変わっていく体
「その日」を境に、和美の世界は音を立てて変質していった。
鏡を見る回数が増えたのは、ナルシシズムからではない。自分の身体に起こる、制御不能な変化を監視せずにはいられなかったからだ。
肌の質感、胸の微かな熱、そして歩くたびに意識せざるを得ない腰の重み。
世間一般では「女性らしくなる」と祝福されるはずの変化が、今の和美には、未知の生物に内側から作り替えられていくような、得体の知れない不安として重くのしかかっていた。
ある日の午後、洗濯物をしまおうとタンスの引き出しを開けた和美は、その場で動きを止めた。
「……なに、これ」
見慣れたシャツの横に、見慣れない布地が並んでいた。
繊細なレースがあしらわれた、淡い色の下着。まだ子供っぽさの残る、けれど確実に「女性」を意識させるデザイン。
「お母さん……これ」
「ああ、それね。そろそろ必要かなと思って買っておいたの」
背後から声をかけてきた母は、いつもの穏やかな表情だった。
「サイズが合わなければ取り替えてもらうから、一度試着してみて。これからはそれが当たり前になるんだから」
当たり前。その言葉が、和美の胸に冷たく刺さった。
母が部屋を去った後、和美は吸い寄せられるようにクローゼットの奥へと手を伸ばした。
そこには、隅の方に押し込められた一つの段ボール箱があった。
中に入っているのは、かつて「和巳」として生きていた頃に愛用していた服。
(これなら、まだ……)
何に対する抵抗か、自分でも分からなかった。
和美は縋るような思いで、箱の中から一着のジーンズを引き抜いた。かつては少し大きいくらいだった、お気に入りのズボンだ。
けれど、現実は無情だった。
「……っ、うそ」
足を通した瞬間、明らかな違和感が襲う。
太ももでひっかかり、無理やり引き上げようとしても、腰のあたりでピタリと止まってしまった。
かつての自分を包んでいた布地は、今の和美の、丸みを帯び始めた身体を頑なに拒絶している。
「やっぱり、少しずつ……気づかないうちに変わっているのね」
いつの間にか、母がドアの隙間からこちらを見ていた。その瞳には、娘の成長を眩しむような、けれどどこか寂しげな色が混じっている。
「男の子の服は、今度の資源ごみの日に全部処分するわね」
母の淡々とした宣告に、和美は心臓を跳ねさせた。
「えっ、待って! 着るものがなくなっちゃうよ」
思わず口を突いて出た抗議。
それは、衣類がなくなることへの不便さではなく、もっと根本的な、自分を構成していたパーツを奪われることへの恐怖だった。
「和美は……」
母が和美の顔を覗き込むようにして、静かに問いかける。
「和美は、まだ男の子の服が着たいのかな?お母さんとの約束は忘れていないわよね」
「……っ」
核心を突く言葉に、和美は言葉を失った。
顔が急速に熱くなる。羞恥か、それとも未練を見透かされたことへの動揺か。
鏡の中に映る自分は、男の子の服を穿きこなそうとして無様に失敗した、奇妙なほどアンバランスな少女の姿をしていた。
(ああ、もう……逃げられないんだ)
母の優しい眼差しが、和美の中に残っていた最後の逃げ道を断つ。
「和巳」という少年を繋ぎ止めていた、細く、けれど確実な最後の綱。それが今、ぷつりと音を立てて断ち切られた。
赤面したまま俯く和美の耳に、遠くで資源ごみを回収するトラックの音が、幻聴のように聞こえた気がした。
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