いつかの約束、これからの未来
怒濤の二泊三日の修学旅行が幕を閉じ、いつもの我が家に帰ってきた日の夜。
久しぶりに囲む家族三人での夕食の席で、和美はどこか気恥ずかしさを覚えながらも、旅先で起きた「ある大事件」について切り出した。男の子から告白され、そして断ったという話だ。
父親は持っていた箸をピタリと止め、少し複雑そうな、それでいて興味津々な表情で身を乗り出してきた。
「それで……和美に告白したその男の子っていうのは、一体どんな子なんだい?」
「野球部の子なんだけどね。うーん、正直あんまりデリカシーはないかな。今回の修学旅行、野球部の仲良し三人組と同じ班になったんだけど、その中では完全にお調子者の賑やかし役って感じ」
和美が冷静に分析して返事をすると、それまでニコニコと話を聞いていた母親が、どこか遠い目をしてクスリと笑った。
「なんだか、お母さんも昔のことを思い出しちゃったわ。お父さんに告白されたときのこと」
「おいおい、お母さん。今ここでその話をするのかい?」
父親が途端に慌てだして、分かりやすく戸惑いの色を浮かべる。その様子が可笑しくて、和美は身を乗り出した。
「聞かせて聞かせて! どんな感じだったの?」
「お父さんはね、今もそうだけど、昔から『誠実さが服を着て歩いている』ような人だったのよ。だから、そんな真面目な人が、ある日いきなり『僕と結婚してください』って言ったときは、本当にびっくりしちゃって」
「……横浜の、ちょっと高級なレストランだったな。ちょうど食後のコーヒーが運ばれてきたタイミングだった」
さっきまで照れていた父親が、ボソッと、けれど恐ろしいほど正確なディテールを付け加える。
「お父さん、そんな前のことなのに鮮明に覚えているんだね」
「それはもう、僕にとっては一世一代の、命がけの決断だったからね。忘れるわけがないさ」
父親が真顔で言うと、母親は嬉しそうに目を細めた。
「でお母さんは、なんて返事をしたの?」
「『少し考えさせてください』って言ったわ。そんなの一生に関わることなんだから、簡単に『はい』なんて言えるわけないでしょ?」
「でも、結局はこうして一緒になったんでしょ?」
「プロポーズの後もね、お父さんから色々と改めて気持ちを伝えてもらったり、将来のことを相談し合ったり、お母さんからお父さんに知ってもらうこともあったりして……それで、お互いに納得して結婚することに合意したのよ」
母親の言葉に、和美はへえ、と感心の声を漏らした。目の前にいる、いつも穏やかな両親の間にも、そんな熱いドラマがあったのだ。
「へーえ……私にもいつか、そんな風に誰かと向き合う日が来るのかしら」
「それは、和美次第だと思うよ。自分がその時、誰を隣に置きたいかだね」
父親の優しい言葉を聞きながら、和美の脳裏に、なぜかあの廊下で赤くなっていた山崎の顔がふっと浮かび上がってきた。
(……って、なんであんな奴の顔を思い浮かべるのよ、私!)
和美は慌てて首を振って、頭の中のイメージを掻き消した。ただのお調子者だと思っていた男子の、あの真剣な眼差しが、どうしても記憶の底にこびりついて離れない。
思考を誤魔化すように、和美は母親に向かって次の質問を投げかけた。
「ねえお母さん。お母さんが告白されたのって、お父さんが初めてだったの?」
「そんな訳ないでしょ。これでも学生時代は結構モテたのよ? でもね、みーんな断っちゃった」
「へえ、お母さん強気。……あ、そうだ、モテた話で思い出した。来週から学校で三者面談が始まるんだった」
和美が思い出したように言うと、両親の表情がすっと引き締まった。
「高校進学に関して、先生と親と本人の意向を確認するんだって。そろそろ具体的な日程の希望を出すプリントが配られると思うから、お母さんでもお父さんでも、都合がいい方が来てね」
「ああ、もうそんな時期なのね……。ついこの間、中学校に入学したばかりだと思っていたのに」
母親がしみじみと呟き、父親も深く頷く。
ついさっきまで過去の恋話に花を咲かせていた食卓に、受験という現実の足音が少しだけ紛れ込む。新体操、そして自分の進路。考えるべきことは山積みだった。けれど、温かい家族の時間を過ごした今の和美の心には、不思議と心地よい前向きな風が吹き抜けていた。




