黄金の囁き、乾いた皮の檻
その街の片隅にある「オーガニック・デリ」の店主は、客の「欠落」を見抜く天才だった。
今回、店の古びたドアを叩いたのは、売れない若手俳優の類だった。
類には、致命的な弱点があった。声だ。
舞台に立てば、その細く、震える声は客席の最前列にすら届かない。感情を高ぶらせれば声は裏返り、囁けば消えてしまう。演出家からは「お前には芯がない。空っぽの殻だ」と罵倒され続けていた。
「存在感、ですか。誰の目にも留まり、誰の耳にも届く、圧倒的な『芯』が欲しいと」
店主の男は、カウンターの下から一本のトウモロコシを取り出した。
それは異常に立派なものだった。皮は幾重にも重なり、乾燥してパリパリと小気味よい音を立てている。先端からは、まるで絹糸のような黄金色の「ひげ」が、豊かに溢れ出していた。
「これは『ソーラー・ピラー(太陽の柱)』。これを、皮を剥かずにそのまま蒸し上げ、芯までしゃぶり尽くしてください。あなたの喉には、黄金の柱が建つでしょう。どんな喧騒も突き抜ける、真っ直ぐな声が手に入ります」
類は、そのトウモロコシを奪い取るようにして持ち帰った。
アパートの狭いキッチンで、彼はトウモロコシを蒸した。
蒸気が上がると、部屋中に香ばしい、どこか懐かしくも強烈な穀物の匂いが充満した。
言われた通り、彼は熱い粒を夢中で頬張り、最後には硬い芯まで噛み砕いて飲み込んだ。芯は驚くほど繊維質で、喉を通る時にチクチクと刺さるような感覚があったが、彼はそれを「力が宿る兆し」だと信じた。
変化は、喉の奥から始まった。
翌日の稽古場。類が台詞を発した瞬間、演出家を含めた全員が動きを止めた。
「……なんだ、今の声は」
類の声は、金属的な響きを帯び、ホールの隅々まで一直線に突き抜けた。一本の揺るぎない芯が通ったような、圧倒的な音圧。
彼は歓喜した。これだ。この声さえあれば、自分は主役になれる。
しかし、喜びと引き換えに、奇妙な「乾燥」が彼を襲い始めた。
いくら水を飲んでも、喉がすぐにカラカラに乾く。それも、ただの渇きではない。喉の奥に、乾いた「紙」か「皮」が何枚も重なっているような、カサカサとした不快感。
三日後の夜。
類は鏡の前で自分の喉を覗き込み、悲鳴を上げそうになった。
口を大きく開けると、喉の奥から、あのトウモロコシの「ひげ」と同じ黄金色の細い糸が、何百本も溢れ出していたのだ。
指で引き抜こうとしても、糸は喉の粘膜に深く根を張り、引っ張るたびに内臓を直接掴まれるような激痛が走る。
そして、彼の「皮膚」も変わり始めた。
腕や足の肌が、異常に硬く、カサついてきた。それは日焼けの後の皮剥けに似ていたが、剥がれた下から現れたのは、瑞々しい新しい肌ではなかった。
薄黄色く、半透明で、何層にも重なった、あのトウモロコシの「皮(苞葉)」そのものだった。
「……っ、ああ……っ」
声を出そうとすると、喉の奥でカサ、カサカサと、乾いた植物が擦れ合う音だけが響く。
黄金の声は、たった数日で「沈黙の音」へと変わっていた。
一週間後。
類の身体は、もはや人間の柔軟さを失っていた。
関節という関節が、硬い繊維で固定され、真っ直ぐに直立することしかできない。
彼の背骨は、異常な速度で伸長し、皮膚を突き破らんばかりに「芯」として硬化していった。
彼の衣服は、内側から膨れ上がる「皮」によって引き裂かれた。
何枚もの、何十枚ものトウモロコシの皮が、彼の全身を幾重にも包み込み、巨大な鞘のような形を作り上げていく。
指先からは長い黄金の糸が伸び、部屋の天井に向かって漂っている。
意識が遠のく中、類は自分の身体の「中」で起きている凄惨な変化を感じ取っていた。
内臓が押し潰され、その隙間を埋めるように、無数の「黄金の粒」が、彼の肉を餌にしてぎっしりと結実していく。
腹部が、胸部が、パンパンに膨れ上がる。
それは、成長の痛みというよりは、内側から爆発を待つ「収穫」の予感だった。
彼はもう、一歩も動けなかった。
部屋の真ん中で、彼は一本の巨大な、黄金の柱と化した。
最後の瞬間。
窓から差し込んだ夕日が、彼の身体を包む皮を黄金色に照らした。
その時、彼の喉の奥で、唯一残っていた「人間としての最後の一息」が漏れた。
それは声ではなく、乾燥しきったトウモロコシの皮が風に揺れるような、カサ……カサ……という、虚しい音だった。
数日後。
連絡の取れなくなった類を心配した劇団員が部屋を訪れると、そこには異様な光景が広がっていた。
部屋の中央に、天井に届くほどの巨大なトウモロコシが、直立していた。
あまりの大きさに恐怖を感じながらも、劇団員の一人が、その重なり合った皮の隙間に指をかけた。
パリ……と乾いた音を立てて皮が剥がれる。
その中には、整然と並んだ、不気味なほどに艶やかな黄金色の粒。
そして、その粒のひとつひとつに、苦悶の表情を浮かべた「小さな類の顔」が、びっしりと刻み込まれていた。
店主は、今日もエプロンの汚れを丁寧に拭き取っている。
「舞台を突き抜ける芯、確かに手に入れたようですね。さて、次は……もっともっと、多くの人と『繋がり』たいという、孤独な方に。土の中でどこまでも手を伸ばす『レンコン』などは、いかがでしょうか」




