その日
男女一緒の保健の授業が終わった直後の教室は、どこか刺々しい空気に包まれていた。
「……信じられない。デリカシーがなさすぎるわ」
休み時間のチャイムが鳴るなり、美咲が声を荒らげた。彼女の頬は怒りで赤く染まっている。
槍玉に上がっているのは、先ほどまで行われていた「月経」についての授業だ。
「男子がいる前であんな話をするなんて、女子全員の尊厳を傷つけていると思わない? それに、あんな話を聞かされる男子だって、きっといい気分はしなかったはずよ」
美咲の剣幕に押されるようにして、周囲の数人の女子も「そうだよね」「配慮が足りないよね」と口々に賛同し始めた。
怒りの矛先は、そのまま窓際で黙っていた和美へと向けられる。
「和美だって嫌だったでしょ? あんなの、人前でする話じゃないよね」
振られた言葉に、和美は一瞬だけ思考を止めた。
美咲の言う「尊厳」や「羞恥心」という言葉が、今の自分にはどこか遠い場所の話のように聞こえていたからだ。
「ええ……まあ、そうね」
曖昧に頷き、視線を落とす。
美咲たちが憤っているのは、あくまで「他人の目」や「社会的なマナー」の問題だった。けれど、和美にとっての問題は、もっと泥臭く、もっと逃げ場のない場所にある。
(……そんなことより、本当に来るんだ)
遠くない未来、自分の身体に確実に訪れるであろう「その日」。
知識として教えられた仕組みが、自分という器の中でカウントダウンを始めている。その圧倒的な現実味の方が、和美にとってはよほど恐ろしい大問題だった。
その日は、拍子抜けするほど唐突にやってきた。
数日前から続いていた、下半身を鉛かなにかに替えられたような、妙に重だるい違和感。
午後の授業中、ふとした拍子に感じた不快な感触に、和美は心臓を掴まれたような心地がした。
慌てて駆け込んだトイレの個室。
汚れてしまった下着を直視した瞬間、頭の中が真っ白になる。
「……あ」
声にもならない吐息が漏れた。
それは美咲が言っていたような「恥ずかしさ」ではなかった。もっと決定的な、何かが切り替わってしまったような絶望に近い感覚だ。
保健室へ行くと、先生は慣れた手つきで和美を迎え、必要な処置を教えてくれた。
カーテンで仕切られたベッドの端で、清潔なナプキンを受け取る。
「……面影さん? 大丈夫。みんな通る道だからね」
先生の優しい声が、今の和美にはかえって残酷に響いた。
これまでは、女子として振る舞うことも、女子の制服を着ることも、どこか「仮装」をしているような……どこか浮世離れした感覚が心のどこかにあった。
いつか魔法が解けるとか、これはただの役作りなのだとか、そんな子供じみた逃げ道が、心の隅っこに残っていたのかもしれない。
けれど、下腹部にずしりと居座る鈍い痛みと、この「現実」が、その逃げ道を完全に塞いでしまった。
(……もう、取り返しがつかないんだ)
これは仮装でも、おままごとでもない。
逃れることのできない、自分自身の肉体が突きつけてきた「現実」。
保健室の窓から見える校庭では、男子たちが声を上げてボールを追いかけている。
その騒がしい日常から、自分だけが全く別の、引き返せない場所へと足を踏み入れてしまったのだと、和美はただ静かに実感していた。




