湯気の中の秘密
宿はまさに「修学旅行御用達」といった佇まいの、年季の入った大規模な和風旅館だった。
案内された部屋は、十畳一間の和室。そこに女子8名が寝食を共にする形で押し込められており、早くも「明日の朝の洗面所、絶対に大戦争になるよね」と不穏な空気が漂っていた。
しかし、和美にとって本当の懸念事項は、明日の洗面所ではなく、今夜の「大浴場」での入浴だった。
同室の女子たちの多くも、不特定多数と一緒に大きなお風呂に入るのは初めてのようで、「恥ずかしい」「どうしよう」と口々にこぼしている。それでも、一日中歩き回ってかいた汗と埃をすっきりと洗い流したいという欲求には勝てないようだった。
大広間での夕食を慌ただしく済ませると、そのまま学年全体の集合写真の撮影へと移った。学校指定の、お世辞にもお洒落とは言えない芋ジャージ姿で、みんなが大広間の端にひな壇のように並んで写真に収まる。
フラッシュが焚かれ、撮影がひと段落して解散になったその時、背後から声をかけられた。
「面影さん、今日はお疲れ様。明日、よろしくな」
振り返ると、サッカー部の山崎悠真が少し照れくさそうに立っていた。和美は班長としての顔を引っ張り出し、小さく微笑む。
「うん、こちらこそよろしくね。……あ、でも今日みたいに、最後の集合時間に遅れるのはナシだからね?」
早くも牽制を組み込んだ挨拶を返すと、山崎は「うぐっ、努力します……」と苦笑いしながら頭を掻いた。
山崎が男子の群れに戻っていくのと入れ違いに、結愛がすかさず隣へ滑り込んでくる。
「ねえ、山崎くんと何話してたの?」
「ん? 明日よろしくねって言われただけだよ」
「ふーん……?」
どこか値踏みするような視線を向ける結愛に、和美は肩をすくめてみせた。
「だから、明日は絶対に集合時間に遅れないようにって、今のうちに釘を刺しといたの」
「あはは、さすが和美。お母さんみたい」
そして、ついに恐れていた女子の入浴時間がやってきた。
脱衣所へ一歩足を踏み入れた瞬間から、そこは戦場さながらの大騒ぎだった。
「ひゃー! 恥ずかしい!」
「何言ってるの、これぞ裸の付き合いだよ!」
そんな風にはしゃぐ声があちこちから上がる中、和美はなるべく周囲から死角になる場所を選び、バスタオルを体にきつく巻きつけた。少しでも肌の露出を抑えようという必死の抵抗だった。
しかし、そんな目論見はすぐに打ち砕かれる。
「こらー! 浴場内にバスタオルは持ち込み禁止だよ!大浴場のマナー。タオルは湯船に入れないこと」
見回りの先生の非情な声が響き、和美のバスタオルはあえなく没収されてしまった。万事休す。和美は仕方がなく、小さな洗顔タオルだけを前で握りしめ、おずおずと湯気の中に進むしかなかった。
浴場内はさらに混沌としていた。髪を濡らしたくないからと湯船に浸かるだけの子と、ガッツリ頭から洗う子。和美がシャワーの前に座って、なるべく目立たないように体を洗っていると、背後からトントンと肩を叩かれた。
和美は他人と出来るだけ視線が合わないように伏し目がちにして、すらりとした体を出来るだけ目立たない様に縮こまるようにしていた。
「お姉さま、お背中流しましょうか?」
振り返ると、咲良がニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。
「ちょっと、咲良、変な呼び方しないでよ……あ、でも、お願いしようかな」
咲良がナイロンタオルを優しく背中に滑らせてくれる。
「うわっ、くすぐったい!」
和美が身をよじると、咲良は「あはは、和美って意外と肌が柔らかいね。それに新体操仕込みの体はスタイルいいよね。羨ましい」と笑った。
「よし、じゃあ今度は私が咲良の背中を洗うね」
和美もタオルに石鹸をたっぷりと泡立て、咲良の背中を丁寧に擦っていく。お互いに泡を流し合い、そのまま一緒に広い湯船へと浸かった。じんわりと熱が体に染み渡り、一日の疲れが溶けていく。
(女子の『裸の付き合い』って、なんだかんだ言っても、こういう温かい感じなんだな……)
和美の胸にあった後ろめたさは、心地よい湯気の中に少しずつ消えていくようだった。
中学二年生と言っても体の発達の個人差って意外に大きいというのも大勢の裸を見ての感想だった。
(私の体も発展途上かもしれない)
ただ、湯船の中で一つだけ意外な発見があった。
普段は真面目でお堅い学級委員の美咲が、お風呂の中ではやたらと他の子の肩を揉んだり、腕に抱きついたりと、ボディタッチが多めだったのだ。
(美咲ちゃん、普段は気を張ってるけど、本当はすごく甘えん坊な寂しがり屋なのかな……)
そんな風に周囲を観察しているうちに、ふと、一つの疑問が頭をよぎった。
――じゃあ、私のことは、みんなの目にどう映っているんだろう?
新体操をやっている「面影和美」として馴染んではいるけれど、心のどこかで『男の子みたい』なんて思われてはいないだろうか。
お風呂上がりの脱衣所、数台のヘアドライヤーがゴーーッと喧しく響き渡る中で、和美は鏡に映る自分の濡れた髪を眺めながら、答えの出ない不安と問いを静かに胸の奥へ仕舞い込むのだった。




