東京駅の喧騒と出発の号砲
修学旅行の当日の朝は、目覚まし時計が鳴るよりも早くに目が覚めた。
集合時間は朝の7時、場所は東京駅の八重洲口改札前。地元を午前6時前後の電車に出発しなければ到底間に合わない時間だ。
まだ薄暗く、人影もまばらな地元の駅のホームへと上がると、そこには見慣れた制服姿の同級生たちが数人、大きなボストンバッグを足元に置いて立っていた。
「和美、おはよう! 早いね」
「面影さん、おはようございます。旅行、よろしくお願いしますね」
友達やクラスメイトたちが次々と声をかけてくる。そんな中、少し離れた場所から、娘の駅への見送りに来ていた一人の保護者が和美の元へ歩み寄ってきた。
「あの、先生。うちの娘を、三日間どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧にお辞儀をされ、和美は一瞬フリーズしたあと、大慌てで両手を振った。
「い、いえ! 私も同じ生徒です! こちらこそよろしくお願いします!」
その様子を横で見ていた結愛が、お腹を抱えてクスクスと笑いながら合流してくる。
「あはは! 和美、また間違えられてる。普段の佇まいが落ち着きすぎてるから、どうしても引率の若い先生か、年上の綺麗なお姉さんに見えちゃうんだよ、きっと」
「もう、ひどいよ。先生って年齢にはさすがに見えないでしょ、プンプン!」
和美は頬を少し膨らませ、わざとおどけたポーズを取ってみせる。そんな二人のやり取りに、周囲の緊張も少しだけ和らいだようだった。
しかし、一歩足を踏み入れた東京駅は、地元の静けさが嘘のような大混雑とごった返しの中だった。
通勤客の波を縫うようにして八重洲口へと向かうと、担任の先生が学校名とクラス番号の書いたプラカードを高く掲げているのが見えた。その周囲には、すでにたくさんの生徒たちが集まっている。
人混みの中心では、学級委員の美咲が名簿を片手に、声を張り上げながら何度も人数を確認していた。
「美咲、お疲れ様。大変ね」
和美が声をかけると、美咲は額の汗を拭いながら、切実な顔で微笑んだ。
「学級委員の宿命だからね……。お願いだから、和美はあんまりあちこち動かないで、その場でじっとしててくれると助かる!」
「了解、ここで大人しくしてるわ」
全員の点呼が完了したクラスから順に、専用の改札を通って東海道新幹線のホームへと移動していく。7時33分発、新大阪行きの『ひかり号』。借り切られた二両の車両へ、吸い込まれるように生徒たちが乗り込んでいく。
プシュー、と大きな音を立てて重厚なドアが閉まり、静かに新幹線が動き出した。
その瞬間、通路を挟んだ席に座っていた美咲が、「はぁぁぁ……」とシートに深く背もたれを預け、どっと脱力する姿が和美の目の端に映った。まずは第一関門突破、といったところだろう。
「お疲れ様、美咲」と心の中で呟いたとき、旅行会社の添乗員さんが通路の向こうから大きな段ボール箱を抱えてやってきた。
「はーい、皆さん注目してください! 本日の朝食となります! サンドイッチとお茶を、一人ひとつずつ取って後ろに回してくださーい!」
添乗員さんが声を張り上げるが、車内はすでに「トランプしようぜ!」「お菓子何持ってきた?」と大興奮の中学生たちによるお祭り騒ぎ。その声がどこまで彼らの耳に届いているかは怪しいものだったが、和美は窓の外を流れる東京のビル群を眺めながら、いよいよ始まった二泊三日の旅に、小さく胸を躍らせるのだった。




