霧の向こう、震える覚悟
その夜、和美はリビングのソファに腰を下ろし、最近自分の身に起きているすべてを母親に話した。学校での混乱、心ない視線、そして杉浦先生から不本意にも告げられた「注意」のこと。
「結愛ちゃんが怒った話までは聞いていたけれど。学校でそんなことになっていたのね」
母親は穏やかな手つきで湯呑みを置き、和美の目をじっと見つめた。
「うん……お母さん、私、どうしたらいいんだろう」
「和美はどうしたいの? どうなりたい?」
母親の問いは、いつもシンプルで、だからこそ一番難しい。
「うーん……それが、自分でもよく分からないのよ。いっそ、新体操なんて辞めてしまったほうがいいのかなって思うこともあるし」
「それも一つの道ね。逃げることは、決して悪いことじゃないわ」
「でも……」
和美は膝の上で拳を握りしめた。
「せっかくついてきてくれた後輩たちを放り出すのは嫌だし、何より、それが『正しい道』ではないって、どこかで感じてるの」
「なるほど。他には?」
母親が先を促す。和美は、霧がかった思考を整理するように、一文字ずつ言葉を紡ぎ出した。
「新体操を続けるためには……なんていうか、腹をくくるというか。覚悟がいる気がしてる」
「それは、どんな覚悟?」
「見られるのは競技だから仕方がない。見たければ、勝手に見ればいい。でも、どんなに見られても、私は私……。どれほど執拗に覗き込まれても、私の心まで裸にすることは、誰にもできない。……そんな覚悟かな」
口にしてみて初めて、自分の望みが輪郭を持ち始めた。
「だんだん、見えてきた感じね」
母親がわずかに目を細める。けれど、和美はすぐに首を振った。
「でも……やっぱり、怖いの。怖くてたまらない」
その正直な吐露に、母親はフッと表情を和らげた。
「怖くて当たり前よ。お母さんも、和美をそこまで無鉄砲に育てた覚えはないもの」
その言葉に、和美の張り詰めていた心がふっと軽くなった。
勇気があるから怖くないのではない。怖いけれど、それでも手放したくないものがある。
母親との対話の中で、和美は答えらしきものの姿を、深い霧の向こうに捉え始めていた。




