建仁寺
「でも、和美が元気になってきて本当に安心したよ。さっきは冗談抜きで顔が真っ青だったもんな」
「みんな、心配かけてごめんね。ありがとう」
和美は照れくさそうに笑い、みんなを促して境内へと進んだ。
国宝の『風神雷神図屏風』の本物は京都国立博物館に預けられているため、ここで見られるのは高精細なレプリカだった。それでも、歴史ある建仁寺の空間の中で見るその姿には、言葉にできない重みと意味があるように感じられた。
さらに奥の法堂へと進む。一同が天井を見上げた瞬間、息を呑んだ。そこには、二匹の龍が互いを睨み合うように描かれた大迫力の『双竜図』が広がっていたのだ。
「うわ……すっげえ……!」
「これ、今にも動き出しそうだな」
男子たちはいたく感激した様子で、時間を忘れて天井を見上げている。和美はその様子を眺めながら、ふと頭をよぎった衝動を堪えていた。
(確か、この龍の下で手を打つと、響き渡る音が龍の鳴き声みたいに聞こえるんだよね……試したい……!)
けれど、静寂が守られている法堂の中で、班長自らパン!と手を打ち鳴らすわけにはいかない。和美は誘惑をぐっと堪え、心の中でだけ龍の鳴き声を想像した。
じっくりと約一時間を掛けて建仁寺を見て回り、いよいよ境内を出ようとしたとき、和美は全員を集めて足を止めた。ここからの進行に関わる、重大な発表をしなければならなかった。
「みんな、ちょっと聞いて。……実は、当初の計画ではこの後に清水寺を見学する予定だったんだけど、バスの遅れもあって、圧倒的に時間が足りません。このまま清水寺に行けば、かなり駆け足の拝観になります。ここで見学を切り上げて、大人しく宿舎に戻るという選択肢もあるわ。ルールでは『二か所以上の見学・拝観』が義務付けられているけれど、最初の錦天神を数えれば、六角堂と建仁寺で一応三カ所はクリアできているから、戻ってもペナルティは受けないの。……どうする?」
和美の問いかけに、一瞬の沈黙が流れた。
沈黙を破ったのは、男子たちだった。
「清水寺は、今回の京都修学旅行のハイライトだと考えていたから……俺はぜひ行きたい。たとえ駆け足の拝観になったとしてもさ」
高橋が真剣な目で言うと、三浦と山崎も「俺も!」「清水の舞台は見たい!」と口を揃えて同意した。
和美は女子の二人に視線を巡らせる。
「結愛、咲良はどうする?」
「私はやっぱり見てみたいかな。……それより、和美はどうなの? 体調はもう完全に戻ってきた?」
結愛が自分の希望よりも、まず和美の体を心配して聞いてくれる。和美は力強く胸を張った。
「何とかね! もうピンピンしてる。……うん、やっぱり清水寺は見たいよね。――それでは、班長として宣言します! これより清水寺の『弾丸拝観』を決行します!」
「おーーっ!」と男子たちが歓声を上げる。和美が先頭を切って一歩を踏み出すと、咲良がガイドブックを片手に、少し残念そうな声を上げた。
「ここから清水寺までは徒歩十五分。……なんだけど、清水坂とか二年坂とか、とにかく誘惑が多い超観光ルートです! 買い食いや寄り道をしてると絶対に清水寺に辿り着けないから、みんな脇見運転は禁止だよ!」
事前に仕込んできたお土産スポットの知識を、今は封印しなければならない切なさに咲良は肩を落とす。
「よし、山崎! 店の前に引っ張られても絶対に立ち止まるなよ!」
「わかってるって! 走ればいいんだろ、走れば!」
賑やかな声を響かせながら、六人は夕暮れが近づく東山の坂道へと、一丸となって突き進んでいった。




