差し伸べられた手
合同練習の締めくくり、静まり返った体育館に朝倉コーチの靴音が響いた。彼女は真っ直ぐに和美の前で足を止めると、射抜くような視線を向ける。
「あなた、ボールの軌道がとても綺麗ね。自分の『見せ方』を理解している子は、そう多くないわ」
和美は息を呑んだ。
自分の内側に芽生え始めていた、演技への自覚。それを一瞬で見抜かれたような気がして、背中に熱いものが走る。
沈黙を破ったのは、傍らに立つすみれだった。
「ねえ、和美さん。……高校から、うちに来ない?」
その一言に、周囲にいた新入生たちが一斉に振り返った。
和美の心臓が、耳元で鳴っているのではないかと思うほど激しく跳ねる。
桐栄女子への入学。
それは、母と交わした「三年の期限付きの嘘」――生来の性別を偽り、女子として生きるという契約を、自らの手で破棄することを意味していた。
「いきなりここで返事をするのは無理よね」
戸惑う和美の心境を察したのか、すみれが穏やかに言葉を添える。だが、その瞳には確かな自信が宿っていた。
「でも、もしあなたがここに来れば。自分でも想像できなかったような、新体操の更なる高みへ連れていってあげられるわよ。あなたなら努力次第で私たちと一緒にオリンピックのマットに立てるわよ。あなたの才能をこのまま埋もれさせるのはあまりにも勿体ないわ」
思いもよらぬ課題を突きつけられたまま、嵐のような合同練習は幕を閉じた。
帰り道、興奮冷めやらぬ後輩たちが和美を取り囲む。
「和美先輩、あれってどう見てもスカウトですよね! 今回の練習会って、実は先輩を呼ぶための口実だったんじゃないですか?」
「よしてよ、そんなわけないでしょ……」
無責任な推測だと苦笑いしつつも、和美の胸の内には否定しきれない予感があった。あのデモンストレーション、あの視線。すべてが自分を試していたのだと言われれば、あまりに合点がいく。
「でも……桐栄女子に行ったら、それこそ新体操漬けの毎日になっちゃうでしょ? 大学まで続くかもしれないし。それはそれで素晴らしいけど、私向きじゃないと思うな」
和美は努めて明るく振る舞った。
(もし本気で上を目指すなら、「和巳」という本当の自分を一生消したまま生きることになる……。それは、あいつに申し訳ないよ)
心の中にいる「本来の自分」へ向けた罪悪感が、足取りを重くさせる。
「でも、あの朝倉コーチが才能を認めるなんて、本当にすごいことですよ!」
「それ、遠回しに杉浦先生を下げてない?」
「そんな! めっそうもありません!」
後輩たちの屈託のない笑い声が、夕暮れの街に溶けていく。
差し伸べられた黄金の切符と、胸に秘めた大きな嘘。和美は答えの出ない葛藤を抱えたまま、住み慣れた街への坂道を登っていった。




