その頬、熟れて爆ぜるまで
鏡の中に映る自分を見るたび、真理子は奥歯を噛み締めた。
「……枯れている」
三十路を過ぎた肌は、どれほど高価な美容液を塗り込んでも、砂漠のように水分を吸い込み、くすんでいく。かつて「陶器のよう」と称えられた頬は、今や弾力を失い、細かい皴が刻まれ始めていた。
美しさとは、鮮度だ。
スーパーの特売品のように、時間の経過とともに価値を失っていく自分に、彼女は耐えられなかった。
そんな時だった。仕事帰りの雨上がりの夕暮れ、彼女はその「オーガニック・デリ」に迷い込んだ。
店の奥から現れた緑色のエプロンの男は、彼女の顔をじっと見つめ、感情の抜けた声で言った。
「血が、足りていませんね。もっと、内側から溢れ出すような『赤』が必要です」
男が差し出したのは、一個のトマトだった。
それは不気味なほどに完璧な球体で、表面は磨き上げられたルビーのように光を跳ね返している。驚くべきは、その重さだった。手のひらに乗せると、ずしりと沈み込み、まるで意思を持って拍動しているかのような微かな振動が伝わってきた。
「『クリムゾン・コア』という品種です。これを搾って、一滴も残さず飲み干してください。あなたの肌は、二度と乾くことを知らなくなるでしょう」
帰宅した真理子は、男の言葉通り、キッチンでそのトマトにナイフを入れた。
プシュッと、皮が弾ける音がした。
溢れ出した果汁は、どろりと濃く、あまりにも鮮烈な赤色をしていた。それは植物の汁というよりは、精製されたばかりの新鮮な血液に近い。
一口、その液体を喉に流し込む。
……甘い。暴力的なまでの甘みと、鉄分を含んだような重厚なコクが、一瞬で食道を焼き尽くすようにして胃へと落ちた。
その瞬間、真理子の視界が真っ赤に染まった。
全身の血管が、冷たい水で一気に満たされたような錯覚。彼女はキッチンの床に崩れ落ち、荒い息をつきながら、自分の肌が内側から「熱」を持ち始めるのを感じた。
翌朝、彼女は歓喜の声を上げた。
鏡の中の自分は、まるで十代の頃に戻ったかのようだった。
くすみは消え去り、頬には林檎のような、いや、あのトマトのような瑞々しい赤みが差している。指で押すと、指紋が跳ね返されるほどの弾力。
「すごい……本当に、若返ってる……!」
しかし、その美しさは「静止」してはくれなかった。
二日目、彼女は異様な喉の渇きを覚えた。何を飲んでも喉が焼けるように乾く。唯一、渇きを癒せるのは、同じ店で買ってきたあのトマトの果汁だけだった。
三日目、彼女の身体に「異変」が兆した。
着替えようと服を脱いだ時、腕の毛細血管が、奇妙な形に浮き出ていることに気づいた。
血管は青白いはずなのに、今の彼女の腕を走っているのは、細く、強靭な「緑色の蔓」のような筋だった。それは皮膚のすぐ下で、脈動に合わせてじわじわと枝分かれし、全身を網目のように覆い始めていた。
そして四日目。
真理子は外に出ることができなくなった。
彼女の皮膚は、もはや人間の質感ではなかった。薄く、透き通るような光沢を持ち、少しでも何かに触れれば、中から溢れんばかりの果汁が爆ぜ出してしまいそうなほど、パンパンに張っていた。
彼女の頬は、もはや赤みを差しているのではない。
皮膚そのものが、完熟したトマトの皮へと変質していた。
鏡を見ると、白目は薄緑色に染まり、瞳孔は小さな黒い「種」のような形にひしゃげている。
「あ……あ……」
声を出そうと口を開けると、言葉の代わりに、ドロリとした甘い果肉が溢れ出した。
彼女の意識は、猛烈な「陽光への渇望」に支配されていた。
彼女はふらふらと、ベランダへ向かった。直射日光を浴びたい。もっと、光を。もっと、光合成を。
ベランダに座り込み、太陽を見上げた瞬間。
彼女の背中の皮膚がミシミシと音を立てて裂け、そこから何百もの細い緑色の根が噴き出した。根はコンクリートの隙間を探し、地中の水分を求めて狂ったように伸びていく。
彼女の体温は急速に下がり、体液はすべて「糖分」へと変わっていく。
脳が、心臓が、肺が。
すべての臓器が、ひとつの巨大な、重たい果実を育てるための「苗床」へと作り変えられていく。
「……あ、あつい……おいしい……」
最後の一瞬、彼女の意識に去来したのは、かつての「枯れた自分」への恐怖ではなく、ただ、自分が世界で一番「瑞々しく、美味しそうに熟した」という、歪んだ満足感だった。
数日後。
真理子の部屋のベランダには、主の姿はなかった。
ただ、異様なほど太い一本の蔓が、手すりに複雑に絡みつき、その先端には……人間の頭ほどもある、真っ赤に熟れきった一つのトマトが、重そうにぶら下がっていた。
そのトマトの表面には、まるで苦痛と悦楽が混ざり合ったような、一人の女性の「顔」の輪郭が、微かに浮き上がっているように見えた。
店主は、今日もエプロンを整え、新しい客を待っている。
「次は……そうですね。土の中に眠る、静かな知性を。ジャガイモなど、いかがでしょうか」




