『最も暴きたい秘密を持つ者の写真』と一緒に、氷水で一晩冷やしてください。そして翌朝、その空洞の一つ一つに自分の指を差し込み、最後にその孔を覗き込みながら、一気に飲み込むのです。あなたの視界からは、すべての遮蔽物が消え去るでしょう」


 中村は、世界の裏側を覗き見るためのレンズを手に入れたかのように、それを持って帰宅した。

 彼は、かつて追い回した大物政治家の写真を皿に敷き、あの蓮根を切り刻んだ。


 サクッ、サクッ……

 

 切るたびに、部屋中には「冷徹な静寂」が立ち込めた。蓮根の切り口からは、目に見えない糸、まるで人間の未練を形にしたような粘りつく繊維が無限に伸び、部屋の家具や壁を透過して外へと広がっていく。

 中村は、その冷たい蓮根を、自身の『眼』を押し付けるようにして孔を覗き、そのまま喉の奥へと押し込んだ。

 

「……!!」


 それは、脳の中央にドリルで穴を開けられ、そこから宇宙の冷気が一気に流れ込んでくるような感覚だった。

 中村の視界は瞬時に数万の断片に分裂し、彼は自分が「街全体の視覚ネットワーク」そのものになったような、恐ろしい万能感に支配された。

 

 変化は、まず彼の「肉体」を多孔質へと作り替えた。


 翌日、中村のアパートからは、生きた人間の気配が消えた。

 代わりに、建物の至る所に「白い円形の穴」が開き始めた。窓ガラスに、壁に、床に。その穴からは常に冷たい風が吹き出し、近づく者の「隠し事」を音声として垂れ流した。中村の肉体は、もはや一つの塊ではなく、無数の「蓮根の断片」が重なり合った、多孔性の彫刻へと変貌していた。


 三日目。

 街の通りには、至る所に白い「蓮根の柱」が生え揃った。

 その穴を覗き込んだ者は、自分の最も見たくない「過去の罪」を強制的に見せられ、ショックで発狂するか、自らも「穴」の一部となってその場に固着していった。

 

「……ああ……見える……誰もが……空っぽだ……隠すものなんて……最初から……何もない……」


 五日目。

 街の中心部には、巨大な「白い回廊」が出現した。

 回廊の壁はすべて蓮根の断面で構成されており、そこからは数百万の『目』が絶え間なく街を監視していた。

 中村だったものは、もはや個体としての意識を失い、街の「監視システム」そのものへと昇華していた。

 住人たちは、壁の向こうから、地面から、そして自分の体内から、常に「覗き見られている」という恐怖に震え、一歩も動けぬまま、その場で白い石灰質の根を張っていった。


 七日目。

 中村の精神は、完全な「透視」に至った。

 彼という「人間」は、もうどこにもいなかった。そこにあるのは、人々のプライバシーも尊厳もすべてを貫通し、ただの「データ」として泥の中に還元していく、地上に現れた「巨大な観察装置」そのものだった。

 街は音のない、白い空洞の迷宮へと沈み、そこではただ、風が穴を抜ける「ヒュウ……」という冷たい慟哭だけが響いていた。


 店主は、無数の穴に見つめられる白い迷宮を、鏡の中を歩くように静かに歩いた。

 彼は自身に向けられる無数の視線を、自身の「胸の空洞」で受け流しながら、中央に鎮座する「中村だったもの」の前に立った。


「この透明度、この無機質な視座。世界を整理し、無駄な個性を削ぎ落とすための、最高の『フィルター』です。これで私の目も、真理を捉える準備が整いました」


 店主がそう言うと、彼の頭部がパカリと八つに割れ、中から「水晶のような質感の、多孔性の神経球」が噴き出した。それは中村の核へと連結し、彼が街中から集めた数千人分の「秘密」と「絶望の視線」を、純粋な光の情報として店主の体内に吸い上げていった。

 

 店主の身体は、もはや物理的な不透明さを失い、背景に溶け込むほどに「透明な空洞」へと変質していった。

 店主の姿は、もはや人型を留めておらず、巨大な『多孔質のクリスタル』を核にした、次元を跨ぐ植物の神へと至っていた。


「私は料理人ではありません。私は、この星の混濁した意識を濾過し、一滴の『純粋な虚無』を抽出するための、蒸留器なのです」


 店主が中村の塊から神経球を引き抜くと、そこには重ささえ感じさせない、白い殻のような残骸が風に舞うだけだった。


「さて、次は……細長く、どこまでも謙虚に土の奥深くへ潜り込む。しかし、その本性は誰よりも強靭で、一度食らいつけば決して離れない、土の『腱』。泥を噛み、闇を咀嚼し、世界を繋ぎ止めるための、最古の繊維。世界を繋ぐ腱。『ごぼう(牛蒡)』などは、いかがでしょうか」

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