和美の決断
翌日の放課後。部活動の熱気が体育館に満ちる少し前、和美は職員室の杉浦先生のデスクの前に立っていた。
「先生、進路のことで少しご相談があります」
杉浦先生は手元に広げていた書類から顔を上げ、眼鏡の奥の瞳で和美を見つめた。
「ああ、昨日の合同練習でスカウトされた件ね」
「はい。桐栄女子の朝倉コーチから『高校からうちに来ないか』とお声をかけていただいたときは、本当に光栄に思ったのですが……」
言葉を濁した和美に、杉浦先生は腕を組み、促すように言った。
「で? ちゃんと最後まで、あなたの言葉で言ってちょうだい」
「はい……失礼しました。私、このお話をお断りしたいのです。朝倉コーチは先生の後輩にあたる方だとお聞きしましたので、まずは先生に私の決断をお伝えしたくて、ご報告に伺いました」
杉浦先生の表情は崩れない。ただ静かに、その理由を問いかけてきた。
「なぜ、その決断に至ったのか教えてくれない?」
「はい。私は新体操が大好きです。でも、桐栄女子に行って人生をすべて懸けて取り組みたいかというと、それは私の望む『私の人生』ではない、と思ったのです。あの強豪校の練習についていくということは、高校三年間、それこそ生活のすべてを捧げる覚悟でなければとても保たないと感じました」
じっと耳を傾けていた杉浦先生の唇が、ふっと柔らかく綻んだ。
「なるほどね。あなたのその、鋭い洞察力には感服するわ。強いチームの裏には血のにじむような努力があるということに、わずか一回の合同練習で気づくなんて。普通の子なら、あの朝倉に声をかけられただけで舞い上がって、二つ返事でついていっちゃうものよ」
先生は椅子から立ち上がると、和美の肩をポンと叩いた。
「分かったわ。朝倉コーチには私から上手く話しておく。彼女は残念がるでしょうね」
「……ご迷惑をおかけします」
「いいってことよ。さあ、今日の練習も頑張って」
「はい! ありがとうございました!」
深々と一礼し、和美は胸のつかえが取れたような軽い足取りで体育館へと向かった。
しかし、練習場に一歩足を踏み入れた途端、和美は子猫のような好奇心の塊に囲まれることになった。待ってましたとばかりに、後輩たちが矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「和美先輩! さっき杉浦先生と話してたのって、やっぱりスカウトの件ですか!?」
「それで、先輩は桐栄女子に行くんですか!?」
目を輝かせる彼女たちを黙らせるには、変に隠すよりも真実を告げるしかない。和美は苦笑しながら、あっさりと答えた。
「ううん。スカウトをお断りしたいって、杉浦先生に話してきたところ」
「ええっ……!? もったいないですよ!」
「またとない機会なのに! 先輩の才能がこんな公立中学に埋もれてしまうなんて、日本の新体操界の損失です!」
「コラ、大げさな言い方しないの!」
大騒ぎする後輩たちを和美はパンパンと手を叩いて窘める。
「ほら、おしゃべりしてないで練習、練習! 体動かすよ!」
「はーい……」
ブーブーと不満の声を漏らしながらも、後輩たちはそれぞれのポジションへと散っていった。
差し伸べられた華やかな未来の手を、自らの意志で離した。後悔はない。和美はリボンを手に取り、心地よい緊張感の中で、自分らしい一歩を踏み出すために深く息を吸い込んだ。




